Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

Iアパートの思い出:S子ちゃん編

2006年12月18日 | 音楽のルーツ
私は末っ子だったせいか昔から妹が欲しかったのです。
だから、高校時代、大学と後輩はかわいくてしょうがありませんでした。あ、もちろん今でも。

K君の妹S子ちゃんは意外にも?さだまさしのファンで、意気投合し一緒にコンサートに行ったことがあります。
しかし、当日、彼女は風邪を引いてしまい。かなり熱が出ていて、もしかしたらいけないかもしれないとK君は言っていました。
当日は会場で待ち合わせたのですが、コンサートが始まっても彼女は来ません。
かわいそうに、風邪がひどいんだな~、せっかく楽しみにしてたのに。。。
と、隣の空いている席を見ながら私もなにかコンサートに身が入りません。

コンサートが始まってから2,30分経った頃だったでしょうか、なんとS子ちゃんはやってきました!
やはり普段の元気はありませんが、根性です。
「大丈夫?」と聞くと青白い顔でにっこり(無理に)笑って頷いてくれました。
でも、コンサートの間やはり彼女は苦しそうでちょっと心配でした。
何とかコンサートが終わり、私は彼女をアパートまで送っていきました。
2人で雪道を歩きながら色々と話したことを覚えています。

彼女はお兄さんの影響かどうかわかりませんが、料理も得意でした。

私は、2年から下宿を出て北24条駅に近いアパートで暮らし始めましたが、実は、同じ下宿だったT君から、お前もあまり下宿の飯を食ってないようだし、経済的だから共同生活をしないか?と誘われ、二つ返事で乗ったのでした。
T君も気さくな優しい男で結局、彼とはその後卒業するまで一緒に暮らしておりました。

S子ちゃんはこの我々のアパートにも1度ご飯を作りに来てくれたことがあります。
T君もS子ちゃんの手料理にすごく喜んでいました。
確かH君も一緒だったと思います。

本当に私はこのIアパートに良く通いました。
自分の下宿に帰るよりここに帰った方が多かった気がするぐらいです。

しかし、まさか、何年か後に本当にここに住むことになるとは。。。この頃は考えてもいませんでした。

猪木の闘魂焼酎

2006年12月17日 | お酒のお話
アントニオ猪木厳選の闘魂焼酎です。
戦いに浪漫を求める男、猪木はボトルのバックラベルにこう書いてあります。

「闘魂とは自分の信じる道に歩み続けることだ。」

これはゆーまんさんから「観賞用に」といただいたものですが、飲んでみると特に白いスモークボトルのものがなかなか美味しかったです。
今の季節、ご贈答用にどうですか~!ダー!!!


これが怪獣語翻訳機だ!?

2006年12月17日 | 怪獣館
科学特捜隊イデ隊員が開発した「怪獣語翻訳機」です。
ウルトラマン第37話「小さな英雄」ではピグモン(写真左)の言葉を解読し怪獣酋長ジェロニモンがウルトラマンに倒された怪獣たちを蘇らせて地球征服を企てていることを事前に知ることができました。

それにしてもイデ隊員(写真右)の科学者としての能力はすごい!
アラシ隊員のスパイダーショットをはじめスペシュウム光線と同等の破壊力を持つといわれるマルス133、この回でも新兵器「スパーク8」を開発し最後はジェロニモンを倒しているのです。


Iアパートの思い出~K君のにぎり寿司

2006年12月16日 | 音楽のルーツ
グリーの練習が終わると、よく同期と一緒に喫茶店に行ったり、飲みに行ったりしました、しかし、お金がないので自然と誰かのアパートに行くようになりました。
そんな時、みんなのたまり場になっていたのがこのIアパートでした。

Iアパートは北12条駅から歩いて10分ぐらいのところにある集合アパート?入り口がひとつで中は迷路のようになっていました。近くにT女子大があり、後にそこの合唱団の子も住んでいることが分かりました。

