空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『広重ぶるう』

2022年10月24日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

二代目歌川国貞の人生を描いた「ヨイ豊」など、
浮世絵師を題材にした作品を書いている梶よう子の新作。
「小説新潮」に連載したものを単行本化。

今回の主人公は、
「東海道五拾三次」「名所江戸百景」などの名所絵で知られる歌川広重

定火消(じょうびけし)同心の家に生まれた安藤重右衛門は、
少年時代から画を描くのが好きで、
町絵師を志して、歌川豊広の弟子になり、
「歌川広重」の名を与えられるが、
鳴かず飛ばずの貧乏暮らし。
当時、美人画は国貞、武者絵は国芳、
風景画は葛飾北斎が隆盛を極め、
広重の描く美人画は色気がない、
役者画は似てない、の散々の悪評だった。

そんな時、舶来の顔料「ベロ藍」の、
深く澄み切った色味を目にした広重は、
ベロ藍を活かせるのは景色、海や川、なによりも空、
つまり、このベロ藍を使えば、名所絵が必ず変わる、
「役者でも、女でもねえ。この色は、景色を彩る色だ」
そう確信した広重は
この青でしか描けない画があると一念発起する。

自信作である「東都名所」を出したが、あまり売れなかった。
というのも、同時期に葛飾北斎が「富嶽三十六景」を版行していたからだ。
しかし、自分が描いた江戸の空の色に自信を持った広重は、
東海道の画題を依頼されて取り組む。
1833年(天保4年)、
「東海道五十三次」が版行され、
ベロ藍をたっぷり使ったこの作品は、
当時の行楽ブームも相まって大ヒット。
風景画家としての広重の名は北斎以上に評価されることになった。

天童藩からの依頼で200点以上に及ぶ肉筆の浮世絵を制作、
118枚の大作「名所江戸百景」、
種々の「東海道」シリーズを発表。
短冊版の花鳥画においてもすぐれた作品を出し続け、
そのほか歴史画・張交絵・戯画・玩具絵や春画、
晩年には美人画3枚続も手掛けている。
さらに、肉筆画・摺物・団扇絵・双六・絵封筒ほか
絵本・合巻や狂歌本などの挿絵も残している。
そうした諸々も合わせると総数で2万点にも及ぶと言われている。
1858年、コレラの大流行に感染し62歳で他界。

という半生を、
版元(出版社)との確執や、
北斎とのライバル意識、
二度の結婚、
弟子に対する愛情、
義弟の娘を養女にして注ぐ愛、
などを交えて、ごく人間的に描く
特に、 義弟の借金返済のために
それまで絶対手を出さなかった枕絵(春画、今でいうポルノ)を描く際、
女を描くのが不得手ときてはいかんともしがたく、
豊国の手ほどきを受ける場面などがおかしい。

当時、名所絵は美人絵や役者絵の下に見られる傾向があったという。
また、江戸を書いた名所画は、
地方から江戸に来た人が
みやげ物として買い求めた、というのも興味深い。
写真がなかった当時、
「江戸はこんな所だ」という説明に使ったのだろう。
また、東海道五十三次をはじめとする名所画は、
江戸庶民の旅行熱を刺激した、というのも面白い。

富士講、大山講、伊勢参り、善光寺参り──。
寺社参拝という理由であれば、
手形も容易に入手できるようになった。
街道も整備が進み、
難所はあっても歩いて行けなくはない。
江戸の庶民はますます旅に飢えている。

重右衛門の描く箱根、三島、蒲原などなど各宿場の風景は、
旅に憧れる江戸の町人たちの心を鷲掴みにしたのだ。

絵師にとっても、名所絵は魅力的だった。

初めての旅、初めての景色。
絵師の腕が疼くかないはずがない。

売れるようになった広重に対する
版元の手のひら返しの重用は、
今のベストセラー作家と出版社の関係のようだ。

美人画の変遷も興味深い。

女子はその時代時代で美人のあり方が変わる。
女子を描いて人気を博した最初の浮世絵師鈴木春信の頃は
可憐で純で、幼い肢体が好まれたが、
歌麿の頃は異なる。
瓜実顔に柳眉、細く釣り上がった眦(まなじり)。
その上、歌麿はそれぞれの女の特徴を捉えて、描き分けた。
それが歌麿の腕であり、
女を描く条件になった。
むろん、歌麿の枕絵は大人気だった。

