AKB48のニューヨーク初登場で盛り上がった今年のアニメ・フェスティバル。9月25日(金)から27日(日)までの3日間の開催で、全世界から3万人以上のアニメファンが集結した。現代の「アキバ文化」を代表する存在としてやってきたAKB48は、ニューヨークでの初ライブで、またたく間にアイドルの地位を確立したようだ。将来は欧米の女の子を集めて「ニューヨーク48」とか「パリ48」とかを作る計画もあるそうだが、そうなると、いよいよアキバ文化の世界制覇が実現することになる。
さて、今回会場を盛り上げたのは、AKB48ばかりではなく、コスプレ衣装を身に着けた一般の人々。
ここでは、その一部を紹介しておこう。
まずは、ガールズ・コスプレ部門。
制服系に着ぐるみ系にメイド系。本家日本の女の子はもちろん、国境を越えて皆さん可愛いアイドルになりきっている。
お次は、紅一点およびメンズ・コスプレ部門。
まるでアニメの世界からそのまま抜け出したようなカッコ良さ。
最後にスタッフ部門として、ブースの出店などで活躍していた方々に登場してもらおう。
いずれは、1ヶ月後のハロウィーン・パーティにも劣らない、ニューヨークの年中行事になっていきそうな雰囲気だ。
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9月26日(土曜日)、マンハッタンのJacob Javitsコンヴェンション・センターで行なわれているニューヨーク・アニメ・フェスティバルを見に行った。今年で第3回目を迎えるアニメの祭典。最近では欧米にも増加しつつある多くのアニメおたくが会場に集まり、賑やかなイヴェントとなった。
この日は日本からの特別ゲスト、AKB48が登場。12時30分から1時間にわたってQ&Aのセクションが設けられ、午後3時からは30分間のミニ・ライブを行なった。これは翌日ウェブスター・ホールで予定されているニューヨーク・デビューコンサートのプレビュー。大声援の中、数曲を熱唱した。
まずは、Q&Aの写真から。
インタビュー席のひな壇に並んだのは6人の選抜メンバー。左から秋元才加(1988.7.26生)、小島陽菜(1988.4.19生)、宮澤佐江(1990.8.13生)、大島優子(1988.10.17生)、前田敦子(1991.7.10生)、高橋みなみ(1991.4.8生)。18歳から21歳にかけての、夢と希望にあふれたアイドルたち。この中で将来大物になる子もいるかもしれない、と思えば、なんだか楽しみだ。
次の写真はミニ・ライブでの画像。ライブで良い写真を撮るのは、なかなか難しいものだ。動きが速いのでカメラの性能が追いついてないし、人ごみをかきわけながら撮るという技術面、条件面の問題もあって満足できるレベルには程遠い。
ただし、稀少価値という点から考えると、かなりのものになるだろう。
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3ヶ月近くに及ぶ太平洋の航海を経て、今年3月11日、ヨットでロサンゼルスに到着。
その3日後、全行程4830kmのアメリカ大陸横断マラソンに出発した寛平さんは、ついに米国東部時間の7月8日午後7時、現地在住ファンの大歓声を浴びながら、ニューヨークのゴールに到達した。
アメリカ横断に費やした日数は、休養日を除いて104日。単純計算で、1日につき平均46kmを走破したことになる。来る日も来る日も、フルマラソン以上の距離を走り続ける体力と精神力。とうてい、並みのランナーでは真似ができるものではない。
そして、ニューヨークでの休養も束の間、米国東部時間の7月14日午前11時、次の大陸ヨーロッパに向けて出航する。
自身の夢、そして人類の夢を賭けた、果てしなき挑戦。
まだまだ、これからが佳境だ。
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ニューヨークには、1年に一度、「ランナーのアカデミー賞」とも言うべきイヴェントがある。そのイヴェントの行なわれる夜が、New York Road Runners(NYRR)が主催するClub Night。今年は3月24日(火曜日)、ハードロック・カフェにて開催された。
