マサチューセッツ州の愛国記念日(Patriot's Day)にあたる4月21日(月曜日)。
昨年、走暦10年目で念願の初出場を果たしたボストンマラソンに2年連続で出場する。
今回は宿泊費を節約する目的もあり、土曜日にあらかじめ日帰りでゼッケン受け取りを済ませてから、1日休んで、月曜日の朝に夜行バスで再度ボストン入りするという方法を取ってみた。バスの中ではよく寝ることができたし、サウス・ステーションで朝食・着替えを済ませる時間的余裕もあり、体調も特に問題なさそうだったので、この方法はひとまず成功したように思えた。
朝8時、ボストン・コモン公園に設けられた所定の場所に荷物を預け、ホプキントン行きのシャトルバスに乗る。1時間後、アスリートビレッジに到着。NYC・ボストン間の4時間20分よりも、この1時間のほうが長く感じた。郊外から街に向かうワンウエイ・コースの時はいつもそうなのだが「これだけの距離を走って戻るのだろうか」と思うと、気が遠くなってくる。
さて、今回は参加者が大幅に増えた影響もあり、スタートは第3ウエーブ(青ゼッケン)の第1コラルとなった。朝は涼しく、アスリートビレッジを出るまでは脱ぎ捨て用のジャケットを羽織っていたが、午前11時のスタート時になると日差しが強くなり、思いのほか気温が上がってきた。この不意打ちのような暑さがレース展開にも影響を及ぼすことになる。
そうこうするうちに、スタートの合図。市民マラソン大会の最高峰、ボストンマラソン2度目の舞台。
人生のハイライトになるであろう激動のドラマが幕を明けた。
Mile 01: 8分17秒(08分17秒)Hopkinton
Mile 02: 8分08秒(16分25秒)
Mile 03: 8分18秒(24分43秒)Ashland
Mile 04: 8分14秒(32分57秒)
Mile 05: 8分28秒(41分25秒)
Mile 06: 8分22秒(49分47秒)Framingham
2マイルまでがホプキントン(Hopkinton)。3~5マイルがオリジナル・スタート地点があったアシュランド(Ashland)となる。
昨年のレポートには「スタートから一気に下って、ぐぐっと上り、また下っていくという序盤戦。基本的に4マイルまで下り基調が続く」と書いてあるのだが、今回走ってみると、下り基調であるはずの区間にも、微妙な起伏が混在していることがわかる。昨年は調子もよく、初ボストンで夢中になっていたこともあって、小さな上り坂が記憶に残らなかったのだろう。
3月のシャムロックマラソンもそうだったが、ここ1~2ヶ月のレースは今一つ調子がよくない。頑張ってスピードを出しているつもりなのに、タイムに反映されないのである。今回も最初の4マイルまでは8分20秒以内のペースで通過したが、5~6マイルは8分20秒を越えてしまった。
ボストンマラソンは正式な記録を証明できる登録タイム順のコラルになっているので、自分の周囲は同レベルのランナーが集まっているはずなのだが、若いランナーは伸び盛りなので、登録タイムより速く走れる人が多く、年長のランナーは登録タイムほどのスピードを出せない人が多い。自分は後者なので、無理のないペースで走ろうとすると、周囲のランナーにどんどん追い抜かれていくという現象が起きるのである。
5マイル地点を過ぎるとフラミンガム(Framingham)。街の大通りには消防隊も繰り出し、にぎやかな応援ポイントが延々と続く。この街ばかりではなく、コース全体を通して、昨年の悲劇を市民一丸となって乗り越えようとする「ボストン・ストロング」の心意気が熱く伝わってくる。
Mile 07: 8分19秒(58分06秒)
Mile 08: 8分24秒(1時間06分30秒)Natick
Mile 09: 8分19秒(1時間14分49秒)
Mile 10: 8分31秒(1時間23分20秒)
Mile 11: 8分34秒(1時間31分54秒)
Mile 12: 8分25秒(1時間40分19秒)Wellesley
Mile 13: 8分38秒(1時間48分57秒)
中間地点通過: 1時間49分53秒
7.5マイル過ぎからナティック(Natick)に入る。ふつうなら体が温まって自然にスピードが上がってくるところなのだが、相変わらず足取りが重く、周囲のランナーに追い抜かれる展開が続く。しかも追い越していくランナーのほとんどが若い女性である(男性は55歳以上しか存在しないタイムゾーン)。よく観察してみると、ピッチは同じでも一歩ごとのバネが違う。「若さ」と「老い」の厳しい現実を見せつけられてしまう辛い瞬間である。
10マイル目では、ついに8分30秒を越えてしまう。こうなってくると、とても好タイムを狙える状況ではない。無理に挽回しようとすれば、ますます撃沈の危険性が高くなるのは目に見えている。こういう時は、まず現実を受け止め、反撃のチャンスに向けて冷静に準備するしかない。ということで、第1回目のハニー・スティンガーを補給する。
やがて12マイル地点に到達。ここからが、かの有名な女子大のあるウェレスリー(Wellesley)。
沿道に黄色い大歓声がこだまする。「Kiss Me!」のプラカードを持つ女子大生であふれかえるコースの右沿いの位置をキープしたまま、差し出された手から手にハイタッチ。これが楽しみでボストンに来るランナーも多いのではなかろうか。
