375's ROAD TO BOSTON/ゴールは虹の彼方に

米国在住ランナーの究極目標「ボストンマラソン」とアメリカ50州制覇を目指す人生の旅日記。

マラソン大会予定

◆2015年1月18日 HOUSTON MARATHON(TX州=2年連続2回目) ◆2015年4月20日 119TH BOSTON MARATHON(MA州=3年連続3回目) ◆2015年10月4日 TWIN CITIES MARATHON(MN州=初出場/米国26州目)

【大会レポート】NYRR Joe Kleinerman 10K

2008年12月08日 | 大会レポート 2008



12月7日(日曜日)、セントラルパークを1周+αするレース「Joe Kleinerman 10K」に参加。摂氏1~2℃の寒さの中、4330名のランナーとともにスタートする。

以下、1mileごとのラップ。

0-1mile 7分54秒(北坂上り)
1-2mile 7分36秒
2-3mile 7分30秒
3-4mile 7分37秒
4-5mile 7分59秒(猫坂上り)
5-6mile 7分27秒
6-6.2mile(10km) 1分31秒

ゴールタイムは →→→ 47分35秒
年代別順位は、177人中44位だった。

北坂・猫坂の上りで8分/mile近くかかったのを除けば、ほぼ7分30秒台/mileのペースという、予想通りの展開。このくらいが、今の実力という感じがする。

春の10km(3/31 Scotland Run 10K)では46分35秒で走っていたので、ちょうど1分遅れたことになる。この時は、よほど調子が良かったのだろう。「のび太にしては出来杉君」だったかもしれない。

今回はあわよくば45分台で走りたいと思っていたが、ここまでタイムまで伸ばすには、もう一段階レベルを上げなければならないだろう。下りや平地では7分/mileを切るぐらいの勢いで走らないと、このタフなコースでの記録更新は厳しい。次は来年春の10kmレースを目標に、スピードを磨いてみよう。

季節柄、サンタの衣装で走ったらしいランナーも見かけた。


【大会レポート】第39回ニューヨークシティマラソン

2008年11月06日 | 大会レポート 2008


★「ニューヨーク ニューヨーク」のテーマ曲とともに、今年もニューヨークシティマラソンがスタート。ゲートを越えた先には、ヴェラザノ橋の1mileに及ぶ長い上りが待っている。
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11月2日(日曜日)、今年5本目のフルマラソン、そして今年で5年連続出場となるニューヨークシティマラソン当日を迎えた。ここのところ、東京、ケベック、ベルリンなど、海外遠征地でのマラソンが続いているが、やはり地元のニューヨークシティマラソンが自分のマラソン体験の原点であり、毎年欠かすことのできないメインの大会であることには変わりがない。

ちなみに過去4年間の結果は以下の通り。

2004年11月7日(46歳) 5時間23分21秒  *初マラソン
2005年11月6日(47歳) 4時間24分14秒 
2006年11月5日(48歳) 4時間14分59秒
2007年11月4日(49歳) 3時間59分45秒

昨年はわずか15秒差のサブ4死守で、残り10kmからゴールまでハラハラドキドキの展開だったことは記憶に新しい。今年はぜひとも「余裕のサブ4」で走ってみたい、というのが目標となった。

昨年と同様、前日は国際友好ランで盛り上がり、夜は親子丼+梅酒ロックでカーボ締め。さらに昨年からニューヨークシティマラソンの当日に夏時間が終わるようになったので、1時間余分に寝れるというオマケも付き、ほぼ万全な体調で出陣の時を迎えることができた。

自宅を出たのが朝6時。あらかじめ手配していたタクシーで、バッテリー公園近くのフェリーターミナルに向かう。そして7時発のスタテン島行きフェリーに乗り、シャトルバスに乗り継いで、8時少し前にフォートワッズワースのスタートエリアに到着した。

ニューヨーク・アヴェニューの待ち合わせ場所では、前日の国際友好ランで一緒に大声援を浴びた寿司レンジャー仲間がすでに集まっている。風が強く、冷え込みも厳しいので、じっとしていられない。過去5年間の中では2006年が比較的寒かったが、おそらくそれを下回る体感気温のような気がした。

そうこうするうちに、スタート時間が迫ってくる。同じスタートグループの女性2人(ぐっさん+友人のYさん)と一緒に、ブルー・スタート(Wave 2)のエリアに向かった。ちなみにブルー・スタートに振り分けられたのは今回が初めて。3年前のオレンジ・スタート以来久しぶりに、ヴェラザノ橋の上段を走ることになった。

午前10時、Wave 2スタートの号砲。最初の1~2mile、世界最大の吊り橋・ヴェラザノ橋からの絶景はやはり素晴らしい。マンハッタンの遠景を眺めながら、橋の上りはゆっくりとしたジョギングペースで進み、下りにさしかかってから徐々にスピードを上げていく。

01mile  9分21秒
02mile  8分09秒 (17分30秒)
03mile  8分41秒 (26分11秒)
04mile  8分32秒 (34分43秒)
05mile  8分32秒 (43分15秒)
06mile  8分24秒 (51分39秒)
07mile  8分06秒 (59分45秒)

コースの前半は、庶民的な応援で盛り上がるブルックリンの区域。4mile地点あたりからは自分とほぼ同じようなペースで走っているアイリッシュグリーンの衣装を着た女性ランナーのすぐ後ろを走りながら、沿道の声援に応えた。2日後に迫った大統領選挙を反映して「Vote for Obama」とか「Obama Girl」と書かれたシャツを着たランナーもちらほら見かける。

10km地点(6.2mile)を過ぎたところで、いつものようにランナーズ・ハイがやってきた。この状態を利用して、ここまで8分30秒/mileのイメージで走っていたのを、それより若干ペースを速くする。

