大学生時代、年度初めに各授業の教科書とか参考図書とかを書いたプリントをもらうのですが。
入学したばかりの頃は、何も知らないので、真面目に教科書を買いました。
でも、教科書を使って、沿って、授業を進める先生というのはそうそういないし。
自分の書いた本の売り上げの為に教科書としてプリントにのせている、みたいなのもあって。
しかもそう言う本に限って布装丁に薄い白い紙がカバーしてあって箱に入ってる、みたいな高い本。
知らないからうっかり買っちゃうんですけど。「こんな高い本を買わせやがって!」とムカムカがっくりびっくり。
2年生になってからは、友達や先輩から教科書のお古をもらったり、地元の図書館で借りたり、と、すっかり買う事はしなくなりました。まあ、みんなそんなもんよね。
そんなけちんぼのあたしですが、一般教養の哲学の授業中にお勧めされて買った本が『ギリシア悲劇名言集』。みたいなタイトル。
いろんな素敵な哲学の言葉を教えてくれる先生だったので、間違いない!と買ったのでした。
今は手元にないので、曖昧にしか覚えてません。
そもそもあたしはレーズンなどドライフルーツが嫌いでしたが、ドライフルーツのケーキが好きです、っていうのってかっこいいよな、という理由からドライフルーツを食べるようになったくらいの「格好つけマン」というか格好つけウーマンというか、格好つけパーソンなので、(しつこい)。ちなみにチーズもこのような理由から食べられるようになりました。
ギリシア悲劇なんて知ってたら格好いいじゃん。と思って。ハードカバーでちょっと高かったと思うけど、買いました。
名言が連なってるだけなので、熟読する、とかそういうタイプの物では無かったと思うんですけど。
その中でちょいちょい思い出すのが
「国境を離れる事ほど辛い事は無い」
みたいな言葉。
ほんと、うろ覚えなので、そんなこと書いてなかったかもしれないくらいですけど。苦笑。20年以上前に読んでる本ですから。間違っていてもお許しください。
そういえば、あたしも自分の国を出ていますが、そう言う事では無くて。
自分の国を出ざるを得なかった状況を言っている言葉で。多分。
難民の人とか、福島の人とか。
不可抗力で、生きるためには国を出なくてはならなかった人たち。
引っ越すことは簡単だけど、
例えば、植木鉢に植えているパッションフルーツの蔓はベランダの柵に絡まっていて、あたしはこれを置いて出て行きたくないな。蔦の絡まりをきれいに取って植木鉢の中に仕立て直すことも出来るかもしれないけど。それはそれで違う物。
ほんの1年2年でもそうなのに。
5年位暮らした阿佐ヶ谷のアパートだって、いまだに思い出してまた住みたいなーって思うのに。
家族、先祖も暮らした土地となると、もっともっといろんなものが絡まっていて。
そんな事を無かったかのように、出なくてはならないという喪失感。
この言葉をたまに思い出して、やり場のない気持ちにちょっと苦しくなる。
そういえば、この授業の夏休みの宿題の一環かなんかで、先生に旅先のロシアから暑中見舞いを書いた記憶があります。
もはや先生の名前すら覚えてないけど。。。脳みそ。。。
今日のお昼はチキン野菜サンドイッチとビール。
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