375's ROAD TO BOSTON/ゴールは虹の彼方に

米国在住ランナーの究極目標「ボストンマラソン」とアメリカ50州制覇を目指す人生の旅日記。

マラソン大会予定

◆2015年1月18日 HOUSTON MARATHON(TX州=2年連続2回目) ◆2015年4月20日 119TH BOSTON MARATHON(MA州=3年連続3回目) ◆2015年10月4日 TWIN CITIES MARATHON(MN州=初出場/米国26州目)

この日は・・・本田美奈子さん、デビュー22周年記念日。

2007年04月20日 | 本田美奈子.記念館

1985年4月20日、「殺意のバカンス」でレコード・デビューを飾った、本田美奈子さん。今日は、デビュー22周年の記念日である。

残念ながら、もう生の歌声を聴くことはできなくなってしまったが、この記念日に先立って、アイドル時代に所属していたEMIから、未発表音源8曲と秘蔵DVDを含むメモリアル・ベスト『ANGEL VOICE』、そして、クラシック歌手として貴重な名録音を残したコロムビアからは、選り抜きの14曲を集めた『Classical Best ~天に響く歌』が発売された。

また、2点の新譜CDと同時に、彼女の38年間の生涯にスポットを当てた伝記本『天に響く歌: 歌姫本田美奈子.の人生』(ワニブックス)も発売。こちらの内容は、NYCの日系紙にも記事が掲載されており、NYCに住む日本人の間でも、話題が広がっている。(姉妹ブログ「ミナコヴィッチ選手の音楽玉手箱」参照)

以上の新譜2点+伝記本は、まだ太平洋上を空輸中(?)なので、手元に届くのは週明けになるかもしれない。ということは、ナッシュヴィルへのマラソン旅行に出かける直前だ。この分だと、旅行中は、ずっと美奈子さんのCDを聴いていることになるだろう。


本田美奈子.追悼シングル「wish」 ~生きる意味は、生きること。

2006年11月10日 | 本田美奈子.記念館

INOUE AKIRA & M.I.H. BANDwish」  (2006年11月1日発売) UUCH-5074

CD  1. wish   2. requiem ~wish~ 3. wish (original karaoke)
DVD  1. requiem ~ wish/documentary   2. wish ~original clip
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本田美奈子さんが天に召されて、ちょうど1年後の11月6日(月曜日)、故郷・朝霞市の会場に美奈子さんゆかりの人たちが多数集まり、追悼コンサートが行なわれた。コンサートの様子は、Minako Fan Worldをはじめとするファンサイトで、詳しく紹介されているので、そちらを参照して頂ければよいと思う。自分もぜひ参加したかったのだが、この時期は、あいにく、帰国の都合がつかない。ちょうど、ニューヨークシティ・マラソンと重なってしまうのである。

昨年のニューヨークシティ・マラソンは11月6日。まさに同日だったのだ。自分が美奈子さんの悲報を知ったのは、レースの終了後だったが、もしも、レースの直前に知っていたら、ショックで走れなかったかもしれない。

さて、美奈子さんの一周忌に先立って、「wish」と題する追悼シングルが発売された。発売一週目にして、オリコン初登場4位と、好調な滑り出しである。

すでに多くの人がご存知の通り、この曲はもともと、美奈子さんのクラシック・アルバムのサウンド・プロデュースを担当した井上鑑氏の呼びかけで、病床の美奈子さんを元気づけるために送り届けられたデモ・クリップであり、美奈子さんが無事に回復すれば、これが復帰第1作となる予定だった。

その願いは叶うことなく終わったが、美奈子さんが病床で書き残した言葉をもとにして歌詞が付けられ、福山雅治ほか、デモ・クリップに協力した同じメンバーの演奏で、美奈子さんへの追悼シングルとして日の目を見ることになったのである。

曲想は、力強く、スケールが大きい。さすがに、復帰第1作の想定で作られた曲だ。もしも、当初の予定通り、美奈子さん自身が歌っていたとしたら、「つばさ」に匹敵する代表作になっていたかもしれない。J-POP世代にもアピールできるロック・バラードでもあるので、若い人たちの間にも、「アーティスト・本田美奈子.」の素晴らしさは、広く認識されたことだろう。