次の記述もなかなかだ。

景色には、絶景、佳景、美景、奇観とある。
そして春夏秋冬の季節に、
晴天、曇天、豪雨、糠雨、雪、風といった天候。、
さらに、朝、昼、夜げも様相が変化する。
それを写し取り、何を省くか。
見る人が本当にその景色を目の前にしているかのように
紙上に表すのはどれほど難しいか。

広重は江戸の光景にほれ込んだ人物として描かれている。

おれはやはり江戸を描く。
東海道で日の目を見たが、
最後の画にするのは江戸の風景だ。

江戸を地震が襲って火事が起きた際、
昔の火消同心の血が騒ぎ、火消し作業に従事する。
そして、被災して落ち込んだ江戸の庶民の気持ちを向上させるために、
江戸を題材とした絵を沢山量産する、という心意気も描かれる。
今の被災地への復興につながる。

「五十三次で旅を夢見るよりも先に、
おれたちの江戸はこうだったんだ
という姿を見せたい。
江戸を元通りにしたいという気にもなりましょうし、
力も湧いてくる。
沈んだ江戸をおれの画で建て直してやりたいんですよ」

東海道五十三次は、
幕臣でもあった広重が、幕府の御馬進献の使に加わって京都まで旅をし、
実際の風景を目の当たりにする機会を得た、との伝承が伝わるが、
実際には旅行をしていないのではないかとする説もある。
本書では幕府の一行に加わったことになっているが、
その旅行についての記述は全くないから、
著者も実際は行ってなかったと思っているのかもしれない。
そのことは、近江と京の絵を
他人の描いた絵をもとに描いてくれ、
なにしろ旅費も時間もないから、
という版元との争いに反映されている。

昔の教科書には「安藤広重」という名前で記されていたが、
何時の間にか「歌川広重」になっていた。
安藤は本姓・広重は号で、
両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、
広重自身もそう名乗ったことはないので、
そうなったらしい。

友人歌川豊国(三代目)の筆になる「死絵」↑
(=追悼ポートレートのようなもの。本項の画像参照)
に辞世の歌が遺る。

「東路(あずまぢ)へ筆をのこして旅のそら 西のみ国の名ところを見ん」
(「死んだら西方浄土の名所を見てまわりたい」の意)
(後代の広重の作ではないかとの見解もある。)

題名の「広重ブルー」とは、
歌川広重が多用した、
透明感のある鮮やかな青を指す言葉。
木版画の性質から、油彩よりも鮮やかな色を示す。


この美しい青の正体は、
海外からやってきた人工の顔料
日本には延享4(1747)年に初めて輸入されたと伝えられている。
「プルシアンブルー」とも呼ばれるこの青色絵具は、
発見された地名をとって「ベルリン藍」、
省略して「ベロ藍」と呼ばれるようになった。
北斎をはじめ、広重と同時代に活躍した多くの絵師たちが「ベロ藍」を使用した。


広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、
大胆な構図などとともに、
青色、特に藍色の美しさで評価が高い。
欧米では「ジャパンブルー」、「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。

↓は、ゴッホが広重を模写した作品。(右側)

 

 


映画『ダイアナ ザ・ミュージカル』

2022年10月23日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

題名のとおり、
ダイアナ妃を題材としたミュージカルの舞台中継。

2020年3月にブロードウェイでプレビュー公演が行われていたが、
コロナの影響で中止し、中継画像をNetflixで配信。
撮影されたミュージカルが
開幕前に配信されるのは、ブロードウェイ史上初めてだという。
その後、2021年11月に舞台がオープン。
しかし、1カ月くらい、30数回で早々に終演。
という不幸な経過を辿ったが、
実際に観てみると、
早期クローズも仕方ない、と言える出来。

19歳のダイアナがチャールズに見初められたところから始まり、
結婚、カミラとの三角関係、自身の不倫、離婚、死亡までを一通り描くが、
ぺらぺらの薄い内容
本人の内面を掘り下げるわけではなく、
女王やチャールズやカミラの苦悩を描くわけでもなく、
よく知られたゴシップを並べただけ
つまり、脚本が決定的に悪い
従って、新たな発見があるわけでもない。


