地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

確信【日本のロシア正教の神学校の生徒がスパイに】

2014-12-14 08:22:43 | 今日の御言葉
わたしたちが神に対して
いだいている確信は、こうである。

すなわち、わたしたちが何事でも
神の御旨に従って願い求めるなら、
神はそれを聞きいれて下さる
ということである。

そして、わたしたちが
願い求めることは、
なんでも聞きいれて下さるとわかれば、
神に願い求めたことは
すでにかなえられたことを、
知るのである。


「ヨハネの第一の手紙」‬ ‭5‬章14-15‬節
(新約聖書 口語訳)




私たちのすることは大海のたった
一滴の水にすぎないかもしれません。

でもその一滴の水があつまって
大海となるのです。


マザーテレサ
(『愛のことば』より)


http://portirland.blogspot.jp/2012/12/edano-yukio-rakusenn-net-kousaku.html?m=1

▲革マル派から支援を受けていた
枝野幸男(民主党)


★「革マル派」は今…
安倍首相VS枝野氏で注目 
近年は党派色出さず組織拡大狙う

◆ZAKZAK 2014年11月4日

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20141104/plt1411041542004-n1.htm?view=pc


▲革マル派の機関紙を発行する「解放社」本社。神戸市の児童連続殺傷事件の検事調書などが流出した事件に関連し、警視庁公安部から捜索を受けた=1998年4月15日、東京都新宿区



 安倍晋三首相と、民主党の枝野幸男幹事長のバトルが激化している。「革マル派」が浸透している団体から枝野氏に対する献金問題をめぐる、衆院予算委員会(10月30日)での応酬が“場外乱闘”に発展したのだ。にわかに注目を浴びた極左暴力集団の「血塗られた党史」と、現在の巧妙な組織拡大手法とは-。

 先週末以降、安倍首相のフェイスブック(FB)には「革マル派」に関する言及が相次いでいる。これに対し、枝野氏は2日、北海道内で記者団に「何ら批判される筋合いはない。これこそ誹謗中傷そのものではないか」と反論した。

 革マル派の正式名称は「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」で、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)、革労協(革命的労働者協会)とともに「3大セクト」といわれる。

 戦後、武装闘争路線の否定に転じた日本共産党指導部に不満を抱く元党員らが発足させた日本トロツキスト連盟(1957年結成)が源流で、同連盟の流れをくむ革共同(革命的共産主義者同盟)が63年に革マル、中核両派へと分かれた。

 革マル派は70年代以降、他のセクト、とりわけ中核派との壮絶な「内ゲバ」を繰り広げ、中核派書記長殺害(75年)、全学連幹部殺害(86年)といった凶悪犯罪を引き起こす。

 冷戦後は、かつてのような陰惨な内ゲバは影を潜めたが、革マル派締め出しを進めた早大当局者への盗聴(97年)などの事件を繰り返している。活動家の数は全盛期の8000人以上から5000人程度に減少しているとされる。



 近年では、党派色を表に出さずに、「反原発運動」や「賃下げ反対運動」に乗じて、組織拡大を狙っているようだ。

 警察白書(2013年版)は「革マル派は、福島第1原子力発電所事故以降の反原発運動の盛り上がりを組織拡大の好機と捉え、『原発・核開発阻止』を主張した独自の取組を行うとともに、市民団体主催の取組に介入する形態で反原発運動に取り組んだ」とある。

 公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」(14年版)では「賃下げ反対などをスローガンに掲げて開催した『労働者怒りの総決起集会』では、『賃下げに屈した労組指導部を許さない』と連合加盟労組の執行部を批判した」とある。

(2014.11.04)





★日本のロシア正教の神学校の生徒が
スパイに

■ボイス オブ ロシア 2014年6月21日
14:58

http://japanese.ruvr.ru/news/2014_06_21/273783260/




▲© Flickr.com/ocularinvasion



なぜ日本で青年時代を過ごし、教育を受けた人々は、日本に対するスパイ活動を始めるのだろうか?ロシアの東洋学者アレクサンドル・クラノフ氏の著書「昇る太陽の陰で」を読むと、このような問いが浮かんでくる。

最近ロシアの出版社「ヴェーチェ」から刊行された同書籍の銘句には、日出づる国、日本でロシア正教の教えを広めたニコライ・イポンスキー大主教の「私たちがより深く日本を知っていたならば、我々の日本との不幸な戦争はなかったであろう」という言葉が引用されている。

