今日は母の誕生日。
もし、生きていたら、79歳になる。
ああ、お母さん、誕生日だねえ、と朝から思いながら変わらぬ一日が始まった。
家事の一休みで朝日新聞をめくると、こんな記事に出会った。
月夜の森の梟 30 小池真理子
「連なっていく母の手、私の手」
母の誕生日と相まって、とても心に感じるものがあって、書き留めておく。
ちょっと長いので、前ははしょって引用*******
(筆者はテレビで見かけた女優さんの美しい手に魅せられて、、こう思いを馳せる)
私の母は手の美しい人だった。指はすらりと長く、爪のかたちがきれいだった。マニキュアいらずで、いつも艶やかな桜色に輝いていた。
その手が私や妹を抱き、おむつを替え、連日連夜、飽きることなく家族の食事を作り続けた。かじかむような寒さの中、洗濯をし、買い物に行き、飼い犬や文鳥に餌をやり、土いじりをして小さな歌壇に花を育てた。
老いた母の手は乾燥し、血管が浮き出て皺が寄った。両手をこすり合わせるたびに、かさかさと枯葉をもむような音をたてた。
昔はね、といつも母は少し自慢げに言った。シラウオのような手、って言われていたのよ、と。
認知症が厳しくなった母とは、よく手をつないだ。手を握った。昔から手の温かい人だった。そのぬくもりは死ぬまで変わらなかった。
指輪のサイズが合わなくなってきたことに気づいたのは、数か月前。母のようなシラウオの手ではなかったが、やはり年齢と共に否応なしに節くれだち、指全体が太くなった。指輪がうまく嵌らないこんなに手が衰えていたのか、と愕然とした。
夫の闘病中、自分の美容上の手入れなど二の次になっていた。習慣的なこと以外、意識がまわらなかった。自分が痩せたのか太ったのかもわからず、興味もなく、彼の病状が深刻になるにつれて、装うことの楽しさも失われていった。
最後に向かう日々、夫の手を数えきれないほど何度も握った。うすくなった、冷たい手だった。主治医の前で酸素濃度を計る際、指先が冷たくて正確な数値が出ないと言われた手。その時よりもさらに冷たくなった手をさすった。母に似て、手が冷えるということがめったにない私は彼の手を掌の中にくるみ、時間をかけて温めた。
老い衰えていくもの、死にゆくものの手を握り、温め、その同じ手で愛するものを抱きしめる。食事を作る。パソコンを叩く。涙を拭う。鼻をかむ。
この手がいくつもの命を見送り、自身の生命を支えてきたことへの不思議を思う。愛したものたちの手と手がつながれ、果てることもなく連なって、銀河の宇宙を漂っている、そんなまぼろしが見える。
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母の手は、ごつごつとして節くれだった働く手だった。
一方私の手は、まさにシラウオのような手と言われた。若いころはきれいでしょ?と思っていたが、ある時から、働いていない手と言われているようで申し訳ないような気持ちになった。
家事をして、子育てをして、年齢を重ねて、私の手も節くれだった、冬になるとあか切れしたり、かさかさと音をたてるような手になった。
帛紗を捌く時、ひっかかってかさかさ音がすると、あー手が荒れてるとつくづく思う。
でも、いやだなというよりは、私も少しは母に近づけたのかなと、ほめてくれる?みたいな気持ちになる。
出産後4か月で母に大きな病気が見つかって、でも、母は私に心配をかけないように気丈に一人で頑張っていた。段々痩せて、弱って、それでも、私はどこかで母は死なないと思っていて、というか、そう信じたくて、思い込もうとして、子育ての忙しさも言い訳にして現実をみていなかった気がする。もっと手を握っていればよかった、抱きしめていればよかったと後悔が押し寄せる。どうも大人になると気恥ずかしくて抱きしめるという行為は特別な感じがしてできなかったんだけど、近くにいる、スキンシップってやはり大事なんだよ。
以前、子供には何もなくても一日6回抱きしめてあげなさいという話を読んだ時に、ああ、子供だけじゃなくて大人もそうなんだろうなと思った。大人だって寂しくなったらギューってしてって言っていい。
今はコロナでそれも少し難しい状況になっているけれど、人が生きていくうえでギューってしてもらうってそれだけで安心できて、大事なことなんだと思う。
「あなたがここにいて嬉しい」っていうことだから。
母に返せなかった分、小さなことでも、誰かの役に立てるように私の手を使っていこうと決意した誕生日になった。
それにしても、改めて自分の手の写真を撮ってみて、こんなに年をとったかと愕然とした。
節くれだった手は頑張った勲章みたいで嫌いじゃないけど、手と首は体の中で一番年齢がでる部分、少しは労わってケアしてあげなくちゃとも思ったことでした。さ、丁寧にクリームを塗って寝ることにしよう。
誕生日おめでとう、お母さん。
そして、おやすみなさい、お母さん。
よく夜更かししないで早く寝なさいって言われたね。
いなくなっても、何歳になっても、母の深い愛を感じつつ、恋しさは続くんだろうな。
私の母は認知症で施設に入っています。 いろいろあってなかなか心を開けずにいたのですが、やっと心から優しくしてあげれるようになったと思ったら、コロナで今は思うように面会できません。 もう母は私の事もわかりませんが、また以前のように自由に面会ができるようになったら、たくさん手をつないで、手をさすってあげたいと思いました。茶道は二十代の頃、数ヶ月やっただけでやめてしまったのですが、時々読ませていただきます。
こちらこそ、私のブログにおたずね下さってありがとうございます。
お母様、認知症でいらっしゃいますか。
私も父が徐々に記憶が薄れてきていて複雑な気持ちです。
親子といえど色々あるし、コロナになって色々なことが難しくなってしまいましたね。
面会して手がつなげる日が早く来るといいですね。
以前茶道をされていたとのこと、ご縁があるのかもしれません。
これからも宜しくお願い致します。
hanasaku55さんのブログも拝見させて頂きますね。