その点、同じNetflixで配信されている
「ザ・クラウン」シーズン4の
チャールズやダイアナの内面の掘り下げには
敵うわけがない。
「ザ・クラウン」以上のものにはなるはずがないので、
ドキュメンタリーの「プリンセス・ダイアナ」も
「スペンサー ダイアナの決意」も観る気が起こらない。

場面転換と衣裳に見るべきものがあるが、それだけ。
曲はメロディは良いが、歌詞に内容がない。
ダイアナ妃を演じるジーナ・デ・ヴァールは魅力に欠ける。


チャールズは器が小さい男として描かれていて、気の毒。
エリザベス女王も精彩なく、
あれではただのおばさんだ。

監督はクリストファー・アシュレイ

アカデミー賞に対抗して、
最低映画を選出するゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)で、
最多9部門にノミネートされ、
作品賞、最低主演女優賞、最低監督賞、最低助演女優賞、最低脚本賞
5部門で受章

 


大野谷(おおのだに) に行ってきました

2022年10月22日 23時00分00秒 | 旅行

先日、1泊2日の小旅行を敢行しました。
家族とではなく、私一人旅です。

朝早く起きて、東京駅で
新幹線のこの列車に。

その前にいつものここに寄って、


駅弁を。


種類が豊富ですが、
私は幕の内弁当


食べるのは発車してから、というこだわり。


新幹線、素晴らしい乗り物ですね。


1964年というから、
58年前にこのシステムが出来上がっていたのは、驚嘆に価します。         

富士山を見たいので、
進行方向右に席を取ったのですが、
あっと言う間に通過して、見れず仕舞い。
(帰りはちゃんと見ました)
2時間足らずで名古屋に到着。


ここで名鉄常滑線に乗り換え、

目的地は↓。


ここに「大野谷(おおのだに)」と呼ばれる一帯があるということを知ったのは、
この本↓の存在を知ったからです。


今は絶版。
古本市で5000円の値段がついています。
ネットで調べると、
↓のようなサイトが見つかり、


「大野谷文化圏活性化推進委員会」というものを設置されているようです。
「知多半島の中でも早い時代から文化が開けた
知多市南部から常滑市北部一帯の地域を
大野谷といっていました。
古き良き文化を掘り起こし、
次の時代に伝える
そんな『まちおこし』の活動です」
と説明がされ、

イベント情報、散策マップ、歴史年表、見て歩き文化財、資料館などのページも。
虫供養でも有名なようです。

この地名を知って以来、
一度は行かなければ
という願望を今回果たすことにしたのです。
他に同じ地名は、
愛媛県新居浜市と東温市にもあるようです。


名鉄名古屋駅で切符を買い、駅員にどの電車に乗ったらいいかを訊くと、
「特急で太田川まで行って、
各駅停車に乗り換えて下さい」
と教えてくれました。
現地の人にしか分からないことですね。


