朝日新聞の木曜版に、一語一会という欄があり、毎回、その方が大切にしている言葉が紹介されている。
毎週楽しみに拝読している欄である。
2022年5月12日(木)は、教育評論家の尾木直樹さん。
母の静枝さんからの言葉だった。
****以下引用****
講演先で色紙を頼まれたときは、<<ありのままに 今を輝く>>と書く。
保護者に書くときは「輝く」と漢字、小さな子どもには平仮名で。最後にハートマークをつける。テレビで見るのとまったく同じ柔和な笑顔と優しい口調で話を続けた。
「こう書くと、親御さんの中には『そんなこと言うとうちの子、何も勉強しなくなってしまいます』という方がいるんです。そうじゃないんです。自分らしく輝く。その子らしさを生かしながら、日々、ベストを尽くす。なまけるということとは違うんですよ、と説明しています」
今を輝く―。これはもともと母、静枝さんの口癖だったそうだ。滋賀県の湖北地域。琵琶湖と伊吹山を望む旧伊吹村(現在の米原市)で小学校の教員をしていた静枝さんは、出産を機に退職し、尾木さんと4歳上の姉、3歳下の弟の3人を育てた。尾木さんは両親から声を荒げて何か言われたという記憶がないという。特に母親から静かに言われた一言一言は、生涯に大きな影響を与えているという自覚があるそうだ。「学校から帰るとね、いつも『直樹、きょうの予定はどうなっているの?』と聞かれるんです。そうするとね、あれやってこれやって、宿題は何時ごろとか、自分で計画を立てないといけない。それを言うと『ああ直樹は偉いね』と。もうやらざるを得なくなるわけ(笑)」
今でも覚えている冬の日の光景がある。学校から帰ると、いつものように予定を聞かれた。「翌日は平日だけど開校記念日か何かで休みだったんです。だから、明日のことは明日考えてみますと答えた。すると『ちょっと座りましょう』と」
火鉢を置いた和室で向き合った直樹少年に静枝さんが伝えたのは親鸞聖人作という古歌だった。明日ありと思う心の徒桜(あだざくら) 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは―。「今やれることを先延ばしにすると、明日はどうなっているか分からない。だから今ベストをつくさなければ。なるほどと思いましてね。『今を輝く』とこの歌は表裏一体。おんなじ意味だったんですね」
今でも尾木さんは、明日着る服をすべて枕もとにそろえて休むという。「あれからずっと。だからね、誤解しないで。なまけていては輝かないんです」
************************
なるほどな、と思った。今やれることを先延ばしにしない、これは、よく耳にしていた。
弱い私は明日でいいや~と先延ばしにしていることがよくあった、いや今もある。
でも、コロナや戦争、世情不穏な昨今、
”明日ありと思う心の徒桜”
の古歌は真剣味を帯びて迫ってくる感じがする。
この記事と同時に、『サラダ記念日』で有名な俵万智さんの記事を読んだ。
「逆算しない その時を一番に」。
子育てを契機に地方へ移住。両親の住む仙台へ。
息子さんが小学校一年の時、東日本大震災にあって石垣島へ、中学進学に伴い宮崎へ、そしてこの春、息子さんは東京の大学に入学、一人暮らしを始めた。
俵さんの子育てでのシンプルな三つの基本方針は、自然に触れること、地域社会に頼れること、子どもだけで遊べること。
これが都会では難しかったから地方移住を決めた。
東京を離れるとき、一番言われたのが「教育は大丈夫?」
子ども時代に豊かな経験をした息子さんは、塾通いもできない環境だったが、上出来な結果で受験を終えた。
そこで、東京で子育て中のママたちからは「どうしたら、そうなれるの?」と聞かれた。
それに対して、俵さんは言う。
「そうなるために、どうするか」という逆算はおすすめできない。
そうならなかったらさかのぼって子供を否定することになる。
ゴールの線引きをするのではなく、野放図に。その時その時の充実を、一番に。
気づくのは逆算しないことの大切さだと。