そのアパートには同じグリーのK君とH君が住んでいました。
H君は同じ函館出身で気さくな人で、なかなかのイケメン!?
ユーモアもあり結構女の子にもてるタイプでした。
K君は後にグリーの指揮者になるぐらいの音楽的才能を持っている人ですごく人が良かった。でも、ビールが大好き。料理も好き。
たまり場になったのはやっぱり二人の気さくな性格によるところが大きいと思います。
気軽に行きやすいのです。

我々はよく安い食材を買ってきて、料理もK君の指揮のもと、みんなで作ったこともありました。
作ったのはトンカツ、パスタ、あとは酒のつまみでくじらベーコンの細切りにネギと鰹節をたっぷりのせたやつ。これに醤油をかけて食べるのですがめちゃ美味かった!しかも安い!

そして、私の一番の楽しみは彼がたまに握ってくれる寿司でした。
なんと見よう見まねながら器用に寿司を握るんです!
ネタはマグロ、イカ、タコ、シメサバと安いものばかりでしたが、握りたてですからこれがメチャメチャ美味かった!

実は奇跡的にこのお寿司の写真が残っておりました!
これです。ご覧ください!

さらに、K君にはS子ちゃんという妹がいて、なんと同じ部屋に住んでいたのです。
S子ちゃんはすぐに我々グリーのアイドルになりました。
優しい兄としっかりした妹という感じでほほえましい兄妹でした。

明日に向って撃て!

2006年12月15日 | 映画館
映画「明日に向って撃て!」のパンフレットです。
日本での公開は1970年。
私は高校生の頃函館見たのかな~

とにかくポール・ニューマンとロバート・レッドフォードがかっこよくて!
キャサリン・ロスも色っぽくて!

音楽がまたポップで最初はちょっと意外だったのですが自転車と合うんですよね~

しかし、ポールニューマンが演じた実在のブッチはあまりにイメージが違ってビックリ!

これが実在の人物!
 ↓


おまけ

田老の民宿

2006年12月15日 | 食道楽
三陸海岸にある田老(たろう)町はあわびや鮭の産地として知られています。
場所は宮古の少し北。

町の中心地がすぐ海ということで海の幸に恵まれる一方で、その昔津波に襲われたことがあり、高い堤防が作られております。
11月下旬には鮭・あわび祭りがあり鮭やあわびの掴みどりが楽しめます。

先月、田老町の役場の近くにある民宿に泊まる機会がありました。
そのときの夕食です。ちょっとボケててすまん!
あわびは追加で注文。
ちょっと小さめでしたがコリコリして美味かった~肝またサイコー
民宿にしては料理が少なめでしたが、わたしゃ、あわびの肝と蟹の味噌があればあとはこのぐらいでちょうどいい。
これに、ちょっと飲んで1人1泊2食で9,000円ぐらい。
まずまずでは。海の幸を堪能しました。

駅弁のお話しその14:潮さい 三陸あわび弁当

2006年12月15日 | 駅弁のお話
今日はちょっとリッチに「潮さい三陸あわび弁当」1,300円です。

何といっても目立つのは小ぶりながら煮あわびが丸ごと一つ入っていること!しかも、三陸大船渡・石浜産のエゾアワビ!

しかしながら、最初にふたを開けたときの感じは「あわび弁当」!というインパクトはあまりありません。
一番がっかりしたのはご飯で、ご飯の上に載っているのがあわびで、その炊き込みご飯かと思っていたのですが、岩手県産ひとめぼれの茶めしに一関産のくるみを甘辛く煮たやつという話。

あわびのほかは豚の角煮、筍・里芋・人参・椎茸などの煮物とブリの照り焼きなど。
まあ、あわびの他のおかずも結構入っていますので、この値段なら良しとすべきなのか、観光客にはなかなかの人気弁当のようです。