そういえば、地方から東京に来た方が、
新宿から池袋まで行くのに、
地下鉄丸の内線で行ったという話があります。
それでは35分。
山手線で行けば6分なのに。


教えてもらったとおりに太田川で乗り換えて、


名古屋から目的地の西ノ口に。


途中、大野町という駅もあります。


西ノ口は、無人駅


とりあえず、大野城のある城山公園を目指します。

以前、地元にいたことのある人から
「お城までは遠いので、タクシーで行った方がいいですよ」
と聞いていたのですが、
タクシーなど、影も形もありません。

それもそのはず。
この西ノ口という駅、一日の乗降客が859人( 2016年)という、過疎駅。
2004年には483人という記録もあります。


お城まで徒歩で行くことにして、
地元の女性に道を教えてもらい、歩き始めますが、
目印となるファミリーマートが見つかりません。


住宅街に入って、すっかり迷子に。
天気が良く、上着を脱いでも、汗だくです。
ようやく↓の標識をみつけ、


たどっていくと、お城の裏手の駐車場に。


そこから階段を上がると、


子供の遊具のある広場に。


そこから更に階段を上がって、お城の場所に。

観応年間(1350年)頃に
三河国守護の一色範氏が知多半島に勢力を伸ばし、
その子一色範光が伊勢湾を見下ろすこの城を築いたもの。


お江(後の崇源院)が
最初の結婚で佐治一成に嫁いで来たのがこの大野城

天守を模した展望台があります。


角櫓形ですが、これは当時の建物を再現したわけではないようです。
中には、いろいろと展示物が。


やがて、最上階へ。


海が見えます。


ここには、世界最古の海水浴場があったとか。
海水浴場。
よく考えると、変な言葉です。
海水を浴びる場所とは。


櫓台跡に城主であった佐治氏を祀った佐治神社があります。

あと、大野谷としてめぼしいものは、
雪舟が描く水墨画「達磨大師二祖慧可断臂図」がある


斎年寺ですが、
国宝なので、置いてあるのはレプリカかもしれず、
というより、暑くてたまらんので、
大野谷散策は大野城址だけで終えることにしました。


帰り道は駐車場とは反対側の正面から出ましたが、
またも迷い、
丁度男性が家から出て来たので、
駅への行き方を聞いたところ、
近くまで行くからと、同道してくれました。
道々、いろいろ現地のことを聞きました。
丘からおりると、確かにファミリーマートがありました。
これから中部国際空港セントレアに行くことを告げ、
「あそこの踏み切りの手前を左に折れると、駅がありますよ」
と教えてもらい、
ファミリマートに用事があった男性とはお別れ。


再び無人駅に着き、
時刻表を見ると、
中部国際空港まで行く電車は10分前に終わり、
後は常滑行きしかありません。


時間帯でそうなっているのかと思い、
名古屋に戻るつもりで反対側のホームにいると、
先程の男性が駅の外から声をかけてきました。
様子を見に来たらしい。
「そっちのホームじゃないですよ」
と言うので、中部国際空港行きの電車が終わってしまったので、
と告げると、
いや、行く電車があるんじゃないのかなあ、とスマホを探り始めます。
私もスマホで探すと、
常滑に止まって中部国際空港に行く特急があります。
男性にお礼を言って、ホームを移動。
「お気をつけて」と男性は去りましたが、
電車が来て、窓から見ると、
遠くの道で男性が振り返って電車を見送っていました。
やさしい人ですね。

で、常滑でしばし待つと、


準急がやって来て、中部国際空港セントレアへ。


駅から空港に直結。


さすがに新しい空港らしく、
よく整備されています。

特に驚いたのがデッキの広さ。

レストランも充実。

遅いお昼をコメダ珈琲店で、

↓のメニューを。


チックインカウンター、トランクを引きずる人々、
海外から帰ったらしい人たち。
そろそろ3年になろうという空白を埋めて、
雰囲気だけ海外の気分を味わいました。

当初この空港まで足を延ばす予定がなかったので、
うっかりして見逃してしまいましたが、
ここには、日本初の飛行機を見られる温泉
(大人1050円)、


ボーイング787の実物を見られる展示場フライトパーク
があるのでした。


計画をちゃんと立てられなかった結果、後の祭りです。

名古屋へは、特急で一本。

夕食は、4年前行列で食べれなかった、矢場とんで。

味噌カツを。

ホテルの宿泊で新たな体験をしましたが、
それはまた今度。

 


小説『失われた岬』

2022年10月20日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介] 

物語は大きく3つに別れる。

第一は、ある夫婦を巡る話。
松浦美都子は、夫婦同士で親しく交流していた栂原清花(つがはら・さやか)と
突然交流が途絶えてしまう。
その後、清花の娘・愛子がアメリカから帰国して美都子に連絡してくる。
今、北海道にいるのだという。
母が転居した新小牛田という町の家が訪ねても、両親がおらず、
「岬に行く」という言葉だけが残されていた。
そこは、ハイマツが茂り、行く道が閉ざされた隔絶した岬で、
海から行くしかない。
そして、20年後、愛子は母からの手紙を受け取り、
美都子と共に新小牛田を訪れ、
伝書鳩による通信で、指定された日に昆布漁の船を調達して、
あの岬の海岸に降り立つ。
夜、清花は現れるが、
驚いたことに、20年前と容姿が変わっていない
若いままだ。
そのまま清花は姿を消す。

