375's ROAD TO BOSTON/ゴールは虹の彼方に

米国在住ランナーの究極目標「ボストンマラソン」とアメリカ50州制覇を目指す人生の旅日記。

マラソン大会予定

◆2015年1月18日 HOUSTON MARATHON(TX州=2年連続2回目) ◆2015年4月20日 119TH BOSTON MARATHON(MA州=3年連続3回目) ◆2015年10月4日 TWIN CITIES MARATHON(MN州=初出場/米国26州目)

関西出身のユニット 「ミューズ」、本田美奈子を歌う。

2006年08月08日 | 文化・芸能・音楽など

★ミューズ 「ちょっとだけMY LOVE満月の夜に迎えに来て」 (MLCN-1027)
   2006年6月21日発売

収録曲 ①ちょっとだけMY LOVE ②満月の夜に迎えに来て ③ちょっとだけMY LOVE(instrumental) ④満月の夜に迎えに来て(instrumental)
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7月31日の本田美奈子メモリアル・トリビュートで、美奈子さんの未発表曲「満月の夜に迎えに来て」と、初期のヒット曲「HELP」「好きと言いなさい」「Oneway Generation」を振り付きで熱唱した、関西出身のアイドル・ユニット、ミューズ

彼女たちのデビュー・シングル2曲を、あらためて聴いてみると、一週間前のステージの情景が生き生きとよみがえってくる。

これまでのステージで、いつも歌ってきたという、オリジナル曲の「ちょっとだけMY LOVE」。

♪いつもの帰り道 人ごみターミナル・・・ のフレーズは、♪人ごみのまん中 今いる場所さえわからないほどに・・・ という「Oneway Generation」の歌い出しを、思い起こさせる。自分の思いを曲げずに、どこまでも駆け抜けようとする、前向きな青春讃歌だ。

そして、本田美奈子作詞・作曲の未発表曲「満月の夜に迎えに来て」。

♪Moonlight Dancing Tonight・・・ のエコーから、神秘的なメルヘンの雰囲気に引き込まれる。ラテン風なカーニバルと、恋する情熱的な乙女。
魔法の鏡応えてよ 今日の私輝いてる? 世界中で一番の 笑顔の似合う私にして・・・ のフレーズは、まさに美奈子さん自身の真実の願いといえよう。

前回紹介したpinkish同様、ミューズの歴史も意外に長い。ファンサイトHPの情報によれば、すでに2001年4月14日に、6人組のユニットでデビューしている。ただし、この最初の6人はすでに全員卒業していて、同じ年の12月25日に現在のリーダー「まりな」が加入。まりなと一緒に入った「ゆりな」と、2002年以降に加わった、「しおり」、「りゆ」、「りせ」の合計5人が、現在のユニットとなっている。

5人とも1990年代生まれ。リアルタイムで美奈子さんを知る世代ではないが、先日の追悼番組を見て感動し、より美奈子さんを身近に感じるようになったという。
美奈子さんのDNAを受け継いだ彼女たちの、今後の躍進を期待したいと思う。


★7/31 本田美奈子さんのメモリアル・トリビュートで「Oneway Generation」を熱唱するミューズ

童謡のアイドル・ユニット 「pinkish(ピンキッシュ)」

2006年08月04日 | 文化・芸能・音楽など


pinkishPS, 童謡のふる里から」  (MLCN-3025)  2006年4月26日発売

収録曲 ①花火 ②もぐらのおじさん ③たなばたさま ④小雪ふる夜の小ギツネ ⑤野菊 ⑥電車ごっこ ⑦ふるさと ⑧花火(オリジナル) ⑨たなばた(オリジナル) ⑩野菊(オリジナル)
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先日、本田美奈子さんの誕生日コンサートで、美奈子さんの初期の名曲「青い週末」を熱唱した、アイドル・ユニット「pinkish(ピンキッシュ)」。振り付けも、自分たちで考えたとのことで、なかなかフレッシュな魅力があった。

