★4mileレースのスタート前に行なわれた、獅子舞いのパフォーマンス。
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ニューヨーカーたちに日本文化を紹介する目的で始まった交流イヴェント、「JAPAN DAY」は、今年が第2回目。昨年と同じく、イヴェントに先立って、参加者3000名限定の4mileレースが行なわれた。スポンサーになった日本企業が会社ぐるみで選手を送り出しているため、いつもより日本人が多い。
今回は、「NYマラソン中毒患者の会」の主要メンバーの多くが仮装で参加。それというのも、この会の創立以来の患者であるRIKIさんが日本に帰国されるため、本人の発案で、中毒患者有志による「送別仮装ラン」が企画されたためである。
おもな仮装ランナーの面々は…
渡世人(RIKIさん)、黒影忍者(シャカリキさん)、ワンダー・ウーマンズ(じょうちゃん+ニャーママさん)、謎の美少女軍団(京太郎さん+お雪さん+Tomokoさん)、黄色い髪の紳士(内之助さん)、ガチャピン(アヤさん)、お祭りのハッピ少女(飛脚さん)、ゲゲゲの鬼太郎(???)、等々。
周囲から見れば明らかに異様な仮装集団が、セントラルパークの4mileコースを走ることになった。
ただ、ファンラン・モードの仮装集団の中で唯一、鬼太郎を演じたランナーだけは本気レースへの色気を残しており、「鬼太郎のちゃんちゃんこを着てどこまで全力疾走できるか」などと無謀な実験を目論んでいた。本来ならばカツラが必要なところだが、それをすると暑すぎると思い、髪はそのまま。つまり仮装と言っても、ちゃんちゃんこを着ただけだったのだが、実際はこれでも暑すぎた。湿度が高く(87%)、予想外に気温が上昇したのに加えて、帽子を被っていなかったことが、余計に直射日光の洗礼を浴びる結果になってしまった。
最初の1mileこそ、7分14秒という上々のペースで飛び出したものの、2mile目で早くも汗だくになり、ペースダウン。ふつうのランニングウェアでさえ、厳しい闘いを強いられるくらいの暑さなのだから、ちゃんちゃんこ1枚とはいえ、明らかに過剰な厚着である。とてもまともに走りきれるものではなかった。
で、後半はさらにペースを落とし、結局は事実上のファンランとなって、レースを終えた。
フィニッシュタイムは、30分35秒(7:38/mile)。
レース後は、仮装ランナー同士で、和気あいあいと写真を取り合う。まるで、仮装同好会の集まりのようで、楽しさで言えば、これほど楽しい大会もそうはないだろう。
★特別ゲストナンナーの土佐礼子選手。うーん、やはり細くて速そうな体型が惚れぼれする。
★今大会随一の人気を集めたワンダー・ウーマンズと、凛々しい渡世人のショット。
★謎の美少女軍団+馬次郎さんに囲まれる。皆さん、すごい実力派ランナーです。
★仮装集団+その他の重症患者たちの全体写真。
★仮装ランの後、イヴェント会場へ。けに~さん(左端)、シャカリキさん(その隣り)、RFさん(右端)。
★イヴェントのステージ上でインタビューに答える、土佐礼子選手。
★ボストン湾に面するワールドトレードセンター内に設けられたEXPO会場。
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5月25日(日曜日)、今年で第4回を迎えるボストンズ・ラン・トゥー・リメンバー(Boston's Run To Remember)のハーフマラソンの部に参加した(5mileの部もある)。
この大会は2005年にスタートしているが、当初は9・11の犠牲者追悼の目的で3月中旬頃に行なわれていた。しかし昨年の第3回大会からは、より広い範囲での「戦没者追悼」の意味も含めて、5月のメモリアルデーの週末に開催されるようになったのである。
午前8時15分のスタートに先立って、マサチューセッツ州警察の職員による、歌のプレゼンテーションがあった。まず女性職員が歌ったのは、マライア・キャリーの「Hero」。
There's a hero
If you look inside your heart
You don't have to be afraid
Of what you are
心の中を見つめれば、そこにはヒーローがいる。何も恐れることはない…。
生きる勇気を鼓舞するような歌声が、雲ひとつない青空に響きわたる。実に感動的なシーンだ。
続いて、男性職員によるアメリカ国歌の独唱が披露されると、いよいよレースのスタートを迎える。
スタート地点は、9・11の犠牲となったワールドトレードセンターと同名の建物の前。
ここからシーポート・ブルバードの長い直線コースを経て、歴史的建造物のひしめくボストンのダウンタウンに突入する。ウォーターフロント地区からクインシー・マーケットと市庁舎の近くを通り、ケンブリッジ通りを西へ。そのままロングフェロウ・ブリッジを渡って、チャールズ川対岸のケンブリッジ市に入ると、右手にMIT(マサチューセッツ工科大学)の建物が見えてくる。このあたりが3mile地点。
