座り方の種類と茶道に正座が取り込まれていった背景について。
茶道に関する文献「茶道古典全集」の中の史料「盞本呑様之書」、亭主の自服を記載した記事で、以下の記載がある。
“立候て、右のわきへよせ、畏て杓をたてて釜のふたをして、そとひさを立なをして呑、さて安座して、天目を二度すすき、盞をもつねのことくすすき・・・”
茶碗に茶をたてたら右の脇によせ、柄杓をかまえて釜の蓋をし、膝を立て直して茶を呑む、その後安座をして、天目を二度すすぐなど片付けにかかる、とある。
膝を立て直して=片膝を立てて座る姿勢、安座=公家の絵にあるような足裏を合わせて座ったり、体の前で足の先を組む座り方。姿勢として楽な順番で言えば、安座→片膝立て→正座となる。
そういえば安座は胡座との差がわかりづらいですが時代劇でも、平安~室町時代の肖像画や木像でよく見られますね。
また片膝を立てる姿勢は、利休様以前の茶の飲み方としても、一般人の間でもベーシックで自然なものだったらしい。今では片膝を立てるという姿勢をあまり見ないが、確かに時代劇で武将が片膝を立てている場面はよく出てくる。能にはこの片膝を立てる姿は「下に居る」という姿で残っている。考えてみると、立膝とは痺れることもなく、またすぐに立ち上がり行動できる機能的な座り方であったに違いない。
では何故、茶室の中での座り方は、初めは場面によって違ったのに、全て正座に移行し統一されていったのか。これには2つの理由が考えられる。まず、書院の茶から草庵の茶への変化により茶室が狭くなったことで一番コンパクトな座り方である正座になったこと。次に、茶から遊興性が徐々に失われ、一種の緊張したハレの場、精神性を求める場となったことで、楽な座り方であった安座や片膝から一番畏まった座り方である正座へと変化したこと。
お稽古で体調が悪い時など、点前が終わって立ち上がれないことがあると、“失礼します”とお断りして足を組替えて直してから立ち上がることがある。無理をしてお道具を持ったまま転べばもっと大変なことになるので仕方がないのだが、やはり茶道の中では正座も精神修養の1つ、痺れるから点前を早くするとか、痺れるから今のうちに崩しておこう等と言っているうちはだめなのだ。お稽古で、お客の時は気楽にだらっと足を崩したりしていることがあるが、反省しなくては。点前も姿勢も場面によって緩急が必要なのねと書いていて思った。
最後に、参考までに座り方を表す言葉について辞書から引いた一覧を載せておきます。
せいざ 【正座/正坐】
足をくずさず、行儀正しくすわること。端座。
あんざ 【安座/安坐】
(1)ゆったりと座ること。特に、あぐらをかくこと。
(2)危急の際、何もしないでのんびりしていること。
あぐら 【胡坐/胡床】 〔足(あ)座(くら)、の意〕
両ひざを左右に開き、両足首を組み合わせて座る座り方。
――をか・く
(1)足を組んで楽な姿勢で座る。
(2)自分は何の努力もせず、あるものに頼ってゆうゆうと構えている。ずうずうしく構える。あぐむ 【足組む】
足を組んで座る。あぐらをかく。
ざぜん 【座禅/坐禅】
〔仏〕 仏教の中心的修行法の一つで、特に禅宗においては根幹をなす修行とされる瞑想法。状況に応じて変更することが許されるが、原則としては座布団の上に尻を置き、結跏趺坐(けつかふざ)し、手に法界定印を結び、呼吸を緩やかにして、宗教的な精神の統一を実現する。
茶道に関する文献「茶道古典全集」の中の史料「盞本呑様之書」、亭主の自服を記載した記事で、以下の記載がある。
“立候て、右のわきへよせ、畏て杓をたてて釜のふたをして、そとひさを立なをして呑、さて安座して、天目を二度すすき、盞をもつねのことくすすき・・・”
茶碗に茶をたてたら右の脇によせ、柄杓をかまえて釜の蓋をし、膝を立て直して茶を呑む、その後安座をして、天目を二度すすぐなど片付けにかかる、とある。