08mile  8分13秒 (1時間07分58秒)
09mile  8分29秒 (1時間16分27秒)
10mile  7分54秒 (1時間24分21秒)
11mile  8分27秒 (1時間32分48秒)
12mile  8分22秒 (1時間41分40秒)
13mile  8分15秒 (1時間49分25秒)
中間地点 ------   (1時間50分38秒)

8mile地点以降はブルー、オレンジ、グリーンの3つのグループが合流してランナーの人口密度が増す区域だが、昨年のように混雑で立ち往生するような場面は見られない。このあたりはWave別の時差スタートの導入がうまくいったようだ。

ハーフの通過タイムは1時間50分38秒。5週間前のベルリンマラソンとほぼ同じペース。その時の感触がまだ残っているようだ。ここから後半の走り方次第では、自己ベストに近いタイムを維持できるのではないかという希望が出てきた。

プラスキ橋を渡り終わったあたりで、右手に見えるビルに現在の気温が表示されるポイントがある。毎年ここで気温の上昇具合を確認するのだが、今年は11℃。ニューヨークシティマラソンは伝統的に気温が高目になることが多いが、今年は日中も涼しいままで、まさに最高のコンディションだ。

ハーフを越えると、クイーンズからマンハッタンにかけての「後半戦ファースト・クォーター」に突入する。

14mile  8分31秒 (1時間57分56秒)
15mile  8分43秒 (2時間06分39秒)
16mile  9分17秒 (2時間15分56秒) *クインーズボロ橋の上り
17mile  8分23秒 (2時間24分19秒)
18mile  8分27秒 (2時間32分46秒)
19mile  8分33秒 (2時間41分19秒)
20mile  9分01秒 (2時間50分20秒)

14mileから15mileの中間くらいに、某旅行会社の青い旗を目印にした応援ポイントがある。ここで同僚の声援に応えた後、いよいよこのレースで最大の難所の一つ、クイーンズボロ橋へ。

かつてはこの橋を渡り切った時点で文字通りボロボロになっていたのだが、昨年あたりから比較的余裕を持って走れるようになってきた。今年も、上りは9分/mileを少し越える程度にスピードを抑え、下りは再びペースを戻すという冷静なレース運びで、マンハッタン1番街に待機する大応援の嵐の中へ飛び込んで行った。

1番街の上り。18mile付近で支給されたパワージェルを補給し、前半と同じ8分30秒/mileのペースを維持。19mile地点を過ぎたところで、右側前方に「マラソン中毒患者の会」の幟が見えてきた。ここで京太郎さんの愛の声援に応え、ハイタッチ。20mile地点以降のラストクォーターへと向かっていく。

21mile  8分55秒 (2時間59分15秒)
22mile  8分58秒 (3時間08分13秒)
23mile  9分07秒 (3時間17分20秒)
24mile  9分55秒 (3時間27分15秒) *5番街最後の上り
25mile  9分10秒 (3時間36分25秒)
26mile  8分52秒 (3時間45分17秒)

20mile地点で2時間50分台。昨年はここまで3時間かかっていたので、10分速い。この時点でサブ4は余裕でクリア、うまく行けば3時間50分を切れるかもしれないという可能性が出てきた。

あとは、どれだけ最小限の失速に抑えられるか。ブロンクスに突入する頃には、さすがに脚が重くなってきたが、以前に比べれば粘れるようになった。ここからハーレムにかけての21~23mileは9分前後/mileで踏みとどまる。125St.あたりで、「中毒患者の会」のandantinoさんの声援。ここでは、まだ手を振って応える余裕があった。

そして110St.を過ぎて、セントラルパーク沿いの5番街の上りに差し掛かる。ここは正真正銘の難所。何度走っても、ここだけは本当にキツい。とにかく集中して、脚を前に進めることだけを考える。このあたりで「中毒患者の会」のけに~さんを追い抜いたらしいが、もちろん覚えていない。

90St.でセントラルパークに突入。ゴールまで2mileあるものの、ここまで来れば精神的に安心だ。いつもセントラルパークで開催されるレースと同じように、タバーン・オン・ザ・グリーンを目指していけばいいのだ。

40km地点の通過タイムが3時間35分台。ベルリンマラソンより1分速い! ということに気がつく。もしかすると自己ベストも行けるか? もう思った瞬間、ここからは短距離走並みのダッシュ! …というわけにはいかなかったが、それくらいの気持ちで最後の1mileを駆け抜けた。

そして、ゴールタイムは
→→→3時間47分22秒

な、なんと! 
今年5月のNJマラソンの記録を54秒短縮する自己最高記録!
わずか1分弱の記録更新とはいえ、NJマラソンやベルリンマラソンとは比較にならないタフなコースでの達成なのだから、これは快挙だ。

本番を迎える3日くらい前までは、それほど調子がいいとは言えず、正直「今年はあまり期待できないかな」と思っていたのだが、直前になって疲れが回復し、本調子に戻ったようだ。それに加えて、絶好の気候条件に恵まれ、いつもながら熱狂的な沿道の大声援が拍車をかけたのだろう。

こういうことが起きるから、マラソンは面白い。
「ニューヨークシティマラソンはタフなコースだから記録が出にくい」と思い込んでいたが、この日、その認識は完全に覆されたのである。


★スタート前。同じBlue Start(Wave 2)のぐっさん(中)、Yさん(右)とともに気合いを入れる。風が冷たい朝だったので、この時点ではまだ防寒服姿。


★ミニーちゃんに扮したディズニーマニアのIさん。3人の女性ランナー(naokopさん、tamakkoさん、飛脚さん)と一緒に可愛いポーズで記念撮影。
*naokopさんのweb albumより拝借。