映画のアカデミー賞と同じく、趣向を凝らした演出で、それぞれの年代部門でノミネートされた数人のランナーの中から、この1年で最も活躍したランナーが1人選ばれ、壇上でスポットライトを浴びる。
そして今年は、男子50~55歳の部で、なんとNYマラソン中毒患者の会(NYMCKK)の大御所・馬次郎さんが、栄誉ある「ランナー・オブ・ザ・イヤー」に選出されたのである。
馬次郎さんが2008年度に出場したNYRR主催の大会は、ニューヨークシティ・マラソンも含めて26レース。そのうち16レースで年代別1位を獲得するという抜群な内容で、まずは文句なしの受賞と言えるだろう。
★Club Nightの会場となったマンハッタンのハードロック・カフェ(左)と、ランナー・オブ・ザ・イヤーの写真入り盾をプレゼンターから受け取る馬次郎さん。
Photos by New York Road Runners
★後日行なわれたNYマラソン中毒患者の会による受賞祝賀会で、ランナー・オブ・ザ・イヤーの盾を披露。
★ランナー・オブ・ザ・イヤーにノミネートされたランナー全員に贈られるメダル。
★花束とお菓子の記念品をNYマラソン中毒患者の会のメンバーから贈られる馬次郎さん。この日の祝賀会には総勢26人の仲間たちがお祝いに駆けつけた。
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4月6日(月曜日)、今から1週間ほど前になるが、知り合いのピアニストランナーandantinoさんとカーネギーホールでピアノリサイタルを鑑賞した。本当はご主人と行く予定だったのが、ご主人が急遽日本に出張に出かけてしまった為、クラシック好きで知られる(?)自分にチケットがまわってきたのである。
いわば、ご主人の「代打」だったわけだが、実は代打を演じたのは自分ばかりではなく、なんと、この日の出演ピアニストも「代打」になってしまったのである。
もともと予定されていたのは、クリスチャン・ツィメルマン。
日本にもたびたび来日し、人気の高いポーランド人ピアニストだ。
ところが、実際に登場したのは、ロシアのピアニスト、ウラディミール・フェルツマン。パンフレットに挟みこまれたチラシによれば、ツィメルマンは「due to illness(体不調の為(?)」、急遽ニューヨークに在住しているフェルツマンに出演を打診したところ、快くOKしてくれたとのことである。
出演者が代われば、当然、曲目も変わる。
この日のプログラムは以下のように変更された。
クリスチャン・ツィメルマン
バッハ: パルティータ2番ハ短調、BWV 826
ベートーヴェン: ピアノソナタ32番ハ短調、Op.111
ブラームス: 4つのピアノ小品、Op.119
シマノフスキ: ポーランド民謡の主題による変奏曲、Op.10
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ウラディミール・フェルツマン
バッハ: パルティータ1番変ロ長調、BWV 825
ベートーヴェン: ピアノソナタ8番ハ短調、Op.13「悲愴」
ムソルグスキー: 「展覧会の絵」(ピアノ版)
前半のバッハとベートーヴェンは、曲目が違っただけで作曲者は同じだが、メインの曲目はガラリと変更。ポーランドのシマノフスキに代わって、ロシアのムソルグスキーとなった。どちらも演奏者にとっては「お国もの」、得意のレパートリーである。
それにしても、この日会場に訪れたお客の多くは、もちろんツィメルマン目当てで決して安くないチケットを買って足を運んできたわけだから、さぞかし不満だったろうと思いきや、むしろ予想外の大物アーティストに接することができて、十分満足している様子なのがすごかった。このあたりは、長年クラシックを聴いている愛好家(年配のお客が多かった)としての、懐の深さだろうか。
フェルツマンの演奏はバッハ、ベートーヴェンもそれなりに良かったものの、やはり本領はロシア音楽。ムソルグスキーの傑作「展覧会の絵」(ピアノ原曲版)、そしてアンコールで披露したラフマニノフの「プレリュード」2曲は、これぞロシアの千両役者と言いたいほど見事なものだった。
思わぬ展開で驚いたものの、自分としては久々の「大人のプチデート」という感じで、楽しいひとときだった。