ここを過ぎるとチャールズ川沿いのメモリアル・ドライブを道なりに進み、ハーバード大学の近くで折り返し。そのままメモリアル・ドライブを東へ戻る形になり、10mile地点を過ぎたところで、再びロングフェロウ・ブリッジを渡り、ボストンのダウンタウンに戻っていく。
そして残り5kmの復路は、緑の鮮やかなボストン・コモン公園方面を迂回し、ボイルストン通りからワシントン通りを経て、シーポート・ブルバードの最後の長い直線道路を走りながらゴールを目指す、という魅力的なコースである。
橋越えが往復合わせて6ヶ所ある以外は、比較的平坦で、ハーフマラソンのコースとしては走りやすい部類に入るだろう。
さて、今回のラップタイムであるが、この大会は距離表示の位置が低く、最初の2mileは見逃してしまったため、3mile目からの記録になる。
03mile 23分36秒(0-3mile 7:52/mile)
04mile 31分26秒(3-4mile 7:50/mile)
05mile 39分17秒(4-5mile 7:51/mile)
ここまでは、ややゆっくりながらも、ほぼ想定に近いペース。それだけに、次の5~10mileでどれだけ加速できるかが、鍵を握っていたのだが…。
06mile 46分58秒(5-6mile 7:41/mile)
07mile 54分46秒(6-7mile 7:48/mile)
08mile 1時間02分38秒(7-8mile 7:52/mile)
09mile 1時間10分29秒(8-9mile 7:51/mile)
10mile 1時間18分14秒(9-10mile 7:45/mile)
6~7mileで目論見通り加速しかけたものの、8mile地点を頂点とする橋越えでややペースダウンし、期待したほど伸びなかった。10mile通過タイムが1時間17分台であれば、まだ自己ベストも狙えたが、やや微妙な展開になってくる。
11mile 1時間26分15秒(10-11mile 8:01/mile)
12mile 1時間34分19秒(11-12mile 8:04/mile)
11~12mileは、なぜか脚が急激に重たくなってしまった。フルマラソン3週間後ということで、やはり疲れが残っていたのか。あるいは気温が上がってきたせいで、バテてきたのか。飛ばそうと思っても、なかなか脚が上がらない。
最後、シーポート・ブルバードの長い直線で、捨て身の追い込みを試みるが、ゴールタイムは
→→→1時間43分02秒(7:52/mile)。
自己ベストには惜しくも1分03秒及ばなかった。
とはいうものの、今年走った3本のハーフの中では最もいいタイム。フル3週間後で、わずか1週間の準備期間しかなかったことを思えば、まぁ上出来だったかもしれない。
せめて、あと1週間あれば万全だったかもしれないが、これも実力のうち。
「ハーフ100分切り」の野望実現は、再度じっくり準備して、次のレースで目指すことにしよう。
総合順位 3477人中 427位
年齢層別順位(♂50-59) 171人中 22位
★開会のセレモニーでマライア・キャリーの「Hero」を歌う、マサチューセッツ州警察の女性職員。生きる勇気を鼓舞させてくれるような、素晴らしい歌声だった。
★スタート地点に向かうランナーたち。快晴の空に、ダウンタウン・ボストンの街並みが眩しい。
★ゴール後、シーポート・ブルバードを背景に記念撮影。
★完走メダルのコレクション、新たにまた一つ追加。
5月4日(日曜日)、今年2本目(通算9本目)のフル、ニュージャージー・マラソンに参加した。ニューヨークから電車で1時間半ほど南に下った海岸沿いの街、ロングブランチ(Long Branch)で、毎年春に開催されるマラソン大会。フルマラソン、ハーフマラソン、マラソンリレーの3種目が行なわれたが、今年は前回(2年前)に続いて、フルの部にエントリーした。
コースは海岸沿いのボードウォークを含む2周のループで、難所らしい難所のない平坦コース。記録が出やすく、2年前に参加した時も、当時の走力としては上出来のタイム(4時間07分07秒)でゴールした。今回も当然、目指すは自己記録更新である。
前回と今回で大きく違うところ。それは何と言ってもラン仲間の存在だ。
マラソン前日の3日(土曜日)、JogNoteというコミュニティー・サイトで知り合ったコスメル前村さんと前夜祭。イタリアン・レストランでパスタを平らげ、カーボローディングを完了。マラソン当日の朝は、同じくJogNote仲間のemikuさんに宿泊ホテルまで迎えに来てもらい、一緒に会場に向かった。会場では、お馴染みの飛脚さん、ニャーママさんとも合流。盛り上がった気分で、スタート時間を迎えることができた。
さて、今回の目標タイムであるが、最低でも3時間40分台。あわよくば…、これはやはり無謀だと気づいたのだが、3時間30分台も視野に入れていた。記録が出やすいコースということで、強気になっていたのだろう。
