人間いつかは
終わりがくる。
前進しながら
終わるのだ。
(坂村真民)
仏教詩人 坂村真民のたった四行の言葉が、私の胸に突き刺さる。
歳を重ねれば重ねるほど、この四行が具体性を帯びてくる。
待って召されるのではなく、後退して呻吟するのでもなく、ひたすらに前を見て生き切るのだ。
美しく老いる
美しさは、日々の生活の中にあったり、労働の中にあったり、さまざまな活動や思考の中にあったりする。
美しさは人生だから、生きざま・生き方の中にある。
化粧したり、キレイな服を着ただけでは美しくなれない。
美しさがにじみ出るまで
自分の足でしっかり立っていたい。
(くろ)
3月にそう書いた。
今、自分は少しでもそうなれているか?
お年寄りは、『最初から』自分で自分を年寄りだと思って生きているわけじゃない。
あなたは、年寄りなのよと言われて年寄りになっている。
あなたは、年寄りだから、こういう服を着るのよと言われて年寄りになっている。
あなたは、年寄りだから、こういうスマホがいいのよと言われて年寄りになっている。
シワがあっても、アルコールの量が減っても、若い精神を持っているシニアは、ものすごくいっぱいいるんだよ。
人を年齢や見た目で決めつけるんじゃない。
養老静江「ひとりでは生きられない〜ある女医の95年」の文章の中に次のようなくだりがある。
『こちらをふりむいた人はお多福のような下ぶくれのおっとりした顔の人でした。目があうと心が洗われるような笑顔で軽く会釈するのです。美しいのは多分その人の人生なのでしょう。だから若い人にはその味わいがまだにじみでてこないのです。』
《美しいのは、その人の生き方》と言っています。
《その美しさは、若い人にはまだにじみ出てこない》と言っているんです。
自分が自分であることを忘れないで残りの人生を歩んでいきます。
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