ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「野菜をすくすくと育てる“呪文”」

2019年06月08日 12時47分22秒 | owarai
一人の農婦が、畑に向って何か
熱心に呪文のように声をかけて
いた。

「何を祈っているのですか」と
エッソ石油副社長、常任監査役
から得度した大乗寺の禅僧、
松野宗純さんが問いかけたとこ
ろ、

農夫はこう答えた。
「キュウリもトマトもナスも
じゃがいも、みんな生きていま
す。

水も土地も生きものなんです。
生きものには、声をかけてやら
なければ。

声をかけてやると、よく育つ
んですよ。言霊とでも言うん
でしょうか。

話しかけていると、とても愛
おしくなってきます。

この話を聞かれた松野さんは、
「禅語に『山河大地これ仏法
なり』とあるが、自分の仕事
を大切に励んでいる方は、

たどる道は違っても、大禅師
と同じ悟りに行き着くものか
と感心させられた」と語って
います。

道元は「愛語に回天の力あり
「慈しみの心を持って語る言
葉は、天子の心さえひるがえ
す力がある)と言いましたが、

野菜や自然さえもそうなんで
すから、労りと慈しみのこも
った愛語をかけることを忘れ
たくないものです。

「心が喜ぶ二つの“定食”」

2019年06月08日 12時01分23秒 | owarai
一休禅師は、自分の示唆で
相阿弥がつくった龍安寺の
石庭を見ながらこう語って
いる。

「この庭を見て美は“もの”
にはなく、ものともの、も
のと心が通じ合う陰影の
あやの中に見いだすことが
できる。

山水画でも、黒の滲みと
か かすれととかを生か
して、己が心の中の風景
を描くものが人の心を
衝(う)つのであろう・・・。

心も栄養を摂らないと枯
れる。

心の食事には、法喜食(ほうきじき)と
善(ぜん)悦食(えつじき)がある。法喜食は、
教えを聞いて心の中に湧き
上がること。

商売でも学問でも芸術で
も、何もかも忘れて打ち
込んでゆくとき、

人は深い歓喜に包まれる
ものだ。

自分と対象が一つに切った
と感じるとき、善悦食を
いただいたことになる。

命が輝くときなのだ。

命は他の命、他のものと
つながりの中で生きてい
る。

自分を滅ぼして、人のため
にすることこそ善悦食なのだ。

それは自分のためである。

そのことによる喜びで自分
の命が輝くように、命はつ
くられているのだから。

このことを常にわきまえて
すれば、必ず新しい道が開
けようぞ」

どれだけ儲けたかよりも、
どれだけの人の心を楽し
ませたかが大切です。

そうすれば、人生は貧しく
とも もっと充実したもの
になるはずである。

「自分をめぐる“四つの錯覚”」

2019年06月08日 11時43分58秒 | owarai
お釈迦さまは、本当の自分
を知らない人は、次の四つ
のことを錯覚していると
説きます。

常:この世には何一つとし
て不変のものなどないのに、
すべてがいつまでもある
ように錯覚している。

たとえば、自分もいずれ死
ぬ身なのに、自分は常にあ
ると思っている。

楽:楽を求めれば、そのぶん
苦も生じさせるという相対す
るものが常に必要な世界なの
に、欲望の赴くままに楽を
追い求めている。

我:自分の肉体を分解して
いけば原子となり、最後は
わからないものになる。

人の心も「これが心だ」と
呼べる実体がない。このよ
うに、これが我=私と呼べる
ものは何も存在しないのに、
我にこだわっている。

浄:心身ともに様々な汚れ
(自分勝手な思考など)を
持っているのに、そのこと
に気づいかず、外見だけを
美しく、清らかに装って満足
している。

その反対が、無常、無楽、無我、
無浄ですが、それもまた錯覚と
か。少しでもこの四つから解脱
できればと思います。

「この“三毒”が心を歪ませる」

2019年06月08日 08時53分38秒 | owarai
私たちが生きているという
ことは、絶えずものを見た
り、聞いたり、感じたりす
るということ。

そして、自分がこの目で見、
この耳で聞いたりしたのだ
から間違いないと言います。

だが、本当にそうでしょう
か?