もちろん、前半飛ばし過ぎたら失敗する。それはわかっていたので、努めて平常心を保ちながら、「いつものロング走のつもりで、最初はゆっくり行こう」と自分に言い聞かせていたつもりだった。しかし…、やはり興奮しやすい性格なのだろうか。抑えているつもりでも、抑えきれなかった。
◆5マイルごとのラップタイム
00-05mile 41分00秒 (8:12/mile)
05-10mile 42分00秒 (8:24/mile)
1mileを過ぎたところで、なんと「マラソン中毒患者の会」の幟が見えてくる。これにはびっくりした。わざわざ、ここまで応援に来てくれていたのか! 変装した謎の美少女たちの応援を受けて、ますますエキサイトし、思いきり飛ばしてしまった。
5mile近くの地点で、再度、同じ美少女たちが出現。まさに神出鬼没である。果たして、今度はいつ現われるのか。ドキドキしながらも、調子よく走り続けた。
10-15mile 42分12秒 (8:26/mile)
ハーフの通過タイムは1時間49分。このままイーブンペースで行けば3時間38分になるはずだ。だが、そうは問屋がおろさない。ハーフを過ぎて間もなく、3時間40分のペースメーカーに追い抜かれる。このペースではやはり厳しいか…、と思いながらも、しばらく諦めきれずについて行く。やがて力尽きて離されると、やや緊張の糸が切れかけてきた。18mile以降は急激に脚が重くなり、ここからは毎度お決まりのビルドダウンが始まる。
15-20mile 44分08秒 (8:49/mile)
20-25mile 48分55秒 (9:47/mile)
22mileを過ぎたところで、3時間45分のペースメーカーにも抜かれる。このあたりが最も苦しかった地点。もはや追いかける余力もなく、かと言って諦めることもできず、ひたすらオレンジ、バナナ、ゲータレードを補給して、体力の回復を待った。
25-26.2mile 10分05秒 (8:24/mile)
そして最後の海岸通り。ここに来て、ようやく復活。いつしかマイル8分台の速度を取り戻し、「マラソン中毒患者の会」の声援にも笑顔で応えて、ゴールを駆け抜けた。
結果は自己ベストを4分ほど更新する3時間48分16秒。
後半の失速があったので、とても「会心のレース」とは言えないが、ひとまず一歩前進。素直に喜ぶことにしよう。
あとになって冷静に考えてみれば、前半は、やはり飛ばし過ぎだったかもしれない。ただ、後半の落ち込みを考えると、これだけの貯金が必要だったとも言えるし、難しいところだ。「早く安心したい」と焦る気持ちから、どうしても先行逃げ切り型になってしまうのだろうか。まぁ、結局はもっと力をつけるしかないだろう。
それにしても、今回の大会は楽しかった。これも一緒に走ったラン仲間と、わざわざ遠くから駆けつけてくれた「マラソン中毒患者の会」の内之助さん、お雪さん、京太郎さんの大応援のおかげである。
◆今回の成績
総合順位 1699人中462位
男女別(♂) 1001人中367位
年代別(50+) 106人中24位
★スタート前。左からニャーママさん(年代別3位入賞)、コスメル前村さん(2週連続フル完走)、emikuさん(年代別2位入賞)。
★ゴール後。年代別2位入賞の2号室さん(左から2人目)とその奥様、ドラえもんさん。「マラソン中毒患者の会」の幟を持つ内之助さん(右から2人目)とその奥様、お雪さん。
★「マラソン中毒患者の会」の応援団+選手たちの面々。
4月20日(日曜日)、セントラル・パークで行なわれた「adidas Run for the Parks」という4mileレースに参加した。春の本命レース、ニュージャージー・マラソンまで、あと2週間と迫ってきたこともあり、ここらで刺激走をしておきたかったのと、前日20mile(=32km)のロング走を行なった疲れが残る中で、どの程度走れるのか、という実験的な興味もあって、急きょエントリーすることにしたのである。
4mileレースは昨年6月3日の「Japan Run」以来10ヵ月ぶり。当時は全力で走って30分を切れなかったが、今の調子ならたぶん29分台の前半くらいは行くだろう、という見通しで、スタートから思いっきり飛ばしてみた。
結果はなんと!
予想を遥かに上回る28分29秒でゴール。短距離とはいえ、驚きの自己ベストが飛び出した。
以下、マイルごとのラップタイム。
1mile 7分14秒
2mile 14分13秒 (1mileから2mile 6分59秒)
3mile 21分31秒 (2mileから3mile 7分18秒)
4mile 28分29秒 (3mileから4mile 6分58秒)
最初の1mileは、キャットヒルの上り坂を含む区間だが、通過タイム7分14秒と無難な滑り出し。このくらいのペースで最後まで押していけたら上等と考えていた。
ところが、次の2mile地点。ここで自分の時計が6分59秒のラップタイムを表示した時、一瞬わが目を疑った。なんと、マイル7分を切っているではないか!
夢の6分台突入!
