雑感12
山藤章二(漫画家 84歳)が80歳になった時
「はじめての八十歳」という本を書いた。
八十歳になって初めて違う世界が見えてきた、ということが書いてあるのだが、
今、私が言いたいのは本の中身ではなく
《はじめての》八十歳というタイトルの新鮮さである。
はじめてのご馳走とかはじめてのお年玉とかいう類ではない。
《はじめての八十歳》なのだ。
二度目の八十歳なんてないんです。
ね!
雑感13
初代高橋竹山の津軽三味線は、どんな音色をしていたのだろう?どんな勢いがあったのだろう?
10年くらい前、津軽三味線の音色を求めて何度か津軽を訪れたことがあった。
何故か?
《 悲しみが力となるような音を聴きたかったから 》
•
その時、こんな短詩を書いた。
あなたは、もしかしたら
忘れているかもしれないけど
私、あの時のあなたの言葉
鮮明に覚えています
あなたは私に言いました
《 悲しみが力となるような生き方をしたい 》
沈んでいく夕陽を見ながら
あなたは、そう言ったんです
私、あの時からずっと
あなたと一緒に歩いてきたと思っています
(くろ)
「あなた」が誰を指しているかは書かないが、悲しみを力にしてきた日本人がいたことは確かだし、私もそういう力を求めていた。
雑感14
高い木のことを話す(説明する)時は、
た
か
い
木
と言ってはダメ。
木
い
か
た
(たかあーい木)
と言わないとダメ。
雑感15
涙が出てくる。
(1998年2月5日 87歳没)
数えきれぬほどの悲しみや苦しみの中であっても、竹山は、生きていく決意をしました。それが糸(津軽三味線)の力になったんだと思います。
コメントありがとうございました。
存じ上げませんでした。
それでも心で聞き、胸が震えました。
有り難うございました。
私の所は寒いだけで雪は少ないです。
今日は天気が良いので、のんびりとあちこち散歩
高橋竹山さんの津軽三味線。
しばらくぶりに聴かせて頂きました。
心身引き締まる思いです。
札幌は今朝も雪。
冷え込んだ朝です。
今日も一日元気にご活躍を!