375's ROAD TO BOSTON/ゴールは虹の彼方に

米国在住ランナーの究極目標「ボストンマラソン」とアメリカ50州制覇を目指す人生の旅日記。

マラソン大会予定

◆2015年1月18日 HOUSTON MARATHON(TX州=2年連続2回目) ◆2015年4月20日 119TH BOSTON MARATHON(MA州=3年連続3回目) ◆2015年10月4日 TWIN CITIES MARATHON(MN州=初出場/米国26州目)

2時間03分59秒 ゲブレシラシエ、マラソン世界記録更新!

2008年10月04日 | スポーツ関連の話題


★第35回ベルリンマラソンで、2時間03分59秒の世界新記録を達成したハイレ・ゲブレシラシエ
(Photo by Universal Sports)


★歴代4位の2時間19分19秒で、女子の部を制したイリーナ・ミキテンコ
(Photo by Universal Sports)
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世界有数の高速コースと言われるベルリンマラソンを走って気がついたこと、それは「速い人は、ますます速く走れる」ということ。ペースを乱すような上り坂が全く存在せず、安心してタイムレースに徹することができ、適度に日陰があるので、多少のオーバーペースでも体力の消耗が少ない、という立地上の好条件が揃っている。特に、起伏に慣れていない長距離トラック出身の選手には、うってつけのコースではなかろうか。

今回のマラソンはスタートが午前9時、表彰式が午後2時から始まるということだったので、計算上は4時間程度で完走すれば表彰式も見ることができる、と思っていた。

しかし実際は、ゴール地点からブランデンブルク門近くの表彰式会場までの道のりが意外に入り組んでおり、しかもおびただしい大群衆に行く手を阻まれていたため、生の表彰式を見るのはあきらめ、あとでホテルに帰ってから、ゆっくりとテレビ録画中継を観戦することにした。

レースは序盤から世界記録を上回るハイペースで進行。36km過ぎで独走態勢に入った本命ハイレ・ゲブレシラシエが、2時間03分59秒でゴールテープを切った。

人類史上初の2時間03分台の快挙。この歴史的な大レースと同じ舞台を走っていたのは、何ともドラマティックな体験だ。それにしても速い。ゲブレシラシエがゴールした時点で、自分はまだ23~24kmあたりにしか達していないのだ。

ゲブレシラシエによれば、「私とベルリンとは特別の関係にある」ということだ。確かにアディダスの契約アスリートでもあるし、北京五輪を回避してでもベルリンに賭ける意気込みが強かったことは確かだろう。来年ベルリンで開催される世界陸上にも参加の意向を表明している。世界の強豪との競り合いの中で、どこまで記録を伸ばすことができるか、今から楽しみでならない。

女子の部は地元ドイツのイリーナ・ミキテンコが、世界歴代4位にあたる2時間19分19秒のタイムで優勝。単純にベストタイムから見れば、ラドクリフ、ヌデレバ、野口に続くナンバー4に躍り出た。

ミキテンコは昨年のベルリンマラソンが初マラソン。その後、今年4月のロンドンマラソンで優勝し、北京五輪のドイツ代表にも選ばれたが、五輪本番は怪我で回避。今回が復帰初戦での快挙だった。

マラソン歴が短いので若手のホープ、と思いきや、実は2児を持つママさんランナー。なんとヌデレバと同年齢の36歳である。もともとは陸上長距離でキャリアのある選手で、1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネの5000メートルに出場。シドニーでは5位入賞を果たした。出産後の2006年にロード転向。短期間で一気に世界のトップクラスに躍進したことになる。日本人選手にとっては強敵になるが、今後ますます活躍するのではないだろうか。

また、このレースには、かつて五輪マラソンで2度の金メダルを獲得したワイデマール・チェルピンスキー氏の息子、フォルク・チェルピンスキーも参加。2時間13分30秒のタイムで9位に入った。


北京五輪マラソン女子をTV観戦。

2008年08月20日 | スポーツ関連の話題

米国では、日本に比べるとマラソン中継の機会が極端に少ない。東海岸では、せいぜいニューヨークシティ・マラソンくらいだが、このレースは自分自身が走るので、見ることができない。それ以外に見ることができるとすれば、4年に一度の五輪マラソンくらいしかない、というのが実情である。