13マイルの表示を過ぎると、ほどなく中間地点を通過。1時間49分53秒。
昨年よりも2分以上遅い。それでも数字の上では、このままのペースで後半ハーフを走れば、3時間39分台でギリギリBQ達成となるのだが、とてもそこまでの余力がないことは、この時点でよくわかっていた。
Mile 14: 8分31秒(1時間57分28秒)
Mile 15: 8分31秒(2時間05分59秒)
Mile 16: 8分13秒(2時間14分12秒)
Mile 17: 8分45秒(2時間22分57秒)Newton・・・上り1
Mile 18: 9分00秒(2時間31分57秒)・・・上り2
Mile 19: 8分49秒(2時間40分46秒)
Mile 20: 9分11秒(2時間49分57秒)・・・上り3
このレースには公式のペーサーは存在しない。しいて言えば、自分と同じコラルのランナーは全員がペーサーになりうるのだが、前述のように、周囲のランナーは登録タイムより速くなっている人が多く、ついて行こうと思った女性ランナーにはことごとく振り切られてしまうという状況が続いた。
ところが15マイルくらいになると、後ろのコラルのランナーが追いついてくるので、比較的周囲のペースと合わせやすくなってくる。
そんな中でNYC在住のT子姫が登場。現在の走力は自分と同じくらいなので、しばしの間ペーサーの役割りを果たしてもらうことになった。
ここで2度目のハニー・スティンガー補給を開始。遅まきながら反撃に移るきっかけとなるはずだったが…
この時、自分の身に少なからず異変が起きていることに気がつく。
なんと、胃が固形物を受け付けないのである。なぜだかわからないが、グミを口に入れた瞬間から拒否反応が起きる。
仕方がないので、飴を舐めるような感じで1粒づつ口に含みながら、よく噛んでゆっくり飲み下すようにした。
17マイル目でニュートン(Newton)に入り、最初の大きな上り坂に出くわす。その坂の途中で先行していたT子姫が一瞬歩きかけたので、すかさず追い抜くものの、しばらく走ると追いつかれ、再度先行を許す。18マイル目の大きな上り坂も同様に、途中でT子姫が歩きかけたところを追い抜く・・・という具合に、19マイルくらいまで、追いつ追われつの接戦を続けた。
そして20マイル。3番目の大きな坂を9分以上かけて上る。胃は相変わらずおかしかったが、5マイルかけてどうにか2度目のハニー・スティンガーの補給を完了。あとはゲータレードと給水のみで乗り切ろうと決意し、運命のラスト・クウォーターに突入していった。
Mile 21: 9分44秒(2時間59分41秒)・・・上り4(Heart Break)
Mile 22: 8分55秒(3時間08分36秒)
Mile 23: 9分09秒(3時間17分45秒)Blookline
Mile 24: 9分07秒(3時間26分52秒)
Mile 25: 9分13秒(3時間36分05秒)
Mile 26: 9分04秒(3時間45分09秒)Boylston Street
そして21マイル目、ハートブレイク・ヒルを迎える。道路にもハートが割れる絵が描いてあるので、まさしく「これ」とわかる正念場。
昨年はこの区間をマイル9分以内で上りきったのだが、今年は厳しかった。
坂の途中で脚が止まりそうになりながらも、かろうじて止まらず、歩きたい誘惑にかられながらも、最後まで「走っているのだ!」という意思表示だけは忘れることなく、本当に心臓が破れるのではないかという恐怖と闘いながら、9分44秒かけて上り切った。
こういう難所を何の苦痛もなく上ってしまう人など、可愛くない。きついところはきつい、苦しいところは苦しんでこそ、人間なのだ。
「苦痛こそ誇り」2度目のハートブレイクを越えて得た凡才ならではの格言である。
坂を上りきってからの22マイル目はボストンカレッジ沿いの下り坂となる。ここも応援がすごく、気分が高揚してスピードが出るところだが、今回はこのあとに来る上り坂を意識していたので、なるべくエネルギーを温存しつつリラックスして駆け下りるようにした。
そしてブルックライン(Brookline)に突入する23マイル目。昨年はこの区間の最後に来るなんでもない上り坂で息の根を止められたので、今年は最初から警戒し「そら来た!」という感じで無事に乗り越えることができた。体力的にはすでに限界線を越えていたが、気持ちの上ではここで少し復活の兆しが見えてきた。
そして24マイル地点。ボストン市街が近づくにつれて応援がものすごい規模に膨れ上がる。どこから出てきたのか、沿道は切れ目のない人、人、人の群れ。市民の誰もがこの日を待ちわびていたのではないかと思われるような大歓声の中、異様なエネルギーに満たされて走り続けた。まさに「ボストン・ストロング」の魔力である。
25マイル地点を通過。昨年は多くのランナーがここでレースの中止を余儀なくされた。夢にまで見たボストンの「最後の1マイル」が幻と消えてしまったのである。その無念さは、走り続けてきた者にしかわからない。この日のマラソンを走る最大の目的こそ、彼らの失われたラスト・マイルに栄光を与えることなのだ。
そしていよいよ全世界が注目するボイルストン・ストリートに突入!
