あひるね

膠原病(SLE)主婦。07年1月、09年4月に出産(姉弟)。投票ボタンを一日1回応援クリックお願いします。

2回目の入院~ステロイドが・・・

2007年07月31日 23時22分35秒 | SLE

今回の入院では、最初にステロイドパルス療法をしたような・・・
点滴での治療です。
それから1日12錠(5mg×12錠)の内服(だった気が・・・・)
今回も、前回のようにステロイドが効くと思っていました。
主治医もそう思っていたようです。
でも、思ったように良くなりませんでした。
前は2週間単位で薬が減っていたのに、薬がいつまでたっても減らない。
尿タンパクもなかなかなくなりませんでした。
もう一度 腎生検もしました。
これまたすぐには結果が出ないので、ステロイドで様子をみることに。
これまで先生は「混合性結合組織病」を疑っていたようですが
ここで「全身性エリテマトーデス」に落ち着いたようです。


そうしていたら、ある朝事件が・・・・
寒い朝、なんだか足が痛いな~なんて思いながらトイレに言ったら
すごい痛みで動けなくなっちゃいました。
もう表現できない痛み。足の裏が痛いような・・・
とにかくもう立っていられない
ナースコールを押そうかと迷ったけど、朝も早かったし、
一時的なものでは?と思い、なんだか押せなかった
どうにかベットに戻ったが、痛みがおさまらず、痛みで涙も出てくる。
もうどうしようもなくなりナースコールを。
痛み止めをもらったけど治らず、しばらくベットで泣いていました。
ほんと、なんて表現していいかわかんないけど、痛かったのです
原因も分からず、整形にかかることに。
ここで、両膝の壊死が発見されちゃいます。


病状悪化

2007年07月31日 22時37分13秒 | SLE

(ここらへんから、記憶が曖昧ですが・・・・)

大学を卒業し、実家に帰ることになりました。
薬はなくなったものの、定期的に検診には行っていました。
とにかくもう太るのは嫌だったので、薬は飲みたくないってことを
主治医に伝えていた気がします。
仕事は、日にも当たり、けっこう忙しく、ストレスも多かったかもですが
楽しく働いていました。
日差しにはなるべく気をつけ、帽子をかぶり日焼け止めはしていましたが
夏は半そでで出歩いていました。
飲み会にもいっぱい行ったし、冬はスキーもいっぱいしました。
仕事で睡眠不足のこともありましたが、充実した日々でした。
日にも当たっていたので、夏は特に腕や顔には赤い湿疹が出ていましたが
冬になると少し落ち着いていたので、あまり気にしていませんでした。
卒業して3年目(2001年)、新しい職場で働き始めました。
(2000年の12月からは一人暮らしもしていました。)
新しい職場では、能力以上の仕事を任され、かなりのストレスだった気がします。
行き帰りの車で「あ~ここで事故ったら楽になれるのに・・」なんて考えながら
過ごしていました。
今考えると、精神状態もあまりよくなかったかもです。
夏から秋にかけて日に当たることも多く、湿疹もかなり増えていました。
仕事も少し落ち着き、湿疹がひどいままだったので、11月頃病院に行きました。
そしたら・・・・尿タンパクでまくり
主治医から「今すぐ入院してください」と言われちゃいました。
かなりやぱいことになっていたようです。
そんなことを言われても仕事もあるし、荷物もないし、
自宅は病院から車で4時間近くかかるし、実家も別のところだし・・・・
と頭はパニック
とりあえず、しばらく入院は待ってもらい、職場に戻りました。
入院がいつまでか分からない状態でしたが
どうしても3月まで辞めたくなかったこともあり、
無理を言って12月末まで休ませてもらうことにしました。

そして2回目の入院生活が始まります・・・・・


最初の入院

2007年07月30日 07時28分04秒 | SLE

この入院では腎生検をしました。
背中から針を刺し、腎臓の組織をとって検査をするのですが、
腎臓は知ってのとおり、血管の多い組織なので、検査後しばらく背中から圧迫し、
1日安静・・・・・圧迫したまま動けません。
点滴やら、採血やら、麻酔やら、とにかく注射類が痛かったし、気持も悪かった
結果はすぐにはでなかったのだけど、腎臓に影響が出ていたので
ステロイドを一日に10錠(5mg×10錠)から開始。
ステロイドは急にやめたりできず、少しずつ量を減らしていきます。
2週間後に8個、さらに2週間後に6個となり
テストが始まる9月上旬まで入院しました。

退院のときは病名がはっきりせずでした。
膠原病も「疑い」だったし。
病名がはっきりしなくても、ステロイドが効いてたし、
膠原病でも、ネフローゼでも治療は変わらなかったので、あまり気にしていなかった。
その当時は膠原病が、そんなに大変な病気だとも知らず、
特定疾患に指定されているとも知らず、
退院できたことで安心していました。
退院後もあまり制限はなく、
かぜをひかない
夜更かしをしない
規則正しい生活を送る
薬をきちんと飲む
疲れをためないようにする
日光はさける
ってことを注意されたくらいでした。

