ひいらぎ通信

日常のささやかな幸せを拾い集ようと、ブログ、始めてみました。

正義漢ぶるつもりはないけれど

2006年11月08日 | Weblog
今日は、固い話題で。

このところのいじめ、自殺報道のあり方について、強い違和感を感じている。
マスコミの報道のやり方に偏りを感じるのだ。
学校、教育委員会をバッシングするばかりで、何が解決すると言うのか。
こんな報道の仕方をしていたら、連鎖反応的な自殺者が出てくるのではないかと懸念していたら、案の定、連日のように自殺の報道がなされる。
この中の幾人かは、もしかしたら過剰な報道がなければ自殺までには至らなかった子どももいるかもしれない。

そんなことを考えていたら、こんなコラムを見つけた。

増える「いじめ自殺」 解決は子ども主体で
著者  渋井 哲也(しぶい・てつや)フリーライター。


私の文章などより分かりやすいので、一部引用します。
こうした過剰な報道が「連鎖自殺」をひき起こすのでは、と思うのは考えすぎだろうか。「いじめなどによる絶望感」を原因とする「自殺」が大きく伝えられることによって、「絶望感」を解決する手段として、子どもたちが「自殺」を頭に浮かべるようになるだろう。さらに、学校などの対応がバッシングされる光景を見た子どもたちが、学校へアピールする方法として「自殺」を選んでしまう可能性もあるだろう。

私は、「死ぬな」、「生きていればいいことがある」ではなく、「逃げろ」と言いたい。不登校でも転校でもよい。いじめなどの絶望的な現状から一度逃げ、現場から距離を置くことを提案したい。そのほうが、「死ぬな」よりも、生きる選択の幅を広げられるように思う。

同じ事を取材し報道するにしても、切り取り方、編集の仕方一つで、
全く違うことになってしまう。
身近な地域の情報を取材された知人の話だが、
まずは結論ありきで、取材者の意図に合わないコメントは完全に削除され、
話した人の意見を全く無視した(むしろ反対の)記事が仕立て上げられたそうだ。
こういう大きな報道でも、同じようにセンセーショナルに煽ることを第一として、
犯人探し、スケープゴート探しをしているようにさえ見える。

報道は大切です。
でも、その方法を誤るととんでもない結果を引き起こすこともあるのだということをマスコミは考えて、報道して欲しいと思う。
別に正義漢ぶるつもりはないけれども、このところの報道には
そんなことを考えさせられている。

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2 コメント

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私も同意見。 (ガーベラ)
2006-11-09 20:18:11
イジメの問題は、今に始まったことではなく、私の
学生の頃からあった問題で。
ただ、大きく浮き彫りにされなかっただけでね。
確かに、自殺まで追い込まれてしまった生徒さんの
気持ちを考えると胸が痛みます。
だけど、この所の報道はイジメの本質的な問題から
少しズレてしまっていますよね。
ある人の発言も編集されてしまうことによって全く
違う感じに受け取られてしまうのは確か。
その方が、TVや新聞には都合がいいのでしょう。
犯人探しをするより、もっとやるべきことがある
ような気がするのですが。
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ガーベラさんへ (ひいらぎ)
2006-11-09 22:08:20
そうなんですよね。
いじめって、質の変化もあるけれども
ずっと今までもあったんですよね。
悲しいけれども、いじめはなかなかなくならない。
いじめではなくても、人の間の軋轢は
必ず生じてしまうもの。
学校の対応も大事だとは思いますが、
最後の最後には、本人がどう捉え、どう乗り越えていくかにかかっている気がします。
「逃げる」という選択肢もその一つ。
少なくとも煽るだけの報道は控えて欲しいと
つくづく思います。
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