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兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、
その人にはつまずきがありません。
「ヨハネの手紙一」/ 02章 10節
新約聖書 新共同訳
▼北海道の北星余市高校の教師をしていた
義家弘介氏 (現 衆議院議員)
おまえらは俺の夢だ。
義家弘介
(『ヤンキー母校に生きる』義家弘介 )
▲テスト問題を広げていた鈴木さん(左)と小峰さん
=余市町の北星学園余市高校
★《進学のいま》北星学園余市高校
◆朝日新聞社 2014年03月31日 11時31分
■人と関わる力高める
■不登校・中退者らを受け入れ
年齢も、経験も、出身地もさまざま。余市町の北星学園余市高校には、個性豊かな生徒が集う。
1965年創立のキリスト教系の全日制普通科の私立高校で、88年から全国の中退者や不登校経験者を積極的に受け入れてきた。
全校生徒は164人。6割が不登校経験者、3割が非行経験者、残る1割は校風にひかれて入学してきた生徒だという。18~20歳が半数程度を占める。
3月中旬、終業式はすでに終わり、補習と追試の最中だった。
「とおるちゃん!」
1年生の教室から、廊下を歩いていた田中亨教頭に声がかった。同校の生徒は、教師をあだ名で呼ぶ。安河内敏校長は「やっさん」だ。
* * *
声をかけたのは、鈴木諒介さん(18)ら1年生3人。数学のテスト問題を広げて雑談していた。
この学校のいいところは? 記者が尋ねてみた。
ラップをやっているという小峰英幸さん(17)は「前の学校は上から目線で、刑務所みたいだった。ここは先生と俺たちの壁がないのがいい」。
去年の11月から通う田中宏知さん(17)は「すぐに退学にして切り捨てようとする学校もあるけど、ここはそうじゃない」と言う。
多彩な子どもたちは、初めからすぐに打ち解けるわけではない。距離を近づけるきっかけの一つが、月に1回ほどのペースである行事だという。
6月には30、50、70キロのどれかを歩く強歩遠足、7月と12月にはスポーツ大会。9月には学園祭もある。行事を通じて、自然と触れあう機会が増えていくという。
校則は基本的にない。だが、何でもありというわけではない。例えば服装は自由だが、暴走族の着る特攻服は周囲を萎縮させる恐れがあるため許されない。「どこに地雷(してはいけないこと)があるか分からない」。生徒はそう言いながら、何がふさわしいのかを自分で考えるという。
生徒たちは午前9時までに登校し、午後3時すぎまで学校で過ごす。「子どもたちの問題の根本は、人間関係を築く力が未熟であること。集団で過ごす中で、人と関わる力を伸ばして社会に出してあげたい」と田中教頭は言う。卒業後は7割が進学している。
* * *
もう一つ、学校生活で重要な役割を果たすのが下宿生活だ。付近に十数軒の下宿があり、9割の生徒がそこで生活をしている。「親が料理するところを見たことがない」という生徒もいて、家庭らしさを味わう場でもある。
竹達征夫さん(72)と昭子さん(71)は98年から自宅で下宿を経営している。男子専用で定員は9人だ。
冬場に通学用の自転車が雪に埋もれているのを見るのが忍びなくて、庭のサクランボの木を切り倒して自転車小屋を作った。「学校を辞めたい」という子には、「卒業までやり遂げるのか投げ出すのか。自分で考えなさい」とあえて突き放したこともある。
「失敗したら、やり直したらいい。いくらでもやり直しはきくんだから」と2人は言う。
函館市の寺島真寿美さん(54)は元保護者だ。次男(25)は中学生の時に不登校になり、高校は同校に進んだ。今は就職して横浜にいる。当時は周囲に悩みをなかなか相談できなかった寺島さんにとって、同校のPTAは貴重な居場所でもあったと振り返る。
高校時代、次男が友達を家に連れてきたことがあった。車内での次男たちの会話が印象に残っている。「あいつ変わってるよな」。悪口でも言うのかと思ったら、「日本史を語らせたら学校一だよな」。お互いの良いところを見ようとしてるのだと思い、会話を聞くのが楽しくなった。
高校生活を送る中で次男は元気を取り戻し、弁論大会などにも参加した。
寺島さんはこう話す。「自分を認め、自信を付けて、自立させる。北星学園余市高校は、そんな場所を目指しているんじゃないかと思うんです」
(磯崎こず恵)
http://www.asahi.com/articles/CMTW1403310100009.html
(朝日新聞社 2014年03月31日 11時31分)
▲『ヤンキー最終戦争』義家弘介 (写真)