Pinkishは、「童謡のふる里おおとね」 を町づくりのコンセプトにしている埼玉県大利根町から、童謡にちなんだアイドルを育成しようとの企画から誕生した「童謡のアイドル・ユニット」である。歌う曲は、童謡そのものというよりも、童謡のモチーフを発展させた青春ソングといった感じで、どの曲もノスタルジックな明るさがある。

現在のメンバーは4人。最年長のリーダー・kaoriさんのみ、かろうじて昭和63年生まれで、他の3人(minaharunamami)は、1990年以降の平成生まれだ。自分から見れば、30歳も年下なのだから、ふつうなら世代的ギャップもいいところなのだが、実際にはそれほど距離を感じさせない。やはり、よく知られた童謡をモチーフにしていることと、美奈子さんに対する尊敬の気持ちがあるからだろう。

公式サイトを見てみると、意外にキャリアは長い。4年前の2002年には、すでに地元・埼玉県大利根町や、各地のイベント・ライブなどを中心に、活動を開始している。途中、メンバーが入れ替わりながら、ついに今年の4月26日、最初のCDアルバム「PS, 童謡のふる里から」をリリースしたのである。

なつかしい童謡の調べと、現代的なJ-POPのリズム感をミックスした、独特の世界。今後、どのように成長していくか、楽しみに見守っていきたいと思う。


赤塚不二夫の妻・眞知子さん、天使になる。

2006年07月17日 | 文化・芸能・音楽など
漫画家、赤塚不二夫妻・眞知子さんが、くも膜下出血で亡くなった。まだ56歳の若さだった。

赤塚不二夫といえば、2002年に脳内出血で倒れ、一時は危篤説も飛び交っていたのが、記憶に新しい。当時、つきっきりで看病したのが、妻・眞知子さんだったのだが、まさか、看病していた人のほうが、先に旅立ってしまうとは…。運命というものの皮肉を感じずにはいられない。

その眞知子さんであるが、3ヶ月前から、ブログを始めていた
最終更新日が、6月26日。この日に、緊急治療室で手術を受けたとの「告白」がある。

それから、わずか18日後に、この世から旅立ってしまうとは、予想ができただろうか?

私自身も、今までに何度か、身内や知人の旅立ちを経験したことがあるが、いずれも、あっけに取られるほど、急な別れだった。平均寿命は延びているはずなのに、現実には、そのような実感がない

いつやってくるかわからない、天国への旅立ちの日。バカボン・パパのように、「これで、いいのだ」と言えるような、悔いのない人生を、送らなければと思う。

48歳のリスナーから見た 「J-POP 注目の新譜」。

2006年07月15日 | 文化・芸能・音楽など
書店で売られているJ-POP関係の雑誌を見ると、たいてい「注目の新譜」とかいうコーナーがあって、最近話題のCDが紹介されている。

しかし、実際のところ、40歳代後半の自分には、名前すら知らないアーティストが多い。

やはり、本当に自分が注目するのは、昔から知っているアーティスト。商業的な意味では、以前ほど売れていなくとも、マイペースで活動を続け、着実に進化しているアーティストに注目したいと思うのだ。

その1番手が、本田美奈子だった。「心を込めて…」以降、新譜の予定は発表されていない。新録音は、もう期待すべくもないが、未発表録音であれば、今後も出てくるだろうし、未発表映像ともなると、すごいものがたくさんあるらしい。幸い、美奈子さんの周囲には、高杉ボスをはじめ、素晴らしいスタッフたちがいて、美奈子さんの遺志を実現すべく、最善の努力を続けている。いつか、日本最高のアーティストの全貌が明らかになる日が来るだろう。

美奈子さん以外の新譜では、先日も紹介した、岩崎宏美の「Dear Friends III」が楽しみだ。発売予定は9月27日。今から予約しておきたい。

岩崎宏美と同世代の歌手では、石川ひとみも、ひそかに応援している。最近のリリース作は「With みんなの一五一会: Radio Days」というタイトルのカバー・アルバム。すでに6月に発売され、ファンの間で好評のようだ。自分はまだ聴いていないが、「シェリーに口づけ」「そよ風の誘惑」「恋は水色」「夢みるシャンソン人形」といった曲目を見るだけで、なつかしさでいっぱいになる。

