「書き上手になろうと思うな
聞き上手になれ」
私は元落語家、
今でも落語ファンでこのことを
話せばどこまでも脇道に逸れて
しまいますので、ここまでにして。
『いい話を「お取り次ぐ」だけ』
桂文楽の十八番の演目に『心眼』
があります。その語りはご紹介
します。
毎回のお運びでございまして、
有り難くお礼を申し上げます。
間に狭まりまして、相変わら
ずのお馴染みのお笑いを申し
上げることにいたします。
『心眼』と言いまして、これは、
えー、三遊亭圓朝師の作でござ
ます。
門弟のいちばん裾のお弟さんに、
圓丸てえ方がいまして、盲人で
ございまして、えー、娘さんが
介添えで舞台に上がった。
楽屋で舞台に上がった。楽屋で
あたくしも働いておりました
子供時代でございます。
この圓丸てえ人が師匠に向って
「えへー、師匠、あたくしは
こういう口惜しいことがござい
ました」と言って圓朝師に話を
したのを、即座にこの『心眼』
という話にまとめたんだそうで
ございます。
わたくしはそれをお取り次ぐす
るだけでございます。
一席お付き合いのほどを願って
おきます。
と話すと、一呼吸間が空いた
ところで、寄席から拍手が起
こります。
拍手を呼んだ師匠がさすがと
言うべきでしょうが、その席
の客もさすがです。
落語を、その咄の由来を、そ
れを話し出す文楽を、よく吟味
のできる客たちです。
拍手が起こったのは、名人文楽
にして「わたくしはそれをお取
り次ぐするだけでございます」
と言ってみせる謙虚さに客た
ちが気持ちを強く打たれ、
この後に期待が膨らんだから
にほかなりません。
文楽の独特の言葉に「べけんや
」とい最上級の表現があります
が、まさに、マクラのべけんや
ものです。
「お取り次ぐする」とは文楽語
です。
「わたくしはそれをお取り次ぐ
するだけ」という言葉に、いい
コラムはとは聞いてきたいい話
のお取り次ぎなのです。
―落語 『心眼』―
按摩(あんま)の梅喜(ばいき)が、女房
お竹の勧めで茅場町(かやばちょう)の
お薬師さまに願掛けをして開眼する。
その帰りに上総屋(かずさや)の旦那
に連れられて浅草の仲見世へ行く途
中、旦那から、自分が好男子(二枚目)
であること、
お竹は人三化七(にんさんばけしち)で
あるが、気だてのよい貞女であること
などを聞く。
梅喜は仲見世で芸者の小春に出会い、
待合へ行き、小春と夫婦約束をする。
そこへお竹が入ってくる。
梅喜は女房に胸を締め付けられて
「苦しい」といったとたんに目が
覚める。
「怖い夢でもみたのかい」という
お竹のことばに「もう信心はやめ
た。
盲人というものは妙なもんだ。
眠っているうちだけ、ようく見え
る」。
お後がよろしいようで・・・。