実際には、一度自分の心の
鏡に映して、つまり自分の
心を通して、見たり、聞い
たり、感じたりしています。

その自分の心はと言うと、
貧(とん)(貪欲)・瞋(しん)(怒りや妬
み)・癡(ち)(愚痴)の三毒に
よって歪んでいます。

だから、物事の真実は正確
に照らしだされていないと
仏教では教えます。

『法句経』にも、「水瓶の
水が風で波立っていたら
顔はまともに映らない。

怒りで煮え立っていたら、
きれいな顔に映らない。

愚痴で腐っていたら、いい
顔に映らない」とあります。

人の喜怒哀楽や物事の本質
を、そのまま自分の心に映
すことは難しいものです。

まともに映っているつもり
でも、心の鏡が三毒で歪ん
でいては、外の世界をちゃ
んと映すことはできません。

そのことに気がついて、も
う一つの目で冷静に見直し
てみたいものです。

”売り物”を磨き育てる

2019年06月08日 08時34分57秒 | owarai
誰にとっても「自分らしく
生きる」ことが理想の姿だ
と思います。

しかし、自分らしく生きるに
は、売り物、つまりその人なり
の特色がないと難しい。

価値の高い特色(=存在価値)
さえ身につけていれば、心も
暮らしも豊かになり、他から
の制約や干渉に左右されるこ
とも少ない。

武者小路実篤は「この道より
生かす道なし。この道を行く」
と言い、

高村光太郎は「僕の前に道は
ない。僕の後に、道ができる」
と言ったが、自分が一生懸命
に精進さえすれば、そこにお
のずと道が開かれ、

自信と生きがいを持って生きて
いけます。

「生活のために仕方なく」とか
「給料がいいから」などといって、
自分が好きでもない仕事につく
のは愚かなことです。

それでは、この世に生まれてき
たかいがありません。

どんな道でも、宝物となるまで
磨き上げるには、人後に落ちな
い長い苦労が伴います。

それも、必ずしもものになると
は限りません。でも幸いにして
自己発掘ができたならば、後は
人間関係を良くしていくことで
す。

誰でも、自分一人では何もできま
せん。すべて大勢の人の助力が
あって、はじめて名声を勝ち取る
ことができるものです。

「遠 恋」愛よりも優しくーⅣ

2019年06月08日 00時00分22秒 | owarai
その少し前に、チュンユーとの
出会いがありました。

彼女の僕の前に、この部屋に
住んでいた人です。猫も彼女
の飼い猫でした。

彼女はここから車で三十分ほ
どのところにあるバードカレ
ッジの学生で、奥さんのいる
人とつき合っていて、、その
人の子どもを妊娠していたの
です。

なんらかの事情があって、そ
の人と半同棲の暮らしをして
いたアパートメントを追い出
された彼女は、ほかに行くと
ころもなく、昔住んでいたこ
の部屋のドアを叩いたという
ことなのです。

土砂降り雨の夜、顔に殴られ
たような青あざをつけて、幽
霊のようにドアの前に立って
いた彼女を、追い返すことは
できず、その夜は彼女を部屋
に泊めました。

誓って言いますが、彼女には
出会ってから今まで、指一本、
触れていません。
それはさておき、僕はたまたま
翌週からファームにこもる予定
でいたから、新しいアパートが
見つかるまでのあいだ、という
条件つきで、僕の部屋を提供し
たのです。もちろんちゃんと
家賃をもらうことにしました。

彼女はときどき、車を運転して、
僕が働いている畑まで会いにき
てくれました。

電話も電気もなく、現代文明と
は切り離された場所で暮らして
いたので、彼女に会って話しを
するのは、楽しかったです。

でも僕は彼女に対して、特別な
感情は一切もって持っていませ
んでした。

ただ、ある時彼女から「子ども
が生まれるまでは、あなたにそ
ばにいて欲しい」と、涙ながら
に頼まれたとき、どうしても

「NO」と言えなかったのは、事
実です。それは僕が、ミコンノ
ハハに育てられた男だったから
でしょう。