雑感266
ドナルドキーンの好きな季節は、「梅雨」
以下、少し長くなるけど、彼のことばを引用する。
「一番好きな季節は?」と聞かれると、ためらうことなく「梅雨」と答える。桜の咲く季節、新緑、紅葉の季節も私は大好きだ。しかしなぜか梅雨の季節に最も心を惹かれる。大災害をもたらすような雨は嫌いだが、日本の雨の風景は格別である。
小雨の降る中を息子に手を引かれて、傘を片手に近所の寺の境内を歩くのは、なんとも言えず気持ちがよい。石畳が濡れて、ところどころ水たまりが光っていて、紫陽花が咲いていれば文句はない。私の墓がこの寺にある。雨に濡れた墓石に向かって手を合わせると、心が洗われるような気がする。馴染みの花屋さんで買った花を、自分の墓に手向けることもある。
『徒然草』を翻訳したのは五十年ほど前の軽井沢の山荘で、やはり梅雨の季節だった。雨は、ある種の集中力と持続力を与えてくれる不思議な魔力を持っているようだ。翻訳しながら私は、自分がまさに『徒然草』を書いているかのような錯覚に陥った。あの時、私は兼好法師だったのかもしれない。
ここ数年、毎夏一ヶ月以上、息子と軽井沢の山荘で過ごすが、書斎の前が林になっている。原稿に向かっていて、ふと雨の降る林に見入っていることがある。静かな雨音は音楽のようだ。突然、陽が射して一ヶ所だけ明るくなる。その明るさの中を小鳥が数羽、さえずりながら飛びまわる。そんな時、私たちは歓声を挙げて喜ぶ。
年をとるにつれて雨を嫌うようになっていることも確かだが、それでも私は雨が好きだ。
(どなるど きーん・日本文学者)
私も雨の日は、好きだった。雪の日は、もっと好きだった。
子どもの頃は、雨の中や雪の中を、空に向かって口を開けて歩いたりしたこともあった。
雨や雪の中に立つと、子どもながら、生きている実感を感じることができた。
でも、もう雨も雪も嫌だ。年齢が自然に対する好き嫌いの相性を変えてしまった。
雑感268
雨の歌で、今でも気に入っている歌がある。
雑感269
ドナルドキーンが雨と日本人の暮らしに目を向けながら日本研究をしたのもわかる。
日本人の感性に感動しながら、日本人の気持ちの中に入っていったんだろう。
雑感270
先日(10月21日)のシニアの勉強会での委員長のことば。
『今朝は、私の村ではこの秋はじめて霜が降りました。』
二十四節気「霜降」(そうこう)というのは本当だな、と納得した。
2021年の暦要項を見ると、次のように記されている。
雑感271
雨のことを書いてみたけど、今日は快晴。
秋晴れの中を知人と歩いてくるよ。
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