空飛ぶ自由人・2

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浦安シティオーケストラ

2023年05月31日 23時00分00秒 | わが町浦安

28日の日曜日、自転車で、ここへ。

浦安市文化会館。

イベントは、↓。 

                               
浦安シティオーケストラの第59回定期演奏会。

浦安シティオーケストラは、
浦安市にゆかりのあるアマチュア演奏家を中心に
1989年に創立。
メンバーは80名。
年に2回演奏会を開催。

そういえば、昨年も今頃の時期に、
聴きに来ましたっけ。
あの時は第57回。

チケット代は、一般1000円。
大学生以下と65歳以上は500円
市の補助があるらしい。
前にも書きましたが、
500円でフルオーケストラの演奏が聴けるなんて、
ということで、やって来ました。

まず、ヴェルディのオペラ「シチリア島の夕べの祈り」序曲

次に、いつもと趣向を変えて、
3人のオペラ歌手を招いての
イタリアペラ アリア名曲集

ヴェルディ「仮面舞踏会」より「地獄の王よ、急ぎたまえ」

マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「お母さん、あの酒は強いね」

以下はプッチーニから
「トスカ」より「妙なる調和」「歌に生き、愛に生き」
「マノン・レスコー」より第三幕への間奏曲
「蝶々夫人」より「さらば愛の巣」「ある晴れた日に」「花の二重唱」

独唱者は、栗林美智瑠さん(ソプラノ) 


浅井美保さん(アルト) 


藤原拓実さん(テノール) 

休憩の後は、
カリンニコフ「交響曲第1番 ト短調」

指揮は、碇山隆一郎氏。

                             
チラシには指揮は桑田歩氏となっている。


桑田氏は、今年4月5日に逝去。57歳。


そのことを団長の坪井賢一さんが挨拶で触れた時、
しばし絶句。

カリンニコフ(1866- 1901) は、
聞いたことのない名前のロシアの作曲家。
交響曲は1番と2番のみ。
非常に美しいメロディーの交響曲だった。

次の定期演奏会は、↓。

                                        


久助稲荷神社大祭

2023年05月23日 23時00分00秒 | わが町浦安

浦安市内にある神社の一つ、
久助稲荷神社大祭が行われるというので、
行ってみました。

浦安市内には、大きな神社が3つ、
お寺さん関係の神社が2つ、
弁財天が2つ
の計7つあります。
神社内には、更に神社があるので、
数え方によっては、もっと多いかもしれません。
埋め立てでできた場所が多いため、
神社やお寺さんが比較的少ないのが特徴です。

場所は、浦安駅近くの「フラワー通り商店街」の入り口の向かい。
大きな清瀧神社の脇の道を入った、

浄土宗大蓮寺の敷地内にあります。

ご覧の通りの小さな神社。

小田原の大蓮寺の境内にあった福徳稲荷の分身として、
天文13年(1544年) 、
大蓮寺創建と同時に建てられたもの。
その後、一度社殿が新たにされていますが、
それには、次のような話が伝わっています。

このお寺には、学誉というお坊さんがいて
勉学に励んで出世し、
芝増上寺の法王を務めるまでの大僧正になった。
ある日学誉の前に
学誉が大蓮寺にいたころお寺に仕えていた使用人の久助が来て、
大蓮寺の稲荷社が荒れ果ててしまっているので
なんとか助けてほしいと懇願した。
学誉上人は伏見稲荷へ使者を出して神位を受取り、
復興に必要なお金とともに大蓮寺に送ったところ、
久助は20年以上前に亡くなっていたことが分かった。
学誉上人は、お稲荷様の身代わりになって現れた久助の志に深く感動し
享保13年(1728年) 、久助稲荷と名前を改めて社殿を新築したという。

その時建てたそのままの姿で
古くなってしまった社殿を建て直そうと、
数年前から総代や世話人、檀家さん、市民の方々より寄付を募り、
昨年5月に新社殿の完成を祝う落慶法要が営まれました。

↓は昔の神社の姿。

すっかり新しくなりました。

コロナの影響で
大祭は4年ぶり。
御祈祷法要が行われますが、

縁日出店が出て、
境内は、ご覧のとおり。

子供連れのファミリーが多い。

舞台が作られ、お囃子や演芸、カラオケ大会などが行われています。

大家(?)は光縁山勢至院大連寺。


お墓もあります。

水子地蔵は悲しい。

この風習、外国にもあるのでしょうか。

というわけで、
浦安探訪でした。

 