知識は確かに、時おり、不幸をもたらす行動をおさえる助けとなる。これは、ニコライ大主教の人生経験が明確に物語っている。日本ハリストス正教会の最初の信者となった日本人は、ニコライ神父を殺害するために同氏のもとを訪れた、神道の祭司で元「サムライ」の沢辺琢磨氏。沢辺氏は、1968年に洗礼を受けて、日本ハリストス正教会の初の信者となった。沢辺氏は、ハリスト正教会は日本を占領するために他の国が利用しているものだと考えた。ニコライ神父は、そのことを知らずして判断を下してはならないと指摘し、沢辺氏は思いとどまった。そしてその後、ニコライ神父は自分の力の許す限り、正教やロシアに関する日本人の知識、そして日本に関するロシア人の知識を広めるために努力した。そしてその為に、ロシア正教会の神学校を東京に開校した。この学校の卒業生たちが、書籍「昇る太陽の陰で」の主人公だ。

そのうちの数人は、ずいぶん前からロシアで知られている。例えば、ロシアの格闘技「サンボ」の創始者のワシリー・オシェプコフがいる。オシェプコフは、武道の頂点への道を、新学校の同級生トロフィモフ・ユルケヴィチと一緒に日本で歩み始めた。だが彼らには、新学校の卒業生ウラジーミル・プレシャコフやイシドル・ネズナイコなどと同じように、ある共通点があった。彼らは1920年代にソ連の情報機関の職員となり、全員が日本を対象とする諜報活動を行ったのだ。

日本語や日本の文化に興味を抱いている現代の多くの人々は、「日本に住みながら日本に愛着を抱かないなんて不可能だ!なぜ彼らは、日本を対象とする諜報活動なんかを請け負うができたのだろうか?」と、神学校の元生徒達の人生における転換に当惑するだろう。

だが、その問いに対する答えは単純だ。20世紀前半、日本はいま私たちが知っているような快適で平和な国とはほど遠かった。ロシア人神学生の大部分が日本へ渡った1906年以降、日本はロシアの政治的パートナーとなったが、多くの日本人の意識の中でロシア帝国は敵であり、敗戦国であるととらえられていた。日本社会では、ロシアは日露戦争でいかなる賠償金も支払わなかったため、日本が勝利に対して得たものはあまりにも少ないという認識が広がっていた。この状況に対する不満と苛立ちは、ロシアと講和条約に調印した日本の外交官、そして恐らく、当時日本に滞在していたロシア人にもふりかかったであろう。

1917年の革命後、ボリシェヴィキ政権が日本とのパートナー関係を解消し、日本は臆面もなくロシア極東に対する武力介入への参加を決めた。米国の派遣部隊としての日本の行動は、赤軍パルチザンに対する戦闘行為だけでなく、一般市民に対する懲罰も伴った。そのため、1920年代初めまでに、軍事、および(あるいは)、東洋学的な教育を受けることができた上記の元神学生たちの多くが、ソ連の情報機関から日本を対象とした諜報活動を依頼され、ほとんど迷うことなく受け入れたのは、驚くに値しない。

(6月21日 2014年 14:58)



▲ソ連のスパイに騙された近衞文麿首相
(写真)


★諜報の裏側
(ボイス オブ ロシア日本語版より)

http://japanese.ruvr.ru/declassified_intelligence/



リヒャルト・ゾルゲ(ソ連)
コードネーム「ラムゼイ」


生没 1895-1944
言葉:「赤軍万歳!ソ連邦万歳」

絞首刑前、

彼は最後にこのように
日本語で言ったと伝えられている。

 リヒャルト・ゾルゲは、世界史の中で
最も伝説的なスパイの1人として
語り継がれている。

日本における諜報活動の中心的人物で、
1941年モスクワに、
ヒトラーが承認した
「バルバロッサ」計画と
ドイツ国防軍の師団数を伝えた。

そして同年秋には、日本がソ連を
攻撃する意思のない事を打電した。

この情報により、ソ連指導部は、
極東から首都モスクワ防衛のため、
およそ40師団を移動する事が出来た。

しかしゾルゲは41年10月、
日本の警視庁特高一課と
同外事課により逮捕され、

翌42年、
治安維持法違反などにより起訴、
44年11月7日東京巣鴨拘置所で
絞首刑に処せられた。



▲ゾルゲ事件の首謀者であり、
コミンテルンの一員であった
元朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)と
ソ連スパイのゾルゲ(写真)



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