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日本には「緑の日」(もともと昭和天皇の誕生日だった4月29日のはずだが、いつのまにか5月4日になっている)という祝日があるけれども、アメリカにも「緑の日」と呼ばれる祝日がある。
それが3月17日、セント・パトリックスデーだ。
セント・パトリックスデーはアイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックの命日を祝う日で、この時期には地元アイルランドをはじめ、アイルランド移民の多いアメリカなどの地域で盛大なお祭りが行なわれる。
その中でも、ニューヨークのセント・パトリックスデー・パレードは、世界で最大規模を誇るもので、歴史もいちばん古い。1762年にアイルランドの兵士による行進が始まってから、今年でなんと248年目を迎えているのだ。
パレード開始は午前11時。終わるのが午後4時。ほぼ5時間にわたって、マンハッタン5番街の44丁目から86丁目までの通りを、沿道の熱狂的な大歓声を浴びながら切れ目のない行進が延々と続く。
3月17日の当日、会社の昼休みに、その様子を何気なく見物していた自分は、ふと思った。
この大歓声はどこかで聞いたことがあるような…。
そう、これはニューヨークシティ・マラソンと同じものだ。
ある意味、マラソンは「走るパレード」でもある。沿道で声援を送る立場からすれば、歩いて行進するか、走って行進するかの違いに過ぎない。ほぼ1年間を通してさまざまなパレードを経験しているニューヨーカーたちは、パレードの楽しみ方を心得ているのだ。
ニューヨークシティ・マラソンの大応援は、歴史を通して熟成された揺るぎないパレード文化が生み出したものかもしれない。
★聖パトリック寺院の近くを行進するキルト衣装のブラスバンド。
★帽子などの「緑のグッズ」を道行く人に販売している女性たち。
★沿道の観客たちも緑のコーディネイトを楽しんでいる人が多い。
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★ついに「STORE CLOSING」の垂れ幕が出たヴァージンメガストアのタイムズスクエア店。
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自分は音楽が好きである。特定のジャンル、あるいはアーティストに関しては、はっきり「ファン」と言えるほどの愛着がある。そんなに音楽が好きであれば、当然のごとく、「普段はもちろんipodで音楽を聴きながらランニングするんですね?」と思われることだろう。
ところが、答えは「No」なのである。
理由のひとつは「危ないから」というのもある。
自分が練習コースにしている区域は、ほとんどが車道と隣り合わせの歩道である。当然、路地からの車の飛び出しが多いし、車道を横断しなければならない箇所もある。ipodで耳を塞いでしまったら、音楽以外の物音が聞こえなくなるので、車とのコミュニケーションが取れず、大変危険な状況に陥る可能性がある。
だが、たとえ車の危険がなかったとしても、やはり自分は、走りながらipodを聴かないだろう。
その根本的な理由。それは「ipodで音楽を聴きたくないから」である。
自分が子供の頃から学生時代にかけては、LPレコードの全盛時代だった。好きな音楽を聴くためには、ラジオやTVでの放送で接する以外は、レコードを聴くしかない。しかし、レコードは高い。当時はお小遣いも少なく、自由に使えるお金が限られていたので、レコードのように高価なものは父親に買ってもらうしかなかった。だから、一度手に入れたレコードは、まさに宝物のような価値があった。古くなったからといって、簡単に捨てられるものではなかった。
時代が移り変わり、1980年代の中頃になると、CDが登場した。最初のうちは、LPに比べるとジャケットも小さいし、見栄えの面で物足りなかったが、その代わりLPに比べて収録時間が長くなり、保管がしやすくなったこともあって、次第に受け入れられるようになった。さらには入手困難になった廃盤LPが次々にCD化され、コレクション的にも十分楽しめるようになったのである。
ところが、わずか20年そこそこで、CDの時代も終わろうとしている。PCから直接ダウンロードして音楽を聴く、という方法が若い世代に浸透し、CDが売れなくなってしまったのだ。