浦安市民まつり

2023年05月02日 23時00分00秒 | わが町浦安

先週末の4月29日、
「浦安市民まつり」が開催されました。

会場は、市の南側、海沿いにある浦安市総合公園

会場のMAP。

写真パネル展示や

こどもコーナー、

堆肥の無料配布などありますが、

何と言っても人気は様々な出店コーナー

どこも行列です。

射的も。

家族そろってお昼食。

ステージでは、市内の諸団体によるパフォーマンス。

合唱や太極拳、オーケストラやバレエ、バトントワリングなどの中、
圧倒的多数なのは、ダンスパフォーマンス。

42演目のうち、32がダンスの演目。

市内には、無数のダンスサークルがあるようです。

図書館のサークル募集のポスターを見ると、
社交ダンスのサークルも多い。
浦安市民は、そんなに踊るのが好きなのでしょうか。

すぐそこは、海。

遠く幕張の新都心も見えます。

この人たちは、パレードの出演者たち。

ここがパレードルート。

市制施行40周年の記念パレードだそうです。

その前に式典。

浦安が市制に移行したのが1981年。
今年は43周年ですが、
2年前はコロナで開催できなかったので、
2年遅れで開催した次第。

パレードは、小学校や中学、高校のブラスバンドや消防音楽隊の演奏など。

やはり場所柄か、ディズニーメロディーが多いですが、

次に多かったのが「マツケンサンバ」。

中には、「ベン・ハー序曲」を演奏する隊があって、驚きました。

よさこいのサークルも出演。

ここは、最高の場所。

しかし、こんなに集まった市民の期待は、
ディズニーのパレード
最後にやってきました。

ミッキー・ミニー・ドナルドなど、人気のキャラクターたち。

迎える方も、気合が入っています。

特等席の人たち。

車2台で終了。
えっ、もう終わり? 
という感じですが、
集まった市民は満足したようでした。

翌30日は、雨のため、まつりは中止
たいした雨ではなかったのに。
出店者は、準備した食材をどうしたのでしょうか。

 


浦安市郷土博物館

2023年04月16日 23時00分00秒 | わが町浦安

浦安市郷土博物館が、
4月1日にリニューアルしたというので、
行ってみました。

入場無料。

ゆるキャラの「あっさり君」

こういう展示。

昔の浦安。今よりずっと狭い。

漁師町でしたので、その展示。

主な海産物はアサリ。

キャラクターの「あっさり君」も、そこから。

海苔も産物。

↑のような道具で、アサリをむきます。

アサリを獲る網。

ここからが新展示。

映像で歴史を辿ります。

東西線が来て、「陸の孤島」から脱却。

昔は、「東葛飾郡浦安村」。

「浦安町」を経て、「浦安市」へ。

そして、東京ディズニーランドの開園。

今年で40周年。

南の方には、京葉線も。

ここからは浦安の自然。

「べか舟」のことは、欠かせません。

造船技術も発達。

焼玉エンジンというのがありました。

屋外の展示。

べか舟。

日曜には試乗体験も。

 

古い民家を移設。

 

 

こういう路地がありました。

こういう作りもなつかしい。

天ぷら屋。

その内部。

山本周五郎「青べか物語」の説明。
周五郎は、1年間ほど浦安に住んでいたことがあるのです。

なつかしい風呂屋。

映画館もあったようです。

中に入ってみました。

駄菓子を売っていました。

魚屋さんも。

ここでは、古い写真を見ることが出来ます。

別の家の中。

こういう電灯でしたね。

タバコ屋さんというのは、今もあるのでしょうか。

帰り道では、上から見ることが出来ます。

私が浦安に引っ越したのは、1977年のこと。

 

それから46年。

すっかり、「わが町」となりました。

 


小説『風の果て』

2023年04月06日 23時00分00秒 | わが町浦安

[書籍紹介]

藩の首席家老・桑山又左衛門宛に果たし状が届く。
昔、同じ道場で友情をはぐくんだ、野瀬市之亟からのものだった。
又左衛門は市之亟の消息を探る中で、
30年前の片貝道場で過ごした日々に思いを馳せる。

15、6歳で入門し、
道場で親しく過ごしたのは、
上村隼太、杉山鹿之助、野瀬市之丞、寺田一蔵、三矢庄六の5人。
鹿之助以外は、次男、三男坊の部屋住み
(家督を相続できない身分の男子で、まだ別家に婿入りせず、実家に留まっている者)で、
どこか釣り合う家への養子縁組を探している。
行き先がみつからなければ、
「厄介叔父」(冷や飯食いのまま年を取り、実家の世話になっている者)になって、
肩身の狭い思いをして生きるしかない。
鹿之助だけは、家老の家柄の長男で、
ゆくゆくは藩の中枢に入っていく身だが、
身分差のある隼太たち4人とも気さくに付き合ってくれた。
しかし、鹿之助が家督を継いだ時、
4人の身分差は決定的なものとなる。
あこがれていた千加を鹿之助が娶ったことで、
隼太は、青春の終わりを感ずる。

物語は、果たし状を受けた後の又左衛門の去就と、
5人の若者の青春群像を交互に描く。
主人公の現在を又左衛門、
青春時代を隼太(はやた)の名前で表記して区別する。
杉山鹿之助は、杉山忠兵衛と名を改める。