オードリーの魅力:戦争と平和

2006年12月13日 | 映画館
私がオードリー・ペップバーンを始めて観たのはたぶん「ローマの休日」だと思いますが、映画館で観て印象に残っているのは「戦争と平和」でした。
オードリーの魅力的には「ローマの休日」の方が素敵だと思いますが、母と行った初めての映画であり長編戦争映画ということでとても印象に残っています。

この映画を観に行ったのは中学生の頃だったと思いますが、私の母は意外にも?洋画が好きだということを知ったのはこの時でした。
洋画は日本映画と違いラストに余韻があり観終わったあと色々考えさせられるのがいい。と母はいっていました。

私はその頃は最後はハッピーエンドかはっきりした方がいいと思っていましたので、ふ~んという感じでしたが。。。

確か、最初は姉と行く予定が行けなくなり母が行くといったとき、ちょっとびっくりしました。
誰かに見られるとちょっと恥ずかしかったし

今思えば、その頃の母は親父が単身赴任だったので親父の両親の面倒を見ながら子育てをし、一番下の私もようやく手がかからなくなり好きな洋画を観に行く気になったのだと思います。

今はお花の大好きなおばあちゃんになりましたが、母の意外な一面を知りちょっと嬉しかった思いでです。

柳ジョージ・ナイト2005

2006年12月13日 | コンサート・レビュー

柳ジョージを初めて知ったのは多分「夜のヒットスタジオ」だったと思いますが、最初の印象は、なに?このおじさん。って感じでした。
しかし、いざ歌い出すとこれが滅茶苦茶カッコイイ!!!
そのギャップに戸惑いながらも私の目と耳はテレビに釘付けになりました。
その時の曲が「雨に泣いている~weeping in the rain」でした。
ということは1978,9年頃だったと思います。
それ以降私の中ではかなり上位にランクされるアーティストとなり、一度ライヴを観たいと思いつつなかなか行く機会がありませんでした。

時は流れて、昨年テレビを見たら柳ジョージライヴのCMをやっていて、しかも焼酎パーティ!なんだこりゃ!?
たまたま会社の上司に話をすると意外にもその人も行きたいというので、早速チケットを手配し行くことになりました。

という訳で行ったのが「柳ジョージ・ナイト」と題された日本蒸留酒酒造組合東北支部共催の焼酎パーティー!

2005年7月14日、18:30~ホテル・メトロポリタン盛岡
行ってみるとすごい行列が出来ていました。
焼酎を飲みながらの立食形式のパーティーでした。

いよいよ柳ジョージが登場!!!
ステージもそれほど高くなくちょっと人垣を掻き分ければかなり前で観ることが出来ました。
オープニングはこの場の雰囲気どおりの「酔って候」!
バンド編成は他に3人(ベース、キーボード、ドラムス)だったかな。とにかく少人数でした。
しかし、さすがに生で聴く柳ジョージはいい!
しかもほろ酔い加減で最高!!!
「星空の南十字星」「本牧綺談」「青い瞳のステラ」などを熱唱!ラストはやっぱり「雨に泣いてる」!!!
パーティーは2時間ぐらいで約1時間のライヴでしたが、帰りにはお土産の焼酎までもらってこれで3,500円は安かった!
会場には芸能人並みに着飾った女性の方や、かなり酔って危ないおばさんなんかもいらっしゃいましたが、いい企画でした。また行きたい!!!


ジョン・レノン・レジェンド

2006年12月12日 | お気に入りギャラリー
12月8日はジョンの命日でした。
なるもにあさんのブログでその日を思い出す不良ビートルズファンです。
中学生の頃究極の名曲「LOVE」がジョンの曲だと知ったときの感激。
あれから私の中でもビートルズの中でもジョンは特別な存在になりました。
あの頃のストレートな表現も中高生には分かりやすかった。

