「妻への感謝」Rさん30代
現在、私は妻と同居することが出来ている。これは、妻とリエゾンのおかげに他ならない。実は、昨年末には離婚の話が出ていた。その原因となったのは、結婚時、いや交際時からの私のDVのせいだ。特に昨年末の身体的DVが決定打だった。焦った私は急いでDV加害者プログラムを探し、リエゾンの門を叩いた。
受講し始めて半年程は、自分で原因を作り、自分から門を叩きながらもなぜだかよく分からない慢心や他とは違うという気持ちから真剣にプログラムを受講していなかった。我ながら最低な奴だ。
そんな中、同時期に受講を決意してくれた妻から、度重なる喧嘩をした後私が数日実家に戻っていた時に再度別れを切り出された。原因は未だに治らない私のDVのせいだ。妻はその時泣きながら、電話口で声にならない声を振り絞ってこう言っていた。「何度も期待し、その度に裏切られてきた」、「もう限界だ」と。
強引に関係を繋ぎ止めた後、私は初めて事の重大さに気付いた。真剣にやらなければと心の底から思った。
しかし、そこからが本当に大変な日々を過ごすこととなる。
今までは月1回だった個人面談を週1回に増やした。仕事をしながらも通わなければならない時間的な制約にも大変さを覚えたが、それよりもインナーチェンジングセラピーで明らかになっていく自身の過去が作り出している当たり前や常識が恐ろしくズレている事、さらに過去が生み出した自身の禁止令の多さを認識していくことが辛かった。これらを認識すればするほど、私の背景にある父や母を否定し、何が正解で何が間違っているのかが分からなくなり、何も判断出来なくなっていったからだ。自分自身が壊れていく、そんな気さえしていた。
また、例題を使用し集団で夫婦のあり方、気持ちを学ぶグループワークや自身にあった出来事などを他の受講者の皆さんに報告し、アドバイスをいただくエンカウンターも辛かった。グループワークでは、女性の思考や感情も学んでいくが、あまりの自身の無知加減に嫌気が差すのと同時に女性の思考に難しさを覚え女性不信になったし、エンカウンターでは自身のあまりにズレている当たり前のせいで、他の受講者の皆さんからありがたいアドバイスを四方八方からいただき、毎回受講が終わるころには矢吹丈(やぶきじょう)のように真っ白になって帰路につくのが常だったからだ。
そんな中、真剣に通い始めてから現在に至るまでで変わってきたことが2点ある。
1点目は、通う前は皆無であった妻と冷静に話し合う回数が少しずつ増えてきたことだ。インナーチェンジングセラピーで内面が変化してきたのか、グループワークの成果なのか、はたまた冷静に話し合うためのテクニックを学んだからなのか。そうなってきた明確な理由は正直私には分からないが、事実冷静な話し合いが以前よりも出来ている。さらに、その話し合いが出来てきたことで、手前みそにはなるが妻との関係性も以前よりも良好になってきた。
2点目は、子供の変化だ。リエゾンに通う前は私の事が怖かったのかあまり近づいて来なかったし、妻無しで遊びに出かけることも無かったが、真剣に通い始めてからは子供自ら近づいてきてくれるし、今で妻がいなくても一緒に遊びにいけるようになった。その中でも1番の変化は、子供の笑顔が頻繁に見られるようになったことだろう。これは正直とても嬉しい変化であった。
しかし、まだまだ未熟な私はこれからも多くの禁止令を解かなければならないし、妻の気持ちや過去に付けてしまった傷の1つ1つと真摯に向き合わなければならない。
最後になるが、そんな私を今も辛抱強く傍で見てくれている妻には心からの感謝しかない。
リエゾンからのコメント
Rさんと話をしていると、気の毒になることがしばしば。これを言うとRさんは狐につままれたみたいな顔になるけれど、私が思うのは「人はここまで感覚がずれてしまうのか。」なのです。だって、Rさんにはどうしようもないことなのですから。その上で言わせていただくと子育ては大変な責任を負うということです。
例えば、親が自分のやりたい放題で日々行動しているだけなら、子どもの感覚がずれることはそう起きることではないと思うのです。でも、やりたい放題の親が、立派なことを偉そうに子どもに訓示した場合、子ども側からすると、この親は言っていることとやっていることが違う、となり、その子どもなりの辻褄合わせが「ある種の感覚を鈍らせ、ずらす」のです。
これはもう子ども達に責任はないです。でも、大人になった時、妻や子どもにおかしなルールを当然のように押し付けることになっていくのです。
インナーチェンジングセラピーは子ども時代に取り込んだ間違った感覚、認識の修正です。
親がおかしなことを家庭内でしていたなら、子どもの感覚はおかしくなります。親はそのことを自覚して欲しいのです。
神父の顔をして泥棒をしてはいけないのです。
鼠小僧の方がまだましです。
Rさん、大変だったでしょうね。矢吹丈のように真っ白になって帰路についていたなら、さぞかしくたびれたでしょうに。
でも、その甲斐あって妻と話し合える時間が増えてきたこと、本当に良かったですね。
お互いが顔色を見ないで、本音を言い合える関係になることがリエゾンの最終段階である目標「親交親密」なのですから。
何度もお伝えしていますが、「親交親密」は双方とも我慢はしない心地の良い関係なのです。