あと、「ステロイドは食欲が出るから気をつけてね」って注意も忘れ
「病人なんだからバランスよく食べなくっちゃ」と食べまくり
一気に10キロ近く太ってしまいました。
今まで「すごく太るまでに、やばいから気をつけないと、とか思わないのかな?」
って思っていたけど、気がつきませんでした
顔は親もわからなくなるほど丸くなり(ムーンフェイス:副作用)
足に妊娠線(妊娠もしていないから、肉割れか・・・・)が出てやっと

「私って、やばいんじゃない??」
って気がついた次第でした・・・・・

結局薬も少しずつ減ったこともあり、1年くらいで体重も戻りました。
大学にいる間中、薬は飲み続けましたが
自覚症状は、皮膚の発疹しかなく、自分が病気だってこともあまり意識せず
酒を飲みまくり、勉学に励む大学生活でした。

この病気は「完治」ってことはなく落ち着いている状態を「寛解」と呼ぶ。
卒業間近には、落ち着いていたし、実家に帰ることになっていたので
薬も飲まなくてよくなりました。

でも、またまた、病状は悪化するのでした・・・・・

 


SLE発症の頃

2007年07月29日 06時46分23秒 | SLE

自己紹介にも書いていますが、私はSLE(全身性エリテマトーデス)です。
自己免疫疾患のひとつで、自分の抗体が自分自身を傷つけてしまう病気と理解しています。
私自身、詳しく説明できないので、知りたい方は調べてみてください

病気が発症した頃のこと・・・・
大学2年生(1996年)の6月下旬、腕にやけどのような発疹が治らず
母に促され、皮膚科を受診することに。
皮膚科では尿・血液検査を。
「皮膚科でも尿検査や血液検査をするんだ~」と不思議に思った気がします。

それから7月上旬、皮膚科から電話があり、病院に来るように言われる。
「こうげん病の疑いがあるので、総合病院に行くように」
と紹介状をもらう。
そのころは「こうげん病」ってどんな字を書くのかも、どんな病気なのかもわかりませんでした。

次の日、総合病院の皮膚科を受診。
尿・血液検査と、皮膚の一部をとって検査し、2針も縫いました。
尿タンパクはかなり出ており、このときSLEの疑いということで
7月下旬から内科入院することになる。

膠原病がどうして発病するのかはよくわかっていません。
でも、いくつかの要因が重なり合って発病すると考えられています。
私の場合、新しい生活のストレスと日光(前の年のキャンプから発疹が消えなかったので)が要因じゃないかと思っています。
でも、中学校・高校と日にガンガン当たっていたし、
もともと色白で、すぐに赤くなるほうだったけど、こんなことになるなんて・・・
もしあの時、母が「皮膚科に行け」と言っていなかったら・・・
もっと症状がひどくなっていたかもです。


赤とビクトリー

2007年07月24日 22時50分46秒 | 日記

去年の今頃、つわりで吐いたりはなかったが、いろいろなことが重なってか
あまり食べられなくて、4キロ減った妊婦なのに・・・・

そして今年、ご飯がうまいお菓子もうまい。
もぐもぐ、むしゃむしゃ。食べまくりです。
今夜も焼肉を食べに行きました
もう、おなかの中には何もいないのに、産後体重がどんどん増えています。
恐ろしくて体重計にのれません・・・・

○リーは「ビクトリー」できぬままの状態・・・・
ベビースイミングも終わり、ますますやばい状態です。
運動しなければ・・・ でも、暑い・・・・ そして、なによりめんどくさい・・・
困った事態です。

でも、ここでも助けてくれるのは、かわいい赤。
と遊びながら、体を鍛えようではありませんか

最近、顔を近づけ話しかけるとおおはしゃぎの赤
そこで、仰向けで膝を立て、赤を膝を背もたれにしおなかに座らせ腹筋。
もしくは、最近たっちの姿勢がお気に入りなので
膝をもってたっちの姿勢にさせ腹筋。
「赤~~ こんにちは
きゃっきゃ、きゃっきゃと喜ぶ赤 う~ん、かわいい
だけど、私の顔からは笑顔は消え
「あ~か~~~ こーんーーにーーちーーはーーーーーーーー
と息が切れ、死にそうです。
その顔がおもしろいのか、大喜びの赤
10回が限度です・・・・

さらに、飛行機?
仰向けで足と手で赤を支え、上げたり下ろしたり。
大喜びです・・・・・・
しかし、これも辛い。母はすぐにバテバテです。


でもこれを1日に3セットずつでもすれば、少しは効果があるのでは??
どうか赤、私に「ビクトリー」を味合わせておくれ