ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

<ゆとり教育転換>「教育行政」一歩も進まず2歩下がる

2008年12月11日 23時47分40秒 | 格差社会と政治
[現代日本史] 偽装民主主義 ”闇” グローバリズム(「世界統一」思想、至上「原理」主義)経済 制度強要 マインドコントロール(洗脳)政治
※(ネタ記事)少年期軍国教育 政官財界癒着 相互・縁故採用 天下り ( 閣僚 官僚 族議員 知事 副知事)

ゆとり教育転換 教科書充実へ (NHK) 12月11日 18時35分
【記事抜粋】 学校で使う教科書は授業で教える内容が減るのに伴って薄くなる傾向にありましたが、文部科学省は「ゆとり教育」の転換にあわせて学習指導要領の範囲を超えた発展的な内容を盛り込むことを認め、質や量の充実を図っていくことになりました。
■ この方針は、教科書のあり方を検討してきた文部科学省の審議会で示されました。
■ 学校で使う教科書は、これまで学習指導要領の範囲を超える発展的な内容の記述については小中学校で1割程度、高校で2割程度しか認められず、授業で教える内容が減るのに伴って薄くなる傾向にありました。
■ 審議会では「ゆとり教育」からの転換にあわせて、今後は教科書の質や量の充実を図っていくべきだとして、これまでの基準を見直して記述の量の上限を撤廃することにしました。
■ また、ほかの教科との重複や記述の繰り返しがないよう求めてきた基準も見直して、小学校で習った内容を中学校で復習できるようにし、家庭での学習にも使えるよう練習問題も盛り込めるようにしました。
■ さらに、最近の教科書で多用されてきたイラストや写真についてもマンガのような内容にならないよう配慮することを求めています。
■ これによって、学校現場では教科書の内容をすべて教えるだけはなく、教える内容を選択したり宿題用の教材として使い分けたりしながら特色ある授業ができると期待されています。
■ 文部科学省では、来年度に行われる小学校の教科書の検定から新しい基準を適用することにしています。
[記事全文]

<民間依存行政>
中央省庁・地方自治体、そして 補助金つぎ込み大手企業も 縁故採用汚染で すっかり弱体化している日本。

毎回、同じ道を行ったり来たりで さっぱり前に進まないばかりか、 重ねた経験を浪費(lost)するだけで 以前よりもずっと悪くなる。

官僚の天下り先となる 民業との癒着で、
中身の薄い日本の大学教育 を始め、 儲け重視の「教育ビジネス」に翻弄され 犠牲になるのは いつも、 「隠れた実力・才能を持つ子どもたち」 ばかりだ。

記録する。

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06/30 <ゆとり教育転換> 詰込み返し 説明会

日記: 死ぬことの「意義」(4) - キリスト教的感性

2008年12月11日 18時26分53秒 | Weblog
[個人史]: 日記 特質 気質 性質 特異:体質 思想 信条
※ 「ピンボケ」 急速拡大中。 「終焉」に向け 努力中 だが 「麻生ドロドロ政権」 効果でダウンできず。
シリーズ: 悪人担当「死に神」と呼ばれたい (笑々)


聖書では 自殺を禁じている事について 「前回記事」 で記したとおり、 人間は 「殺してはならない」 と強く戒められている。

だが、 決して間違えてはいけないのは、
信じない者に ”命乞い” をするのではなく、 「信じた者」 に戒めていることにある。

<聖書的歴史>
聖書を読むと、 アダムの子”アベル” に始まったように 神に愛されたり、 神に近い 『義なる者』 ほど 遠慮無く 殺されて居ることが判る。

さらにキリスト教なのに、
キリスト・イエス までが十字架に架けられて 墓に葬られてしまう始末だ。

その後も、 カソリック教会が誕生するまでの 数百年もの間、
イエスを信じたクリスチャンは ローマ人によって 殺され続けた歴史を持つ。

これでは、 子どもたちのヒーロー 「○○戦隊 △△レンジャー」 にはまるでほど遠いではないか..!

<死んでから ”ナンボ”>
実際は、 死んだ後は保証されない 「人間を拝する宗教」 とは異なり、

キリスト教的には 死んだ後にこそ 真の目的が 『発効』 する。
それだから、 死(死後の生き様) を恐れる感覚は 薄いことだろう。

死んで終らないからこそ、 『殺してはならない(& 自殺の禁止)』 と戒めるのである。

 (続)

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<高齢者事故>「着衣着火」 原因は『視覚不良』(中)

2008年12月11日 11時57分22秒 | Weblog
[個人史] 日記 高齢者 家事 事故 着衣着火 老化 後期高齢 視覚障害
※ 視覚不良 加齢 被験者 検体人生

着衣着火事故について 前回記事 で、 「青色」犯人説を否定した。

「見えない」ことの結論を述べる前に、 もう一つ二つの理解が必要だ。

<老齢者視野の疑問>
老齢者の視野を体験するために 黒い箱に穴を開けた 道具を使うが、 あれは(たぶん)違うと思う。
はっきり(クッキリ)見ようとしなければ 全体の視野はもっと広いはず。

理解すべき重要なポイントである ”透明なもや” を理解したければ 度の合わないメガネをかけると良い。

<「見える」意味>
度の合わないメガネは 明るくても全体がぼやけて見えるが、 視覚障害は もっとヒドイ。

”もわっ・” と見える 視野の中で ごく狭い部分 や 特定の事物だけが 「はっきり見える」 (ように 感じる) のである。

しかも、
見える範囲が 瞬間瞬間 視野の中を飛び回るように移動したり、 見える事物がどんどん変わるので、 「見えた」 と感じて 注視しても すでに「ぼやけて 見えない」。
(このストレスこそが 障害の苦痛 に違いない。)

”専門家” 向けの言葉なら、 「記憶の保持力」 が無いのである。

<一番の「はっきり」部分>
若者向けの 体験実験に用いる ”黒い箱と 穴” の道具は、 はっきり見えたときの 視野 と云って良い。

そして確かに、
はっきり見ようとする(自分の意志が働く)時は、 顔を 対象の正面に向けなければ 見えないようだ。
両眼の中央に位置させる為であろうと思う。

(続)

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