あとは、かつて「異邦人」が大ヒットした久保田早紀。今は結婚して、久米小百合という本名で、独自に活躍している。新譜というわけではないのだが、「テヒリーム33」というアルバムをぜひ聴いてみたい。これは賛美歌を題材としたトラッドフォーク? ともいうべき作品集のようだ。

もう1人あげるとすれば、世代的には上になるけれども、弘田三枝子の「じゃずこれくしょん」が注目作だ。これは、かつて発売されたジャズアルバムの復刻に新作アルバムを加えた8枚組で、値段も20000円近くするようだが、ぜひ自分のコレクションに加えてみたいと思う。

忌野清志郎、「生きる為の闘い」へ…。

2006年07月14日 | 文化・芸能・音楽など

忌野清志郎さんといえば、1988年、MINAKO with WILD CATS時代の本田美奈子さんに、「あなたと、熱帯」という曲を提供したことで、おなじみのロック・アーティストである。

昨年、美奈子さんが天国に旅立った直後の時期は、自らのコンサートで、美奈子さんへの哀悼の気持ちを込めながら、「あなたと、熱帯」を歌っていたという。

それだけでも、美奈子ファンにはかけがえのない人だ。 しかし、その清志郎さんが、今、新たな人生の闘いを始めようとしている。

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このたび喉頭癌と診断され長期入院治療にはいることになりました。スケジュールはすべてキャンセルせざるを得なくなり、楽しみにしていてくれたファンの皆さんには申し訳ない気持でいっぱいです。本当にごめんなさい。

 何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持で治療に専念できればと思います。 またいつか会いましょう。夢を忘れずに!

 2006.7.11 忌野清志郎
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これが、自身の公式ホームページに発表されたメッセージの全文である。
病魔との闘い。それは、一般的な認識で考えれば、とてもシリアスで、辛いことだろう。自分も、同じ立場に直面したら、どのような気持ちになるか、わかったものではない。

しかし、そのような状況で、あえて「新しいブルースを楽しむような気持で」と表現したところに、彼の真骨頂がある。歌に生きる者としての誇りがうかがえるのだ。

ちょうど、「辛い時、歌と一緒に 辛さを乗り越えました」と、詩に表現した美奈子さんのように。

生きる為の闘い。それは、その人の人間性が、明るみに出る闘いでもあると思う。

清志郎さんには、ぜひとも、この闘いに勝利してほしい。そして、「あなたと、熱帯」の凱旋コーラスを聴ける日を、切に待ち望むものである。


「美空ひばり記念館」が閉館?

2006年07月10日 | 文化・芸能・音楽など
昨日のサンケイスポーツの記事によると、「京都嵐山 美空ひばり記念館」が、ファンの高齢化によって入場者数が減少し、今年の11月末をもって閉館するという。

この「美空ひばり記念館」は、ひばりさんの没後5年目の平成6年3月、遺族の協力を得た地元の観光関連会社によって、設立された。その記念館には、舞台衣装などの遺品約1000点のほか、ひばりさんの生涯を振り返る「ひばりシアター」や、目黒の自宅のリビングルームを再現した「ひばりアトリエ・リビング」などもあって、一時は年間入場者が300万人を越える人気スポットとなっていたそうだ。

自分も機会があれば、一度は足を運んでみたいと思っていたのだが、このままでは、一度も目にすることなく終わってしまう可能性がある。

自分は決して、美空ひばりのファンというわけではない。が、初めてテレビで見たときから、子供心に、すごい歌手だと思っていたし、演歌ばかりでなくジャズ・スタンダードも歌いこなす実力は、間違いなく横綱クラスだと思う。1980年代になっても「愛燦燦」や「川の流れのように」などの名曲で、最後まで圧倒的な存在感を失わなかった。

ファン層の主力は、現在の年齢でいえば、60歳代~80歳代くらいであろうか。高齢化は、もちろん避けられない問題だ。若いファンが増えればいいのだが、現実には、時代背景の違いもあり、かつて同時代を生きたファンと同じように共感できるかどうかは、微妙なところだろう。

民間の運営では、やはり限界がある。それよりも、このような文化遺産を守るためには、国家的な援助が必要であろう。日本政府は、「国民栄誉賞」を贈るだけでなく、貴重な国民的遺産を保護するアフターケアまで、考えて欲しいと思う。

バリー・マニロウが「つばさ」を歌う日?