米国東部時間の8月16日夜7時半、長らく待望していた北京五輪マラソン女子のTV中継が始まった。

放送局はNBC。CMが多く、マラソンのレース中、他の競技の中継も入り込んで来たりするので、今一つ落ち着かないが、まぁマラソン中継をしてくれるだけでもマシと思い、我慢することにした。

スタートして5km付近。道路にうずくまっている選手が映し出された。なんとそれは、優勝候補の一角、ディーナ・カスター(米国)。何が起きたのかよくわからないが、足を怪我して走れなくなったらしい。この時点で、レース5日前に故障欠場を決断した野口みずきとともに、アテネ五輪の金・銅メダリストの2人が脱落するという波乱の幕開けとなった。

4年に一度の五輪本番に、最高の調子を合わせる難しさ。世界記録保持者であるポーラ・ラドクリフ(英国)も、前回に続き五輪の栄光にはどうも縁がない。5月に判明した疲労骨折の回復を待って、ようやく練習を再開したのは本番2週間前。本人もギャンブルなのは承知していたが、それでも出場に踏み切ったのは、せめて前回の悪夢だけは払拭したいとの思いだったのだろう。足を引きずりながらも執念でゴールする姿には、さすがに胸が熱くなった。4年後の地元ロンドン五輪では、せめて万全な状態でスタートラインに立たせたいものだ。

怪我と言えば、土佐礼子はさらに悲惨だった。10km過ぎから右足を着地できないほどの痛みだったらしいが、それだけの痛みが出たのであれば、スタート前から明らかに前兆があったはず。リタイア覚悟の出場は、ある意味、欠場よりもつらい。今は心身ともにゆっくり休養してほしいと思う。

有力選手が次々と脱落する中で、栄冠を射止めたのは、ちょっと意外な選手だった。

20km付近で、先頭集団からスーッと前に抜け出した、コンスタンティナ・トメスク(ルーマニア)。2004年シカゴマラソン優勝、2005年世界陸上3位の実績はあるものの、飛ばし過ぎの失敗レースも多いので、甘く見られていたかもしれない。このタイミングでの飛び出しには、誰もついて行かなかった。しかし、いずれ落ちてくるだろうと誰もがタカをくくっていたこのスパートが、本人も言うとおり、「天候にも助けられて」、まんまと成功してしまうのだから、マラソンはわからない。結果としては、まるで泥棒猫のように見事な逃げ切りとなった。

トメスクに続く集団から抜け出したのは、ケニア選手2人と地元中国選手2人の計4人。残る2つのメダル争いが、競技場までもつれ込むことになる。

このデッドヒートが、このレース最大のハイライトだった。場内の大歓声に後押しされて、一時は周春秀(中国)が先頭に立つ。しかし、残り200メートルでキャサリン・ヌデレバ(ケニア)が抜き返すと、このままゴールを駆け抜けた。

アテネ五輪に続く2度目の銀メダル。途中まで先頭集団の後方に位置していたこともあって、トメスクの飛び出しに気づかなかったというのはご愛敬だが、大舞台の最後で、しっかりと見せ場を作るところはさすがと言うほかはない。これで世界選手権3度(金、銀、金)、五輪2度(銀、銀)の表彰台。大レースでのメダル獲得率は10割だ。

今回は残念ながら日本人選手の入賞はならなかったが、日本に馴染みのある選手の活躍は光った。

日本人の夫を持つ、「走る外交官」マーラ・ヤマウチ(英国)が6位。
シドニー五輪で最後までQちゃんを追いかけて銀メダルを獲得したリディア・シモン(ルーマニア)が8位。シモンはアトランタ五輪から数えて4度目の五輪出場ということを思えば、実に息が長い。

競馬界では「無事是名馬」と言われる。マラソンの世界でも、やはり故障が少なく、第一線で長い期間活躍できるランナーが、真の名ランナーと言えるのではないだろうか。


ALCS第6戦 レッドソックス VS インディアンス

2007年10月21日 | スポーツ関連の話題
ALCS(アメリカン・リーグ・チャンピオンシップ)の第6戦、ボストン・レッドソックス対クリーブランド・インディアンスの試合をテレビ観戦。いつもはチャンネル権をN姫に譲っているので、なかなか野球を観る機会はないのだが、今夜はどうしても見ておきたかった。