★ゴール後(その1)。自己新記録を達成し、満足のショット。


★ゴール後(その2)。「中毒患者の会」のけに~さんと遭遇。セントラルパークに入る手前で追い抜いたらしいが、その時は気がつかなかった。


★打ち上げ晩餐会(その1)。右はミニーちゃんに扮した素顔のIさん。


★打ち上げ晩餐会(その2)。Team New York & New Jersey


★打ち上げ晩餐会(その3)。Team the Men


★打ち上げ晩餐会(その4)。Team the Women +ミニーちゃんに扮したIさん。


★打ち上げ晩餐会(その5)。集合写真。総勢20名が参加。


【大会レポート】NYRR Half-Marathon GP: Staten Island

2008年10月14日 | 大会レポート 2008


★スタテン島ハーフマラソンの4mile地点過ぎから見る、ヴェラザノブリッジ
(Photo by New York Road Runners)
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10月12日(日曜日)、毎年ニューヨーク5区で行なわれるハーフマラソン・グランプリ・シリーズの最後のレース、スタテン島ハーフマラソンに参加する。

ベルリンマラソンが終わって2週間。当初はこのレースを走る予定ではなかったが、体力の回復が比較的早く、天気も良さそうだったので、直前エントリーで走ってみることにした。

スタート前、トイレで手間取ったこともあって、指定されたコラルよりもかなり後ろの方からスタート。周囲のランナーを追い抜きながらの序盤戦となった。

0-1mile  8分31秒
1-2mile  8分19秒
2-3mile  8分03秒

ここまでは、ほぼ順調な滑り出し。本来なら、ここからさらにペースを上げていくはずだったが、

3-4mile  8分28秒
4-5mile  8分29秒

と、最初のペースに戻ってしまった。自分では飛ばしているつもりなのに、なぜか時計に現われるタイムが遅く、「あれっ?」と思ってしまう。そのうち、おしゃべりしながら走っている女の子たちにも追い抜かされるようになったので、さすがにちょっと気合いを入れ直し、ギアチェンジを試みた。

5-6mile  7分49秒
6-7mile  7分48秒

と、反撃開始。ちょうど折り返し地点にさしかかるあたりで、他のランナーを観察する余裕も生まれ、待望のランナーズ・ハイが訪れたかに見えた。ところが…。

7-8mile  8分41秒

と、また失速してしまう。突然さしかかった上りが脚を直撃してしまったのだ。

こうなると、レースというよりはトレーニング・ランのモード。天気がいいのは良かったが、記録を狙うには、予想以上に気温が上がり過ぎていたし、初体験のコースということもあって、アップダウンの特徴がつかみ切れず、ペース配分が難しかったのも事実。

ただ、風景はとてもいい。スタテン島は、地理的にはニュージャージー州に近く、町自体も都会のニューヨークとは違うアットホームな雰囲気。それに、ニューヨークシティ・マラソンのスタート地点となるヴェラザノブリッジの絶景が素晴らしく、気分的には盛り上がった。

8-9mile  7分55秒
9-10mile  8分09秒
10-11mile  8分17秒
11-12mile  8分37秒
12-13mile  7分56秒

8mile地点以降は、無理のない範囲でマイペースを維持。11-12mileの上りで最も苦しい終盤のヤマ場を迎えたが、最後の1mileは起死回生の追い込みでスパートをかけた。

ゴールタームは
→→→1時間47分48秒(8:13/mile)。

今年走った5本のハーフマラソンでは最も遅いタイム。
まぁ2週間前のフルの疲れが微妙に残っていた気がするし、調子の悪い時は悪いなりに、さほど大崩れすることなくまとめられたので、良しとしようか。

年代別(50-54♂)では、149人中37位だった。

レース後は、お馴染みのラン仲間オケさん、飛脚さん、そして初お目見えのキッシさん、Runrun!さん、Mさんと一緒にフェリーでマンハッタンに戻る。今週末、アムステルダム・マラソンで初フルを走るMさんは、なんとそれを皮切りに3週連続でフルを走るそうだ。

ニューヨークシティ・マラソンまで、あと3週間。
いいコンディションでスタートラインに立てたらいいけど、果たしてどうなるか。


【大会レポート】第35回ベルリンマラソン(2) レース編

2008年10月03日 | 大会レポート 2008


★統一ベルリンの象徴、ブランデンブルク門を通り抜け、感動のゴールを目指すランナーたち。
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9月28日(日曜日)朝9時、激動の大都市ベルリンの中央公園として知られるティーアガルテンのスタート会場に到着した。

ニューヨークシティ・マラソンに続く、世界5大メジャーの2レース目、ベルリンマラソン。自分にとっては初の欧州レースであり、通算11本目のフルマラソンとなる。

スタート時の気候は、摂氏10度で快晴という絶好のコンディション。自身の体調は…と言うと、時差ボケの影響と極度の興奮からか、前夜はほとんど眠れない状態だった。それでも、体に違和感があるわけでもなく、レース会場に到着してからは、気分はますます高揚し、歴史的な舞台に立てる喜びに浸っていた。

スタート前、招待選手を紹介するアナウンスが聞こえてくる。地元ドイツ期待のイリーナ・ミキテンコ選手、昨年打ち立てた世界記録の更新を狙うハイレ・ゲブレシラシエ選手の名前が呼び上げられると、ひときわ大きな歓声が巻き起こった。

そしてスタートの号砲。選手たちが手にしていた黄色い風船がいっせいに放たれると、群衆の列がゆっくりと前のほうに移動していく。フルマラソンの参加者3万5千人以上。すごい人数だ。数分後、ようやくスタートラインを越え、まずは6月17日通りを西に向かって走り出す。青空を突き抜けるようにそびえる戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)を過ぎたところが1㎞地点。エルンスト・ルーター広場に突き当たったところで左に折れ、アルト・モアビット通りに出てからは市街の北側を東に向かう進路となる。