歌詞は、まさしく、美奈子さんが最後に伝えようとしていたメッセージだ。

「駆けまわるこどもなら 素直に感じること 風が気持ちよいこと ただ忘れていた・・・」「ひとにつながりながら いま生きていること 時は そっと教える 時が きっと愛おしくなる・・・」「生きる意味は 生きること 探しながら 迷いながら 生きるために 生きること かけがえのない日々 ただ抱きしめて・・・」

人生の目的とは何だろうか、という哲学上のテーマに対して、ここに一つの回答が与えられているのではないだろうか。生きる目的は、生きることそのものにある。これが、生死をさまよう闘いを通して、美奈子さんが得た結論かもしれない。この世に生存する、あらゆる生物は、意識しようとしまいと、懸命に生きているのだ。生きようとする意志そのものが、この世界を存続させるエネルギーにつながる。そう本能的に感じ取っているかのように。

生きることの尊さを実感すれば、一部の人たちのように、生きることを放棄したり、殺し合いをすることなどは、考えられなくなるはずだ。

もし、死にたくなるような辛い目にあったなら、美奈子さんの歌を聴いてほしい。国家の指導者も、美奈子さんの歌を聴くべきだ。その言葉と歌声から、地球に生まれた、かけがえのない細胞の一員として、生きるために必要な多くのことを教えられるはずだから

美奈子天使のご加護? 風のうた(ソングオブウインド)、菊花賞を制す。

2006年10月25日 | 本田美奈子.記念館
メイショウサムソン、史上7頭目の3冠馬なるか? の話題で盛り上がった、先日の第67回菊花賞レース。しかし、1番人気に推されたサムソンは、最後の直線で伸びず、4位に終わる。あらためて、クラシック3冠制覇の難しさを思い知らされた。

そして、今年の菊花賞を制した馬の名前は、「ソングオブウインド」・・・つまり、「風のうた」である。

風のうた」といえば、当ブログのタイトルにも採用された、本田美奈子.さんの歌う名曲だが、ファン以外の人には、あまり馴染みがないかもしれない。まだ聴いたことがないという人は、ぜひとも、この曲が収録されているアルバム「I LOVE YOU」(2006年3月29日発売 MJCD20054)をお買い求め頂きたいと思う。世に知られたアイドル時代とは一味違う、魅惑の美奈子ワールドに酔いしれること、請け合いである。

永遠の天使になってから、もうすぐ1年。それにしても、美奈子天使のご加護が、競馬のレース結果まで左右してしまうとは・・・。やはり人知を超えた霊的存在に、不可能の文字はないのだ、と思わざるを得ない?

昇天後一周年を迎えて、美奈子さん関連のCDが、続々とリリースされる。

まず11月1日に、本田美奈子.追悼シングルとして発売される「wish」。すでにジャケットも決まり、店頭に並ぶ日まで秒読み段階となった。

この曲は本来、闘病生活を送りながら、「元気になったら、また歌いたい」と願っていた美奈子さんの強い思いを受け、サウンドプロデューサーの井上鑑氏が作曲したもので、退院後に、本田美奈子.復帰第1作として、発表されるはずだった。

その思いは結局叶うことがなかったが、のちに美奈子さんが病床で書き溜めていた詞をもとにして、歌詞が完成。井上鑑氏の呼びかけに賛同した福山雅治をはじめとする日本を代表するミュージシャンたちが『井上鑑&M.I.H.バンド』を結成し、一大プロジェクトとして、世に出ることになったのである。

さらに12月6日には、美奈子さんが1990年代に録音していて未発表だった幻の名曲集が、日本クラウンから発売される。収録が予定されているのは、「優しい世界」「Sweet Dreams」「Flower」「満月の夜に迎えに来て」。

「満月・・・」以外の3曲は、もちろん一度も聴いたことがない。その「満月・・・」にしても、ミューズのCDしか持っていないので、美奈子さんの歌声で聴けるのは、今回が初めてなのである。この4曲の他に、「Shining eyes」「Sweet Dreams」のリミックスが加わり、初回限定版のみ、「impressions」をバックにしたプライヴェート映像のDVDが付くという。