お目当ては…、Curt Schilling投手のピッチング。

もちろん最近のSchillingは、全盛期のように、三振の山を築く快刀乱麻の投球は期待できないし、ほとんどのイニングでヒットを打たれ、手痛い一発を浴びることも多い。

それでも、やはり見る価値がある、というのは、投球術が優れているからである。ピンチを背負った時、どのように切り抜けるか。豊富なデータに基づいて、打者と駆け引きをし、カーブ、チェンジアップ、スプリッターなどの球種を巧みに織り交ぜながら、冷静に打ち取っていく。その過程に、野球の醍醐味を感じるのである。

投手で最も大切なのは、コントロールである。いくら球速や球威があっても、コントロールが悪ければ、見ちゃいられない、ということになる。ヒットを打たれるのは、仕方がない。しかし、四球で崩れるのは、野手の士気も落ちるし、最悪だ。

今日の試合は、1回裏にレッドソックスの6番打者J.D.Drewの満塁ホームランが飛び出し、早々と優位に立った。その直後、2回表にインディアンスの4番打者Victor Martinezにソロ・ホーマーを打たれ、3点差に縮まる。この時点では、まだセーフティー・リードとは言えなかったが、3回裏に、コントロールに苦しむインディアンスの先発投手Fausto Carmonaから、またもJ.D.Drewがタイムリーを放ち、Carmonaをノックアウト。さらに2番手投手Rafael Parezから、Jacoby Ellsburyのタイムリー・ヒット、Julio Lugoのタイムリー・ツーベースなどで、この回一気に6点を奪い、試合の大勢を決めてしまった。

こうなると、もうSchillingは余裕である。ランナーを出しながらも要所を押さえるピッチングで、7回を被安打6、失点2、三振5、四死球ゼロの好投で、勝利投手となった。

これで、ポストシーズンは18回先発して、10勝2敗。防御率は2点台前半をキープし、大試合に強い伝説を、維持することになった。

明日はDice-Kの先発なので、どういう結果になるかわからないが、ワールドシリーズに進出することができたら、再び芸術的な投球を楽しみたいと思う。

【ランナーズ4月号】市橋有里さんインタビュー。

2007年03月01日 | スポーツ関連の話題



ランナーズ」4月号の特集は、2月18日の東京マラソンを最後に現役引退を表明した、市橋有里(あり)さんのインタビュー。1999年の世界陸上セルビア大会女子マラソンで、21歳にして銀メダルを獲得し、一躍マラソン界のシンデレラと呼ばれるようになった市橋さんが、これまでの選手生活での裏話と、今後のランニング生活について語っている。

自己ベスト(2時間27分02秒)を出したセルビア大会は、やはり体調が最もよかったと言う。この時は、スイスでの高地合宿の効果が出たのと、体重調整(いったん38.9kgまで絞り込み、レース時に40kgに戻す)がうまくいったことが、成功につながったようだ。

シドニー五輪の時も、スイスで高地合宿を行なっていたが、この時は追い込みすぎて、体を絞りすぎてしまったらしい。メダルを狙っていたので、18kmあたりで飛び出したQちゃんに、果敢に付いていく戦術を展開。手堅く「入賞」を狙うなら、後ろの集団でけん制するという作戦のほうが安全だったが、あえて一か八かの賭けに出たのである。当時は若くもあり、それはそれで、悔いはなかったようだ。

さて、今後の予定は・・・?

昨年、すでに女性ファッション誌の分野にも進出しているが、あとは、マラソン・レポーターなどの仕事も、いつかチャレンジしてみたいということである。だが、その前に、今月予定の結婚式を心待ちにしている。

才色兼備で、料理も得意で、性格も穏やか・・・と、男性から見れば、非の打ち所がない、理想的なお嫁さんになりそうだ。走るのはもともと大好きとのことなので、これからは市橋さんに合ったスタイルで、マイペースで走り続けてほしいと思う。


2位は谷川真理さん。「市民ランナーの星」は健在!

