「週刊文春」に、以前、掲載された
たけしと能がきわめて正論で愉快だ
った。
なるべくなら全部書きたいところ
だが、全部書くわけに行かないか
ら抜粋すると、
そもそも彼がお能を見に行ったの
は、「どいつもこいつも浮き足立
つているもんで、少しは気を鎮め
てだな、わびとかさびとかに触れる
のもいいんしゃないか」てんで、
千駄ヶ谷の国立能楽堂へ足を
運んだというわけである。
はじめのうちは眠たくて寝ていた
が「後場(これ後シテでは?)に
入ったら起こされちゃった。
鼓がうるさくて。
で、最後まで一気に見せられて、
いやもうおもしろかったな。
・・・幽玄とか精神文化に関わ
りがあるのが能だとかいわれて
いるらしいけど、全然そうじゃ
ない、あれは昔のロックコン
サートだぜ」
「能の囃子と舞もいいけれど、
能面を使う発想も卓抜でさ、
お面は何も語らないけどすべ
て語るっていうか。
一即多、多即一のサンプルかな。
これが私の感情なんだって表現
を生の顔でやると、それ一個し
かない。
客の想像力が縛られる。ところ
がお面っていうのは一個の感情
表現なんだけど、同時に表現の
消去でもあって、見るものに
よってどうとでもなる」
文句をいえば、謡い(うたい)
の言葉がわかんないのが欠点
だと彼はいうが、
最後には、
日本のガキどもが外国語の
意味もわからず歌っている
のと同じことだ、
要は「ノリ」なわけだから、
お能はM・C・ハマーにだっ
てひけをとらない。ノリ一筋
の馬鹿ばかりでなく、前衛
音楽好きのヤツもどんどん
ファンになっちゃうよ。・・・
と、まあそういった次第なの
だが、私が子供のときからお能
にとりつかれたのも、祖父が
お茶の先生で足さばきが能だっ
たからだ。
能は、今でもノッテ来ると、見
物席でじっとしているのに精一
杯である。
だいたい、一糸乱れず、几帳面
で、見ていてドキドキしないよ
な、踊り出したくならないよう
な演技なんて、何が面白い?
室町時代の世阿弥の頃はみんな
うそうだったに違いないが、
ビートたけしさんの新鮮な眼は、
はからずもお能に一番大切な、
原始的なものをとらえて見せて
くれたのである。
僕は落語家のなりそこないだが、
談志師匠が2流を目指せと、口々
におっしゃていました。
一流になったらお終いだと・・
・・。