路上で小旗を振るおびただしい応援団。隣国デンマークの国旗が目立つ。自分の周囲にも、赤と白のデンマーク国旗をモチーフにしたウェアのランナーがたくさん走っており、かなりの数の選手団を送り込んでいることが容易にうかがえる。

ベルリン中央駅近くで5㎞地点を通過。ここまでは、27分ちょうど

スタートからやや脚が重く、ペースも遅いが、ここまではまだ想定の範囲内。これから体を暖めながら、少しづつペースを上げていけばいい。

やがてコースは旧東ベルリンのミッテ地区に入り、アレキサンダー広場の北方付近にさしかかる。
このあたりが10㎞地点で、5㎞地点からのラップタイムは26分32秒に上昇。いい感じになってきた。

11㎞地点あたりから17㎞地点くらいまでは、ベルリン市街地の南東部に向かうコース。途中でシュプレー川の橋越えもあるが、ほとんど気づかない程度のアップダウンで、ペースには影響がない。17㎞地点以降は東に折れ、ポツダム通り近くの中間地点に向かう。

このあたりの区間で、ようやく脚が軽くなり、待望のランナーズ・ハイに突入。
5㎞ごとのラップが26分を切れるようになってきた。

10km-15km  25分53秒
15km-20km  25分51秒

前半ハーフの通過タイムは1時間50分57秒。今年5月のニュージャージーマラソンでは、ハーフを1時間49分台で通過しているので、それよりは遅いが、とりあえず想定内のペース。このまま順調に行けば、どうにか3時間40分台が確保できる見通しが立ってきた。

ハーフ地点から30㎞地点まではヴィルマーズドルフ地区を南西から西の方向に進むコースとなる。沿道からの声援は相変わらず鳴りやまない。ベルリンの街自体が途方もなく大きいので、42.195kmの周回コースが、すっぽりと収まってしまう。なにしろ東京23区の1.5倍の面積があるというのだから、驚きだ。

ベルリンマラソンは高速コースとして知られるが、なるほど記録の出やすい条件はそろっている。ペースを乱されるような起伏もなく、直射日光で体力を消耗することも少ない。木陰に入ると涼しい風が吹き、適度な体温を保つコンディションに恵まれている。

それに、街をあげての大応援。記録を狙うシリアスランナーばかりではなく、お祭りランの名物、仮装ランナーも多い。すぐ左手を、裸同然のフラダンス・ランナー(たぶん男性)が追い抜いて行くと、ひときわ大きな歓声が盛り上がった。

ハーフを過ぎると、ランナーズハイにはやや陰りが見えてきたが、それでも30㎞地点までは悪くないペースを維持した。

20km-25km  26分37秒
25km-30km  27分16秒

27㎞地点にさしかかったあたりで、一度脚にきてペースが落ちる。レース前1ヵ月でのロング走の最高が27㎞だったので、その結果が正直に脚に現われた形になったのだが、この最初の試練は携帯していたパワージェルを摂取することで、落ちついて乗り越えた。

30㎞地点以降は、北東の進路を取って市内中央部に戻ってくるコースとなり、レースも佳境を迎える。35㎞地点でカイザー・ヴィルヘルム教会のモニュメントを通過し、38㎞地点では、今でも「ベルリンの壁」の一部が保存されているポツダム広場を通過。40㎞地点を過ぎると、いよいよ最後のクライマックス、ウンターデン・リンデンの大通りを東に向かう直線コースに突入する。

27㎞地点あたりから疲れの見えた脚はいったん回復したが、33㎞地点あたりから2度目の試練を迎える。それもどうにか乗り越えると、37㎞地点以降はほとんどずっと乳酸の溜まり切った脚を進めていく闘いだった。

それでも、最後まで鳴りやまない大応援と、美人揃いのチアガールのパフォーマンス、絶え間なく続くドラムの音に後押しされ、精一杯の粘りを発揮。どうにか最小限のペースダウンに抑えていく。

30km-35km  28分11秒
35km-40km  29分06秒

そして最後の直線コース。名門フンボルト大学と啓蒙君主で知られるフリードリッヒ2世の銅像を右手に見て、統一ベルリンの象徴ブランデンブルク門を通過する。そして耳をつんざくような大歓声の中、一度も立ち止まることなく感動のゴール。

「Congratulation!」思わず、隣りを走っていた男性ランナーと祝福の声をかけ合った。

ゴールタイムは3時間48分49秒
今年5月のニュージャージー・マラソンと同じく、3時間48分台に到達。

厳密に言えばセカンドベストだが、後半ハーフに関しては今までのフルマラソンで最も健闘しており(1時間57分52秒)、内容的にはベストレースと言えるような手ごたえだった。