2007年02月20日 | スポーツ関連の話題
2月18日(日曜日)に、記念すべき第1回大会が行なわれた、東京マラソン

昨日の記事で紹介したように、今回最も目を惹いたのが、女子の部で優勝した「Qちゃん2世」新谷仁美選手だった。まさに、走るために生まれてきた女の子という感じがする。

そして、もう1人、健在ぶりを示したランナーとして、忘れてはならない人がいた。
女子の部で2位に入った「市民ランナーの星」谷川真理さんである。

今回は、元五輪選手の有森裕子選手と、市橋有里選手のラストランという話題が、ニュース記事を賑わせた。レース後の報道でも、特に、有森選手にまつわる内容が多かったのであるが、ある意味、もっと注目されるべきは谷川真理さんではないだろうか。

なぜなら、谷川さんは、元五輪選手の2人よりも年齢が高く、第一線を退いてから長い時間が経っているにもかかわらず、今回の東京マラソンでは、この2人に先着したのである!

2位  谷川真理(44歳) 2時間49分54秒
5位  有森裕子(40歳) 2時間52分45秒
20位 市橋有里(29歳) 3時間02分48秒

この結果は、すでに40歳台の後半を迎えている自分を含め、世の中の中高年層にとっては、大きな励みになるのではないだろうか。

そう…、マラソンに、年齢は関係ないのだ!

マラソンは、着実な練習を続けることによって、かなりの年齢まで、記録は維持できるし、あるいは、さらに伸ばすことも可能であると言われるが、2位に入った谷川さんの健闘は、まさに、そのことを実感させるのである。

「Qちゃん2世」新谷仁美選手、初マラソンで優勝!

2007年02月19日 | スポーツ関連の話題
2月18日(日曜日)に開催された、第1回東京マラソン
フルマラソンの部 2万6058人中、2万5130人が完走(完走率96.4%)。

NYCでは、東京マラソンのTV中継などはもちろんないので、ウェブサイトのニュースで結果を見たたけだが、まずは、無事終了したようである。

ニュース記事を見て、目を惹いたのが、女子の部の優勝者。
1988年2月26日生まれの18歳(あと一週間で19歳になる)、新谷仁美選手である。

新谷選手は、あの小出義雄氏が監督を務める佐倉アスリート倶楽部の所属。Qちゃんの後輩に当たる。しかも、今回の初マラソンのタイム(2時間31分01秒)は、Qちゃんの初マラソン時のタイム(2時間31分32秒 1997年大阪国際女子マラソン)よりも、30秒速い。

写真で見る限りでは、笑顔も可愛いし、まさに「Qちゃん2世」である。

小出監督に「秘蔵っ子」がいるらしいことは聞いていたのだが、これほど早く頭角を現わしてくるとは思わなかった。なにしろ、「マラソンの練習はまださせていない」のに、この結果なのだから、大変な逸材と言えるだろう。

現段階では、北京の次のロンドン五輪に照準を合わせて育てていくと思うが、女子マラソンの歴史に一時代を築いたQちゃんの後継者として、ぜひとも大輪の花を咲かせて欲しいものである。

8歳の女の子が、驚異の記録でフルマラソン完走!

2007年01月03日 | スポーツ関連の話題
今日、YAHOOのスポーツ記事を見ていると、中国の通信局(Record China)から、信じられないようなニュースが届いていた。

なんと、中国・海南省で行なわれた市民マラソンの大会で、8歳の女の子が、3時間28分45秒という驚異的なタイムで、フルマラソンを完走したというのである。記事によると、大会名は「2007海口市第5回マラソン大会」。女の子の名前は「張慧敏(チャング ハミング)」。これは、日本ならば、「東京国際女子マラソン」の「市民の部」の参加資格タイムを堂々と上回る好記録だ。

さすが、超人の宝庫・中国である。

ただし、ネックとなるのが年齢だ。東京国際女子マラソンは、大会当日19歳以上でないと、出場できない。この女の子の場合、あと11年待たなければならないことになる。

他の世界的市民マラソン大会、たとえばニューヨークシティ・マラソンでは、どうだろうか。New York Road Runnersの表彰カテゴリーでは、12歳~14歳というのが、最も低い年齢のはずだ。それ以下の子供たちは、通常「Kids Race」への参加を奨励される。ということは、世界的な舞台に出て行くには、あと4年はかかるということだろうか。

