オヤジのひとり言

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山科七郷

2012年01月08日 | オヤジのひとり言

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千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その弐百八拾九

 

文明7年( 1475 )、越前吉崎を離れた蓮如は、

 

いったん河内に退いたが

 

海老名五郎左衛門という篤志家から、

 

山科の土地の提供を受け新たな布教の地とする。

 

山科は京から東山を越えた所、東は逢坂山を越えれば近江に通じ、

 

近江からは当時本願寺派の布教が実を結び、

 

真宗王国を形成していた北陸や東海地域にも繋がる、要衡地で、

 

また土地を提供した海老名は「 山科七郷 」の野村郷の指導者で、

 

山科一帯に生活する人々の支援も期待出来る。

 

応仁・文明の乱 」終結の翌年、文明10年( 1478

 

寝殿工事を皮切りに講堂伽藍の建設が始まる。

 

寝殿に続き御影堂、阿弥陀堂と続々と堂舎が完成し、

 

4年後の文明15年( 1482 )、

 

寺中広大、無辺荘厳、さながら仏国の如し

 

という様相をなしていたそうです。

 

 

山科本願寺では、当初より地元山科の郷民だけでなく、

 

諸国から多くの門徒や商工業者が集住し工事が進められた。

 

このため伽藍の完成後は、

 

山科のこの一帯は、周囲を末寺や門徒たちの街区が取り囲むように発展した。

 

さらに、

 

そうした街区は二重とも三重とも言われる、

 

土塁と水堀によって囲まれ、

 

その全体が一つの町になっていたそうです。

 

本願寺を中心に、宗教都市の様相を為していたのです。

 

 

今回はここまで・・   

 

続きは次回に・・    

 

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