街の中心部をスタートし、一度も郊外に出ることなく、再び街の中心部に戻ってくる周回コース。
最後まで鳴りやまない大応援と、怒涛のように突き進むランナーたち。

さすがに世界5大メジャーのひとつになるだけのことはある、ものすごい大会だった。
こういう素晴らしい体験ができるのは、まさにランナー冥利に尽きると言えるだろう。


★レース当日の朝、ガラス張りのベルリン中央駅から続々とランナーたちがやってくる光景は壮観。


★ゼッケン番号ごとに、荷物を預けるテントが用意されている。トラックなどで輸送する必要がないのは、周回コースならではの利点。


★指定されたスタートエリア「F」に向かう。途中、森へ迷い込んだり、予想外に長い旅だった。


★ようやくスタートエリア「F」に着くと、すでにスタート10分前(汗)。ものすごい群衆が行く手をふさぐ。


★ランナーたちが手にしていた黄色い風船が一斉に放たれ、いよいよ世紀の大レースがスタート。


★そしてゴール後、アディダスのロゴ入りの黄色いビニールをはおり、リフレッシュメント会場へ歩く。


★リフレッシュメント(その1)。美人ボランティアたちがふるまう栄養ドリンク、レッドブル


★リフレッシュメント(その2)。飲み放題の名物ベルリン・ビール。これが楽しみで参加するランナーも多い。


★42.195㎞を完走した後のビールの味は格別。この感動は何度でも味わいたい。


ドイツ連邦議会議事堂前の広場も、ランナーでいっぱい。レース後ものんびりくつろげるだけのスペースがたくさんあるのも、この大会の魅力だ。


【大会レポート】第35回ベルリンマラソン(1) EXPO編

2008年09月30日 | 大会レポート 2008



9月25日(木曜日)夕方5時50分発のコンティネンタル航空直行便に乗って、翌朝8時、ベルリンのテーゲル空港に到着する。空港から市内中央部へのアクセスはTXL番のバスが便利で、料金は€2.10。宿泊ホテルのあるアレキサンダー広場までは、ほぼ40分の乗車時間だった。

ニューヨークとベルリンの時差は6時間なので、本来なら、まだ真夜中。飛行機の中で寝ようと思ったが結局寝れず、到着してから眠くなってきた。しかし現地ではすでに26日(金曜日)の朝。この日はEXPO会場へ行って、ゼッケンを受け取らなければならない。というわけで、ホテル到着後、さっそく会場に出かける。

EXPO会場は街の中央部から多少離れており、アレキサンダー広場からは、Uバーン(地下鉄)を乗り継いで40分くらいのPaulsternstr.駅近く。ここからシャトルが出ているという話だったが、他のランナーたちの流れに合流する形で15分ほど歩き、会場にたどり着いた。

まず「BERLIN VITAL」という看板が出ている展示会場を一通り歩く。さすがに広い。ニューヨークシティ・マラソンもかくやと思われるほどの膨大な数のテナントが目白押しだ。しかし、ここにはゼッケンを受け取る場所がない。実はいったん「BERLIN VITAL」の会場を裏から出て、その先にある別の会場に向かわなければならないのだ。

この本当のレジストレーション会場こそ、天下のアディダスが支配する「WORLD OF RUNNING」という大帝国なのである。


★EXPOのメイン会場「WORLD OF RUNNING」。多くのランナーたちであふれかえっていた。


★一歩足を踏み入れると、そこはアディダスの支配する大帝国。


★ベルリンマラソンのロゴが入った、アディダス製オフィシャルグッズ。ドル換算するとかなり高く、ちょっと手を出すのをためらうほどだったが、それでも飛ぶように売れていた。


★ウェア類は、目の保養にとどめておくことにして…。


★今回ゲットしたのは、ランナーズキャップとグローブの小物系。この2つで約€30.00。


★ドイツに来たからにはMade in Germany。別の会場でドイツ製ハイテクソックスをゲット。明後日のレースは、これで走ることにした。長いほうにするか、短いほうにするかは、当日の気候を見て決めるということで。

(レース編につづく)


【大会レポート】第11回ケベックシティ・マラソン

2008年08月27日 | 大会レポート 2008


★セントローレンス川を渡るフェリーから見た、シャトー・フロンテナック
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8月24日(日曜日)、ケベックシティ・マラソンに参加。これが通算10度目のフルマラソンとなる。
カナダ遠征は、昨年9月のトロント・ウォーターフロント・マラソンに続いて2度目。

同じカナダでも、英語で用が足せるオンタリオ州と、フランス語が唯一の公用語であるケベック州とは、まるで別の国のような雰囲気だ。

宿泊したホテルは、新市街のグランダレ大通り沿いに位置するシャトー・ローリエ
ここは3つあるオフィシャル・ホテルのひとつであり、パスタディナーの会場になっていたこともあって、多くのランナーが宿泊していた。レース当日の朝は、専用のシャトルバスで、フェリー乗り場に向かう。そしてフェリーに乗って、セントローレンス川を挟んだ対岸の街レヴィに渡り、ここからさらに別のシャトルバスに乗り換えて、フルマラソンのスタート地点に向かうのである。


★対岸の街レヴィに向かうフェリーにて。後方にケベック旧市街の光景が見える。


★フェリーの甲板に佇むランナーたち。
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このレースを迎えるにあたって最も心配していたのが、気温の上昇だった。前日の土曜日も、高緯度に位置するケベックとしては季節はずれの暑さだったが、レース当日も快晴で、かなり暑くなりそうだった。なにしろ、夏のフルマラソンは初体験。さらにはスタート時刻が比較的遅い(午前8時30分)ので、どうしても正午過ぎのゴールになってしまう。

作戦としては、体力の消耗を避けるために、余力を残したペースで前半を乗り切ること。そして、ケベックブリッジを渡ってからの終盤で勝負をかける、というものだった。

ちなみに、この大会の距離表示は少し変わっていて、「残り○○㎞」という黄色い看板が1㎞ごとに登場してくる。数字がだんだん小さくなっていくのだ。

それとは別に「これまでに○○mile進んだ」という赤い看板も5mileごとに出てくるので(こちらは当然、数字がだんだん大きくなる)、両方の距離表示を参考にしてペースを調整することができる。今回は、ひとまず残り40㎞を起点にして、5㎞ごとにラップを取ることにした。

残り40km      12分05秒 
残り35km      39分04秒(残り40㎞から35㎞まで 26分59秒)
残り30km 1時間06分19秒(残り35㎞から30㎞まで 27分15秒)
残り25km 1時間33分21秒(残り30㎞から25㎞まで 27分02秒)
残り20km 2時間01分13秒(残り25㎞から20㎞まで 27分52秒)