まあ、これだけの才能があれば、遅かれ早かれ、世界中の話題をさらう時期が来るだろう。「中国の天才少女ランナー、マラソン世界記録を樹立!」というニュースが聞かれるのも、そう遠い話ではないかもしれない。

東京国際女子マラソン: 3位に終わったQちゃんの今後。

2006年11月19日 | スポーツ関連の話題
東京国際女子マラソンの結果をウェブのニュース記事で知る。「2位」は十分ありうるとは思っていたものの、「3位」とは意外だった。しかも、タイムが2時間30分を越えてしまうとは、想像もしていなかった。

レース後の記者会見では、周囲の心配をなだめるように、「1回の失敗であきらめず、北京五輪まで頑張りたい。引退はないです」と、宣言したQちゃん。

もちろん、1回の失敗どころではなく、これまでに何回も試練を通過してきている。そのたびに復活劇を演じてきているのは、周知の通りだ。

ただ、本気で「北京五輪の出場」を想定しているとしたら、かなり厳しいハードルを越えなければならないのも事実。まずは体調を万全にして、あまり間を置かずに次のレースに出場し、惨敗のイメージを払拭する必要があるだろう。

あくまで個人的な意見なのだが、敗因はレースの間隔が空きすぎていることもあると思う。決して、「最終調整のミス」だけではないような気がするのだ。昔の一流選手(君原選手とか、瀬古選手・宗兄弟の時代)は、年に2~3本のフルマラソンを走るのは当たり前だったし、今でも、世界を転戦するケニアの選手などは、一年中マラソンを走っているような感じである。

Qちゃんも含めて、現在の一流選手は、年1回のレースに絞っているケースが多いが、集中してトレーニングが積める半面、実戦からは遠ざかるので、レース勘が鈍ってしまう、というマイナス面もあるのではないか。調整でハーフ・マラソンには出場しているものの、それだけでは足りないような気がする。素人の市民ランナーである自分でさえ、レース間隔が空いてしまうと、自制しすぎて、うまくリズムに乗れない傾向があるのだ。

Qちゃんは、超高地トレーニングも含めて、誰よりもすごい練習をしているとは思うが、練習と実戦は違う。土佐選手の勝因は、今年4月のボストン・マラソンを走っているので、レース勘が維持できていた、というのが大きいと思う。

Qちゃんの今後であるが、体調さえ良ければ、3~4ヶ月先には、次のレースに出場してもいいと思う。あのラドクリフ選手は、アテネ五輪で途中棄権したあと、わずか3ヵ月後に、ニューヨークシティ・マラソンで復活優勝を遂げ、さらに5ヵ月後のロンドン・マラソンでは、2時間17分台の記録で、ぶっちぎりの優勝を果たしているのだ。間を空けすぎないことが、むしろ好結果を生むのである。

チームQの活動方針に口を出すのは生意気かもしれないが、もっとアメリカ国内のレースに参加してみてはどうだろうか。特に、ボストン、シカゴ、ニューヨークの3大マラソンは、世界のトップクラスのランナーが出場するし、参加する価値はきわめて高い。その経験は、必ず、Qちゃんの将来にプラスになると思う。

Qちゃん VS 土佐礼子: 決戦の時迫る。

2006年11月18日 | スポーツ関連の話題
東京国際女子マラソンの号砲が、いよいよ明日、日本時間の19日に迫った。
スタートは12時10分。アメリカ東部時間では、18日夜10時10分になる。

こちらでは、あいにく、テレビ中継はないので、Qちゃんの走る姿を想像して、祈るしかない。そして、スタートから2時間30分後、ドキドキしながら、ウェブサイトで速報されるであろうレース結果を、確認するしかないのである。

Qちゃんの仕上がり具合は、どうだろうか。サンスポの記事によると、「今の調子を一番知りたいのは自分自身。まったく未知の世界で、どれくらい走れるのかワクワクドキドキしています」と答えている。今回のボルダー合宿を「昨年よりも波瀾万丈だった」と表現し、「まったく走れない日も山ほどあった。普通の人ならやめてます」とも打ち明けたQちゃん。これらの言葉を聞くと、いろいろなアクシデントに見舞われたことが想像され、本番でケガなどの後遺症が出なければいいが・・・と心配になってくる。