膝を立て直して=片膝を立てて座る姿勢、安座=公家の絵にあるような足裏を合わせて座ったり、体の前で足の先を組む座り方。姿勢として楽な順番で言えば、安座→片膝立て→正座となる。
そういえば安座は胡座との差がわかりづらいですが時代劇でも、平安~室町時代の肖像画や木像でよく見られますね。
また片膝を立てる姿勢は、利休様以前の茶の飲み方としても、一般人の間でもベーシックで自然なものだったらしい。今では片膝を立てるという姿勢をあまり見ないが、確かに時代劇で武将が片膝を立てている場面はよく出てくる。能にはこの片膝を立てる姿は「下に居る」という姿で残っている。考えてみると、立膝とは痺れることもなく、またすぐに立ち上がり行動できる機能的な座り方であったに違いない。
では何故、茶室の中での座り方は、初めは場面によって違ったのに、全て正座に移行し統一されていったのか。これには2つの理由が考えられる。まず、書院の茶から草庵の茶への変化により茶室が狭くなったことで一番コンパクトな座り方である正座になったこと。次に、茶から遊興性が徐々に失われ、一種の緊張したハレの場、精神性を求める場となったことで、楽な座り方であった安座や片膝から一番畏まった座り方である正座へと変化したこと。
お稽古で体調が悪い時など、点前が終わって立ち上がれないことがあると、“失礼します”とお断りして足を組替えて直してから立ち上がることがある。無理をしてお道具を持ったまま転べばもっと大変なことになるので仕方がないのだが、やはり茶道の中では正座も精神修養の1つ、痺れるから点前を早くするとか、痺れるから今のうちに崩しておこう等と言っているうちはだめなのだ。お稽古で、お客の時は気楽にだらっと足を崩したりしていることがあるが、反省しなくては。点前も姿勢も場面によって緩急が必要なのねと書いていて思った。
最後に、参考までに座り方を表す言葉について辞書から引いた一覧を載せておきます。
せいざ 【正座/正坐】
足をくずさず、行儀正しくすわること。端座。
あんざ 【安座/安坐】
(1)ゆったりと座ること。特に、あぐらをかくこと。
(2)危急の際、何もしないでのんびりしていること。
あぐら 【胡坐/胡床】 〔足(あ)座(くら)、の意〕
両ひざを左右に開き、両足首を組み合わせて座る座り方。
――をか・く
(1)足を組んで楽な姿勢で座る。
(2)自分は何の努力もせず、あるものに頼ってゆうゆうと構えている。ずうずうしく構える。あぐむ 【足組む】
足を組んで座る。あぐらをかく。
ざぜん 【座禅/坐禅】
〔仏〕 仏教の中心的修行法の一つで、特に禅宗においては根幹をなす修行とされる瞑想法。状況に応じて変更することが許されるが、原則としては座布団の上に尻を置き、結跏趺坐(けつかふざ)し、手に法界定印を結び、呼吸を緩やかにして、宗教的な精神の統一を実現する。
blogにお越しいただいてありがとうございました。
茶道は詳しくありませんが、歴史にはすごく興味があります。
前記事も少し拝見しましたが、
利休七哲の中では、蒲生氏郷が好きです。
柴山監物は謎の多い武将のようです。
荒木村重の家来だったとか、本願寺家にも仕えていたとか。
興味深いお話を載せておられますね。
こちらこそ、これからよろしくお願いします。
蒲生氏郷については名前くらいしか知らなかったのですが、千家にとって大切な方であることを最近知りました。また改めて書きたいと思っています。
ちょくちょく渋樹様のブログも見に行きたいと思っています。宜しくお願いします。
また、テレビの紀行番組などで韓国の家庭を紹介すると、片膝を立てて座っている人をよく見かけます。
この座り方は、とても古くからある自然な座り方なのかも知れませんね。