次は、あるカリスマ起業家・岡村陽(みなみ)を巡る話。
美都子の話にあった、肇子(はつこ)という女性が出て来、
清花と長野で近所に住んでいたことが分かる。
岡村は肇子と恋愛関係に陥るが、
肇子は別の男と結婚する。
しかし、結婚式の日、肇子は失踪してしまう。
岡村は肇子の消息を辿り、
あの岬の町、新小牛田にたどり着く。
そして、岬を目指し
ヒグマに襲われ、
顔面を全部削られてしまう。
(その話は、美都子の話にもちょっと出て来るから、
美都子の話の前の時系列らしい)

そして、最後は、ある作家と編集者の話。
20年ほど後の2029年。
つまり、近未来。
ノーベル賞の文学賞に選ばれた日本人作家・一ノ瀬和紀が、
ストックホルムでの授賞式の前夜、失踪する。
「もう一つの世界に入る」という書置きを残して。
担当編集者である出版社の相沢礼治は、
商業的意味もあって、一ノ瀬の後を辿る。
その結果、一ノ瀬があの新小牛田を訪れ、岬を目指したらしいことを知る。
その過程で、美都子とも接触する。
相沢は、岬で一ノ瀬と会う。
そこに住む人々は、一切の欲望から解放された「世捨て人」のようで、
一ノ瀬も、「解脱」したような雰囲気だった。
しかし、その情報が漏れ、
岬は一挙に全国的興味の対象となる。
そして、岬を再訪した相沢は、
ある事件に遭遇し、
岬にあったコミュニティーの住人は、全員死に絶える。
(その中には、清花もいた。) 

岬の持つ秘密とは何なのか。
不老不死の地域か、
宗教か、それとも・・・

相沢は、フリーの記者・石垣と協力しあって、
追究を続ける。
岬にある建物が戦前の製薬会社の研究所だったことが分かる。
深く関わった人物、
研究所にいた人物等の足跡を探る中で、
真実が見えて来るが・・・

様々な異常な状況を描きながら、
その背後にある秘密を明らかにしていく、
篠田節子の筆は健在。
今回追究する謎の解明は、これから読む人のために触れないが、
驚くような内容だ。
戦前の国家的事情もからむ。
北海道のアイヌの話もからむ。
特殊な自然の営みもからむ。
人間の魂の救済もからむ。
まことに重層的で、
読み進むにつれて新しい世界が開けるという、
読書の喜びを味あわせてくれる。

20数年後の世界では、
「うつ」は「脳内疲労症候群」と呼ばれているらしい。

背後に四半世紀後の世界のイデオロギー対立、
国家間の緊張などがあり、
日本は北朝鮮の核兵器の脅威と、
中国の侵略の危機にさらされ、
国土は外国人に荒らされている。
そして、最後に、ある天変地異が起こる・・・

578ページの大作
読みごたえがある。

「本の旅人」「小説野性時代」に連載。

 


映画『ブロンド』とドキュメンタリー『知られざるマリリン・モンロー』

2022年10月19日 23時00分00秒 | 映画関係

 [映画紹介]


                                       
マリリン・モンローの生涯をつづる伝記映画、
ではない
あくまでフィクション
原作は大御所の作家ジョイス・キャロル・オーツ
2000年に出版したもので、
「マリリン・モンロー」というキャラクターを引用して作り上げた
二次創作みたいなフィクション。
その上、映画化とはいうものの、
小説にないシーンが満載で、
ほとんど監督で脚本も手がけたアンドリュー・ドミニクの独自の創作物。

で、マリリン・モンローを悲劇のヒロインにしたてまくっている。
私生児として生まれ、母は精神病院に。
里親と孤児院を行き来し、
女優をめざしてハリウッドに行けば、
映画界のお偉方の性的餌食になって役をもらい、
有名人の息子たちと3Pのあげく妊娠し、中絶し、
ジョー・ディマジオには暴力をふるわれ、
アーサー・ミラーとの間の子供は流産し、


