覚悟はしていました。でも、だからといって、動揺しないわけには行かない…。
古田プレイイングマネージャー、引退です…。
以下、記事のリンクだけでは、いつか消えてしまうので、
うざくなるとは思いますが、記事のコピペします。
「悔しい」ヤクルトの古田兼任監督、涙の退任・引退会見(読売新聞)
ヤクルトの古田敦也・兼任監督(42)は19日、都内で記者会見し、今季限りでの監督退任と現役引退を発表した。「成果を挙げられなかったのは力不足。素直に反省している」と悔しさをにじませた。
古田兼任監督はこの日、堀澄也オーナーに報告。中日戦(神宮)の試合前、ユニホーム姿で会見に臨んだ。
球団側の続投要請を固辞した理由として強調したのは、不振のけじめ。「プロに入って(18年間)、最下位というのは一度もなかった。21年ぶりという球団史でも非常に悪い出来事。監督が責任を取らず、人に負わせる訳にはいかない」と、ファンを失望させたことをわびた。
開幕当初から、3位までが進むクライマックスシリーズ出場が果たせなければ、けじめを付けるべきと考えており、7月に続投要請を受けて以降も低迷が続いたため、辞意を固めたという。
古田監督の一問一答「けじめ…残り試合に出たい」 (産経新聞)
ヤクルトの古田敦也捕手兼任監督(42)の引退・退任会見での全一問一答は、以下の通り。
鈴木正球団社長「選手として引退し、監督も辞退したいとの申し入れがあり、やむなく承認した。今年のオールスター以降、数回にわたって監督続投を要請したが『低迷の責任は重い』との返事で今日に至った。チームは今季、当初から故障者が続出し不本意な成績にあるが、古田監督には大変がんばっていただいた。また選手としても日本一のキャッチャーとしてチームに大きく貢献さしていただいた。オーナーからは、今後もヤクルトのために力を貸してほしいとの要請があった」
古田監督「プロである以上は結果が問われる。責任の重い監督というものを続けてきたが、思うような成績を挙げられずに、ファンに失望感を与えたと思っています。
今季は、開幕当初から上位に行けないと辞めなくてはならないなと思ってやってきた。悔いはないというか後悔しないように一生懸命やってきたつもり。申し訳ない。選手としては18年間やってきて、今季限りで引退することを決意しました。直接の原因は肩を痛めたことだが、精いっぱいやってきたと思う。あと18試合残っているので、選手としても監督としても全力でがんばりたい」
--監督として辞任を決意したのはいつか
「ファンの期待に応えられる成果が出せなかったのは力不足。反省している。申し訳ない。クライマックスシリーズに行けなくなり、けじめをつけないといけないなと。最初に(引退・退任の意向を)鈴木社長に話したが、続投要請を聞くとは思わなかった。『もう1年やってはどうか』という言葉をいただいたけれど、やはり、やめるべきだなと」
--実際に兼任監督をやってみての感想は
「結果が悪かったから大きなことは言えないがファンの期待の割に活躍できなかった。ただ(兼任監督は)できないとは思わないし、コーチとか選手に支えられてやりました」
--選手としての自分と、監督としての自分との折り合いは、迷いなどはなかったか
「それはある。でもシーズンが終わったときに振り返りたい」
--兼任監督をして発見したことや楽しかったことは
「発見はいろいろある。兼任というより監督業が初めてなので、いいことも大変なこともあった」
--監督として心残りなことは
「まだ18試合あるからね、必死にやりたい。まだ振り返りたくない」
--選手に伝えておきたいことは
「(涙で言葉に詰まって)すいません、また、改めて直接伝えます」
--ファンに向けては
「(泣きながら)感謝の気持ちでいっぱい…。ここまで、よく応援してもらいました」
--将来、ヤクルトや現場への復帰はあるか
「退任会見で先のことを言われてもわからないが、この18試合をがんばりたい」
--選手として引退を意識したのはいつか
「このときってのはないけど、自分の中で、もうそろそろかなと。肉体的な衰えはもちろんあるが、気持ちの上でも、そろそろだろう、と」
--自分の後を任せられる捕手は
「今、試合に出ている選手たちも経験を積んで(力を)上げている、来年以降期待してほしい」
--選手として一番の思い出は
「いっぱいあるなあ。でも、あんまり振り返りたくないんだな。最終日じゃないんで。これから18試合をいい思い出にしたいな、と思います」
--野球人生を振り返ると
「一言では言い表せないです。すいません」
--球界に望むことは
「今まで以上に発展してもらって多くのファンに喜んでいただけるようになってほしい。僕も一野球ファンになるんで、もっともっと盛り上がっていけばいいなと」
(鈴木社長への質問)
--球団としてなぜ監督を慰留できなかったか
「私は再三、続投を要請したが、こういう結果に終わり残念。監督から『結果責任』という言葉が出て、それでもあきらめなかったが…。監督の意志がたいへん強かったということに尽きる」
--背番号27は永久欠番にするのか
「私たちは今まで、そういう扱いをしたことのない球団。関係者の意見を聞き判断したい」
(再び古田監督へ)
--監督が登録を外れれば、選手が1人1軍に上がれる。葛藤(かっとう)はあったか、残りの試合はどう考えているか
「葛藤はもちろんあった。でも僕もプロ野球選手として客観的にみてもそこそこいけると思ってるんで。他の選手とのかねあいもあるが、ある程度客観視できる目があると思って監督業を引き受けた。細かいことを言えば、いろいろあったなというのが本音です。今後はチャンスがあればゲームに出たい」
--涙につながった一番の思いは
「寂しさというより、悔しさかな。わかんないです。すいません」
--なぜ今年責任をとらなければいけないのか
「低迷。僕が入ってから最下位は一度もないんで。球団史の中でいえば20年ぶりくらいの悪い出来事だから。僕が責任を取らず誰かに責任を負わすわけにいかない。(来年もう一度挑戦するという)選択肢にも悩み、でもこんな成績ではやめるつもりで全力でやってきた。ここはけじめつけた方がいいかな、と」
--選手として思い出に残るシーンは
「チームプレーなんで優勝しないとおもしろくないんです。最近では2001年の近鉄に勝って優勝したときが一番」
--今後の予定は
「まったく、ありません」
--兼任監督を続ける上で右肩の問題や体力の問題は大きかったのか
「(兼任監督は)野村さんや先輩方がやられたし。僕の場合はチームが低迷したから大きなことは言えないが、チャンスがきたときにできないというつもりはない。ただできるなら30代の方がよかった。僕の場合、捕手の後継者をつくるのも監督としての仕事の1つだったので、『オレが』という気持ちが薄れるんです。もうちょっと若い人の方がバリバリできて、いいと思う」
--(引退・退任について)相談した人は
「結構います。本当にいろいろな意見をいただいた。具体的な名前はやめておきます」
私と友人Qの野球観戦は、古田さんから始まったようなものなんです。
いろいろ思いはあるけれども、言葉にならない…。
でもでも、古田さんの野球人生がこれで終わるわけは無い。
またきっと帰ってきてくれる(はず!)