2006年07月06日 | 文化・芸能・音楽など

バリー・マニロウUltimate Manilow」 (2002年2月5日発売) Arista 10600-2

収録曲 ①Mandy  ②It's a Miracle  ③Could It Be Magic  ④I Write the Songs  ⑤Bandstand Boogie  ⑥Tryin' to Get the Feeling Again  ⑦This Ones for You  ⑧Weekend in New England  ⑨Looks Like We Made It  ⑩Daybreak  ⑪Can't Smile Without You  ⑫Even Now  ⑬Copacabana (at the Copa)  ⑭Somewhere in the Night  ⑮Ready to Take a Chance Again  ⑯Ships  ⑰I Made It through the Rain  ⑱The Old Songs  ⑲When October Goes  ⑳Somewhere Down the Road
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バリー・マニロウが「つばさ」を歌う? そんな日が、果たして来るのだろうか。
今の段階では、妄想としか思えないかもしれない。
しかし・・・ 決して不可能とは、言い切れないのだ。

きっかけは、先日、ここで紹介したように、岩崎宏美さんが9月27日発売予定の新アルバムで「つばさ」をカバーするというニュース。

このアルバムにはバリー・マニロウとのデュエット曲も収録されるのだが、宏美さんを気に入ったバリーが、現在ラスベガスで行なわれているライブコンサート・シリーズへ宏美さんを呼び、アメリカのファンに紹介したいと申し出ているのだ。つまり、宏美さんにとっては、全米デビューのチャンスが訪れているのである。

ここから先は、あくまで可能性の話なのだが、もし、この全米デビューの場で、バリーとのデュエット曲の他に、ソロで1曲歌わせてもらうとしたら、宏美さんは、どの曲を選ぶだろうか。

宏美さんは、誰よりも、親友・本田美奈子さんの気持ちを理解していると思う。いつかは、世界の舞台に立ちたかった美奈子さんへの思いも込めて、「つばさ」を歌うのでは・・・。

想像するだけでも、胸がふるえてくる。

もちろん、ここまでは実現しなくとも、バリーは当然、宏美さんの新アルバムを聴くだろう。もちろん、「つばさ」も、耳にすることになる。その時、バリーはきっと、自分もこの曲を歌ってみたい、と思うのではないだろうか。

つばさ」は、間違いなく、バリー好みの曲だ。彼の代表作I Write the Songsと、曲想も似ている。唯一、問題があるとすれば、歌詞が日本語であること。

しかし、それは、すぐにクリアできるだろう。「つばさ」の英語バージョンを作ればいいのだ。

岩崎宏美さんが「つばさ」を歌えば、日本国内では、より多くの人々が、この名曲を耳にすることになるだろう。まだ気が早いけれども、大晦日の紅白歌合戦で涙の熱唱、ということも、あるかもしれない。

バリー・マニロウが英語版の「つばさ」を歌えば、この曲は新たなスタンダード曲として、世界中の人々の心をとらえることになるだろう。そうなれば、初演者・本田美奈子さんの名も、世界の音楽史に永遠に残ることになるのだ

これからバリー・マニロウを聴いてみたいという人は、まず上記のベスト盤「Ultimate Manilow」から入るのがいいだろう。これは日本国内盤ではなく、USA盤であるが、1枚で代表的なヒット曲がほぼ網羅されており、バリー入門にはちょうどいいと思う。

岩崎宏美、新アルバムで「つばさ」を収録!

