あひるね

膠原病(SLE)主婦。07年1月、09年4月に出産(姉弟)。投票ボタンを一日1回応援クリックお願いします。

妊娠発覚のあの頃

2007年09月27日 23時01分59秒 | SLE
ハゲにおびえながらイムランを飲み始めたものの やっぱり子どもも欲しかったので、
2006年12月末からイムランを減らしてもらうことに。
徐々にイムランも減らし、妊娠に備えることになりました。
でも「まだ妊娠はやめてね」と主治医に念を押されたのでした。

2007年4月からも同じ職場で、ハゲもよくなり働いていました。
6月には結婚記念日旅行に

ディズニーランド&シー   そして  劇団四季「ライオンキング」

「ライオンキング」は最高でした。
旦那ちゃんは、オープニングから感動して泣き、
私はシンバのとりこになったのでした

楽しい旅行から帰ってきた次の日、事件が起こります。

旦那ちゃんの単身赴任命令。

遠い県外に、私を残して1年なんてありえない
なんて思っていたら、次なる事件が

私の妊娠発覚。


妊娠検査薬検査で2回も確かめてしまいました。
この前の検査結果も良くなかったし、イムランも飲んでいたし
「絶対に産めないんだ」と思い、悲しくて悲しくて
土曜日だったので、病院にも相談できず、つらい2日間でした。

週明け月曜日に産婦人科へ。
転勤の話でばたばたしている旦那ちゃんもかけつけてくれ、
検査の結果、5週目でした。

すぐに診察日でもない、内科の主治医を呼び出し、いろいろ話をしました。
もちろん、すぐ血液検査や尿検査の手続きもしてもらったけど。

内科の先生からも、産婦人科の先生からも
子どもへの影響、私の体へのリスクの話をされました。

薬の子どもに与える影響。
SLEが、子どもに与える影響。
両膝に骨壊死があるので、妊娠により悪化が早まる可能性。
妊娠によりSLEが悪化する可能性。
出産後SLEが悪化し、子どもを育てられないって可能性。
などなど、泣きそうになる話を多数。

・・とにかく単純に「おめでとう」で終わる話ではないってことでした。

内科の検査の結果、
絶対産めないって検査結果ではないので妊娠継続は可能だけど
夫婦で、何が1番かよく考えて結論を出すようにってことでした。

旦那ちゃんは、子どものことよりも私の体が大事。
私がずっと元気で、膝も悪くならずにいてほしい。
私がしんどそうにしていると、俺は悲しい、と優しいことを。
でも、だからって子どもを諦めるって結論もだせなくて。

私は、産めることなら産んであげたい。
私の体が調子悪くなることは、私が我慢すればいいし。
でも、旦那ちゃんが私の体を心配してくれる気持ちも分かる。
子どもは生まれたけど、私が入院してたり、動けなくなってたらやれんし・・・
でも、大丈夫なような気がする、と根拠のない自信。

1週間後に結論を出すことに。
病院に着く直前までどうするか悩んでました。 
前日の夜も、その日の朝もはっきりとした結論を出せず、
私はもう産んであげられないのかもなぁと諦め気味でした。
でも、病院の駐車場で出した結論が「産む方向で」


産婦人科では「普通の妊娠ではないってことは頭に置いてね」
と言われたけど、
「内科の先生もOK出してくれてるから、絶対危険ってこともない」
って言ってもらえたので、ちょっと安心しました。
そのときが、6週目と3日でした。

お薬はイムランをやめ、プレドニゾロンを2錠に増やし様子を見ることに。

こうして、妊娠生活が始まったのでした。