青年時代を同じ道場で過ごした若者たちは、
やがて家柄に従い、あるいは結婚を通じて、
全く違った人生をたどることになる。

寺田一蔵は2人の中では最も早く縁談がまとまり、
50石で勘定方の宮坂家に婿入りした。
しかし、妻の身持ちの悪さが原因で刃傷沙汰を起こして脱藩
討手の市之丞に斬られる。
その死に様は悲惨を極め、
市之丞の心に深い傷を残すことになる。

野瀬市之丞は最後まで冷や飯食いで、
婿にも行かずに厄介叔父になった。
剣の腕が優れていることから、
脱藩した一蔵に対する討手の1人に選ばれ、
一蔵を斬ってからますます変人ぶりに磨きがかかった。
又左衛門が筆頭家老に昇進した後、
果たし状を送りつけてきた。

三矢庄六は、わずか20石の普請方である藤井家に婿養子に入り、
開墾工事で肉体労働にも参加。
新吾という息子がいて、藩校では秀才のひとりに数え上げられている。

こうして、30年の間に、
5人のそれぞれの人生はまったく別の歩みとなる。

個人の能力よりも、
家柄がものを言う時代のこと。
「上士は下士と交わらず」と言われ、
藩の中でも、厳格な身分差別があった。
その中で、隼太は、
藩のうるさ方で郡奉行・桑山孫助の家に婿入りし、
その農政に対する情熱で、
郡奉行、郡代へと出世し、
ついに、中老として、執政の中に入り込む。
そして、かつての友・筆頭家老の杉山忠兵衛と対立し、
最後には、失脚させる。

藩は借金だらけで、
借り主との交渉の成功が執政の功績とされ、
本質的には何の解決策もない。
その中で、又左衛門は、
荒れ地・太蔵が原を開墾すれば
3千町歩もの田地が得られると考えられ、
ただ、谷川から水を引く方法がないために実行できなかったのを、
水の手を確保する手立てを講じ、
領内の富商、羽太屋から資金を引き出して開墾着手に成功し、
その功績を藩主に認められて郡代に昇進し、
その後さらに中老に昇進して執政入りした。

百姓を締めつけることだけを考える執政の中で、
百姓の実情に通じた又左衛門は、
新たな耕作地を作り出して、
藩士と農民に課せられた苛政を改善する。

こうした、一人の男の出世に伴う
心境の変化が、大変ていねいに描かれる。
成功したかに見える主人公の胸中にも、
寂寞とした風が吹き抜ける。
中老になった途端、周囲に人が群がって来る。
賄賂めいた金も渡される。
更に家老になると、もっとそれはひどくなる。
私利を追究することはしないものの、
その環境に又左衛門は陶酔に似たものを感ずる。
これが権力を持つということかと。
その快感に又左衛門は酔う。

忠兵衛との確執の本質も分かっている。
忠兵衛が又左衛門の執政入りに反対したことを聞き、こう言う。

「忠兵衛は、むかしの仲間であるわしが
応分の出世をすることは格別の文句はなかったろうが、
中老となると話が違うと思ったかも知れんな。
中老、家老は家柄で決まると思っているのだ。
ひと口で言えば、
忠兵衛がそういう考えているところに、
わしが土足で踏みこんだ形になったわけだろう」
「忠兵衛が言う家柄は軽んずべきものではないが、
そこに固執すると
藩はいまの時勢を乗り切れぬ。
そのことを、わしはいずれ忠兵衛にわからせてやるさ」

市之丞との果たし合いで、倒した後、
ただ一人残った友の庄六を訪ねて、又左衛門は言う。

「庄六、おれは貴様がうらやましい。
執政などというものになるから、
友だちとも斬り合わねばならぬ」
「そんなことは覚悟の上じゃないのか」
庄六は、不意に突き放すように言った。
「情におぼれては、家老は勤まるまい。
それに、普請組勤めは
時には人夫にまじって、
腰まで川につかりながら
掛け矢をふるうこともあるのだぞ。
命がけの仕事よ」
「・・・」
「うらやましいだと?
バカを言ってもらっては困る」

命をかけて貫いた開墾も、
さほど大きく藩を変えることにはならず、
又左衛門の勝利は苦いものだった。

やがて、徳川幕府が倒れ、
藩もなくなる時が来る。
その時を知ったら、
又左衛門はどう思うのだろうか。

久々に読んだ藤沢周平の長編小説。
堅固な骨格、多彩な人物配置、
練り上げた事件など、
やはり、長編小説でも素晴らしい手腕を見せる。
時を忘れて読んだ。

週刊朝日に1983年10月から1984年8月まで連載し、
1985年に単行本化、
その後、文庫に収録された。

2007年に、NHKでテレビドラマ化された。

又左衛門に佐藤浩市、
杉山忠兵衛に仲村トオル、
野瀬市之丞に遠藤憲一
という布陣。
8話として放送されたが、
第8話はオリジナル。