最後のコーナーを左に曲がると、青と黄色のボストン・カラーに彩られたゴールゲイトが遥か彼方に見えてくる。四海万里を越え、地球上のすべての国々から届いてくるような、ものすごい大歓声! 1年越しに帰ってきた栄光のビクトリー・ロードを、共に走り、共にサポートするすべての人々と分かち合える感動に満たされながら、今、歴史に残る第118回ボストンマラソンのゴールに到達した。
Finish Time 3時間46分55秒(8:40/mile)。
な・な・なんと3時間40分台完全制覇を達成!(唯一経験していなかった3時間46分台をマークすることによって、3時間40~49分台のオフィシャルタイムをすべて記録。)
地味な金字塔ではあるものの、タイムそのものは誇れるものでもなんでもない。
でも、あえて誇りたいと思う。
自分ができる範囲で、精一杯の死力を尽くしたという事実において・・・
ゴールの瞬間、周囲の世界はすべて真っ白になった。一気に体の力が抜け、二歩、三歩と進むたびに足元がふらついた。メディカルの女性が駆け寄ってくる。「大丈夫?」
自分は首を振った。何だろう? 貧血だろうか?
自力では歩けないので、抱きかかえられながら給水所を移動した。
(実はこのあたりの記憶が飛んでいる。あとでオフィシャル写真を見ると、完走メダルをもらった時点では自力で歩いている様子なので、もしかしたらゴール直後ではなく、多少の時間差があったのかもしれない。)
ゲータレードの飲み場まで来て、ひとまず腰を下ろす。すると今度は恐ろしい痙攣が両足を襲った。猛烈な痛みで意識を失いかける。すぐに別のメディカルの女性が駆け寄ってきて、応急のマッサージを施す。
左右のふくらはぎ、左のふともも、右の指先、ありとあらゆるところに痛みが走り、とても生きた心地がしない。もちろん立ち上がって歩ける状態ではないので、すぐさま車椅子に乗せられる。人生初の車椅子体験。メディカル・テントに運び込まれ、仮設ベッドに横たわった。
血圧検査を受け、マッサージを受けているうちに、少しづつ、貧血のような症状は収まってきた。こういう時は、看護している女性が天使に見えてしまう。周囲の光景はいつもの天然色を取り戻し、視界は正常に戻った。痙攣はまだ時おり襲ってきたが、ゲータレードをガブ飲みしているうちにどうにか峠は越えてきた。
自力で歩けるまでには1時間くらいかかっただろうか。思い返してみれば、ハートブレイク・ヒルを上っているあたりから、両脚のふくらはぎに過度の負担がかかっているように感じていた。ボストンのコース、自分には少し強度がありすぎるのかもしれない。
46回フルマラソンを走って、初めてのメディカル体験。
マラソンはいつも無事にゴールするのが当たり前と思っていたが、決して当たり前でないことを思い知らされた。
死力を尽くして頑張れば、ほんとうに死んでしまうこともありうる。
それだけの覚悟がなければ、マラソンを全力で追い込むことはできないのではなかろうか。
栄光のボイルストン・ストリート。
昨年とは別の意味で、生死の分かれ目を実感させられる舞台となった。
■MEMO■
総合順位 14438位/31931人中
男女別順位 9598位/17575人中
年代別順位 724位/1778人中
★「われわれは一緒に走る」まさしく、ボストン市民は常にランナーと共に走っていた。
★レースの前日、ボイルストン・ストリートに設置されたゴールゲイトに多くの人たちが集まる。
★EXPO会場。ここに来る人たちのほとんどは、見事なランナー体型。さすがに市民マラソン大会の最高峰である。
★EXPO会場でバッタリ出逢ったビズラ姫と1枚。1月のヒューストンマラソン以来の再会である。
★ボイルストン・ストリートの横断幕をバックに記念撮影。
★レース当日、アスリートビレッジの入口。
★アスリートビレッジからスタートコラルに向かう。第3ウエーブなので女性ランナーが圧倒的に多い。
★スタートラインにて。後ろに見える建物がボストンマラソンを主催するB.A.A.本部。
★ゴール後、メディカルから開放され、ボストン・コモン公園で記念の1枚。
★打ち上げ会場には北米コミュの仲間たちが集まる。
★完走メダルとお土産のボストンTシャツ。これで2013年、2014年のコレクションが揃った。
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