「座る」ということ一つをとっても、文化と言うものについて、様々な考察が出来るものですね。
とても、興味深い記事でした。
椅子生活でない文化圏では機能的な座り方だったのかもしれませんね。
書かれることの行間から、日本の、また日本人の
深さを感じます。
また、立ち寄らせてください。
茶法書「草人木」より
亭主、建水を席へ取り入れ、
客の御膝ろくに御座候へと申・・・
かた膝から次は、、、
ろく、のとり方でお平らなら、あぐら、
平らにであれば正座なのでしょうか。
ただ町人の茶でしたら、平らに、という
ことなのでしょう。表千家堀内宗完宗匠も
そう解釈されているようです。
現代の茶から垣間見ることは困難ですが、
武家茶と千家の茶で座り方の違いは
ありますよね。
有楽の茶に身をおくと、いまだにオトコが正座を
すると、「自害するおつもりですか?」なんて冗談を言います。
長い江戸の世で、袴をはずし着流しになった者たち
また、はずすことのなかった士族や旧家で
相違が益々広がったように思います。
いかがでしょうか。
よいお勉強させていただいています。
これからも楽しみに拝見させていただきます。
正座は、すべての道(武道・茶道などなど)に
必ずといっていいほど行われますよね。
武道と茶道にはやはり何か相通じると感じます。
礼儀作法、心の鍛錬、気の持ち方など昔の日本人が
大事にしていた点なのではと思慮します。
私も、若い頃多少武道の心得があり
正座は出来たのですが、年とともに不精から
太ったこともあり、先日、出雲大社でお払いを
受けた際、祈祷の後に各人にお札を授けてくださる時、名前を呼ばれ立てずに往生してしまいました。
このプログをみながら、すこしづつでも
心の大事さや、日本人のすばらしさを再発見しつつ
正座も家ですこしづづでもやってみようと思います。。。
HPも拝見させて頂きました。色々活動をなさっているようですね。また寄らせて頂きます。
”ろくに”の言葉は、町衆針屋宗春伝書の異本にもたくさん出てくると本で読んだことがあります。ここではくつろいで下さい、お楽にという意味(=どうぞ安座を)で使われているようです。
ところで、武家茶とはどういうところが違うのでしょうか。普段、表、武者小路などの流儀を見る機会はあっても武家茶のお点前やお茶は拝見したことがないので興味があります。
男性が正座をすると切腹、なるほど、何気なく時代劇を見ていましたがよくよく考えると座り方ってお茶だけでなく場面によって色々ですね。
おっしゃるように江戸時代になると町民文化も花開き、立場や場面によってまた変化が見られるのでしょうね。座る・歩くという視点から歴史を考えるとまた面白いかもしれません。
また是非コメント下さい。
おっしゃる通り、武道や茶道、日本の”道”とつくものには共通点がたくさんありますね、精神的にも繋がっているように思います。
根底にあるのは相手への思いやり・配慮と自分の鍛錬かな、と思います。
私もお稽古以外できちんと正座をするということはほとんどありません。。。やはり膝も痛いですしー。
大好きな畳ではゴロンと寝転がるか足伸ばしていることがほとんど。でも、正座すると気持ちがキリっとしてその瞬間いいなと思います。
あぐらはすっと立てない 膝を一端外さねばならないです
ですから 主君の前で座るときは胡座 直ぐに立てない 従する意味があると考えています
正座は横に刀置けば すぐさま相手に斬りかかる 状態を上げる または身を横にかわすことの出来る姿勢 であると 考えます
亭主は客の要望または茶を呈する為に動き安い姿勢 それが正座であると 思います
私も茶道以外のところでどのような座り方があるのかまでは調べていないので、武家ではまた違うのかもしれませんね。
私なりの考察で書いてみましたが、雨点さんの考え方もまたありといえるでしょう。