かつてニューヨークでは、タワーレコード、HMV、ヴァージンメガストアといった大手のCD専門店がしのぎを削っていた時代があった。それがここ3~4年のうちに、次々に店舗を畳んでしまい、ただひとつの牙城であったヴァージンメガストアのタイムズスクエア店も、ついにこの春、閉店することが決まったのである(ユニオンスクエア店は、もうしばらく存続する見込み)。
同じ音楽、と思うかもしれない。けれども、レコードやCDで音楽を聴くのと、PCからダウンロードした音楽を聴くのとでは、根本的に何かが違うのではないだろうか。
その違いを「違和感」としてはっきりと感じ取ることのできる自分のような世代は、古い世代なのかもしれないし、何の疑問もなく受け入れることのできる世代こそが、現代社会に適応できる新しい世代なのだろう。
古い世代は、やがて消えていくしかない。それはどうしようもない宿命なのかもしれない。歴史は、そうやって発展してきたのだから。
しかし、それでも自分には「長年培ってきた感性だけは守りたい」という思いがある。
レコードやCDを友として、素晴らしい音楽に感動してきたバラ色の日々。
それを過去の思い出ではなく、いつまでも現実のものとして残しておきたいのだ。
少なくとも自分の目が黒い間は、今日まで自分を育ててくれたレコードやCDという古い媒体に生き延びてほしいという、ささやかな思いがある。
そういう思いがあればこそ、新しい媒体には、容易に飛びつくことができないのだ。
無駄な抵抗であることはわかっている。
が、自分はこれからも「ipodで音楽を聴かない主義」を続けていくつもりである。
(ちなみに、娘はipodの愛用者である。いわゆるデジタル・ネイティヴの世代なので、仕方がない…)
★閉店セールを始めたヴァージンメガストア(タイムズスクエア店)の店内。全品が40%~60%のディスカウントで切り売りされている。
★「Virgin」のロゴ入りのTシャツも40%引き。遠からず手に入らなくなるので、いいお土産になるかも。
★ヴァージンメガストアをバックに演奏を繰り広げる路上ミュージシャンたち。おりしも聖パトリックの祝日が近づいていたためか、アイリッシュ民謡風のロックがメインだった。
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3月13日(金曜日)、マンハッタン46丁目のとある日本料理店にて、走りっぷりもさることながら、飲みっぷりもいいラン仲間が7人ばかり集まって飲み会。持込みの焼酎、ワイン、ビールを次々に空けながら、ワイルドな夜を過ごした。さすがに記憶が飛んでいる部分があり、詳細をお伝えすることができないものの(最近、なぜか自分が登場すると手品を期待されるのだが…)、楽しいマラソン談義に明け暮れることができて満足だった。
最後はNYRR(ニューヨークロードランナーズ)の本年度「Runner of the Year」にもノミネートされている大御所・馬次郎さんも登場。次なる受賞祝いパーティ(?)での再会を約束してお開きとなった。
こういう飲み会も、間近に迫ったマラソン大会に向けての、いい弾みになったりする。
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ニューヨークでは、3月1日(日)の5kmレース中からすでに粉雪がちらつき始めていたが、翌月曜日には大雪となり、近距離フライトの大部分は欠航となって、空のダイヤは混乱を極めた。
一応旅行関係の仕事をしているので、こういうことがあると、オフィスは戦場のように忙しくなる。先月からラン→仕事→ラン→仕事の強行日程が続いていたこともあって、このあたりで、トレーニングのほうは数日間休養を入れることにした。
自分は決してストイックなアスリートではないし、厳しい訓練に耐えうるような頑強な肉体の持ち主でもないので、禁欲的なハードワークが続くと疲れてくるのである。
こんな時こそ、音楽による癒しが必要だ。
3月4日(水)の夜は、マンハッタン42nd St.にあるB.B.King Blues Clubでライヴを鑑賞。このクラブの出演者はなかなか粒ぞろいで目が離せないのだが、今夜の登場アーティストは、なんと1980年代に一世を風靡した「ミスター・フラミンゴ」クリストファー・クロス!
