ピーターさんがこれまで学んできた言語は30(!)以上。
その内、身につけたと言えるものが11…。
数学だけじゃなく、言語でも天才的な頭脳の持ち主だと言わざるを得ません。
中国で(中国語で
)講演したとき、中国の学生から
「これまで学んだ言語の中で一番難しいのは何ですか」と問われたそうです。中国人はみな、「中国語だ」という答えを期待して待っている。でも、フランクルさんは、迷わず「日本語だ」と答えたそうです。
(落胆する中国の学生たち
)
中国語は小学生レベルでも5000もの漢字を使いますが、基本的に一つの文字には一つの音。旁で読みの見当はつくので、読む分にはさほど(←これは、フランクルさんレベルの人にとってでしょう。一般的なレベルだとは思えません
)苦労しないとの事。
一方、日本で使われる漢字は一つの文字にいくつもの読み方があるのが一般的。このこと一つをとっても難しいのが分かるだろうと言うことでした。
外国語のほとんどは、ほとんど2~30程度の文字を覚えれば、読むことだけは1週間で(←だから、フランクルさんレベルで…
)できるようになるとの事。日本では6年生で1200字程度の漢字を学習しますが、これではまだ新聞を読むには足りない。他の言語はほとんど小学生で(理解はとにかく)読むだけは読めるようになるのと対照的だそうです。
ひらがなやカタカナのことは言われませんでした。私は、ひらがなやカタカナの存在は、外国人にとってむしろ理解を助けるものではないかと常々思っています。これらのおかげで、単語のまとまりや文節などが目で見て分かるようになるのでは、と。私のフランス語の先生も、その点に関しては同意されましたので、私の一人合点ではないようです。
その世界一(?)難しい言語を操る日本人が外国語を学習するのに何故、難儀をするのか。
フランクルさんの結論は、日本人は日本語ができないから。つまり、日本語で自己表現できない。
そうですよね。いくら外国語が堪能でも、伝えるべきものを持たない人は、何も語ることができないでしょう。
以前、何回か外国旅行をした後、外国を行くのをやめて休暇を取ったときには国内旅行をするようになりました。海外で日本について尋ねられた時に答え得るもののあまりの少なさに愕然としたからです。海外に行く前に、日本のことをきちんと知ろう。そう思いました。(でも、極めるには道が遠すぎるから、ま、できる範囲で、ということで
)
言語についても然り。やはりきちんとした日本語を身に付けていきたい。
日本人が英語を学んでも英語でコミュニケーションできないのは、文法重視の英語教育のせいだと言われていますが、ほんとにそうなのかな、と私は思います。
文法は大事だと思いますよ。自分の言いたいことをきちんと伝え、相手の言うことを理解するためには、文法も語彙もなくてはならないものでしょう?
言語を学ぶということは、その国の歴史を学ぶことでもあると思います。慣用句やことわざには、紛れもなくその国の歴史が染み付いている。細かいニュアンスの
使い分けはそこまでできていないとできない。
メジャーリーグに行き、とても流暢に英語を話している長谷川投手でも、周りがどっと笑うときについていけなくて、悔しい思いをしたことがあるそうです。もちろんそのレベルまで達したいと思っても達せるものではないでしょうが、やはり言葉を習得するということは、言語の理解だけではないものがあると思います。
先日、フランス語コースで一番きれいに話すのは、一番年配の方だという話をしましたが、その方のフランス文学、画壇、映画などに対する教養の深さにも毎回感嘆させられています。そういったものへの興味がフランス語の学習への取り組みの動機となり、さらに理解を深めさせることにもなっているのではないかと思います。そういう風に、理解を広め、深めていきながら言語を学ぶことができれば理想的だなあと思います。
あああ、長いだけで取り留めのない文になってしまった。
私の日本語修行も、まだまだだわ。