|
山門横に大きなタヌキがたたずむ「たぬき寺」として知られる西運寺
(京都市伏見区)
|
時々走ってる・・
10キロジョグのコースにある・・
京都市伏見区の
お京はんの
観月橋駅から外環状線を
東に向かって200メートルほどのところに、
地元で「たぬき寺」と呼ばれる西運寺がある。
門前は外環状線でトラックや車が多く行き交うが、
裏はがけのようになって、竹が茂っている。
山門横には大きなタヌキの置物が立ち、
参拝客を見つめている。 寺は
もともと宇治川の対岸の向島(伏見区)に
1596年、相模出身の雲海上人によって建立された。
1687年に現在地に移ったそうだが、
住職がいない時期が続くなど、
次第に荒廃した。
明治時代になって本堂などが再興された。
「たぬき寺」と呼ばれるようになったのは、
江戸時代末。
当時、
住職だった冠道上人が、
裏山に住んでいた雌タヌキを餌付けした。
なついてくると、「八(はち)」と名付けかわいがった。
上人が裏に出て、
手をたたいて名前を呼ぶと、
山から喜んで出て来る様子は、
まるで飼い犬のようだったという。
動物園といったものがない時代。
「目の前でたぬきが、じっくり見られる」という評判が立ち、
多くの俳人や歌人、画家らがタヌキ見物に寺を訪れたそうだ。
近くに住んでいた京焼の名工であった高橋道八は、
見物の礼として、人の背丈ほどあるタヌキの焼き物を寺に贈り、
山門横に置いた。
しかし、
この焼き物はいつの間にかなくなってしまい、
現在立っているタヌキは後に作られたものだという。
現在、本堂には多くのタヌキの置物や、
タヌキをあしらったはし置き、
湯飲みなどのコレクションが並べられている。
現住職さんの祖父の代から、収集してきたものだそうです。
それ以外にも、一般の人が寄贈したものも多く。
「『他を抜く』と験を担いで、寄贈されたものもあります」と、
「普通は、寺にあるものではないですが」と指さした先には、
いつのころにか贈られたタヌキのはく製が置かれていた。
住職によると
タヌキの親子が裏山から餌をもらいに出てきたことがあるという。
八がいたころと比べ、伏見の街も、寺周辺の地域も大きく変わったが、
寺とタヌキの縁は続いている。
|
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます