375's ROAD TO BOSTON/ゴールは虹の彼方に

米国在住ランナーの究極目標「ボストンマラソン」とアメリカ50州制覇を目指す人生の旅日記。

マラソン大会予定

◆2015年1月18日 HOUSTON MARATHON(TX州=2年連続2回目) ◆2015年4月20日 119TH BOSTON MARATHON(MA州=3年連続3回目) ◆2015年10月4日 TWIN CITIES MARATHON(MN州=初出場/米国26州目)

【旅の写真館】日光(4) 華厳の滝と中禅寺湖

2009年09月16日 | 旅の写真館(日本編)
「日光1泊2日の旅」の2日目は、これも40年ぶりの訪問となる華厳の滝。小学生当時、ここで滝の写真を4枚ほど撮ったことを思い出す。もちろん、白黒写真。当時としては、小学生の分際でカメラを持つこと自体が、すごいことだった。

時は流れ、今やデジタル写真全盛のご時勢となった。加工や修正も思いのまま、ということで、当時は考えられなかった高感度のズームアップも可能となり、滝の迫力もリアルに伝えられるようになった。

だが、それと同時に、手作りの温かさのあったレトロな時代が懐かしさを増してくるのも事実。しかし、40年前に撮った写真は、いつしか紛失。ネガも残っておらず、もはや当時の画像を再現することはできない。老兵は消え去るのみ。それはむしろ、自然な流れなのだろう。


★東武バスで日光駅から45分、中禅寺湖温泉で下車。少し歩くと、華厳の滝観瀑台への道案内が出ている。


★表示通り170mほど歩くと、エレベーター乗り場にたどり着く。


★エレベーターの切符売り場と、乗り場への入口。ここから展望台に下って行く。


★エレベーターを降りると、地下通路へ。ひんやりとした空気が心地よい。気分は40年前の小学生時代に戻り、すっかり前を行く女の子たちと同化している。


★展望台に到着。いよいよ動悸が高まってくる。そして…


★40年の時を超え、華厳の滝が姿を現わした!


★写真を撮る人たちの姿も、あちこちに見える。


★見れば見るほど、ものすごい水量と水しぶきに圧倒される。


★木陰から見る滝も、風情があっていい。


★華厳の滝との対面を終え、中禅寺湖畔へ。この鳥居がレイクサイドへの表玄関。


★女人禁制だった男体山の霊場に上った巫女が石になってしまったという言い伝えがある「巫女石」。


★霧に煙る男体山と、ホテルやレストランやお土産屋が軒を連ねる湖畔の街並み。


★二荒山神社の中宮祠。ここから男体山に登拝することができる。


★日光国立公園、中禅寺湖。標高1269mの高さに位置する。


★名物スワンボートの並ぶ、中禅寺湖畔。


★湖面を泳ぐスワンボート。乗っている女性たちも、なかなかお洒落?


★霧に煙る男体山が幻想的な雰囲気を醸し出す。


★最後は日光レイクサイドホテルに隣接する「湖畔の湯」で一息。ゆったりした午後のひとときを過ごした。

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【旅の写真館】日光(3) 日光山輪王寺・大猷院

2009年09月11日 | 旅の写真館(日本編)
東照宮、二荒山神社とともにユネスコ世界遺産に指定されている日光山輪王寺は、日光山中にある寺院群の総称でもあり、堂塔は広範囲に散在している。その中で最も見ごたえがあるのが、3代将軍・徳川家光の霊廟を祀っている大猷院。日光山内で一番奥に位置し、文字通り「奥の院」と言えるものだ。

大猷院は「死後も家康に仕える」という家光の遺言通り、家康を祀る東照宮より華美にならないように造営された。その落ち着いた情緒と質実剛健なたたずまいは、日光の数ある史跡の中でも特筆ものと言えよう。


★二荒山神社を出ると、大猷院への拝観案内がある。


★大猷院の表玄関、「仁王門」。


★睨みをきかせる、阿(あ)吽(うん)の仁王像。


★花崗岩の柱12本で屋根を支える、切妻造りの「御水舎」。


★天井に書かれた狩野安信の「雲竜図」が、水面に映る仕掛けになっている。


★4代将軍・徳川家綱によって手植えされたという「槇」の大木。


★持國天、広國天、風神、雷神の4体の神様が鎮座する「二天門」。


★二天門を過ぎたところで「下界」を見下ろす。


★さらに階段を上ると、4体の夜叉像が安置された「夜叉門」がある。


★東西南北を表わす4体の夜叉像。


★白龍や鶴などの精巧な彫刻で飾られた「唐門」。


★豪華絢爛な「拝殿」。内部には狩野派一門の見事な金箔屏風が描かれている。


★徳川家光の眠る廟所を守る「皇嘉門」。またの名を竜宮門とも言う。ここから先は立ち入り禁止。

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【旅の写真館】日光(2) 二荒山神社

2009年09月08日 | 旅の写真館(日本編)
40年前の修学旅行では「東照宮」と「華厳の滝」の印象が強すぎて、ほかにどこを回ったのか思い出せないが、世界遺産に指定された日光の2社1寺の中で、「二荒山神社」と「輪王寺」は、おそらく今回が初めての訪問になるのではないだろうか。

二荒山神社は、千年以上の歴史を持つ山岳信仰の霊場で、日光の三つの山の神を祀っている。
三つの山とは①男体山(二荒山、2486m)、②女峯山(2464m)、③太郎山(2368m)の三つで、山の名前から推察されるとおり、これらの山々は親子と考えられてきた。

東照宮ほどの派手さはないものの、国宝・重要文化財の宝庫。特に、福の神や縁結びの神などを祀った「神苑」は、小さいエリアながらも楽しい見どころがたくさん詰まっている。


★東照宮を出て、二荒山神社につながる参道。正面には、男体山の奥宮1200周年を記念して建てられた「楼門」が見える。


★古色蒼然とした、銅製の鳥居。


★境内には、2本の「夫婦杉」が仲睦まじく寄り添う。


★同じ根を持つ3本の「親子杉」。左側の太いほうから順に子ども、お母さん、お父さんに該当すると言われる。お父さんが一番細いのは、現在の家族関係を象徴?


★楼門と同じく、奥宮1200周年を記念して建立された「神門」。


★「拝殿」。この奥にある本殿とともに、日光山内の社殿の中では最も古い歴史を持つ。


★「神苑」への出入口。ここから先の入場はチケットが必要。


★「高野槇」。弘法大師・空海が1000年以上前にお手植えしたと伝えられるご神木。


★銅製の「化燈籠」。江戸時代、火を灯したこの燈籠を化け物と間違えて切りつけた傷が70ヶ所以上も残っている。


★樹齢700年を超えるとも言われる、巨大なご神木。


★「縁結びの笹」。ここで笹を結ぶと、人との縁、仕事の縁などに恵まれるという。


★「子授け安産の石」。これも抜群の効き目あり?


★男体山の神を祀る「大国殿」。


★大国殿の右側に立つ「大国田道間守」で、通称「お菓子の神」。右手にミカンの木の枝を持っている。


★大国殿内に安置された鎌倉時代初期の大太刀、「太郎丸」。


★神苑の一角から湧き出る「二荒霊泉」。この水を飲むと、目の病気に効き、知恵がつき、若返るとの評判で、お水とりの参拝者が後を絶たない。


★お水とりの柄杓。見るからに効き目がありそうな、清涼な水だ。


★神苑の奥にある休憩所、「あずまや」。コーヒーや抹茶、お菓子などのメニューがあり、ひと休みには最適。

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【旅の写真館】日光(1) 日光東照宮

2009年09月07日 | 旅の写真館(日本編)


小学校の修学旅行で日光に訪れたのは1969年(昭和44年)。あのアポロ11号が月面に着陸したとされる同じ年だ。翌年には大阪で万国博覧会も開催。日本は高度経済成長のただ中にあり、TVではスポ根ものが流行ったりしていたが、今になって振り返れば、どこかのんびりしたレトロな雰囲気が漂っていた時代だった。

あれから40年。昭和が終わって平成時代となり、21世紀に突入し、周囲の社会は大きく変化した。しかし、久しぶりに日光に来てみると、そこでは、40年前からほとんど時が流れていないかのように思えた。もちろん小学生時代の記憶はおぼろげなので、細かいところまでは定かでないのだが、受けた印象は不変。1999年に「ユネスコ世界遺産」という箔がついたことで、外国人観光客が増え、若い日本人観光客も意外に多かったことを別とすれば、日光はやはり昔の日光のままだった。

その日光の中心的存在と言えば、東照宮。あの「陽明門」も、「見ざる・言わざる・聞かざる」も、「眠り猫」も健在。あわただしく流れゆく時代の中で、「変わらないもの」というのは、不思議な安心感がある。やはり、昔から伝わるものは残しておくべき。そう強く感じたひとときだった。


★日光東照宮の入口、高さ9mの「一ノ鳥居」。「東照大権現」と書かれた黒い額は、畳1枚分の大きさを持つ。


★鳥居を入ってすぐ左側にある、高さ35mの「五重塔」。


★阿(あ)吽(うん)の形相をした2体の仁王像に見守られながら、「表門」をくぐる。


★表門を入ってすぐ左側には、あの三猿の彫刻で有名な「神厩舎」が建つ。


★「見ざる・言わざる・聞かざる」。悪いものは見ない、悪い言葉は言わない、そして聞かないようにして、子供に素直に育ってほしいという親の願いを表現した傑作。


★手を清めるだけにしては、あまりにも豪華な「水盤舎」。


★神厩舎の向かいにある「三神庫」の屋根の近くには、有名な絵師・狩野探幽による2頭のゾウの彫り物がある。
が、想像で描いたらしく、どことなく妙な姿に…。


★「鳴龍」で有名な薬師堂。堂内の天井に巨大な龍が書かれており、拍子木を打つとキーンと済んだ音が反響するため、その名がある。内部は撮影禁止のため、鳴龍のフォトは断念。


★階段を上り、いよいよ「陽明門」へ。


★東照宮の象徴、「陽明門」。まさに日本の造形美の粋とも言える、絢爛豪華な芸術品だ。


★陽明門には、おびただしい霊獣彫刻が施されている。これは中国から伝来した「唐獅子」。


★龍にもいろいろな種類がある。最上段の髭のない龍は「息」、下にいる白い馬のような龍は「龍馬」と呼ばれる。


★一本の木を丸彫りにした、精巧な「目貫の龍」。


★陽明門を入ってまっすぐ進むと、本殿への入口「唐門」がある。右端に描かれた「昇り龍」の寄木細工が見事。


★ここから先は、あの眠り猫のある「東回廊」と、徳川家康の眠る「奥宮」へ通じている。


★「眠り猫」を見上げる人たち。一瞬、どこにあるのか? と戸惑うほど小さい。


★左甚五郎作といわれる「眠り猫」。神秘的な謎に満ちている点では、ダ=ヴィンチの「モナリザ」並みの傑作。実は眠っていないのだ、という説も。


★東回廊を抜け、207段の階段を上り切ると、黒漆塗りの「奥舎拝殿」がある。かつては、将軍以外の昇殿は許可されなかったらしい。


★徳川家康が眠る、高さ5mの御宝塔。


★御宝塔の近くにある「叶杉」。樹齢600年以上のご神木で、願い事をするとなんでも叶うと伝えられている。

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40年ぶり! 世界遺産・日光への旅。

2009年09月01日 | 旅の写真館(日本編)


今回の日本訪問で最大のハイライトは、小学校の修学旅行(1969年)以来、40年ぶりに訪れる日光への旅。
当初は地元鎌倉からの日帰り旅行を計画していたが、現地発の終電が比較的早く出てしまうことが発覚。ということで、8月24日(月)から25日(火)にかけて、1泊2泊の旅程でゆったりと旅を楽しむことにした。

利用交通機関は、午前10時浅草発の東武特急スペーシア「きぬ」109号。お昼前には日光に着くはずだったが、人身事故の影響で出発が1時間遅れ、東武日光駅に着いたのは12時49分となった。(最近、不景気のせいか「人身事故」が多いような・・・)

駅前のレストラン「らんぶる」で昼食の後、さっそく観光に出発。初日はユネスコ世界遺産に登録されている東照宮、二荒山神社、輪王寺の「2社1寺」を回り、日光タウン内のホテルで1泊。2日目はバスを利用して中禅寺湖周辺と華厳の滝に足を運び、最後は温泉「湖畔の湯」へ。

小学校時代とは違った「大人の目」で鑑賞した日光。40年の時を経て、過去の思い出と現在の視点が交差し、不思議な感慨に浸ることのできた旅だった。

(以下、数回に分けて、「旅の写真館」を公開していきます)


★日光山内への玄関口、神橋。鮮やかな朱色の漆塗りと、緑の山並みとのコントラストが美しい。


★「日光の社寺」は、1999年にユネスコ世界遺産(WORLD HERITAGE)に登録された。

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田河水泡・のらくろ館 (江東区森下文化センター内)

2008年07月23日 | 旅の写真館(日本編)

日本滞在中の7月13日(日)、江東区深川にある田河水泡・のらくろ館を訪問した。

自分が「のらくろ」の面白さに目覚めたのは、今からほぼ40年前、小学校6年生の頃。1969年に復刻された「のらくろ漫画全集」(全10巻)の布製豪華本を、父親に買ってもらった時だった。それに先立って、何の雑誌か忘れたが、雑誌での連載版も折にふれて読んでおり、すでに「のらくろ」は自分にとって、身近なキャラクターになっていた。

この漫画全集では、天涯孤独な身である野良犬黒吉(のらくろ)が、猛犬連隊に入隊し、二等兵→大尉まで出世した後、除隊して大陸開拓に向かうまでのエピソードが連作形式で描かれている。特に、トンカツ将軍率いる豚軍(中国がモデル)との戦いを描いた3部作「のらくろ総攻撃」「のらくろ武勇談」「のらくろ決死隊長」は、今読んでも、息もつかせぬほど面白い。

1970年にはテレビでのアニメ化も実現。ちょうど明治百年に当たっていた時期ということもあって、昭和初期のリバイバル・ブームが起きていたようだ。

あの頃愛読した「のらくろ漫画全集」は、今も実家の本棚で別格の位置にある。まさに、昭和時代を語るのに不可欠な文化遺産と言えるだろう。


★通称「のらくろード」と呼ばれる、高橋商店街。あちこちに「のらくろ」のオブジェが見られる。


★のらくろのキャラクターをそのままお店のモチーフにした、「のらくろ接骨院」の入口。


★ここは帽子屋さんだが、「のらくろ」のキャラクター商品を数多く取り扱っている。


★江東区森下文化センターの入口。この1階に「田河水泡・のらくろ館」がある。


★実物大(?)の「のらくろ」が出迎える、「田河水泡・のらくろ館」。入場無料。


★「のらくろ漫画全集」の復刻本。箱入りの装丁が懐かしい。


★巨匠・田河水泡氏の書斎を再現。ここで、戦前・戦中を代表する多くの名作が書かれた。


調布市深大寺 「鬼太郎茶屋」に行く。(後編)

2008年07月22日 | 旅の写真館(日本編)
今回は、前編で紹介した「妖怪フルーツあんみつ」、「目玉おやじの栗ぜんざい」、「ぬりかべのみそおでん」の3品を賞味した。いずれも昭和の味を満喫できる逸品で、ビールのお摘みには最適だった。他にメニューを飾っていたのが、鳥取県の特産品の数々。どんな風味なのか、空腹時に食べてみないと、その真価は判断できないので、こちらは次回のお楽しみに取っておくことにしよう。

さて、奥座敷でくつろいだ後は、いよいよ2階の「妖怪ギャラリー」と「癒しのデッキ」へ。そして最後は1階に戻り、妖怪ショップ「ゲゲゲの森」を探検する。


★2階へ上る階段。ここから先は靴を脱ぎ、妖怪ポストに100円を投函することになっている。


★「ゲゲゲの鬼太郎」のルーツ、貸本漫画時代の「墓場鬼太郎」の貴重な復刻本。


★深大寺の弁財天池と深い緑を見下ろせる「癒しのデッキ」にて。N姫とねずみ男のツーショット。


★1階の妖怪ショップ「ゲゲゲの森」。オリジナルの鬼太郎Tシャツを売っている。


★水木しげるマンガのキャラクター・フィギュアのコレクション。


鬼太郎のちゃんちゃんこ一反木綿のタオル傘化けの電気スタンドなど、品揃えも豊富。


★訪問したのが七夕の翌日だったこともあって、短冊の飾り付けで賑わっていた。


★鬼太郎茶屋からの帰りに、調布駅前で見かけた鬼太郎バス。すっかり街の風景に溶け込んでいた。

調布市深大寺 「鬼太郎茶屋」に行く。(前篇)

2008年07月21日 | 旅の写真館(日本編)
今年は7月3日から16日にかけて、日本に里帰り。昨年と同じく、前半の1週間はN姫と行動を共にすることになった。

今回の目玉は鬼太郎茶屋。水木しげる氏が50年近く住んでいる調布市に新しくできた名所である。鬼太郎ファンにとっては、水木氏の生まれ故郷・鳥取県境港市と並ぶ聖地になるが、たとえ鬼太郎マンガに関心はなくとも、憩いを求める現代人にはぜひお勧めしたいオアシスだ。

京王線調布駅北口のバス乗り場から、深大寺行きのバスに乗って、約10分(他にも京王線つつじヶ丘駅、JR三鷹駅、吉祥寺駅からもバスが出ている)。バスを降りて、すぐ目の前、緑豊かな深大寺の入口近くにある築40年余りの木造建築が「鬼太郎茶屋」である。


★鬼太郎茶屋の全景。いかにも昭和らしいレトロな雰囲気が、懐かしさを醸し出す。


★壁には、鬼太郎、ねずみ男、目玉おやじが描かれている。


★「ゲゲゲの鬼太郎」の幟が目立つ、屋外喫茶コーナー。


★入口でお客様を迎える、鬼太郎の等身大オブジェ。


★庭に勢ぞろいした、鬼太郎ファミリー。


★ビールや軽食を楽しめる、昭和時代の奥座敷。


★奥座敷に飾られた、「鬼太郎に会えるまち」境港市のポスター。


★当店のお勧め① 妖怪クリームあんみつ。


★当店のお勧め② 目玉おやじの栗ぜんざい。


★当店のお勧め③ ぬりかべのみそおでん。

(後編につづく)

創業87年! 浅草のプロマイド専門店「マルベル堂」

2008年03月03日 | 旅の写真館(日本編)


海外生活が長くなっているせいか、あるいは歳のせいなのか、たまに日本に帰国すると、自分が生まれ育った時代、昭和30年代から50年代にかけてのノスタルジーが、強く湧き上がってくる。現在のようにiPodやCDプレーヤーではなく、ターンテーブルでレコードに針を落としていた時代。テレビが普及して間もなく、東京・横浜あたりの都会でも、まだ市電が走っていたレトロな時代が、妙に懐かしくなってくるのである。

そのような回顧的な気分になった時には、ここに訪問するといいだろう。
知る人ぞ知る、日本で唯一のプロマイド専門店マルベル堂

場所は、浅草の新仲見世通り。小さい入口には、往年のスターのプロマイドがぎっしりと飾られている。地下に降りると、さらにすごい数のプロマイドがある。
なにしろ、大正10年(1921年)5月5日以来、今年で創業87年を迎える老舗なのだ。
スターの顔ぶれも、昭和時代の芸能界を代表する人たちが総出演といった感じである。

