東北楽天が球団創設9年目にして悲願の初リーグ優勝!!
復興へとつち音を響かせる被災地とともに、
歩み続けた3シーズン。
「東北の皆さんと一緒に諦めないで戦ってきた。
少しでも強さを見せて苦労を和らげてあげようと」。
エース田中将大投手ら孝行息子が見せてくれた至福の夢。
さらに続きを見たいとも思う。
自身も成し得ていない日本一へ、
闘将の挑戦は終わらない。
いやいやそれもわかるけど・・
我阪神タイガースも
「日本一」を虎視淡々と狙っていますよ、仙ちゃん・・
にして不思議な相関関係にお気付きですか皆さん。
ノムさんの後で星野監督が優勝するワケ。
野村監督と星野監督の不思議な相関関係。
1999年からノムさんが3年指揮を取ったタイガースは、
3年連続最下位に沈み、
後を受けた星野監督が就任2年で優勝に導いた。
楽天では、ノムさんが4年間監督をした後、
ブラウン監督を間に1年挟んだが、
また後を引き継いだ星野監督が就任3年目で優勝。
ノムさんはよく
「種を巻き、花が咲くのに時間がかかる」と言っていた。
果たして、種を巻き、土台を作ったのが、ノムさんで、
花を咲かせたのが、星野監督なのだろうか。
ここでノムさんの土台作り論が浮上する。
阪神、楽天でのノムさんが行なった共通点は
バッテリーに野球を教え込んだこと。
阪神時代には、矢野を育て、
その後、ローテーの軸となっていく井川慶を育てた。
楽天でも嶋キャッチャーに配球を教え、田中を育てた。
野球は、投手、バッテリーが基本。
その基礎を作ったのはノムさんではないかと。
ノムさんの後に星野監督が来て優勝。
決して偶然ではないという
ノムさんの後を受けた星野監督が、
チームを勝たせてきたのは、むしろ逆で
“反動の力”だという説も。
つまり星野監督は、2度とも、ノムさんの推し進めてきた野球を
反面教師としてチームの空気を根本から一変させた。
阪神時代、ノムさんはデータを重視したが、
それを使いこなせない選手に対しての
“ボヤキ”は、チームに暗~い空気を漂わせていた。
バトンを受けた星野監督は、まず大胆に選手を入れ替え。
FA補強で、金本を獲得するなど、チームに新しい芯を作った。
ノムさんに干されていた今岡も復活。
チームカラーを明るく一変させた。
楽天時代のノムさんは、
阪神時代とは違い、得意のボヤキと、
「勝てば私の手柄、負ければ選手の責任」という論理だけは健在、
一部選手の反感を買った。
自主性を重んじたブラウン監督の1年間の後、
星野監督は、楽天の監督に就任すると、
チームに蔓延していた“淀んだ空気”の一掃から始めた。
ただ、阪神の監督時代と、違ったのは、
人を大胆に入れ替えるのではなく、
時間をかけて、生え抜きの若い選手を根気強く育成したこと。
初年度には、松井稼頭央、岩村明憲という
メジャーから2人を凱旋させるという大胆な補強は行なった。
だが、
楽天の球団経営の体質上、阪神時代のような、
ドンと、お金を使った読売ジャイアンツ的な補強はできなかった。
そこでチーム作りの方向を転換。
3年、4年先を見据えた長期ビジョンでのチーム変革に着手。
まさに、そのプラン通り外人2人を補強。
この2人に若い選手らが刺激を受けて打線は点から線に。
星野監督が名将と言われる所以は、
チームを強くするためのスタイルをしっかりと持っている部分なのか。
中日、阪神時代には、
阿吽の呼吸で、グラウンド内のことは任せておけた
故・島野育夫名コーチがいたが、
楽天には、その島野さんがいなかった。
少しソフトに形を変えながらも、
チーム作りに関する本来の星野イズムは貫き、
勝てる戦闘集団を作ったのは見事天晴れ。
ノムさんが土台を作って、
星野さんが“いいどこ取りをした”という人も居るが・・・。
結論は・・日本シリーズの対阪神タイガース戦で・・
お楽しみに・・
でも・ウチのダメ虎CSで、コケルのんちゃうやろなぁ~
心配の種は尽きない・・・虎キチオヤジ