当時からお気に入りアーティストの一人としてCDはよく聴いており、コンサートのVTRも持っているが、正真正銘の実物を目の当たりにするのは、初めての機会だった。
ライヴ会場は満員。自分とほぼ同年代か、それより若いアメリカ人が大部分を占める。男性客よりも女性客のほうが若干多いだろうか。あのスウィートなハイトーンには、確かに女性心をくすぐるものがあるだろう。
1曲目、よく知られた初期のナンバー「Never Be The Same(もう二度と)」で始まる。
5曲目は、ビルボード1位の大ヒットを記録した「Sailing(セイリング)」。会場の拍手がひときわ盛り上がる。
ここからあとは、中期から後期にかけての佳曲として忘れることのできない「In The Brink of An Eye(瞳のきらめき)」、「Swept Away(流されて)」などを聴かせていき、いよいよ13曲目、待ってました!とばかりに「ニューヨークシティ・セレナーデ」の邦題で知られる「Arthur's Theme」の登場。歌っている途中から大喝采で、場内の興奮は最高潮に達した。
15曲目にあたる本編の締めは、往年の名曲「Ride Like The Wind(風立ちぬ)」。
さらにアンコールとして「All Right(オール・ライト)」、「Words of Wisdom(英知の言葉)」の2曲を披露し、円熟味を増した名アーティストのライヴの幕を閉じた。
やはり活力ある人生には音楽が必要、と強く実感。
停滞気味だった気持ちも復活し、週末あたりには、ランも再開できそうだ。
★クリストファー・クロスの出演を伝える看板。
★B.B.King Blues Clubのステージで演奏するクリストファー・クロス(左から2人目)とバックミュージシャン。
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★★★ A HAPPY NEW YEAR !! ★★★
タイムズスクエアのカウントダウンと言えば、新年を迎えるニューヨークの一大行事であり、この夜は毎年世界中から殺到する観光客で大変な騒ぎになるのだが、ニューヨーク周辺在住のランナーにとっては、セントラルパークで開催される「ミッドナイト・ラン」(正式にはスポンサー名を冠して「Emerald Nuts Midnight Run」)こそが年明けを飾る最大の行事となる。ミッドナイト・ランは午前0時にスタートする4mileファンランがメインであるが、それに先立って、コスチューム・コンテストやダンスパーティなども行なわれ、楽しく盛り上がるイヴェントだ。
さて、今年のミッドナイト・ランは、例年にない寒さの中で行なわれた。わざわざ12月31日の夜を狙ったかのように急激に冷え込んだばかりか風も強く、体感温度は-15℃。間違いなく、今後も語り草になるであろうほどの、異常低温である。
こんな夜に外出しようなどとは、まともな人であれば、とうてい考えつくものではないし、事実NJ州には「外出禁止令」めいたものも出ていたのであるが、しかし「走る人」という人種は、もはや世間一般の常識を超越しているのであろう。「やはり新年は走って出発したい」という気持ちが上回り、自分も仮装で参加することにした。
今回の仮装は簡単である。カウボーイハットにバンダナ。特別に用意したグッズはこれだけである。シャツとジーンズ、それにジーンズジャケットは普段着でOK。もちろんそれだけでは寒いので、シャツの下にはトレーナーを重ね着することにした。「丑年だから」というのは、実は考えていなかったのだが、言われてみれば確かに今年の干支にも合致することになった。
当日の夕方は家族に買い物を頼まれており、さらにはニューヨーク行きのバスがなかなか来なかったこともあって、会場に着くとすでに11時45分。カウントダウンが始まろうとしていた。スタートエリアで、ようやく仮装をしたラン仲間と合流。午前0時と同時に、例によってド派手な花火が打ちあがり、4mileのファンランがスタートした。
この大会の名物は2mile過ぎの給水所でふるまわれるシャンペン。とは言ってもアルコール抜き。しかも今年はシャンペンですらなく、アップルサイダーだった。それでも異常低温によってすっかりフローズンシャーベットになってしまったのはご愛敬で、それはそれでまた美味しかったのも事実である。
こうしてゴール後も仲間と合流して記念撮影。身を切るような寒さの中で、2009年を出発することになった。
これまでも「極寒レース」というのは何度か体験したことがあるが、どちらかと言えば1月から2月にかけてが寒さのピークで、12月の時点で-10℃を下回る日が何度もあるのは極めて異例。この分だと、3月くらいまではNYRRのレースを封印してトレーニングに専念するほうがいいかな、と真面目に考える今日この頃である。
★コスチューム・コンテストに登場したギンギラお殿様+美女3人(オスカル、セクシーパイレーツ、白雪姫)。
Photo by New York Road Runners
★疾走するドーモ君とロッキー・バルボア。
Photo by ニャーママさん
★ロッキーに扮したコスメル前村さんとツーショット。
Photo by ケンケンさん