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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

「ありがとう」と「ごめんなさい」はどう違う?――12月23日は靖国問題を語ろう

2010-12-01 | 催し
 国のために死んだ戦死者を国が追悼するのは当然だという考えがあります。「そうでもしてくれなければ死者が浮かばれない」、「犬死であってはならない」などなど。しかし、その一方で「犬死に結構。父親はまさに犬死にであった」と主張する遺族がいます。
 その一人が沖縄の彫刻家金城実さんです。金城さんは、戦死した父親を祀っている靖国神社を相手取って訴訟を起こしています。
 今回のカフェでは、そうした靖国神社に対しておこなわれている訴訟を紹介しながら、靖国神社が何のために造られたのか、そして敗戦後の現在も存続し続けているのはなぜなのかを考えていきたいと思います。

 かつて小泉元首相は鳴り物入りで靖国神社に参拝しましたが、民主党政権になってからは閣僚の靖国参拝はA級戦犯が祀られているという理由でなされていません。
 しかし、靖国問題の本質はA級戦犯が祀られていることなのでしょうか? A級戦犯が祀られていなければ閣僚の参拝はおおいに結構ということになるのでしょうか? 戦争の犠牲者に対して政府が感謝するのか、謝罪するのか――それは過去の問題だけではなく、現在と未来に深く関わる問題でもあります。
 12月23日は、こうした問題を考えるのにうってつけの日です。なぜですって? それはリブインピース・アット・カフェに来てのお楽しみ。12月21日の「靖国イヤです訴訟」大阪高裁判決についての最新情報もあります。(鈴)

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