だが、振り返ってみれば、これまでにも、想像を絶する苦難の道のりを、乗り越えてきている。きっと、スポーツ根性ドラマさながらの人生を歩むべく、運命付けられているのだろう。「波瀾万丈」なのは、Qちゃんにとっては、むしろ日常なのかもしれない。

今回も、富士山よりも高い、標高4300メートルでの超高地トレーニングを敢行してきたという。この高さだと、空気の密度は平地の半分以下になるので、普通の人なら、間違いなく高山病になってしまうところだ。このような、命懸けのトレーニングを成し遂げてしまうこと自体、他の大多数の選手とは「モノが違う」というほかはない。

世間では、土佐選手との対決ムードを煽っているようだが、Qちゃん自身は、他の選手との勝負には、それほどこだわりはないかもしれない。走る動機が、勝負のためではなく、「周囲の人たちへの感謝」が原動力となっていることも、たびたび強調している。そこには、いかなる気負いも、入り込む余地はないのである。

ともかく、心身ともに成長したQちゃんが、どのようなレースを展開するか、海の向こうで祈りながら、良い知らせを待ちたいと思う。

「女王」ラドクリフ、2006年度アベベ・ビキラ賞受賞!

2006年10月27日 | スポーツ関連の話題
New York City Marathonのニュースサイトによると、本年度のアベベ・ビキラ賞に、マラソン女子世界記録保持者である「女王」ポーラ・ラドクリフが選出された。

このアベベ・ビキラ賞は、1960年ローマ五輪と1964年東京五輪で、2大会連続マラソンの金メダルを獲得した、伝説の英雄アベベ・ビキラを記念して制定された賞で、1978年から毎年、ニューヨーク・ロードランナーズによって、長距離ランニングの分野において、傑出した貢献を成し遂げた個人に贈られている。

過去には、ラッセ・ビレン(フィンランド)、グレテ・ワイツ(ノルウェー)、アルベルト・サラザール(アメリカ)、ビル・ロジャース(アメリカ)、テグラ・ロルーペ(ケニア)、ステファノ・バルディーニ(イタリア)など、マラソンと長距離走の分野で活躍した名選手のほか、2001年の同時テロの際に強力なリーダーシップを発揮し、その年のニューヨークシティ・マラソン開催を無事に導いた、ルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長なども、歴代の受賞者に含まれている。昨年度は、野口みずき選手が日本人として初めて、この栄誉ある賞を受賞した。

今回のラドクリフの受賞は、これまでの彼女の実績から考えて、当然と言えるだろう。特に、2003年のロンドン・マラソンで打ち立てた2時間15分25秒という世界記録は、想像を絶するほど凄い。Qちゃんや野口選手、ディーナ・カスター(アメリカ)ならば、将来は2時間18分台、あるいは17分台を出せるかもしれない。小出監督は「やがて女子マラソンでも2時間16分台の時代が来ると思う」と、著書『高橋尚子 金メダルへの絆』に書いているので、最大限頑張れば、16分台くらいまで行く可能性はあるだろう。だが、15分台となると・・・。これはもう、女性ランナーの限界を越えているのではないか、と現時点では思ってしまう。

しかも、記録もさることながら、精神面が凄い。それがよく表われたのが、2004年11月のこと。アテネ五輪のマラソンで無念の途中棄権に終わって、わずか11週間後に、初参加のニューヨークシティ・マラソンで復活優勝を遂げてしまうのである。そのレースぶりも、追いすがるスーザン・チェプケメイ(ケニア)をゴール直前で引き離すという劇的なものだった。決して敗北を引きずらないというのは、やはり並外れた、偉大なランナーである証明だと思う。

アベベ・ビキラ賞の授賞式は、ニューヨークシティ・マラソンの前日の朝、海外からのランナーのみが参加する「インターナショナル・フレンドシップ・ラン」という4マイルのファンラン大会のスタート前に行なわれる。日本から参加するランナーは、忘れずにカメラの用意をしておいたほうがいいだろう。