兄弟たち、
物の判断については子供となってはいけません。
悪事については幼子となり、
物の判断については大人になってください。
『コリントの信徒への手紙一』14章20節
平和も戦争も家庭から始まります。
もし本当に世界平和を願っているなら、
まず自分の家庭が
相互に愛し合うことから始めてゆきましょう。
もし、喜びを広げてゆきたいなら、
まず、一つひとつの家庭が
喜びをもって生活することが必要なのです。
マザーテレサ『愛と祈りの言葉』より
△和紙や漆器など日本の伝統技術を使った商品の展示会は多くのタイ人バイヤーらが訪れた=バンコク(小堀晋一撮影)(写真:フジサンケイビジネスアイ)
中国こりごり…日系企業は東南アジアへ 「もはや終わった…うま味ない」
■SankeiBiz 11月20日 8時15分配信
中国全土に広がりを見せた今年夏の反日暴動から間もない10月中旬。タイ・バンコクで開かれた見本市会場に、新規開拓にかける日系企業の姿があった。バンコクにある最大規模のイベント施設BITECのメーン会場。北陸地方に工場を持つ和紙製造メーカーの担当者は「中国はもうこりごり。今後は成長著しい東南アジアで事業拡大を目指したい」と話した。
この見本市は、日本貿易振興機構(JETRO)などが参加して開かれた「バンコク国際ギフトフェア」。「JAPAN HOUSE」と名付けられた専用ブースには東北地方から四国地方まで計25の企業が参加し、和紙や漆器、鉄瓶など日本に伝わる伝統工芸品を数多く展示した。タイ政府から商務省の高官が視察に訪れるなど関心も高く、タイのバイヤー(商品買い付け担当者)など多くの関係者が詰めかけた。
ギフトフェアへの参加申し込みは中国での反日暴動以前に締め切られており、暴動が直接の呼び水となったわけではない。だが、先の和紙メーカーの担当者は「申し込みをしておいてラッキーでした。今後は軸足を東南アジアに移していくつもり」と力を込めて語った。中国に2カ所ある拠点については順次縮小し、経営資源をタイなどに集中したいという。
中国での反日暴動をきっかけとした日系企業の東南アジアシフトは、日を追うごとに顕著になっている。10月下旬に開かれたタイ最大級のフードサービス業界展示会でも、日本人バイヤーの姿が目についた。
東京から来たという輸入業の男性は、総菜など冷凍品の調達ルートを今後は中国からタイに変えたいと考えている。「暴動以来、日系企業というだけで中国人サプライヤー(商品供給者)の態度が変わった。2年前の暴動に続き今回が2回目。もうリスクは負えない」
これまで中国市場に巨費を投じてきたにも関わらず、日系企業が中国から距離を置こうと考え始めたことには理由がある。いちばんは人件費。かつては「中国の絶対的な優位点」とされた低賃金は高騰を続け、平均的な人件費は5年前の2倍にも膨らんだ。中国政府は認めないが、賃金をめぐるストライキやサボタージュは珍しくない。人材不足も追い打ちをかける。沿岸部を中心に労働者の確保は至難のわざだ。
「中国市場はもはや終わった。企業として、うま味はなくなった」。こう語る和紙メーカー担当者の目は真剣そのものだ。タイでは最低賃金が引き上げられたとはいえ、労働者1人当たりの1カ月の賃金は6000バーツ(約1万5800円)と、まだ低水準。近隣のカンボジア、ラオス、ミャンマーに至っては、タイの4分の1から2分の1程度と、「中国市場の10年前の賃金水準」(同)に過ぎない。
中国離れを加速させているもう一つの要素が、暴動の直接のきっかけともなった反日感情。日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化によって、計り知れぬほど深い溝が生じた。丹羽宇一郎中国大使(当時)が「(日中間の信頼を)再構築するには40年のエネルギーがかかる」と発言したことは記憶に新しい。中国沿岸部で漆器販売業に関わる日系商社の男性も「この10年間の信頼関係構築が泡と化した」と肩を落とす。
一方、タイなど東南アジアでは歴史的に親日感情が強く、この日系商社マンも今では月の半分以上をタイなどで過ごしているという。周辺事情も中国離れを加速させている。例えば、暴動を対象とした損害保険料の上昇。損保各社は暴動直後、新たな保険受付を一斉に停止した。一部で「再開」の動きはあるものの、保険料の上昇は不可避で保障上限が設定される見通しだ。再保険の引受先についても不透明で、「果たして保険として機能するのか」(同)と不安も少なくない。反日暴動をきっかけとした企業の中国離れは当面、続きそうだ。(在バンコク・ジャーナリスト 小堀晋一)
(SankeiBiz 11月20日 8時15分配信)