どちらも今やれることを一生懸命にということだろう。
将来自分がしたいことやなりたい姿があれば、それを目指して。
それがなくても、自分が大切と思うことを大切にしながら、今日できることをできる限りやって日々を送る。
そうすれば結果に繋がり、未来は開けていく。
私自身、自分がどうしたいのかわからなくて、あっちにいったりこっちにいったり、
イライラしたり、悩んだり、色々なことを試したりという時期が長くあった。
色々な想いを経て、自分が本当に大事に思うこと、やりたいことに気づくことができて、
今は、『茶遊庵』に通ってくれる目の前の生徒さんに茶道や日本文化の良さを少しでも伝えたい
と日々その時その時の充実を一番に動けているように思う。
私の一語一会はなんだろう?と考えてみた。
死を意識した病床の母が言った言葉。
「あなたが泣くから死にたくないわ。」
それまでも母の愛情は感じていたけれど、その深さを言葉で思い知らされた。
今もこの言葉を考えると涙があふれてくるんだけれども、それと同時に、
その愛情を私も自分の周囲の人や社会に返していかなければ、しっかり生きなければと強く思う。
「人には誠実に接しなさい、出来る時に出来る親切をしなさい。」
これも母の教えで、二つの言葉が私の軸になっている。
尾木さんの母の言葉から、私の母の言葉が改めて浮かび上がってきて、
茶道で大切にされる一期一会という言葉と、一語一会という言葉と、縁を感じた。
この二つの記事を続けて目にしたのは、偶然かもしれないけれど、
神様が私に今を輝くように生きなさいとメッセージをくれたんじゃないかと思う。
さあ今日も頑張っていこう。
毎週楽しみに拝読している欄である。
2022年5月12日(木)は、教育評論家の尾木直樹さん。
母の静枝さんからの言葉だった。
****以下引用****
講演先で色紙を頼まれたときは、<<ありのままに 今を輝く>>と書く。
保護者に書くときは「輝く」と漢字、小さな子どもには平仮名で。最後にハートマークをつける。テレビで見るのとまったく同じ柔和な笑顔と優しい口調で話を続けた。
「こう書くと、親御さんの中には『そんなこと言うとうちの子、何も勉強しなくなってしまいます』という方がいるんです。そうじゃないんです。自分らしく輝く。その子らしさを生かしながら、日々、ベストを尽くす。なまけるということとは違うんですよ、と説明しています」
今を輝く―。これはもともと母、静枝さんの口癖だったそうだ。滋賀県の湖北地域。琵琶湖と伊吹山を望む旧伊吹村(現在の米原市)で小学校の教員をしていた静枝さんは、出産を機に退職し、尾木さんと4歳上の姉、3歳下の弟の3人を育てた。尾木さんは両親から声を荒げて何か言われたという記憶がないという。特に母親から静かに言われた一言一言は、生涯に大きな影響を与えているという自覚があるそうだ。「学校から帰るとね、いつも『直樹、きょうの予定はどうなっているの?』と聞かれるんです。そうするとね、あれやってこれやって、宿題は何時ごろとか、自分で計画を立てないといけない。それを言うと『ああ直樹は偉いね』と。もうやらざるを得なくなるわけ(笑)」
今でも覚えている冬の日の光景がある。学校から帰ると、いつものように予定を聞かれた。「翌日は平日だけど開校記念日か何かで休みだったんです。だから、明日のことは明日考えてみますと答えた。すると『ちょっと座りましょう』と」
火鉢を置いた和室で向き合った直樹少年に静枝さんが伝えたのは親鸞聖人作という古歌だった。明日ありと思う心の徒桜(あだざくら) 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは―。「今やれることを先延ばしにすると、明日はどうなっているか分からない。だから今ベストをつくさなければ。なるほどと思いましてね。『今を輝く』とこの歌は表裏一体。おんなじ意味だったんですね」
今でも尾木さんは、明日着る服をすべて枕もとにそろえて休むという。「あれからずっと。だからね、誤解しないで。なまけていては輝かないんです」