1年遅れのデビュー20周年だったが、この1年だけでも、素晴らしいプレゼントが目白押しだ。この調子で、来年あたりは、ライブDVDのリリースも期待したいと思う。

「美奈子.ロード」は、これからも続く。

2006年08月16日 | 本田美奈子.記念館



渋谷・原宿のイベントから、NYCの仕事場に復帰して、3日目。まだまだ興奮は冷めやらず、仕事をしている間にも、あの素晴らしい展示会と、フィルム・コンサートの情景がよみがえってくる。

家に帰ったら、真っ先にパンフレットを開いて、素晴らしい写真の数々に見とれる自分がいる。そして、ところどころに綴られた美奈子さん自身の言葉をかみしめながら、彼女が歩んできた軌跡に、思いを馳せるのだ。

 険しくても私だけの道、
 ― 美奈子.ロードを歩んでいきたいという気持ちは
 デビューのときからありました。

その言葉通り、分岐点を迎えた時には、あえて困難な道を選び、そのたびに歌手として、人間として、大きく成長していった美奈子さん。志半ばにして病に倒れたとはいえ、まぎれもなく、人生の勝利者として、人々の記憶に残ることだろう。

今回のイベントを見て、ひとつ確信したことがある。

それは、「美奈子.ロード」は、まだ終わっていない。それどころか、これからも、永遠に続いていくということだ。

音楽史や美術史をひも解けばわかるように、本物の芸術が忘れ去られることは、絶対にない。時代が新しくなれば、そのたびに、新しい理解者が現われる。

美奈子さんの歌には、いかなる暗闇も突き抜け、まっすぐに心の琴線を直撃する力がある。自分は専門家ではないので、歌の技術的な面については、語ることはできないが、芸術というものは、まず「始めに感動ありき」だと思う。それ以外の理論は、あくまで、補足にすぎない。

フィルム・コンサートの終了後、多くの若い人たちが、涙ながらに会場をあとにしていくのを、自分は見た。心配はいらない。美奈子さんの伝説は、必ず、次の世代の人たちに受け継がれていくだろう

今回の“舞輝(BUKI)”ツアーは、「2006-2007」と銘打たれているように、少なくとも、今年から来年にかけて、全国を巡回していく企画であるようだ。どうか、1人でも多くの人が、美奈子さんの素晴らしい歌に心を癒されることを、願うものである。


「本田美奈子.追悼展 LIVE FOR LIFE IN SHIBUYA 2006」を見る。

2006年08月14日 | 本田美奈子.記念館



8月11日の午後、成田空港に降り立ったその足で、渋谷に直行。4時30分ごろ、東急デパート本店にたどり着く。見上げると、催し物の垂れ幕に書かれた「本田美奈子.追悼展」の文字が目に入る。

「ついに来た…」

初めて参加する、本田美奈子さんの追悼イベント。こみ上げる感慨と共に、会場となっている7階まで、ゆっくりとエスカレーターを上っていった。



会場入り口では、美奈子さんの大きな看板が出迎えてくれた。

1年遅れのデビュー20周年 本田美奈子.追悼展 LIVE FOR LIFE SHIBUYA 2006

さっそく、窓口で、ラフォーレ原宿のフィルム・コンサートと組になっているチャリティー鑑賞券を買い、展示室へ入っていった。

まずは、展示パネル写真で振り返る、「本田美奈子.の軌跡」。1967年の出生から、2006年のアルバム「心を込めて・・・」までを、各年度1枚づつの写真で、人生のダイジェストを追っていくコーナーである。「その年のおもな出来事」も併記されてるので、自分の人生・思い出と重ね合わせて、あらためて感慨にふけることもできる。

展示品では、美奈子さんが勉強用資料のために作った「美奈子のえとせとらテープ」(30本入りBOX)が目を引く。書かれた年号を見ると、1993年から1995年までなので、ちょうどアルバム「Junction」と「晴れときどきくもり」を発表した時期。テープには、さまざまな洋楽アーティストな名前が、かいま見え、美奈子さんの研究熱心ぶりがうかがえる。

同じ展示ケースには、美奈子さん愛用の「火打ち石」がある。その日の幸運を願い、邪気を払い、気持ちを落ち着けるために、ステージ前に使用したという。聞くところによると、けっこう「あがり症」でもあったらしい美奈子さん。負けず嫌いで、気の強い一面と、ナイーブでデリケートな一面をあわせ持つ素顔が伝わってくる。