前半のハーフは1時間55分台と、まずまずのペース。レヴィの小高い丘を出発し、しばらくの間はダウンヒルの直線道路を東に向かう。バイクパスに折れてからはセントローレンス川の南岸を西に向かうコース。このあたりは、川沿いの美しい眺めと、適度に日陰のある並木道と、地元住民が「ブラボ、ブラボ」とフランス語で呼びかけるアットホームな声援のおかげで楽しく走ることができた。

残り37km地点あたりからは、今回初めてお会いしたジョグノート仲間のmikaさんと並走。バンクーバー在住のmikaさんは、夏の間はケベックに住むご主人の実家で生活している。今年5月のバンクーバー・マラソンでサブ4を達成しただけあって、なかなか速い。少なくともこの段階までは、お互いに調子が良さそうに思えたのだが…。試練は後半に訪れた。

第1の試練は、中間地点を過ぎたあたりで突然現われた急坂。ここに至るまでのコースも起伏はあったが、ペースに影響するほどではなかった。だが、この急坂は違う。セントラルパークのノースヒルもかくやと思われる急勾配で、さすがに残り20㎞から15㎞の間でガクッと減速してしまった。

残り15㎞からは、いよいよケベックブリッジを通過。このあたりは多少盛り返し、終盤に望みをつないだのだが…。残り10kmを過ぎてから、思いもよらぬ、第2の試練に出くわすことになった。


エッフェル塔の仮装で走るランナーとその仲間たち。


★残り15km地点、ケベックブリッジに突入する。


★建設中に2度崩壊したといわれるケベックブリッジ。歴史を感じさせる趣きだ。
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残り15km 2時間31分19秒(残り20㎞から15㎞まで 30分06秒)
残り10km 3時間00分13秒(残り15㎞から10㎞まで 28分54秒)

ここまでは、まだどうにかサブ4を死守できそうなペース。いよいよ最後の追い込み、と気合を入れて飛ばそうとしたのだが…。

まったくスピードが出ない。残り10kmから残り9kmまで、なんと6分15秒かかってしまう。
残り9kmから残り8kmまでは、さらにペースが落ちて6分30秒。
いったい、どうしたことだ?

ケベックブリッジを越えて、セントローレンス川の北岸を東に向かうコースに入ってからは、平坦で走りやすくなるはずだった。しかし実際は日差しを遮るものがなくなり、体感温度がみるみる急上昇していくのがわかった。給水所のたびに、水を頭からぶっかけて冷却するのだが、もはや追いつかない。そして残り10km、カンカン照りの日差しがついにオーバーヒートを招き、体力が限界に達したのである。

ふと周囲を見ると、いつになく歩いているランナーが多い。さらに行くと、すぐ目の前で、倒れたランナーが救急車で運ばれていく壮絶な光景を見る。そうこうするうちに、自分もいつしか意識が朦朧としてきた。さすがに今回ばかりは身の危険を感じ始めた。

最近のフルマラソンは、ほとんど歩かずに完走している。それだけに「苦渋の決断」だったのだが、残り7km地点で、意を決して少し歩くことにした。

ただし、歩き過ぎると、2度と走れなくなってしまうことも経験上知っている。なので、少し歩いたら、走り始め、また歩き、また走ったりしながら、とにかく無事に完走メダルをゲットすることだけを考えてゴールに向かった。こうなると、1kmごとの距離表示が異様に長く感じてしまう。

残り5km 3時間33分23秒(残り10㎞から5㎞まで 33分10秒)

普段のジョグなら何でもない「残り5km」という距離が、重くのしかかってくる。
「あと5Kmもあるのか…」 
この思いを、「あと5㎞でゴールだ」という前向きな気持に必死で切り替えていく。

そして、残り5㎞から34分09秒という時間をかけ、ようやく旧市街北側に位置するゴールに到達。

ネットタイム、4時間07分32秒

久しぶりに4時間を超えてしまったが、今回の状況では、これが精一杯。
むしろ無事に完走できたことを、素直に喜ぶべきかもしれない。

翌日のニュースによると、今回のレースで51歳の男性ランナーがゴール3km前で倒れ、亡くなったという。それを聞くと、生きて帰れただけでも感謝だ。

今回は、過酷なサヴァイバル・レースを経験することができた、という点で、意味があったかもしれない。もちろん一流選手にとっては、このくらいの暑さは朝飯前だろうが、自分のレヴェルでは、まだまだ体が適応し切れない。おそらく今後しばらくの間は、夏の時期や亜熱帯地方など、猛暑が予想されるフルマラソンを走ることはないだろう。


★ゴール近くの公園で水遊びをする子供たち。真夏の暑さが実感できる光景だ。


★しばしの休息の後、道行く人に記念写真を撮ってもらう。


★ライトが点滅する完走メダルと、アート感覚豊かなゼッケン。


【大会レポート】第3回NYCハーフマラソン Presented by NIKE

2008年07月29日 | 大会レポート 2008


★第3回NYCハーフマラソンの表彰式。女子の部では、キャサリン・ヌデレバ選手が第1回大会に続く2度目の優勝。3位には、加納由里選手が入る。
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7月27日(日曜日)。今年3回目を迎えるNYCハーフマラソンを3年連続で走る。

早朝5時くらいからサンダーストームに見舞われる不穏な天候。一時はレース開始が遅くなるかとも思われたが、開始予定時刻の7時までには雨脚が一段落し、いくぶん涼しくなった空気の中で、1万人を超えるランナーがスタートを切った。

まず、前半のセントラルパーク。今月に入ってからあまり距離を踏んでいないこともあって、抑え気味に走る。調整不足のためか、今回はいつにも増してアップダウンがキツく感じられた。

最初の3mileは8分ペースを大幅にオーバー。5㎞地点の通過タイムは25分を超えるスローペース。その後6mileまでは、ギリギリで8分を切るという苦しい闘いが続き、10㎞地点の通過タイムも50分を超えていた。