2006年07月03日 | 文化・芸能・音楽など
本田美奈子さんの親友・ヒロリンこと岩崎宏美が、9月27日発売予定の新アルバム「Dear Friends III」で、美奈子さんの代表曲「つばさ」をカバーすることになった。

2003年に発売された「Dear Friends」と「Dear Friends II」では、ともにファンからのリクエストを反映させた選曲で、素晴らしいカバー・アルバムを作り上げていたが、今回も、ファンからのリクエスト曲を多く取り入れているという。

なかでも、最も多くのリクエストを得た曲が、本田美奈子さんの「つばさ」。つい最近までは、知る人ぞ知る「幻の名曲」だったが、今や歌謡曲史上に残る傑作として認知されつつあるようだ。決して、美奈子ファンの組織票(?)ばかりではないはず。

ヒロリンの歌唱力であれば、この曲の魅力を十分に引き出すことができるだろう。ぜひとも、大ヒットを期待したい。

個人的には、「つばさ」以外の曲では、ミコちゃんこと弘田三枝子の「砂に消えた涙」と、バリー・マニロウとのデュエット曲も楽しみだ。

収録曲  ~曲順は未定~
 1: つばさ  (1994年 本田美奈子)   作詞:岩谷時子/作曲:太田美知彦
 2: 元気を出して  (1987年 竹内まりや)   作詞・曲:竹内まりや
 3: どうぞこのまま  (1977年 丸山圭子)  作詞・曲:丸山圭子
 4: 卒業写真-Duet with 岩崎良美  (1975年 荒井由実)  作詞・曲:荒井由実
 5: 青春の影  (1978年 チューリップ)   作詞・曲:財津和夫
 6: 雪の華  (2003年 中島美嘉)   作詞:Satomi/作曲:松本良喜
 7: 今年の冬  (1994年 槇原敬之)   作詞・曲:槇原 敬之
 8: 言葉にできない  (1982年 オフコース)   作詞・曲:小田和正
 9: 愛の讃歌 -ピアノ 大江千里  (1943年 E.Piaf/1949年 越路吹雪)  作詞:E.Piaf/作曲:M.Monnot/日本語詞:岩谷時子
10: 砂に消えた涙  (1965年 弘田三枝子)   作詞:ARBERTO TESTA/作曲:PIERO SOFFICI/日本語詞:漣 健児
11: IN MY LIFE -withスターダスト・レビュー  (1965年 THE BEATLES)   作詞・作曲:Lennon&McCartney
12: Sincerely/Teach Me Tonight -Duet withバリー・マニロウ   作詞・作曲:「Sincerely」 Alan Freed、Harvey Fuqua  「Teach Me Tonight」 SammyCahn、Gene DePaul

永遠の国民的アイドル。~坂本九 「ベスト30」

2006年06月30日 | 文化・芸能・音楽など

★坂本 九 「ベスト30」 (2005年8月3日発売) TOCT-0251~52

収録曲 DISC 1 ①悲しき六十才(ムスターファ) ②ステキなタイミング ③遥かなるアラモ ④砂漠の恋の物語 ⑤九ちゃんのズンタタッタ ⑥カレンダーガール ⑦月夜に歩けば ⑧九ちゃん音頭 ⑨上を向いて歩こう ⑩モデル・ガール ⑪戦場に陽は落ちて ⑫もう一人のボク ⑬ボクの星 ⑭レッツ・ゴー物語 ⑮一人ぼっちの二人

DISC 2 ①東京五輪音頭 ②九ちゃんのツンツン節 ③見上げてごらん夜の星を ④九ちゃんの炭坑節 ⑤明日があるさ ⑥勝利の旗 ⑦幸せなら手をたたこう ⑧サヨナラ東京 ⑨ともだち ⑩涙くんさよなら ⑪結構だね音頭 ⑫レットキス(ジェンカ) ⑬世界の国からこんにちは ⑭夕やけの空 ⑮あの時の約束
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1985年8月の飛行機事故は、今でも鮮明に、記憶に残っている。あの日、あるスポーツ新聞に載った見出しの文字は、強烈だった。
九ちゃんが乗っていた!

