私が生まれ育ったのは東京杉並。山の手と言われる所。お金持ちのお嬢さんなら、そりゃあかっこいいけど、ごく普通の公団住宅。私が19の時、両親は埼玉に家を建てて引っ越したが、ここに29年間、私はずっといた。ちょっと変?まあ事実だから仕方ない。
両親と過ごしたその時代、6畳の角にはテレビがあり、テレビの前にはお決まりの一家の団欒“こたつ”。テレビの向かいに私と弟が座り、父が右、母は左。テレビの代わりにビデオカメラでも備え付ければ「寺内貫太郎一家」の出来上がりだね。
モノクロテレビの普及は1959年頃というから私の記憶にはないが、お向いのお宅でテレビを見ている写真が数枚ある。それからたった5~6年の1964年、東京オリンピックの年にはカラーテレビが普及したそうだから、時代も情報も急速に進歩を始める頃、私は生まれた事になる。
さあ、そんなテレビを囲んで楽しい「夕餉のお話」といきたいが…駄菓子屋世代、別にそんなに楽しい話ばかりが詰まっているわけじゃない。行儀作法の躾なのか、はたまた親父のストレス解消なのか、やれ「正座をしろ」「肱をついて食べるな」「箸の持ち方が違う」「こぼすな!食べ物を祖末にするな!テレビに夢中になるなー・・・!」最後には「テレビ消すぞ!」右隣からまったく父がうるさい。時には平手打ちだって飛んでくる。まるで細身の「寺貫」だよ。
この父、釣りと料理が好きな左利き。酒を片手にご機嫌でよく台所に立った。魚を捌く左包丁は、どうも私には妙ちきりんに見えて仕方ない。ちょっとやってみろったって頭が混乱するばかりだ。ザルや小鍋をやたらと使い、小分けに丁寧に作られた料理はおいしいが・・・酒も回ればそろそろご機嫌も傾いてくるらしい。「洗い物が大変なのよねえ」とこっそり逃げる母。そろそろお説教が始まるぞ、さっさと逃げなければな…と私は思うのだった。
想い出は、長い人生の中のほんの一瞬の記憶かもしれないなと思う。小さな平和の中にちょっとだけまぎれてる。
そんな料理好きの酒乱ワンマン親父の味は「天ぷら」。サクっと揚がった天ぷらは最高だ。小麦粉の衣種を、油の中にパッパッパッと威勢よく飛び散らせてサクサク衣を作るのだが、私はその技をとうとう盗めなかったし、父も逝ってしまったのでもう食べる事はできない。私は「台所が汚れるわ」「油が不経済よ」などと憎まれ口を叩いたが、もう一度食べたら涙が出るかもしれない。
「ソラマメの天ぷら」私のヘタッピな天ぷらで申し訳ないが
旬の味はビールのおつまみに最高ですよ。
旬の味はビールのおつまみに最高ですよ。