3度の結婚離婚の果て、
ケネディ兄弟の性の相手として翻弄され、
精神的に行き詰まって、睡眠薬の過剰摂取で死を迎える・・・

画面の大きさがワイドになったり、スタンダードになったり、
モノクロになったりカラーになったり、
しかし、系統立っているわけではないので、
観客の混乱を誘うだけ。

児童虐待、性暴力、セクハラ、DVなどの直接的な描写が延々と続き、
幼少期のトラウマと性的被害に精神が崩壊する様を描く、
不愉快な映画
胎児の映像がしつこいほど流れ、
母の精神病が遺伝するかも、という恐怖と、
父を欲する願望が繰り返し描かれる。
それが2時間47分も続くのだから、悲しくなる。
マリリンを演ずるアナ・デ・アルマスは、
ヌードをさらす体当たり演技だが、
彼女が気の毒にさえ思える。

「紳士は金髪がお好き」の再現シーンや
「お熱いのがお好き」の撮影場面など、興味深い。
トニー・カーチスとの共演シーンが再現されるが、
このトニーはCGか?

マリリンの精神的崩壊は、事実ではあるが、
その一面だけを強調した、
バランスを欠く作品

Netflix で今年9月28日から配信。
                                                                                

前日に観た「ブロンド」の関連で鑑賞。
レビューを見ると、同様な人が多いようだ。

こちらはNetflixのオリジナル・ドキュメンタリー

「マリリン・モンローの真実」を書いた
アイルランドの作家アンソニー・サマーズ
1982年、ロサンゼルスの地方検事長による再調査に当たり、
本を書くためにロサンゼルスを訪れ、
関係者にインタビューをして回った。
2~3週間で済むと思っていたら、3年に及び、
インタビューの対象は1000人
録音テープは650本に及んだ。
本作は、その音声を公開し、再構成したもの。
40年も前の音声だ。

「全ての音声録音は本人の声です。
再現映像は役者が(口パクで)演じています」
と字幕で断っている。

マリリンがハリウッドに行き、
映画出演し、人気が出る過程を
インタビューで構成する。
当時の映像が流れるが、
素材が少ないせいか、
ロサンゼルスの町の風景や夜景が繰り返し出て来る。
また、録音テープのハブが回転する様もくどいほど出て来る。

ジョン・ヒューストンやビリー・ワイルダーの監督たちや
女優ジェーン・ラッセルのインタビュー(声)も出て来る。
主治医の精神科医やその家族、家政婦や
ヘア担当者、盗聴器をしかけた探偵、
ロバート・ケネディの個人秘書なども出て来る。

特に新しい発見はなく、
肝腎の部分になると、
「それについては言えない」
「知っているが、話せない」などとなり、
もどかしい。

ただ、終盤になって興味深い事実が明らかになる。
マリリンはその頃、左派と接触しており、
ロバート・ケネディとの会話で核兵器について触れ、
当時のキューバ危機で、
そのことが明るみに出ることを恐れたケネディ兄弟は、
マリリンとの関係を一方的に断つ。
マリリンは精神的に追い詰められていく。

そして、ラスト25分は驚くような展開。
マリリンの部屋に電灯がついていて、
鍵がかかっており、異変を感じた家政婦が
医師に連絡。
夜中の3時のことだ。
主治医がかけつけて、窓ガラスを割って中に入ったのが
3時半。
この時、既にマリリンはこと切れていた、
というのが公式発表だが、
インタビューでは、
コンサート会場にいたマリリンの広報担当者が連絡を受けたのが
午後10時。
マリリン邸に到着したのが午後11時。
夜中ではなかった
また、救急車派遣会社の証言で、
マリリンを乗せて救急車が病院に向かっている最中に死亡が確認され、
救急車はマリリン邸に引き返した。
しかし、その点は隠蔽された。
さらに、ロスにいたロバート・ケネディが
急遽サンフランシスコにヘリで飛んだのが午前2時か3時。
航空日誌で裏付けられている。
そして、3時に家政婦が異変を感じた、という話になる。
つまり、3時にはロバートはロスにいなかったことになる。

マリリンとロバートが会って喧嘩していた、という証言もある。
そこで、陰謀説や殺人説が出て来る。
しかし、真実は闇の中。

公式発表は、
睡眠薬の過剰摂取による事故死または自殺。
20年後の1982年にロサンゼルス地方検事長が再調査した結果、
変化はなく、「自殺か事故」と当時と同じ判断をした。

Netflix で今年4月27日から配信。
監督はエマ・クーパー。

マリリン・モンローが亡くなって、今年でちょうど60年