曲がりなりにも、ランニングを始めてから、ほぼ4年。NYRRの会員になった時から数えても、すでに3年半の走歴になるが、自分がマイル6分台を計時する日が来るなどということは、今まで想像もしていなかった。そんなタイムは、フルマラソンを3時間台前半で走れるようなエリート・ランナーでなければ無理だと思っていたし、努力だけでは越えられない壁のようにも感じていたのだ。
しかし、この日、奇跡が起きた。「奇跡」と言ってしまったが、そうとしか表現しようのないほど、自分にとっては驚くべき快挙だったのである。
ここから後半に入り、3mile地点までの上り区間では、さすがに7分18秒と減速したが、ゴールまでの最後の1マイルで再び6分58秒を計時。2度にわたって7分を切った。
総合順位は5863人中686位。男女別順位は3054人中634位。そして年齢層別では、208人中22位。強豪がボストン・マラソン参加で抜けているとはいえ、かつてない好順位だ。
「石の上にも3年」という諺があるが、やはり継続すればそれなりの成果が現われるものなのだろうか。考えようによっては、ある一定のレベルで走るための基礎体力作りには、3年という年月が必要なのかもしれない。
自分の周囲には、ランニングを始めてから、比較的短期間で速くなる人もいるが、そういう人は、すでにそれだけの基礎体力が備わっているのである。そうでない人の場合は、速く走るための基礎体力作りに、ある程度の時間をかけないといけないのだ。
ということは、自分が本当に速くなるのは、これからなのかもしれない。
◆4mile走 年度別最高記録
2005年 32分02秒 (9/1 Mind, Body, Spirit Games)
2006年 31分11秒 (2/5 Gridiron Classic)
2007年 30分02秒 (6/3 Japan Run)
2008年 28分29秒 (4/20 adidas Run for the Parks)
★レース後、adidasのマッサージ・テントには、多くのランナーが列を作っていた。
4月6日(日曜日)、コネチカット州ダンベリーで開催された、グレイター・ダンベリー・ロードレースの「ハーフマラソンの部」に参加する。
NYCからメトロノース鉄道で2時間。途中、サウスノーウォーク(South Norwalk)という駅で、北へ向かう路線に乗り換えると、その終着駅がダンベリー(Danbury)である。内陸の山間部なので、朝晩は想像以上に冷え込む。レースが始まる午前10時頃の気温が、推定で摂氏5度。あるいは、もっと低かったかもしれない。
4月のレースなので、半袖・短パンで十分かと思っていたが、それだけでは肌寒かったので、アームウォーマーとハイソックスで補完することにした。(長袖シャツとロングタイツは、荷物になるので持ってこなかった)。
普段は、都市部の比較的大きな大会に出場することが多く、このようなローカル大会にまで足を伸ばすことは滅多にない。それだけに、今回はいろいろと面喰らうような場面が多く、ある意味、笑えるネタが豊富な大会となった。
まず、ゼッケンの受取り会場。ロジャース・パークという公園にある戦争記念館(War Memorial)という施設が会場なのだが、中は体育館になっていて、そこでボランティアの若い人たちがゼッケンを手渡してくれる。参加者がそれほど多くないので、アットホームでフレンドリーな雰囲気。入口付近にはトイレもあるし、たとえ雨が降っても、この施設の中で待機できるようになっているところは、とてもいい。
ところが、着替えを済ませ、そろそろ出陣という段階になって、重大なことに気がついた。
「あれ? 荷物はどこへ預けるんだろう」
実は、荷物の預り所がないのである。地元のランナーは、ほとんど車で来るので、荷物は車の中に入れておく。徒歩圏内のランナーは手ぶらで来る、という具合なので、荷物を預ける必要はないのだ。仕方がないので、そのまま荷物をコート横の観客席に放置して、レースに出かけた。(さすがに心配なので、貴重品は身につけたが)
午前10時、ハーフマラソンに先立って、キッズランが始まる。この日のイベントは、家族そろっての団欒のひとときでもあったのだ。総勢50人ほどの子供たちが1/2マイルの折り返しコースを走ってきて、次々とゴールを駆け抜けていく。
さて、次はいよいよハーフマラソンのスタート、…なのだが、その前に重大なことを忘れていた。
「そういえば、スタート地点はどこなのだろう?」
気がつくと、ぞろぞろとメインストリートを北に向かっていく集団が見える。てっきりキッズランと同じ場所からスタートすると思い込んでいたが、そんなはずはないよな、と自問自答しながら、あわてて集団について行く。500メートルくらい歩くと、ようやくスタート場所らしきところについた。
しかし、何か目印があるというわけでもなく、民家に囲まれたごく普通の道路である。しかも、今年の大会からチップ計測になったはずなのに、チップマットすら見当たらない。
「これじゃ、ネットタイムが測れないじゃん」
と思っているうちに、大会主催者(?)らしき人の挨拶が始まった。
そして、いよいよスタート。スターターの掛け声とともに、いっせいにランナーが走り出す。ハーフマラソンの参加者は500人ちょっと。いつもセントラルパークで体験するような混雑もなく、快適にスタートすることができた。ここまではいい。
ところが10分、20分、走り続けているうちに、なんだかどうも様子がおかしいことに気がついた。距離表示が一向に見えてこないではないか。
事前にインターネットからダウンロードした案内書には、「All miles will be marked」と書かれてあったはずだがなぁ。これは、1マイルごとに表示があるという意味ではないのか…と思っていると、32分を走り過ぎたあたりで、沿道のボランティアが「4マイル!」と叫ぶ声が聞こえた。
その瞬間、「あっ、そうだったのか」と納得する。「will be marked」というのは、見えるように表示してあるという意味ではなく、叫んで教えてくれるということなのか。
が、よく聞いていると、すべてのマイルで叫んでくれるわけではなく、どうやら気が向いた時だけ叫んでいるようなので、そのうちに、いったい何マイル走っているのか、さっぱりわからなくなってくる。もちろんラップも取れない。
それに加えて、山間部のコースなので当然なのだが、やたらアップダウンが多く、スピードも出ない。というわけで、かなり早い段階からレースとして記録を狙うのはあきらめ、あくまでハーフのトレーニング・ランとして走ることに切り換えた。
そう割り切ってしまえば、けっこう楽しく走れる。都会ではお目にかかれない大自然の中、もちろん道路は舗装されているのだが、なんとなく疑似トレイル・ランをやっているような感覚もある。
ただ、交通規制はされていないので、たまに通りかかる自動車には注意しなければならない。交差点では警察官が車両誘導をしてくれるが、それ以外の個所は、ランナーの自衛能力に任されているのだ。ぼんやりしていると、レース中の交通事故というのもあり得る。
後半の推定10マイルあたりまでは、上り坂が多いタフなコースだったが、それを過ぎると、まさに転げ落ちるような、猛烈なダウンヒルが続く。前半抑えていたせいか、ここから先は、気持のいい加速(いわゆる「びゅー」)が出る余力が残っていて、落ちてくるランナーを拾いながらの展開になっていった。
あと1マイルくらいでゴールかな、というあたりで、右手のほうに、不意に見覚えのある建物が見えてきた。実は、このダンベリーというところは、クラシック音楽に詳しい人は知っているかもしれないが、20世紀前衛音楽の父と言われるチャールズ・アイヴスの生まれた町。そのアイヴスの出生記念博物館の建物がコース沿いにあったのである。写真で見ていたので、「ああ、あれか!」と、すぐにわかった。
最後は加速したまま、ロジャース・パークに戻り、公式タイム1時間46分39秒という、思っていたほど悪くない記録でゴールした。ちなみに総合順位は539人中189位、男女別では350人中160位だった。
ここで言う「公式タイム」は、もちろんネットタイムではなく、スターターが「スタート!」と言ってから、ランナーがゴールのチップマットを踏むまでの所要時間のことである。
こんな、おおざっぱなレースだが、驚くべきことに、れっきとしたUS Track & Fieldの「公認レース」として認められているのだから、距離だけは正確なのだろう。
でも、考えてみれば、チップ計測が一般的になったのは、ここ10年程度の話で、それまでは、どこの大会もわりとアバウトにタイムを測っていたはず。そもそも市民ランナーはプロではないのだから、本来、1分1秒の違いをこまごまと追及する必要もないだろう。物事、あまり正確過ぎても窮屈になる。たまにはハイテク器具を忘れて、おおらかな気持ちでレースを楽しむのもいいんじゃないか、とあらためて実感した一日だった。
★ゼッケンの受け取り会場となった戦争記念館(War Memorial)。中は体育館になっていて、レース後はバンド演奏付きの「ポストレース・パーティ」で盛り上がった。
★ハーフマラソンのスタート地点に集まるランナーたち。民家が近くにある、ごく普通の一般道路で、チップマットらしきものも見当たらない。
★ゴールする女性ランナー。ここを通過する時に表示されている時間が、おそらく公式タイム。
★戦争記念館(後方)のある、ロジャース・パーク。手前の黒い石碑は、朝鮮戦争で亡くなった兵士たちを追悼するメモリアルということだ。
★戦争記念館の前で撮影。摂氏5度前後の肌寒い気候だったので、半袖+アームウォーマー、短パン+ハイソックスのスタイルを採用する。
3月30日(日曜日)、セントラルパークで行なわれた10kmレースに参加。その名も「スコットランド・ラン(Scotland Run)」。NYCには、スコットランドの伝統文化を紹介する「TARTAN WEEK」と呼ばれる週があって、今年は3月30日から4月6日までの一週間であるが、その幕開けに開催されるのが、今年で第5回を数える、この10kmレースなのである。
毎年、キルトの民族衣装のランナーが多数出場する、国際色豊かな大会。人気も高く、今年は参加人数が7000人近くに達した。
気候はやや肌寒く、早朝の時点では氷点下だったが、午前10時のスタートを迎える頃には3℃ほどになった。晴天にも恵まれて走りやすいコンディション。レース前には「マラソン中毒患者の会」の馬次郎さん、京太郎さんと遭遇。さらにはオケさん、飛脚さんとも出会い、盛り上がった気分で列に並ぶ。ここ数日、練習のランではいい感じの加速モード(いわゆる「びゅー」)が出ていたので、久しぶりに過去の記録を上回れそうな感触でスタートした。
以下、マイルごとのラップタイム。
1mile 7分26秒
2mile 14分45秒 (1mileから2mile 7分19秒)
3mile 22分08秒 (2mileから3mile 7分23秒)
4mile 30分05秒 (3mileから4mile 7分57秒)
5mile 37分26秒 (4mileから5mile 7分21秒)
6mile 45分01秒 (5mileから6mile 7分35秒)
最後、6mileから6.2mile(=10km)までが、1分35秒。
注目のオフィシャル・タイムは
→→→46分35秒 (7:30/mile)
初めて46分台に突入する、自己ベストを達成!
7000人近くの参加者の中で、1000位以内に食い込み、年代別では246人中35位という結果だった。
前半の3mileまでが想定よりも速いペースだったせいか、3mileから4mileにかけて疲れが出て、ややペースダウン。このあたりは上りの多い区域なので、正念場だった。
ここをしのいでからは、次の5mileまではペースを挽回。しかし、最後の1mileでバテ気味になり、ラストスパートはやや鋭さを欠いた。このあたりが、今後の課題だろうか。10kmレースというのは、スピードもさることながら、最後は馬力勝負かな、という気もする。絶対的な脚力が不可欠であると同時に、体全体の野性的なパワーがないと、最後まで押しきれない。
このあたりが、ペース配分等の作戦が重要視されるハーフ・マラソンとの違いだろう。
ランナーズ5月号の特集によれば、ハーフが「知性のレース」であるのに対して、10kmは「野性のレース」であるという。なるほど、と思わせる表現だ。
★「スコットランド・ラン」恒例のエンターテイメント。パワーあふれる踊りと歌で盛り上がる。
★民族音楽とロックを融合したバンド「レッド・チリ・パイパーズ」の熱い演奏に、会場はノリノリ。
3月9日(日曜日)、セントラル・パークで行われた「New York Colon Cancer Challenge」というレースに参加する。これは毎年恒例になっている、直腸ガン(Colon Cancer)撲滅を目的としたチャリティー・レースで、今年も15km、4mile、1.7mile(walk)の3種目が行われた。自分が参加したのは15㎞レースである。
晴天だが風が冷たく、体感温度は氷点下。それに加えて、前夜のQちゃんショックを引きずっていたこともあり、あまり気合が乗っていなかった。いつもなら、レースの前日は早目に就寝し、睡眠時間を多く取るようにしているのだが、この日は日本で行われている名古屋国際女子マラソンのウェブ速報をチェックするために、スタート時間(米国東部時間では、8日の夜10時15分)から、PCの前で釘づけになっていたのである。
結局、Qちゃんがゴールするまで起きていたので、就寝時間が夜中の1時になってしまった。さらには、この夜から「Daylight Saving Time」(いわゆる夏時間)が始まるので、時計を1時間先に進めなければならない。つまり、実際には夜中の2時に床に就いたのである。そして、5時には起床しなければならなかったので、結局、たった3時間の睡眠時間でレースを迎えることになってしまった。
会場に着くと、荷物を預ける直前、「マラソン中毒患者の会」の馬次郎さんと出会った。馬次郎さんは、先週ロサンゼルス・マラソンを完走されたばかりだが、疲れている様子もない。
スタート地点では、ラン仲間のコミュニティー・サイト「JogNote」でリンクしている、コネチカット州在住のemikuさんと出会った。emikuさんも、4月に初フル(More Marathon)、5月に2本目のフル(New Jersey Marathon)をエントリーしており、立派な中毒患者になりつつある。今日は前述のように、今ひとつ気乗りがしていなかったが、彼女とあれこれお話をしているうちに、ようやくレース・モードになってきた。
以下、マイルごとのラップタイム。
0-1mile 8分12秒
1-2mile 7分18秒 (ありえないペース。明らかに距離表示の位置がおかしい)
2-3mile 8分30秒 (これも変)
3-4mile 7分30秒
4-5mile 7分47秒
5-6mile 7分58秒
6-7mile 7分32秒
7-8mile 8分14秒
8-9mile 8分00秒
9-9.3mile(15K) 2分27秒
ゴールタイムは1時間13分28秒。
PR(自己記録)に遅れること1分40秒だった。
今日はいつにも増してセントラル・パークの起伏がきつく感じられた。難所のキャットヒルはもちろん、2~3mile、7~8mileにかけて続くダラダラした上り坂も、けっこう脚にこたえた。よほど調子が良くないと、このコースでの自己ベスト更新は厳しい、と改めて実感した。
鍛錬不足もあるのだろうが、ちょっと疲れが溜まっているような気もする。次のニュージャージー・マラソンまでは、まだ8週間あるので、このあたりでお休みを入れてもいいかもしれない。やみくもに走行距離を稼ぐだけではなく、「実年齢」も考えて、無理のないトレーニングを進めていくことも必要だろう。
★新宿西口の東京都庁にて、スタートを待つランナーたち。
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2月17日(日曜日)、午前9時10分。総勢3万2千人(?)を数える市民ランナーとともに、東京マラソンの42.195kmのコースを出発した。スタート地点でランナーたちを見送る石原慎太郎・東京都知事に手を振って出発。沿道に切れ目なく続く応援風景を楽しみながら、靖国通りを飯田橋方面に向かった。
最初の3kmくらいは、混雑にまぎれてスローな展開。流れに逆らわずに走っていたが、すぐ右手を、すーっと、見覚えのある女性ランナーが追い抜いていった。
「あ、森下里美さんだ!」
ウェブサイトではいつも拝見している、アン☆ドゥの森下里美さんご本人が現われたのでびっくり。ここからは里美さんのペースに合わせて、しばらくついて行ったが、フル3時間30分以内の記録を持つ実力者だけあって、やはり速い。このまま追っているとオーバーペースになりそうだったので、自分本来のペースに戻しつつも、このあたりから、本気モードになってきた。
5km地点の通過タイム 26分45秒。
ほぼ、想定通りの滑り出し。このペースを最後まで維持できれば、自身初の3時間40分台を狙える計算になる。
8km地点近くから、見覚えのある竹橋の通りに入る。2日前にジョグした皇居周回コースだ。
やがて、日比谷公園近くの10km地点を通過。ここからは、品川駅前に向かう往復路になる。右手に、東京タワーも見えてくる。反対車線には、先に品川駅前を折り返してきたランナーが、次々とやってくる。やはり、トップランナーは速い。それに、けっこう速いランナーでも仮装をしている人が多いのにはびっくり。街をあげてのお祭りという雰囲気が伝わってくる。
こうして品川駅前までの道を往復し、有楽町駅へ右折したあたりが、中間地点。
ハーフの通過タイム 1時間52分。
ここまでは順調なペースだ。だけど、気分的に舞い上がり過ぎて、少しばかりスタミナが消耗してきたのも事実。勝負どころの後半で粘るべく、エイドに用意されているバナナなどを補給した。
22km地点を過ぎ、東京駅近くのキリンのところで、はるばる大阪から応援に駆けつけてきたakiさんと、千葉県在住のラン仲間naokopさんが待っていた。naokopさんから梅干の差し入れを受け取り、これを糧にして、浅草雷門まで一気に駆けのぼる。ここから、再び銀座方面に折り返し。
このあたりは、バレリーナの仮装をした男性のすぐ後ろを走っていたが、走りながらも、ちゃんと踊っているではないか。「バレリーナ頑張れ!」の声援も飛ぶ。
30km地点の通過タイム 2時間42分07秒。
ちょっとペースが落ちてきた。25km地点からの5kmラップは28分台。これ以上、減速したくない。そう思って、とにかく、動きを止めないで走ることに集中した。
35km地点を過ぎると、いよいよ佃大橋に始まる、橋越えの3連発。橋自体は、クイーンズボロ・ブリッジあたりと比べれば、たいしたことはないのだが、それ以前の問題として、スタミナが切れてきた。前半は5km単位でしか距離表示に注意を払わなかったが、このあたりに来ると、1kmごとの表示がとても恋しくなる。
それにしても、最後の最後まで応援が途切れない。ゴール近く、ビッグサイトのスタジアム(?)には観客席の設けられ、声援がいっそう大きくなる。
最後の直線を全力で駆け抜けてゴール。
手元の時計では、3時間53分44秒。
目標としていた3時間40分台には届かなかったものの、現在の実力と仕上がり具合を考えれば、十分納得できるタイム。記念すべき日本デビュー戦を、無事サブ4で完走できたので、満足だ。
レース終了後は、配布されたエア・サロンパスのスプレーを脚に吹きかけて一休み。更衣所には足湯も用意されているという、至れり尽くせりのサービスぶりで、感心させられた。日本のマラソンもいいものだな、というのが、偽らざる実感。
夜はJogNoteのコミュニティーで知り合ったラン仲間と、銀座のお店で打ち上げ。NYCマラソンでの「寿司レンジャー」の面々が主力だが、初対面の方々とも何人かお会いし、マラソンによる交流の輪が、また新たに広がった。
★5kmごとのラップタイム★
05km 0:26:45
10km 0:52:43 (05-10km 25:58)
15km 1:19:10 (10-15km 26:27)
20km 1:46:05 (15-20km 26:55)
25km 2:13:43 (20-25km 27:38)
30km 2:42:07 (25-30km 28:24)
35km 3:11:13 (30-35km 29:06)
40km 3:40:56 (35-40km 29:43)
42.192km 3:53:44 (40km-Goal 12:48)
★ゴール後、完走メダルをもらう。小さすぎて不評だったらしい(?)昨年よりは、かなりまともな大きな近づいたようだ。
★銀座のお店にて打ち上げ。Aloha! Moanaさん、のんのんさん、ペペロンチーノさん他、今回のマラソンで初めてお目見えした方も多数。
★レースの前日、JogNote仲間で鎌倉名所を散歩する。こちらは長谷寺。右端よりnaokopさん、miyaさん、飛脚さん、おくじいさん。
東京マラソンを走り終えて、すでに4日になろうとしているが、未だ興奮が冷めやらぬ日々が続いている、と言っても決して大袈裟ではないくらい、楽しい大会だった。特に、自分のように、日頃海外で暮らしているランナーにとっては、マラソンの運営にあたったスタッフやボランティアや応援の人たちを通して、改めて日本の素晴らしさを再発見できたことが、大きかった。
その新鮮な感動は、EXPOから始まる。自分がゼッケンを受け取りに行ったのは、2月14日(木曜日)のお昼頃。初日だったが、すでに多くのランナーが詰めかけていた。
EXPOでの最大の見ものは、各メーカーのブースで登場が予定されていた、特別ゲスト。もちろん、時間の関係ですべての著名人を拝見するわけにはいかなかったが、ちょうど運よく、アディダスのブースで、この方とお目見えすることができた。シドニー・オリンピックの女子マラソン代表、市橋有里さんである。
★「シューズの選び方」についてミニ・トークショーを行う、市橋有里さん。心が和むような、おだやかな口調と、エリート・ランナーらしいスタイルの良さが印象的。
★市橋さんは、アディダス・ランニング共和国の創設以来のメンバーだそうである。この日は、新製品のアディゼロが飛ぶように売れたのではないだろうか。
★東京マラソンの公式記念品(オフィシャルグッズ)のショップ。
★ニューバランスの出店。ランスカ姿の女性スタッフが大活躍。
★東京マラソンのオフィシャル・ドリンクとなった、アミノ・バリューの出店。
★メイン・ステージでの催し物。最終日は、あの瀬古選手の歌も聴けたらしい。
1月27日(日曜日)、セントラル・パークで開催された2008年度最初のハーフ「NYRR Half-Marathon Grand Prix: Manhattan」に参加する。
2年前までは8月下旬に行なわれていた、セントラル・パーク2周の難コース。昨年から1月下旬での開催となったのだが、当日は-6℃の極寒で、後半大失速、レース後は股関節痛でまともに歩けなくなるという悪夢のレースだった。今年は、スタート時の気温が-1℃。昨年ほどの厳しい寒さではないものの、ほとんどのランナーが厚着をしていることでもわかるように、冬本番を実感させる気候であることには変わりはない。
レースは昨年と同じく、メトロポリタン美術館近くの84丁目のループから北に向かってスタート。反時計回りのコースとなる。昨年の失敗だけは避けたいとの思いから、最初の3マイルは抑え気味に、4マイル以降もなるべくイーブンペースを意識して走ることにした。
0-1mile 8分03秒
1-2mile 8分16秒 (North Hill)
2-3mile 7分57秒
3-4mile 7分47秒
4-5mile 7分42秒
5-6mile 8分04秒 (Cat Hill)
ここまでが1周目。当初の思惑通り、最初の3マイルは無理をせず、4マイル目、5マイル目で、いい感じのペースに引き上げた。もし平坦コースであれば、ここから加速モードになるのだが、いかんせん、このコースは難所の上り坂が2ヶ所も待ち構えているので、ずっと飛ばし続けることはできない。
6-7mile 7分38秒
7-8mile 8分08秒 (North Hill)
8-9mile 7分54秒
9-10mile 7分56秒
10-11mile 8分04秒
11-12mile 8分06秒 (Cat Hill)
12-13mile 7分58秒
13-13.1mile 45秒
2周目のNorth Hillは、8分ちょっとのペースで通過。心配したほどペースダウンはしなかった。9マイル目から11マイル目までは、本来もっと加速したいところだったが、このあたりは3週間後のフル本番を考え、同じペースで維持することを優先した。
ゴールタイムは
→→→1時間44分18秒 (7:57/mile)
昨年9月に、平坦コース(Philadelphia Distance Run)で記録した自己ベストには遠く及ばなかったが、セントラルパーク2周のコースに限れば、今までで一番いいタイムだった。マイル平均8分を切れているし、フル3週間前の調整レースとしては、ひとまず合格だろう。
何よりも、昨年のトラウマが払拭できたことが大きい。これで気分を盛り上げて、東京マラソンでは、ベストの状態で臨みたいものだ。