************************
なるほどな、と思った。今やれることを先延ばしにしない、これは、よく耳にしていた。
弱い私は明日でいいや~と先延ばしにしていることがよくあった、いや今もある。
でも、コロナや戦争、世情不穏な昨今、
”明日ありと思う心の徒桜”
の古歌は真剣味を帯びて迫ってくる感じがする。
この記事と同時に、『サラダ記念日』で有名な俵万智さんの記事を読んだ。
「逆算しない その時を一番に」。
子育てを契機に地方へ移住。両親の住む仙台へ。
息子さんが小学校一年の時、東日本大震災にあって石垣島へ、中学進学に伴い宮崎へ、そしてこの春、息子さんは東京の大学に入学、一人暮らしを始めた。
俵さんの子育てでのシンプルな三つの基本方針は、自然に触れること、地域社会に頼れること、子どもだけで遊べること。
これが都会では難しかったから地方移住を決めた。
東京を離れるとき、一番言われたのが「教育は大丈夫?」
子ども時代に豊かな経験をした息子さんは、塾通いもできない環境だったが、上出来な結果で受験を終えた。
そこで、東京で子育て中のママたちからは「どうしたら、そうなれるの?」と聞かれた。
それに対して、俵さんは言う。
「そうなるために、どうするか」という逆算はおすすめできない。
そうならなかったらさかのぼって子供を否定することになる。
ゴールの線引きをするのではなく、野放図に。その時その時の充実を、一番に。
気づくのは逆算しないことの大切さだと。
どちらも今やれることを一生懸命にということだろう。
将来自分がしたいことやなりたい姿があれば、それを目指して。
それがなくても、自分が大切と思うことを大切にしながら、今日できることをできる限りやって日々を送る。
そうすれば結果に繋がり、未来は開けていく。
私自身、自分がどうしたいのかわからなくて、あっちにいったりこっちにいったり、
イライラしたり、悩んだり、色々なことを試したりという時期が長くあった。
色々な想いを経て、自分が本当に大事に思うこと、やりたいことに気づくことができて、
今は、『茶遊庵』に通ってくれる目の前の生徒さんに茶道や日本文化の良さを少しでも伝えたい
と日々その時その時の充実を一番に動けているように思う。
私の一語一会はなんだろう?と考えてみた。
死を意識した病床の母が言った言葉。
「あなたが泣くから死にたくないわ。」
それまでも母の愛情は感じていたけれど、その深さを言葉で思い知らされた。
今もこの言葉を考えると涙があふれてくるんだけれども、それと同時に、
その愛情を私も自分の周囲の人や社会に返していかなければ、しっかり生きなければと強く思う。
「人には誠実に接しなさい、出来る時に出来る親切をしなさい。」
これも母の教えで、二つの言葉が私の軸になっている。
尾木さんの母の言葉から、私の母の言葉が改めて浮かび上がってきて、
茶道で大切にされる一期一会という言葉と、一語一会という言葉と、縁を感じた。
この二つの記事を続けて目にしたのは、偶然かもしれないけれど、
神様が私に今を輝くように生きなさいとメッセージをくれたんじゃないかと思う。
さあ今日も頑張っていこう。
宗智さんのお母様は容姿ともにお心も美しい方なのですね。以前、たまごさんにお会いした時、なんて物腰が優しく上品な方なのでしょう・・と嬉しかったことを思い出します。きっとお母様ゆずりなのですね。私は毎日バタバタと慌ただしくて自分のことは後回しになってしまうのですが、この記事を拝読して実践してゆこうと思います。これからも茶遊庵でのご活躍を楽しみにしております。日本も暑い季節ですのでご自愛ください。
コメントをありがとうございます。嬉しいです。
お会いした時からもう何年経ったでしょうか。変わりなくお過ごしですか。
私も毎日バタバタ慌しく過ごしてしまいますが、意識したら少し前に進めるかなと思っています。
またこちらにいらっしゃることがあれば是非お声がけ下さい。茶遊庵で一服できたら最高ですね。
暑い季節、お互いに体に気を付けて乗り切りましょう。