別の展示ケースを見ると、昨年受賞した「レコード大賞・特別功労賞」と、今年受賞した「誰ピカアート大賞」の賞状がある。さらには、これまでに受賞したトロフィーの数々。1980年代にヒットチャートを賑わせた当時のオリコンの雑誌・・・ と貴重な記念品が並ぶ。

衣装の展示も充実している。コンサートの衣装、ミュージカルの衣装、カレンダーの撮影用に使われた衣装・・・。衣装には詳しくないので、ひとつひとつを解説することはできないが、どれを着ても、天使のように、美しく映える。

ミュージカルの楽屋を再現したコーナーもある。「ミス・サイゴン」出演の時期に、森光子さんから贈られたという暖簾(のれん)を、ずっと大切に使っていたという。鏡台、かばん、キーボードを見ても、ひとつひとつの道具に対して、愛情がこもっている。決して使い捨てをしないところは、さすがだ。

美奈子さんの素晴らしさは、歌の素晴らしさのみにとどまらない。特筆すべきは、地球・人類そのものへの愛情。たとえば、今回も展示されている「地球へ」という詩は、戦争や自然破壊を憂い、滅亡の危機へ突き進もうとする人類に警鐘を鳴らす、平和へのメッセージである。



展示室の外に出ると、美奈子さんへのメッセージを紙に書いて、貼り付けることができるボードがある。これらのメッセージを、少し読んでみるだけでも、美奈子さんがいかに幅広い人たちに愛されているかがわかる。明らかに小学生と思えるメッセージもあるし、ご年配のものと思われる筆跡のものまで、さまざまだ。

自分も、緑のサインペンで、「美奈子さん、会いに来ましたよ」で始まる、ぎこちない一文を残してきた。とにかく、この場に来るのが夢、だったことを表現したかったのだが、いざとなると、なかなか気の利いた文章は書けない。

見ると、すぐそばに、美奈子さんのお母様からのメッセージもある。



「美奈子 いつも一緒だからね お母さん、泣かないから!」

そうだ。美奈子さんを愛する人にとっては、いつも美奈子さんと一緒なのだ。
地理的にいくら離れていても、問題はない・・・と、思わず勇気づけられる。

別のパネルには、現在、最も売れているアーティストからの寄せ書きもあった。



これは2005年2月、大阪で行なわれた「DREAM LIVE 2005」というイベントでの寄せ書きで、この時出演した倖田來未さんからのメッセージである。「早く元気になって下さい。いつか同じステージで 歌わせてください。」という一言に、美奈子さんに対する、ほのかな尊敬の気持ちがうかがえると思う。

最後に、美奈子グッズの販売コーナー。この機会に、LIVE FOR LIFEの黒いTシャツ美奈子さんがデザインした赤いタオル公式パンフレット2種(朝霞と今回の分)を購入して、ひとまず会場を後にした。

翌日(8月12日)行なわれるラ・フォーレ新宿でのフィルム・コンサートへの期待に、胸をふくらませながら。(フィルム・コンサートのレビューはこちらをご覧下さい)


「本田美奈子.フィルムコンサート“舞輝(BUKI)”」を見る。

2006年08月12日 | 本田美奈子.記念館

先ほど、ラ・フォーレ原宿での「本田美奈子.フィルムコンサート“舞輝(BUKI)” TOUR 2006-2007」を、見てきたところだ。記憶が鮮明なうちに、とにかく、今の感動を書き残しておこうと、渋谷のネットカフェに飛び込んだのである。

自分が見たのは、第1回目の午後1時開演の上映だった。どれだけの混み具合になるか見当がつかなかったので、1時間半前の午前11時30分に会場に到着してみると、すでに20人以上の列ができている。全館300席ということなので、これは余裕だ・・・と思いきや、後から来た人たちが、次々と、自分の前方のほうに並んでゆくではないか。どうやら「ぴあ」で前売り券を購入した人たちが、優先的に入場できるらしい。

それでも、心配は杞憂だった。12時15分の開場時には、問題なく、中ほどの良い席を確保することができた。周囲を見渡すと、さまざまな年齢層の人たちの姿が見える。ふだんはあまり音楽を聴きそうもない年配の方々から、子供連れの夫婦、若いカップルまで、実にバラエティに富んでいる。自分のような美奈子ファンもいれば、通りすがりに興味を持って立ち寄ってみた人たちも、少なくないようだ。

