満開の桜と共に義母が逝ってしまい
取り残された気分の私たち。
せっかちだったからなぁ…
納得したような、できないような…
『願はくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月のころ』
by西行法師
という句を思い出したり…
義母が桜の季節に…と
希望したわけではないと思うけど、
1日1日を真面目に生きた義母への
ご褒美だったのかなと都合よく解釈してます。
残された者が悲しみに沈むことなく
日々の暮らしを大切にすることが供養になる…
と導師を務めてくださった町内のお寺の住職さん。
そう、わかってはいるんだけど、ね。
ちなみに住職さんはだんなの同級生で
小さい頃は境内でよく遊んだのだとか…
〇〇くんも立派になったなぁ、って←上から目線
葬儀は禅宗の某宗派によって執り行われ、
私にとっては驚愕の連続←大げさ?
実家の両親はクリスチャンだし
父の実家は浄土真宗だし…
おまけに長男の嫁(=私!)は特等席で
実子である義姉に申し訳なくて
なるべく義姉より前に出ないように気を遣い
(気を遣ったつもり)
もう存在を消したい気分
義父は急に老け込んでヨレヨレだから
だんなが喪主を代行して
私が義父の動きを介助して…
自分の面倒も見るのも大変なのに
葬儀の前後はボーっとしている間もなく
義父の兄弟夫妻、義母の兄妹とも
漏れなく会話して回り
その他参列してくださった
親戚、顔見知りのご近所さんにも
ご挨拶して回り…
堅苦しいことを言う人たちではないけど
一応、長男の嫁、外交に勤しむの巻
やっと顔と名前が一致した親戚もいたり
だんなも知り合いだと思っていた人が
実は親戚だったことが判明したり…
色々勉強になりました。
親戚多過ぎ!
だんなの従兄弟たちは
まだ覚えられないけど
葬儀は親戚との顔繋ぎの場であると
冷や汗をかきながら再認識しました。
こんな時でも笑えるネタが数々…
それについては近々書く予定です。
日常を取り戻しつつありますが
心騒ぐ日もあり…
まずは近況報告まで
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