ちなみに、マルベル堂では、ブロマイド(Bromide)ではなく、プロマイド(Promide)と呼ぶ。この2つの単語は似ているようだが、意味が違う、というのがマルベル堂での主張なのだ。ブロマイド(Bromide)というのは、臭化銀を用いた印刷紙のことで、その印刷紙に焼いた写真がプロマイド(Promide)になる。実は、プロマイドのほうは和製英語なのだが、すでに長い歳月を経て定着した呼び方なので、実際、その主張は正しいだろう。

マルベル堂が87年間で出版したプロマイド総数は、2380人以上のスター85000版以上にも上るという。現在の若い人たちの間では、プロマイドを集めるという趣味は主流ではなくなってしまったようだが、自分たちの世代が少年時代だった頃は、まるで宝物を集めるように、好きな歌手や芸能人のプロマイドを集めていたものだ。

スターに憧れるというのは、「夢」を育むことにつながる。いつの時代でも、スターは貴重な財産なのである。


★キャンディーズ、ピンク・レディー、山口百恵、松田聖子、・・・と並んでいるすぐ近くには、なんと本田美奈子の新着プロマイド(!?)も。

   
★さっそく買ってしまいました。現在のお店の女主人(?)は、美奈子さんの事務所のボスと個人的なつながりがあるらしく、今後も新しい作品を仕入れる予定とのこと。


★「マルベル堂」のある浅草・新仲見世通り。ちょうど東京マラソンを4日後に控えていて、応援の垂れ幕があちこちに出ていました。

鳥取県境港市 後編(水木しげる記念館)

2007年08月23日 | 旅の写真館(日本編)


★鬼太郎駅(境港駅)の駅の看板。
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今もなお、昭和30年代のレトロな雰囲気を残す、「鬼太郎のふるさと」鳥取県境港市

夜になると、ほとんど人通りはなく、あたりは真っ暗になる。
自分の泊まったホテルも、夜10時が門限だった。
それ以降は、人間ではなく、妖怪の闊歩する時間帯なのである。

そんな、過去に取り残されたような田舎町に、年間100万人を越える観光客が訪れている。

町おこしのきっかけとなったのが、1993年に妖怪ブロンズ像の第1期完成除幕式が行なわれた「水木しげるロード」だが、さらに、この町の人気を決定づけたのが、2003年3月8日、水木しげる81歳の誕生日に合わせて開館された、水木しげる記念館だった。

館内は、以下のコーナーから成っている。
げげの間「水木しげる年代記」…写真でたどる、水木しげるの人生。
水木しげるの仕事部屋…仕事場を忠実に再現。
妖怪の世界…「のんのんばあとオレ」、「妖怪洞窟」、「あやしの土蔵」、「妖怪まぼろし絵巻」からなる、妖怪の博物館。
精霊の間「水木しげるの冒険」…妖怪を求めて、世界中を旅した記録。
2F:企画展示室…「鬼太郎ものしり辞典」を開催中。なつかしい漫画本や、キャラクターグッズなどが、豊富に展示されている。

所要時間は、最低2時間は必要。ひとつひとつの展示物をていねいに見ていくと、半日はかかるかもしれない。

今や、山陰地方を代表するランドマークと言っていいだろう。


★「水木しげる記念館」へ通ずる、本町アーケード商店街。


★「水木しげる記念館」の正面入口。


★「水木しげる記念館」のチラシ(ブローシャー)。
表に「ご利用案内」、裏に「館内見取図」が書かれている。ちなみに、休館日は毎週火曜日(祝日と重なる場合は翌日)。ただし、春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、年末年始は休みなし。

開館時間/午前9時30分~午後5時(受付は閉館30分前まで)。
夏休み期間は、午後6時まで開館。

入館料/一般個人 700円、中学・高校生 500円、小学生・障害のある方と、その介護者1名 300円(20名以上の団体は、1人あたり100円割り引き)