午後1時になり、上映が始まる。まずは、美奈子さんが出演したテレビCMの特集。懐かしいカルビー・ポテトチップスの3種類のCM、佐藤製薬のストナエース、東芝扇風機「風のイマージュ」、ろうきんのCMが2種類、シャワランのシャンプーとリンスに、同社の牛乳粉石けん・・・と続く。こういうテレビ時代があったんだよと、若い人たちに紹介する意図がうかがえる。

続いて、いよいよ本編。まずは2004年のライブから2曲、①誰も寝てはならぬ ②アメイジング・グレイス。②のほうは、すでにDVDで出ているのと同じライブ映像だが、①のほうは、②と同じ衣装であるところを見ると、同日に行われたライブのようだ。これを歌う美奈子さんは、声量といい、迫力といい、まさにオペラ歌手顔負け。文句なく、すごい。まるで、時速100マイルの剛速球でいきなりストライクを取られたかのように、呆然としてしまった。

この2曲が終わると、昔にタイムスリップし、1987年の3つのヒット曲 ③Oneway Generation ④孤独なハリケーン Crazy Nights のメドレー。「ミュージック・ステーション」等での映像と思われ、いずれも、切れ味がよく、パンチの効いた若き美奈子さんのパフォーマンスを堪能できる。

続いて、MINAKO with WILD CATS時代(1988年から1989年)の ⑥勝手にさせて 愛が聞こえる あなたと、熱帯

この時期の映像は貴重だ。セールス的には壁に当たった時期でもあるので、素通りされることも多いのだが、再評価の進んでいる今、この時期のライブDVDを、「元祖J-POP」という触れ込みで出しても面白いと思う。

この後、ふたたびCM映像の特集となり、グリコ・ポッキー、AUREXのCDコンボ、「つばさ」を歌ったオッペン化粧品、が登場する。

ここからはミュージカル・ナンバーとなり、⑨命をあげよう(「ミス・サイゴン」より) ⑩オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より) ⑪ララバイ(「十二夜」より) ⑫FRIENDS(「クラウディア」より)、が歌われる。

この中で、圧巻だったのは⑩だ。CDでは、アルバム「心を込めて・・・」に、デモテープからのテイクが収録されていて、もちろんそれはそれで素晴らしいのだが、今回、劇中で歌われる同曲は、本当に鬼気迫るものがある。これぞ、完成版の「オン・マイ・オウン」だと思う。ミュージカルの場合は、全体をDVD化するのは難しいかもしれないが、せめて美奈子さんが歌う、この曲の部分だけ、市販できるようにはできないだろうか、と願わずにはいられない。

この後は、いよいよクラシック・アルバムの夢がかなう時期のナンバーとなる。
AVE MARIA ニューシネマ・パラダイス ⑮Time To Say Goodbye、が情感たっぷりに歌われると、「ありがとう」の詩の朗読をはさんで、本日のクライマックス、⑯つばさ ⑰ジュピター ⑱1986年のマリリン、のライブ映像となる。

ここでの⑯は、野外ライブで、場所は阿蘇と聞いたことがあるのだが、素晴らしい演奏だ。ゆっくり目のテンポが雄大なスケールを生み、文字通り、大空へ飛翔していくような感動に包まれる。やはり、圧倒的な名曲。しかも美奈子さんは、あのロングトーンの間、顔色ひとつ変えず、ごく普通に、にこやかな笑顔に戻っていくのだ。ほんとうに、すごい人だと思う。

⑰⑱も、すごい。クラシック音楽の名曲「ジュピター」の、荘厳なドラマが幕を閉じたかと思いきや、そのままの衣装で、「1986年のマリリン」の華麗なダンスが始まる! 