1mile   8分09秒 
2mile  16分21秒 (1mileから2mile 8分12秒)
3mile  24分33秒 (2mileから3mile 8分12秒)
4mile  32分28秒 (3mileから4mile 7分55秒)
5mile  40分27秒 (4mileから5mile 7分59秒)
6mile  48分25秒 (5mileから6mile 7分58秒)

脚も重く、この調子では、良くて1時間45分くらいかな…という感覚だった。

ところが6mile付近で突然、流れが変わる。

きっかけとなったのが、ある女性の応援の一言。それも自分への応援ではなく、「アヤちゃん頑張って~!」という声援だった。アヤちゃんというのは、NYマラソン中毒患者の会のラン仲間。声の主は、同じ中毒患者のラン仲間、みゆきさんだった。

その声援を聞いて、「あっ、アヤちゃんが近くを走っているのか」と思い、何となく気持ちが楽になった。闘っているのは自分だけではない。苦しさに気を取られ忘れかけていた、当り前の事実に気がついた時、「それじゃ自分も頑張らなきゃ」と急に力が湧いてきたのである。

結果的に、その「女神の声」は、自分への応援エールとなったのだ。

これを分岐点に、それまで死にかけていたのが嘘のように、驚異の逆襲が始まる。

7mile      56分09秒 (6mileから7mile   7分44秒)
8mile  1時間03分40秒 (7mileから8mile   7分31秒)
9mile  1時間11分18秒 (8mileから9mile   7分38秒)
10mile  1時間18分53秒 (9mileから10mile  7分35秒)
11mile  1時間26分34秒 (10mileから11mile 7分41秒)
12mile  1時間34分14秒 (11mileから12mile 7分40秒)
13mile  1時間41分35秒 (12mileから13mile 7分21秒)

7番街からタイムズスクエアにかけては、いつもながら沿道の大声援で気分が高揚し、一気に加速。
10mile地点で1時間18分台に乗せた時、タイム的にもまだまだ行けると確信する。疲れの出てきた11~12mileの直線コースをどうにか粘り、最後の1mileは、ほぼ全力疾走で駆け抜けた。

ゴールタイムは

→→→1時間42分15秒(7:48/mile)。

終わってみれば、自己ベストまで、あと16秒と迫るセカンドベストを記録。
絵に描いたようなネガティブ・スプリットで、昨年に続き1時間42分台をキープした。

レース前の調子は決して満足なレベルではなく、いい時期の7~8割の仕上がりという感じだったが、その状態でもこれだけのタイムで走れたのは好材料かもしれない。

レース後は、ミシガン州在住のラン仲間、コスメル前村さんと表彰式を見学に行く。

女子の部では、前日のエキスポで、夢のご対面を果たしたキャサリン・ヌデレバ選手が2度目の優勝。36歳になるが、まだまだ強い。北京五輪に向けて、調子を上げてきているようだ。


★レース前日、「Meet the Athletes」のコーナーで、参加者の質問に答えるキャサリン・ヌデレバ選手。左は北京五輪マラソン米国代表のデイゼン・リツェンハイン選手。


★なんと、ヌデレバ選手との2ショットが実現!


★ヌデレバ選手のサイン入りゼッケン。「God bless you」の言葉通り、本番では不思議な力を発揮?


★「影の功労者」となったアヤちゃんと記念撮影。


★ミシガン州から参加したコスメル前村さんも加わって、もう1枚。


【大会レポート】第11回テタボロー空港5kmレース

2008年07月28日 | 大会レポート 2008



先週土曜日(7月19日)、地元テタボロー空港の敷地を開放して行なわれた5kmレース「Teterboro Airport 5K」に、NJ州在住のラン仲間、飛脚さんと一緒に参加。空港の滑走路上の折り返しコースを走った。

NYC近郊にはジョン・F・ケネディ、ラガーディア、ニューアークという3大空港があるが、テタボロー空港は、おもにプライヴェート飛行機が発着する小さな空港で、記憶に新しいところでは、2006年11月、当時ヤンキースに在籍していたコリー・ライドル投手を乗せた飛行機が、この空港を飛び立った後、マンハッタンのイーストリバー沿いのビルに激突するという事故があった。

さて、レースであるが、この時期としてはスタート時間が比較的遅く、午前8時半。その時間だと、すでに真夏の太陽が照りつけている。

滑走路コースなので、起伏がなく、平坦で走りやすいはずなのだが、コース上にまったく日影がないので、かなりキツい。実際、スタートから最初の1mileは7分28秒かかり、2mile目では7分03秒と追い上げたものの、最後の3分の1はバテバテだった。

ゴールタイムは22分42秒(7:18/mile)。5kmレースを走るのは2年ぶりだったので、このタイムでも一応自己ベスト達成。しかも年代別順位が51人中9位。公式レースでは初めて一桁台の順位に食い込んだ。

日中は35℃を超える暑さ。それに、この日は日本から帰ってきてから、まだ3日目。
時差ボケとの闘いは続く…。


★すっかり名物となった「Larry the Light House」が、このレースにも出現。


★年に1回、空港の敷地を開放して行なわれるレース。今回の参加者は787名。


【大会レポート】FRNY Lesbian and Gay Pride Run (5mileレース)

2008年06月29日 | 大会レポート 2008


★ゴールの両側に同性愛者のシンボル「虹色の旗」が立っている。
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NYCでは毎年、6月の第4日曜日にゲイ・パレードが行われるが、その前日の土曜日に開催されるのが、今や恒例となった「Front Runners New York Lesbian and Gay Pride Run」という5mileレース。同性愛者とその支援者で構成されるランニング・クラブ「Front Runners New York」のランナーが200人以上参加する大会ということで、人によって抵抗があるのか、いつものNYRRレースに比べると参加人数は少ない(とは言っても、今年は3000名を超えたが)。それだけを考えれば比較的走りやすく、狙い目のレースと言えるだろう。