あれから、もう20年が経過した。ということは、今、少なくとも20歳代前半以下の若い人たちは、坂本九を、リアルタイムで知らない。1960年代の日本では、子供から老人まで、あらゆる年齢層の人々に、「九ちゃん」と呼ばれ、家族同様に親しまれていた。もう、あの時代は、遠い昔になろうとしている。

当時は、まだ「アイドル」という言葉は、一般的でなかった。しかし、彼以上に、誰からも好かれ、愛されたアーティストは他にいないという意味で、真の意味での国民的アイドルだったといえよう。

芸能人につきもののスキャンダルとも無縁。良き伴侶と家庭にも恵まれた彼の人生は、あの事故さえなければ、さらに輝かしいものになっていたに違いない。

上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」・・・。自分が小学校低学年の頃、坂本九のヒット曲の多くは、すでに国民的愛唱歌となっていた。「歌謡曲」とか「流行歌」とかの枠組みを、超越していたのである。

小学校高学年の頃に聴いた、比較的新しいヒット曲が「レットキス(ジェンカ)」。この曲は、当時、「オクラホマ・ミキサー」「マイムマイム」と並んで、小学校のフォークダンスの定番となっていた。これを聴くと、好きな女の子と踊れる順番を心待ちにしていた、あの頃を思い出す。

そして、万国博覧会のテーマ曲にもなった「世界の国からこんにちは」。この1970年代の到来を告げる歌で、坂本九のアイドルとしての役割は、ひとまず終わりを迎えることとなる。

夏の定番。~加山雄三 「グレイテスト・ヒッツ」

2006年06月29日 | 文化・芸能・音楽など

★加山雄三 「グレイテスト・ヒッツ-アビーロード・スタジオ・マスタリング
   2001年11月21日発売 MUCD-1001

収録曲 [1]ヴァイオレット・スカイ [2]恋は紅いバラ [3]君といつまでも [4]夜空の星 [5]ブラック・サンド・ビーチ [6]夕陽は赤く [7]蒼い星くず [8]お嫁においで [9]ブーメラン・ベイビー [10]霧雨の舗道 [11]夜空を仰いで [12]旅人よ [13]まだ見ぬ恋人 [14]二人だけの海 [15]白い砂の少女 [16]心の海 [17]君のために [18]ある日渚に [19]美しいヴィーナス [20]ぼくの妹に [21]海 その愛 [22]光進丸 [23]湘南ひき潮 [24]時を超えて
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夏になると、聴きたくなる音楽がある。それは、日本での故郷・湘南の歌

湘南サウンドといえば、サザンオールスターズあたりを連想する人が多いと思うが、自分の場合、それ以前に、絶対的な英雄が存在した。
加山雄三、その人である。

加山雄三を初めて聴いたのは、小学校2年生の頃だった。その年、大ヒットしたのが「君といつまでも」。子供心にも、一度聴いただけで、すぐに口ずさむことのできる、そのわかりやすいメロディーに惹かれた。今でも、歌謡曲といえば、まずこの曲を思い出す。自分にとって、歌謡曲の原点であり、「ザ・歌謡曲」ともいえる一曲だ。

その後、「お嫁においで」「旅人よ」と大ヒットの続いた1960年代中頃が、彼の最初のピークだったといえよう。

高校入学の頃になると、再び、加山雄三の時代が来る。自分は当時、校庭から江ノ島が見える、海岸近くの高校に通っていたが、雄大なスケール感に満ちた名曲「海 その愛」と、湘南のローカル色あふれる「光進丸」の2大傑作は、当時の思い出を鮮やかによみがえらせてくれる。

この時期には、「ある日渚に」「ぼくの妹に」「湘南ひき潮」といった名曲が続く。この1970年代後半の時期が、加山雄三の、第2のピークであろう。

自分の若き日と共にあったという意味で、やはり、加山雄三は忘れられない存在だ。

この「グレイテスト・ヒッツ」に収められた大部分の楽曲は、彼自身が作曲し、岩谷時子先生が作詞している。岩谷先生といえば、1990年代以降は、本田美奈子さんの才能を認め、「つばさ」を初めとする数々の名曲の作詞を手がけた。そんなつながりから、おそらく美奈子さん自身も、加山雄三の曲を好んで歌っていたのではないか、と想像できるのである。