魔法のような離れ業だ。まさに、歌の女神ディーバ)と呼ぶにふさわしい。ふだんテレビで見かけるような歌手とは、格段にレベルの違う存在。間違いなく、日本最高、いや、世界最高かもしれない

これが、ほんとうの芸術というものだと思う。「うまい」とか「美しい」とかいう次元ではなく、「圧倒的に、ものすごいもの」。芸術とは、まさに爆発であり、落雷のような衝撃の伴うものなのだ。

自分は初めて、感傷ではなく、歌の力だけで、泣いた
芸術のすごさを教えてくれる、ほんとうの大歌手。

午後1時開演の上映のあと、少し時間を置いて、第4回目の5時30分開演の上映を再び見た。今度いつ見れるかわからないので、目に焼き付けておきたかったのだ。

明日は、もうアメリカに戻らなければならないが、まだ、渋谷の追悼展について書いていないので、後日、アップしたいと思う。


★「ラ・フォーレ原宿」 ここの6階のミュージアムで、本田美奈子.フィルム・コンサートが行なわれた。


再び日本へ出発!「LIVE FOR LIFE 2006」のイベントへ。

2006年08月09日 | 本田美奈子.記念館

今年の夏休みは、7月30日から8月2日までの2週間で、ひとまず終えた。この2週間で、日本に帰国し、7月26日のTBS番組「ドリームプレス社・特別編」を録画することができたし、7月31日の「本田美奈子 メモリアル・トリビュート」のライブも見ることができた。

これだけでも、大きな収穫ではあるのだが、実は、まだ思い残していることがある。

これで夏休みが終わってしまうと、8月4日から13日にかけて開催されている「本田美奈子.追悼展 LIVE FOR LIFE IN SHIBUYA 2006」と、8月12・13日の両日にラ・フォーレ原宿で行なわれる「本田美奈子.フィルムコンサート“舞輝” TOUR 2006-2007」を見ることができないのだ。

前回の朝霞市でのイベント(4月23日)は、帰国の都合がつかず、惜しくも見逃してしまった。なので、今回ばかりは、指をくわえて見ているわけにはいかない。この機会も逸してしまうと、永遠にチャンスはなくなる・・・ と本気で心配しなくてはならない。

さんざん悩んだ末、経済的に多少の無理は承知で、もう一往復、日本への旅に出ることを決心した。題して「2006年日本への旅 PART2」。わが人生、一期一会の大暴走(?)である。

幸い、妻はあきれながらも、了承してくれた。自分の美奈子病に気づいているようでもあるし、ある程度は、予想していたのかもしれない。
ただし、会社のほうは、そう長い間休むわけにはいかない。2週間の夏休みを取ったばかりなので、再び長期休暇ということになると、仕事も追いつかなくなるし、リストラの危機も高まってくる。

慎重に検討した結果、木・金の2日間のみ有給休暇をもらい、土・日と合わせて、2泊4日の旅に出ることにした。つまり、米国時間の8月10日に出発して、日本時間の11日夕方に到着。その足で、渋谷の追悼展に行き、翌12日原宿のフィルムコンサートを見て、13日に日本を出発・・・ という強行スケジュールである。

しかも、NYCハーフ・マラソンまで、あと2週間に迫っているので、12日と13日の朝には、皇居周遊の走り込みも行なう予定だ。

体力の限界への挑戦になるかもしれないが、こういう場合に備えて、鍛えているわけでもあり、まあ、大丈夫だろう。

いずれにしても、今回の旅が、わが人生史に残る劇的なひとコマになることを、期待したいと思う。


7/31 本田美奈子 メモリアル・トリビュート。

2006年08月01日 | 本田美奈子.記念館



7月31日、本田美奈子さんの39歳の誕生日をお祝いするライブ・コンサートが、四ツ谷の「LIVE INN MAGIC」という会場で行なわれた。午後7時の開演から、気がつくと10時をまわっている、という長丁場をまったく感じさせない、充実したひとときだった。

参加アーティストは、まず、15~17歳の女の子4人組のユニット「pinkish(ピンキッシュ)」。彼女たちは、埼玉県大利根町から誕生した、「童謡のアイドルユニット」とのこと。この日は、自分たちの持ち歌数曲のほか、第2部のトリビュートの時間では、美奈子さんの「青い週末」を、踊り付きで披露してくれた。

続いて、大阪出身の平成生まれの女の子5人組「Muse(ミューズ)」。美奈子さん作詞・作曲の未発表曲「満月の夜に迎えに来て」をCD録音している。この日は同曲のほか、美奈子さんの「HELP」「好きと言いなさい」「Oneway Generation」を熱唱。踊りもキマっていて、会場の美奈子ファンも拍手喝采だった。

