オヤジのひとり言

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吾・唯・足・知・

2010年02月07日 | Weblog

2010.02.07(日)

京の龍安寺というお寺に、   吾
                       知  唯
                       足

上の図のように彫られたつくばいがあります。

このつくばいは、

あまりにも有名なのでご存知の方も多いと思います。

真ん中の水を入れる四角を共有すると

上から時計回りに

「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」

と読めます。

文字通り読めば

「私は満ち足りていることだけを知っている」

という意味でしょうか。

「吾唯足知」というのは、

もともと禅問答のようですから、

本来は一生かかっても悟る事ができないような、

きっと難しい意味なのだと思いますが

簡単に言ってしまえば

「満足することを知っている者は

貧しくても幸せであり、

満足することを知らない者は

たとえ金持ちでも不幸である。」

ということかと思います。

この満足することを知るということは

幸せに生きる為には、

とても大切な事だと思います。

例えば

今では

どこの家にも当たり前のようにある、

洗濯機、

冷蔵庫、

テレビ、

電子レンジ、

パソコンなどの電化製品が、

あなたの家にだけは

一切なかったらどうでしょうか?

皆の家にはあるのに

自分の家にだけは無い、

そんな状況を想像してみて下さい。

私ならきっと、

みじめで不幸な気分になると思います。

でも

たった半世紀前の日本の家には

これらの電化製品は一切なかったわけです。

それでは当時の日本人が皆、

不幸だと思って生きていたかといえば、

そうではないように思います。

現在でも極端な話、

アマゾンの未開地では

電化製品なんか

一切ない生活を送っている人が

たくさんいます。

彼らが不幸を感じて生きているかといえば、

やはり違います。

かえって我々より

はるかに

幸せを感じて生きているかもしれません。

皆がそれを持っていなければ、

もっと極端に言えば、

そんなものの存在を知らなければ、

その状態で

「満足することを知る」

ことが出来るわけです。

そう考えると

私たちは極めて相対的なことで

幸せや不幸を感じているのかもしれません。