茶事で使用する銅鑼について。茶事の際、中立して、後座に入る時合図として鳴らされる銅鑼。何故わざわざ銅鑼を鳴らすのか?
銅鑼の発生の由来ははっきりしないが、茶道での分類では、朝鮮銅鑼と南蛮銅鑼がある。もともと銅鑼は為政者に好まれ、権力を示すためのものとして、または戦場での士気高揚の為に使われた。確かに中国では戦いの場面でよく銅鑼や鐘をジャンジャン鳴らしているイメージがある。東南アジアでは大小の銅鑼を横並べにして楽器として使われている。銅鑼の素材は、銅と錫の合金で、合金の配合と厚さによって音色が変わってくる。
日本では仏事の儀式の中にも取り込まれており、茶道の世界では権力誇示や士気高揚ではなく、仏教に根ざした精神性から銅鑼を使うことになったと考えられる。茶事では通常「大小大小中中大」と打つが、亭主は心を落ち着けていい音を出すように打ち、客はその響きと余韻を味わう。銅鑼の余韻と共に彼岸へ行き、心を澄まし、音が消えると共に現世に戻ってくる。後入の合図というだけでなく、音によって自分の精神を静めつつ、高めるということなのだろう。
銅鑼とは違うが、余韻を楽しむということで言えば、お寺の鐘の音を聞く時、目を閉じて聞き入ると自分が何処かに行ったような無心な状態になったと感じることがある。年末、年越しの鐘は人間の煩悩の数と言われる108ツ打つ。鐘をつくことでひとつひとつ煩悩を消し去って清々しい気持ちで新年を迎えるのだと聞いたことがある。
茶事で鳴らされる銅鑼にも仏教のこうした願いがこめられているのではないだろうか。
銅鑼の発生の由来ははっきりしないが、茶道での分類では、朝鮮銅鑼と南蛮銅鑼がある。もともと銅鑼は為政者に好まれ、権力を示すためのものとして、または戦場での士気高揚の為に使われた。確かに中国では戦いの場面でよく銅鑼や鐘をジャンジャン鳴らしているイメージがある。東南アジアでは大小の銅鑼を横並べにして楽器として使われている。銅鑼の素材は、銅と錫の合金で、合金の配合と厚さによって音色が変わってくる。
日本では仏事の儀式の中にも取り込まれており、茶道の世界では権力誇示や士気高揚ではなく、仏教に根ざした精神性から銅鑼を使うことになったと考えられる。茶事では通常「大小大小中中大」と打つが、亭主は心を落ち着けていい音を出すように打ち、客はその響きと余韻を味わう。銅鑼の余韻と共に彼岸へ行き、心を澄まし、音が消えると共に現世に戻ってくる。後入の合図というだけでなく、音によって自分の精神を静めつつ、高めるということなのだろう。
銅鑼とは違うが、余韻を楽しむということで言えば、お寺の鐘の音を聞く時、目を閉じて聞き入ると自分が何処かに行ったような無心な状態になったと感じることがある。年末、年越しの鐘は人間の煩悩の数と言われる108ツ打つ。鐘をつくことでひとつひとつ煩悩を消し去って清々しい気持ちで新年を迎えるのだと聞いたことがある。
茶事で鳴らされる銅鑼にも仏教のこうした願いがこめられているのではないだろうか。
わたしも長くお茶を続けています。
母が師匠なので、甘い部分もあるかもしれません。
銅鑼に関する推察おもしろく拝見いたしました。ゆっくり他のカテゴリも回らせていただきますね。
私も毎週楽しみながらお稽古しています。
また是非いらして下さい。コメントもお願いします。
自分なりの考察なので、何か違ったことがあったり、ご存知のことありましたら、教えて下さいね。