さらに、女性ソロ・アーティストのいまのまいさんが、「Temptation(誘惑)」と、「つばさ」に挑戦。「つばさ」は、途中ハラハラする場面もあったけれど、見事に歌い上げてくれた。司会を勤めたのは、「PaPa」こと牧田和男さん。この人は、美奈子さんのアルバム「晴れときどきくもり」のプロデューサーである。

途中、7月生まれの人たちの誕生日をお祝いするコーナーがあり、ひまわりで飾られた美奈子さんの写真と、用意された3つのケーキの前で、「ハッピー・バースデー」を合唱。さらには、以前のファンクラブ・ライブで、美奈子さんが、自作の未発表曲「ねえ、聞いて」を歌ったシーンがスクリーンに映し出された。もちろん、初めて耳にする、幻の名曲。しかも、その中のトークで、美奈子さんが「デモテープの段階で止まっている曲がたくさんあって・・・」と言っている。そうか、こういう未発表曲が、まだまだ、たくさん埋もれているのか。

コンサートの後には、CD販売の時間もあったので、さっそく、pinkishのサイン入りアルバム「Ps. 童謡のふる里から」(MLCN3025)を買ってしまった。ちなみに、Museのマキシ・シングルCD「ちょっとだけmy Love/満月の夜に迎えに来て」(MLCN1027)は、すでに入手済みである。

自分は、いわゆる「アイドル」のCDはあまり買わないほうなのだが、美奈子さんの遺伝子を受け継いでいるとなれば、話は別で、ぜひとも応援していきたい。若くてハツラツとした彼女たちの、今後の活躍を期待したいと思う。


★美奈子さんの写真とケーキを前にして、ハッピー・バースデーの合唱。右側の女の子4人組が、pinkishです。


祝☆ 39th Birthday MINAKO HONDA (1967.7.31- )

2006年07月31日 | 本田美奈子.記念館

★2004年10月14日、六本木スイートベイジルのライブで「アメイジング・グレイス」を歌う、本田美奈子さん。(クラシカル・ミニ・ベスト「アメイジング・グレイス」にDVD収録)

本田美奈子.関連のCD&書籍案内は、下記バックナンバーをご覧下さい。

どれにする? 本田美奈子・アイドル時代のベスト盤。
発売1周年! 「LIFE ~本田美奈子.プレミアム・ベスト」
デビュー21周年特別企画・「美奈子クラシック」の世界。

「天国からのアンコール」 ~1986年&2006年のマリリン。
本田美奈子.「心を込めて…」 ~魂のラスト・メッセージ。
本田美奈子.「I LOVE YOU」 ~よみがえる幻の名曲。

アメイジング・グレイス、「ザ・ベストテン」で第1位!

2006年07月27日 | 本田美奈子.記念館

本田美奈子さんの生涯を特集した、TBS番組「ドリーム・プレス社・特別編」(7月26日放映)は、表題のような粋なはからいで幕を閉じた。美奈子さん、待望の「ザ・ベストテン第1位の達成である。

その放送の直後から、MFWを始めとする、美奈子さん関連の掲示板には、美奈子さんをあまり知らない世代の人たちからも、感動のコメントが次々と寄せられている。おそらく一夜にして、かなりの数のファンが生まれたのではなかろうか。

帰国中の自分は、運よく、この番組を見ることができたのだが、ゲスト出演した親友・南野陽子さん、早見優さんとともに、泣きながら見ていた。見終わって、床に就いた後も、番組での美奈子さんを想い出しながら、またひとしきり涙で枕を濡らしていた。

考えてみれば、昨年11月6日に美奈子さんが旅立たれてから、悲しい思いを引きずりながらも、喪に服することもなく、働き続けていた。これが肉親の死であれば、1~2週間忌引きを取ることも許されるのだが、芸能人ではそうもいかない。やはり、家族もいることだし、悲しくても働かなければならないのだ。

だけど、自分にとって、彼女はもはや、単なる芸能人とも言えない。「恋人」と言って語弊があれば、「家族同様」と言ったらいいだろうか。とにかく、「なくてはならない」存在なのである。

今回の2週間の夏休みは、いわば8ヶ月遅れの忌引き休暇とも言える。やはり、愛する人のために、涙を流すことも、大切な時間であると思うのだ。