中村屋の密着📺をみた。
久しぶりに 歌舞伎関連の番組を見ることができた。
私は10代からずっと歌舞伎が好きで 憧れ
歌舞伎が 生きるエネルギーだった
それが
それだけが 支えで
なんとか 日々を やり過ごしてきたと 言ってもいいと思う
ふつうの 家族の温かさは 得られなくて
なりたいものにも なることができず
普通の社会にも どこかなじめず
日々 義務感だけで なんとか 生きてきた 10代20代
そんなわたしに 命や 血潮を 舞台の上で 見せてくれる
こんな 世界や 人情や 燃える恋が あるのだと
見せてくれる
それが 私にとっての 歌舞伎
そして 歌舞伎を支える人たちは 私のあこがれ
家族という 土台が あって それがなくては 始まらなくて
こどもを 見守る たくさんの大人たちがいて
連綿と 続いていく
命が はぐくまれて つながっていく
そんな 大河の大きな 流れに身をゆだねて 遺伝子を組み込んでいくような
でも
病気が見つかる少し前から 歌舞伎から 遠ざかっていました
いろいろなことが私の人生に起こり
歌舞伎に夢を見る状態では なくなっていました
そして 発病が発覚
私は病気と んー病気というより
治療と その生活と 自分の運命と 戦っていました
同時期に あの 奥様も 闘病ブログをつづっていました
その旦那さんも。
私には 毒が強すぎました
毎日 見たくない権利は 損害されていました
歌舞伎に触れるのは わたしにとって とても危険な 行為になりました
私の中で どんな化学反応が 起こるか 自分でも 予測がつかなかったからです
私の尊厳をつないでくれた 歌舞伎です
私にとって 特別なものの一部です
そして 私の術後 まもなく
彼女は旅立ちました
抗がん剤から 身体が戻ったら
年が明けたら
秋になったら・・・・
なかなか 復調の自信が持てず舞台に足を運ぶことはありませんでした
私の戦いは まだ 続いていたので。
テレビ番組ですら そっと さけるように なりました
久々に 中村屋 一門 兄弟の奮闘 子どもたちの成長を 見せてもらいました
先代には 個人的な 思い出が そっと 私にしか わからない 舞台上での 思い出があります
当代、しっかりとした 親になっていました
弟子を育て 養う 師匠になっていました
弟の七之助さん
まさか 揚巻役者になられるなんて
玉三郎さんの芸を継承されていました
こどものころは なんて 手の大きな お姫様なのかしら (;´Д`) なんて 思ったけれど
まさか 揚巻 まさか 30代で。
わたしと同世代(すこし 年下)の彼らは
私が歌舞伎から 遠ざかり
普通の人生のレールから すこし 荷を下ろしているころに
しっかりと 前にどんどん ぐんぐん 進んで 成長して
新しい 路を 作っていました
責任を背負っていました
挑戦をしていました
とうとうたらり とうたらり
滝の水は 幾千年前から 流れ続け
ここにたどり着き
岩をも砕き
流れ
流れ続けて
海に戻っていく
とうとうたらり とうたらり
中村屋の 新しい一滴
その一滴が
艱難を打ち砕き
永遠に流れ続ける
とうとうたらり とうたらり
いわんや ことほぎの
どこまでも どこまでも 流れる
流れを辞めない 一滴一滴
わたしは どこの 大河の一滴なのかしら
どこの 海に戻っていくのかしら
こどもも もたずに
この 身体を 抱いたままで
なにかの 一滴になれるのだろうか
もういちど
人生に戻ることができようか
あの人生は もう戻れないだろうか
あの人に もう あえないのだろうか
生きていればこそ
生きて生き続ければこそ
夢は いつか かなうはずなのだ
20 30で かなわぬ夢は
40で かなうことも あるはずなのだ
とうとうたらり とうたらり
祝い 祝われ ことほぎの
久しぶりに 歌舞伎関連の番組を見ることができた。
私は10代からずっと歌舞伎が好きで 憧れ
歌舞伎が 生きるエネルギーだった
それが
それだけが 支えで
なんとか 日々を やり過ごしてきたと 言ってもいいと思う
ふつうの 家族の温かさは 得られなくて
なりたいものにも なることができず
普通の社会にも どこかなじめず
日々 義務感だけで なんとか 生きてきた 10代20代
そんなわたしに 命や 血潮を 舞台の上で 見せてくれる
こんな 世界や 人情や 燃える恋が あるのだと
見せてくれる
それが 私にとっての 歌舞伎
そして 歌舞伎を支える人たちは 私のあこがれ
家族という 土台が あって それがなくては 始まらなくて
こどもを 見守る たくさんの大人たちがいて
連綿と 続いていく
命が はぐくまれて つながっていく
そんな 大河の大きな 流れに身をゆだねて 遺伝子を組み込んでいくような
でも
病気が見つかる少し前から 歌舞伎から 遠ざかっていました
いろいろなことが私の人生に起こり
歌舞伎に夢を見る状態では なくなっていました
そして 発病が発覚
私は病気と んー病気というより
治療と その生活と 自分の運命と 戦っていました
同時期に あの 奥様も 闘病ブログをつづっていました
その旦那さんも。
私には 毒が強すぎました
毎日 見たくない権利は 損害されていました
歌舞伎に触れるのは わたしにとって とても危険な 行為になりました
私の中で どんな化学反応が 起こるか 自分でも 予測がつかなかったからです
私の尊厳をつないでくれた 歌舞伎です
私にとって 特別なものの一部です
そして 私の術後 まもなく
彼女は旅立ちました
抗がん剤から 身体が戻ったら
年が明けたら
秋になったら・・・・
なかなか 復調の自信が持てず舞台に足を運ぶことはありませんでした
私の戦いは まだ 続いていたので。
テレビ番組ですら そっと さけるように なりました
久々に 中村屋 一門 兄弟の奮闘 子どもたちの成長を 見せてもらいました
先代には 個人的な 思い出が そっと 私にしか わからない 舞台上での 思い出があります
当代、しっかりとした 親になっていました
弟子を育て 養う 師匠になっていました
弟の七之助さん
まさか 揚巻役者になられるなんて
玉三郎さんの芸を継承されていました
こどものころは なんて 手の大きな お姫様なのかしら (;´Д`) なんて 思ったけれど
まさか 揚巻 まさか 30代で。
わたしと同世代(すこし 年下)の彼らは
私が歌舞伎から 遠ざかり
普通の人生のレールから すこし 荷を下ろしているころに
しっかりと 前にどんどん ぐんぐん 進んで 成長して
新しい 路を 作っていました
責任を背負っていました
挑戦をしていました
とうとうたらり とうたらり
滝の水は 幾千年前から 流れ続け
ここにたどり着き
岩をも砕き
流れ
流れ続けて
海に戻っていく
とうとうたらり とうたらり
中村屋の 新しい一滴
その一滴が
艱難を打ち砕き
永遠に流れ続ける
とうとうたらり とうたらり
いわんや ことほぎの
どこまでも どこまでも 流れる
流れを辞めない 一滴一滴
わたしは どこの 大河の一滴なのかしら
どこの 海に戻っていくのかしら
こどもも もたずに
この 身体を 抱いたままで
なにかの 一滴になれるのだろうか
もういちど
人生に戻ることができようか
あの人生は もう戻れないだろうか
あの人に もう あえないのだろうか
生きていればこそ
生きて生き続ければこそ
夢は いつか かなうはずなのだ
20 30で かなわぬ夢は
40で かなうことも あるはずなのだ
とうとうたらり とうたらり
祝い 祝われ ことほぎの