物の判断については子供となってはいけません。
悪事については幼子となり、
物の判断については大人になってください。
『コリントの信徒への手紙一』14章20節
平和も戦争も家庭から始まります。
もし本当に世界平和を願っているなら、
まず自分の家庭が
相互に愛し合うことから始めてゆきましょう。
もし、喜びを広げてゆきたいなら、
まず、一つひとつの家庭が
喜びをもって生活することが必要なのです。
マザーテレサ『愛と祈りの言葉』より
△和紙や漆器など日本の伝統技術を使った商品の展示会は多くのタイ人バイヤーらが訪れた=バンコク(小堀晋一撮影)(写真:フジサンケイビジネスアイ)
中国こりごり…日系企業は東南アジアへ 「もはや終わった…うま味ない」
■SankeiBiz 11月20日 8時15分配信
中国全土に広がりを見せた今年夏の反日暴動から間もない10月中旬。タイ・バンコクで開かれた見本市会場に、新規開拓にかける日系企業の姿があった。バンコクにある最大規模のイベント施設BITECのメーン会場。北陸地方に工場を持つ和紙製造メーカーの担当者は「中国はもうこりごり。今後は成長著しい東南アジアで事業拡大を目指したい」と話した。
この見本市は、日本貿易振興機構(JETRO)などが参加して開かれた「バンコク国際ギフトフェア」。「JAPAN HOUSE」と名付けられた専用ブースには東北地方から四国地方まで計25の企業が参加し、和紙や漆器、鉄瓶など日本に伝わる伝統工芸品を数多く展示した。タイ政府から商務省の高官が視察に訪れるなど関心も高く、タイのバイヤー(商品買い付け担当者)など多くの関係者が詰めかけた。
ギフトフェアへの参加申し込みは中国での反日暴動以前に締め切られており、暴動が直接の呼び水となったわけではない。だが、先の和紙メーカーの担当者は「申し込みをしておいてラッキーでした。今後は軸足を東南アジアに移していくつもり」と力を込めて語った。中国に2カ所ある拠点については順次縮小し、経営資源をタイなどに集中したいという。
中国での反日暴動をきっかけとした日系企業の東南アジアシフトは、日を追うごとに顕著になっている。10月下旬に開かれたタイ最大級のフードサービス業界展示会でも、日本人バイヤーの姿が目についた。
東京から来たという輸入業の男性は、総菜など冷凍品の調達ルートを今後は中国からタイに変えたいと考えている。「暴動以来、日系企業というだけで中国人サプライヤー(商品供給者)の態度が変わった。2年前の暴動に続き今回が2回目。もうリスクは負えない」
これまで中国市場に巨費を投じてきたにも関わらず、日系企業が中国から距離を置こうと考え始めたことには理由がある。いちばんは人件費。かつては「中国の絶対的な優位点」とされた低賃金は高騰を続け、平均的な人件費は5年前の2倍にも膨らんだ。中国政府は認めないが、賃金をめぐるストライキやサボタージュは珍しくない。人材不足も追い打ちをかける。沿岸部を中心に労働者の確保は至難のわざだ。
「中国市場はもはや終わった。企業として、うま味はなくなった」。こう語る和紙メーカー担当者の目は真剣そのものだ。タイでは最低賃金が引き上げられたとはいえ、労働者1人当たりの1カ月の賃金は6000バーツ(約1万5800円)と、まだ低水準。近隣のカンボジア、ラオス、ミャンマーに至っては、タイの4分の1から2分の1程度と、「中国市場の10年前の賃金水準」(同)に過ぎない。
中国離れを加速させているもう一つの要素が、暴動の直接のきっかけともなった反日感情。日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化によって、計り知れぬほど深い溝が生じた。丹羽宇一郎中国大使(当時)が「(日中間の信頼を)再構築するには40年のエネルギーがかかる」と発言したことは記憶に新しい。中国沿岸部で漆器販売業に関わる日系商社の男性も「この10年間の信頼関係構築が泡と化した」と肩を落とす。
一方、タイなど東南アジアでは歴史的に親日感情が強く、この日系商社マンも今では月の半分以上をタイなどで過ごしているという。周辺事情も中国離れを加速させている。例えば、暴動を対象とした損害保険料の上昇。損保各社は暴動直後、新たな保険受付を一斉に停止した。一部で「再開」の動きはあるものの、保険料の上昇は不可避で保障上限が設定される見通しだ。再保険の引受先についても不透明で、「果たして保険として機能するのか」(同)と不安も少なくない。反日暴動をきっかけとした企業の中国離れは当面、続きそうだ。(在バンコク・ジャーナリスト 小堀晋一)
(SankeiBiz 11月20日 8時15分配信)