しかし、時期が時期だけに、猛暑に当たると5mileという距離も厳しい闘いになる。今回は、午前9時のスタート時、すでに華氏80度(摂氏27度)。先日のJapan Dayも暑かったが、それを上回る灼熱レースとなった。

最初はじっくりと抑えて、あとから徐々にペースを上げていく作戦を取る。1~2mile目はほぼ青写真通りだったが、このあたりから体感温度が急激に上昇。コース脇から噴き出しているスプリンクラーの水を浴び、給水所ではコップの水を頭からぶっかけながら走った。

ペースアップを狙った3mile目で、逆に失速。

4mile目に至っては、キャットヒルの途中で止まりそうになり、このまま歩いてしまおうかとの誘惑にかられた。しかし近頃はフルでさえ歩かずに完走しているのに、5mileごときで歩きたくない。一瞬、棄権という思いもよぎったが、我慢してどうにかゴールまで走り通した。

1mile   7分37秒 
2mile  15分00秒 (1mileから2mile 7分23秒)
3mile  22分40秒 (2mileから3mile 7分40秒)
4mile  30分44秒 (3mileから4mile 8分04秒)
5mile  38分27秒 (4mileから5mile 7分43秒)

ゴールタイムは38分27秒。最低でも37分台、あわよくば36分台も視野に入れていただけに、結果だけを見れば典型的な駄目レース。だが、年代別順位はそれほど悪くなかった(114人中18位)。たぶん、全体的にタイムが振るわなかったのだろう。

それよりも問題は、2日ほど前から歯が痛みだしたこと。気になって、戦闘意欲がそがれること甚だしい。さっそくレース後、歯医者に応急治療をしてもらったが、なんと「しばらくはアルコールと激しい運動を控えるように」とのご通達。

7月3日からの夏休みを目の前にして、なんともタイミングが悪い話で、正直凹んでいる。

どのくらいなら走っていいんだろう?
LSDのスピードなら、とうてい「激しい運動」とは言えないだろうけれど…。


★ゴール後は、ボランティアによるアイスキャンディの配給があった。


★レース後に行われた、Cheer New Yorkのメンバーによる応援のパフォーマンス。


【大会レポート】NYRR New York Mini 10K (ボランティア)

2008年06月08日 | 大会レポート 2008


★オレンジ色のベストを受け取った後、所定の場所に向かうボランティアたち。
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6月7日(土曜日)。NYRRのレースに参加して4年目、この日、初のボランティアを体験した。

女子のみが参加する「NYRR New York Mini 10K」。このレースは、別名「The World's Original Women's-only Road Race」(世界初の女性ロードレース)とも呼ばれる伝統的な大会で、毎年世界のトップアスリートが招待されてくる。日本人選手の参加者も例年多く、3年前は、千葉真子選手と有森裕子選手も参加した(その時の写真は、こちら)。

今年も、北京五輪のマラソン女子アメリカ代表に選ばれた3人の選手を始めとして、各国から有力なランナーがエントリーしてきた。

さて、自分がボランティアとして担当したのは、コースマーシャルという仕事である。セントラルパークのコースは、道幅すべてを使うことはできない。必ず道路半分を公共トラフィックのために空けなければならないことになっている。参加するランナーが多いと、集団がふくらんでしまい、道路をふさいでしまう可能性が出てくる。それを防いで、ランナーが所定のコース(道路の片側のみ)を走るように誘導するのが、コースマーシャルの役割である。

自分が受け持ったのは。East 102St.近く。中間地点を過ぎて、3.5mileくらいにあたる場所だった。

スタートから、約17分。パトカーの先導の後、タイムを表示したオフィシャルカーに導かれて、3人のトップグループが通過。飛ぶような走りで、あっというまに通り過ぎた。この時点では、北京五輪アメリカ代表のディーナ・カスターが先頭に立ち、続いてマダイ・ペレヅ(メキシコ)、ヒルダ・キベット(オランダ)が付いていく展開だった。

続いて、他の招待選手も続々と通過。やがてランナーの数が増え、NYマラソン中毒患者の会のアヤさんに始まり、飛脚さん、「ま」さんの姿も確認することができた。

スタートから1時間も経つと、ほとんどのランナーは歩いている。1時間で3.5mile地点を通過するわけだから、時速5㎞ちょっとくらいの計算になる。ということは、ほぼスタートと同時に歩き続けているのだ。実際、それが精一杯というランナー、いやウォーカーはたくさんいるというのが現実である。

さらに、この日はとても暑く、多くのランナーにとっては体調管理が大変だったかもしれない。「トイレはどこ?」、「水はどこで飲めるの?」と聞いてきたランナーもいた。

「4mile地点を過ぎたところにあるよ」と答えると、「ひゃ~」という顔をされる始末。

あとでオフィシャルサイトを見たところでは、参加人数は4000名ちょっと。この日のボランティアを通じて、トップランナーから健康ウォーカーまで、それぞれのレベルで全力を尽くすという、市民レースの全体像を目の当たりにできたことは、貴重な体験である。

ボランティア終了後は、解散場所のE90St付近から反時計まわりにセントラルパークを1周。1mileほど走ったところで、中毒患者の会の馬次郎さんと遭遇し、一緒におしゃべりJOGを楽しんだ。


★先導のパトロールカー。いよいよ先頭集団がやってくる。


★タイムを表示したオフィシャルカー。絶妙なタイミングで運転するテクニックは見事。


★先頭集団の3人。左からディーナ・カスター(33:14で3位)、マダイ・ペレヅ(32:49で2位)、ヒルダ・キベット(32:43で優勝)。