(産経新聞出版)
本当の敵は日教組だった
【今日の御言葉】
兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、
その人にはつまずきがありません。
「ヨハネの手紙一」/ 02章 10節
新約聖書 新共同訳
▼北海道の北星余市高校の教師をしていた
義家弘介氏 (現 衆議院議員)
おまえらは俺の夢だ。
義家弘介
(『ヤンキー母校に生きる』義家弘介 )
▲テスト問題を広げていた鈴木さん(左)と小峰さん
=余市町の北星学園余市高校
★《進学のいま》北星学園余市高校
◆朝日新聞社 2014年03月31日 11時31分
■人と関わる力高める
■不登校・中退者らを受け入れ
年齢も、経験も、出身地もさまざま。余市町の北星学園余市高校には、個性豊かな生徒が集う。
1965年創立のキリスト教系の全日制普通科の私立高校で、88年から全国の中退者や不登校経験者を積極的に受け入れてきた。
全校生徒は164人。6割が不登校経験者、3割が非行経験者、残る1割は校風にひかれて入学してきた生徒だという。18~20歳が半数程度を占める。
3月中旬、終業式はすでに終わり、補習と追試の最中だった。
「とおるちゃん!」
1年生の教室から、廊下を歩いていた田中亨教頭に声がかった。同校の生徒は、教師をあだ名で呼ぶ。安河内敏校長は「やっさん」だ。
* * *
声をかけたのは、鈴木諒介さん(18)ら1年生3人。数学のテスト問題を広げて雑談していた。
この学校のいいところは? 記者が尋ねてみた。
ラップをやっているという小峰英幸さん(17)は「前の学校は上から目線で、刑務所みたいだった。ここは先生と俺たちの壁がないのがいい」。
去年の11月から通う田中宏知さん(17)は「すぐに退学にして切り捨てようとする学校もあるけど、ここはそうじゃない」と言う。
多彩な子どもたちは、初めからすぐに打ち解けるわけではない。距離を近づけるきっかけの一つが、月に1回ほどのペースである行事だという。
6月には30、50、70キロのどれかを歩く強歩遠足、7月と12月にはスポーツ大会。9月には学園祭もある。行事を通じて、自然と触れあう機会が増えていくという。
校則は基本的にない。だが、何でもありというわけではない。例えば服装は自由だが、暴走族の着る特攻服は周囲を萎縮させる恐れがあるため許されない。「どこに地雷(してはいけないこと)があるか分からない」。生徒はそう言いながら、何がふさわしいのかを自分で考えるという。
生徒たちは午前9時までに登校し、午後3時すぎまで学校で過ごす。「子どもたちの問題の根本は、人間関係を築く力が未熟であること。集団で過ごす中で、人と関わる力を伸ばして社会に出してあげたい」と田中教頭は言う。卒業後は7割が進学している。
* * *
もう一つ、学校生活で重要な役割を果たすのが下宿生活だ。付近に十数軒の下宿があり、9割の生徒がそこで生活をしている。「親が料理するところを見たことがない」という生徒もいて、家庭らしさを味わう場でもある。
竹達征夫さん(72)と昭子さん(71)は98年から自宅で下宿を経営している。男子専用で定員は9人だ。
冬場に通学用の自転車が雪に埋もれているのを見るのが忍びなくて、庭のサクランボの木を切り倒して自転車小屋を作った。「学校を辞めたい」という子には、「卒業までやり遂げるのか投げ出すのか。自分で考えなさい」とあえて突き放したこともある。
「失敗したら、やり直したらいい。いくらでもやり直しはきくんだから」と2人は言う。
函館市の寺島真寿美さん(54)は元保護者だ。次男(25)は中学生の時に不登校になり、高校は同校に進んだ。今は就職して横浜にいる。当時は周囲に悩みをなかなか相談できなかった寺島さんにとって、同校のPTAは貴重な居場所でもあったと振り返る。
高校時代、次男が友達を家に連れてきたことがあった。車内での次男たちの会話が印象に残っている。「あいつ変わってるよな」。悪口でも言うのかと思ったら、「日本史を語らせたら学校一だよな」。お互いの良いところを見ようとしてるのだと思い、会話を聞くのが楽しくなった。
高校生活を送る中で次男は元気を取り戻し、弁論大会などにも参加した。
寺島さんはこう話す。「自分を認め、自信を付けて、自立させる。北星学園余市高校は、そんな場所を目指しているんじゃないかと思うんです」
(磯崎こず恵)
http://www.asahi.com/articles/CMTW1403310100009.html
(朝日新聞社 2014年03月31日 11時31分)
▲『ヤンキー最終戦争』義家弘介 (写真)
(産経新聞出版)
本当の敵は日教組だった
【今日の御言葉】