そしてこのジョン・レノン・レジェンドは私の宝物です。

この本はテレビで発売を知りました。予約制だったと思います。
結局予約しそびれてあきらめかけた頃、こちらの書店のディスプレイに何気なく置いてあるのを発見!
すぐさま店員に「こ、これは売ってもらえるんですか!?」と尋ねますと、「はい、予約キャンセルが出まして、1冊だけあるんです。これでよろしければ。。。」
キャ、キャンセル~なんてことを!
い、いやよくやった!今回は!・・・
などと頭の中で一瞬にいろんなことが駆け巡り・・・
と、とにかく「か、買います!!!」

と言う訳で、めでたくギリギリ私の宝物になったわけです。
いつも何か何し遂げる時はギリギリ、私の人生の縮図か・・・


お持ちの方もいらっしゃると思いますが、中の付録がとにかくすごい!
昔のビートルズのコンサートのチケットとかジョンの手書きの歌詞とか昔のビートルズのブロマイドとかとか、まあ全部複製といってしまえばそれまでですが、良くこれだけのものを再現したものだと・・・
なんというか、昔の飛び出す絵本みたい!
これで5,200円でしたから安い!!!
今は手元においていませんが、そのうち、じっくり、ゆっくり見るのが楽しみです。バンネンニ

青春の影:チュ-リップ

2006年12月11日 | 邦楽のルーツ
1979年。
「虹とスニーカーの頃」がヒットして久々に財津さんの歌声を聞きました。
この曲はなんか切ない青春の胸がきゅんとなるような曲で、その前の「サボテンの花」や今までのチューリップの心地よいイメージとは1線を画しているように思いました。

チューリップを知ったのはやはり1973年の大ヒット曲「心の旅」でした。
その頃のイメージはテレビによく出ていたこととヴォーカルが姫野さんだったこともあり、フォークグループながら女の子がキャーキャー言われていたのでちょっとアイドル的な印象がありました。

大学時代、グリーの先輩がフォークの歌声スナック(昔ふきのとうも出ていたらしい)に出入りしていて私もよく行ったのですが、いつもラストに歌うのが「心の旅」でした。みんなで歌うとまた盛り上がるいい曲ですね。

財津さんがチューリップの本当のヴォーカリストだと知ったのは「青春の影」からかな~
でも、この曲をはじめて聴いたときはビ-トルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」をすぐに連想してしまいました。(苦笑)でも、この曲は大好きです。
そして、財津さんがビートルズの大ファンだということを知りました。
確かにチューリップのサウンドはビートルズに似ている。(苦笑)
何かの雑誌で財津さんがビートルズに対する思いを熱く語っていて、学校の屋上で「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を何度も何度も歌っていたら涙が出てきた
。。。という記事が印象的で、私もそれから「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を歌ってみてこの曲がますます大好きになったという思い出があります。

私はチューリップはヒットした曲ぐらいしか知りませんが、それでも財津さんのヴォーカルには少なからず影響を受けていると思います。
大学生になってオフコースの小田さんと財津さんは私の好きなヴォーカリストでしたが、二人は声質が似ていながら小田さんの1本芯が通ったような高音に比べると財津さんは柔らかいというか、つかみ所がなく歌いこなすのが難しい感じがしました。(苦笑)
オフコースもチューリップもフォークからバンドになってロックというかポップスという感じになって行ったような共通点も感じていました。

財津さんは俳優としても一時期活躍していて、いい味を出していたと思います。

それから、大学時代付き合っていた彼女がサザンとチューリップファンので「2222年ピクニック」(写真)のテープをもらったことがあります。
そういう意味では私にとってチューリップは青春の1ページでもあります。

オフコース成分解析

2006年12月10日 | Coffee Break
オフコースの歌の歌詞で成分解析機を作りました~
是非お試しあれ!
   ↓
http://seibun.nosv.org/maker.php/offkaisei/

ちなみに私は。。。

サミーの45%はさわやかな朝で出来ています
サミーの44%は切ない思いで出来ています
サミーの7%はゆきずりのオンナで出来ています
サミーの3%は老人のつぶやきで出来ています
サミーの1%は別れの言葉で出来ています

サワヤカ!

SONG IS LOVE:Off Course(後編)

2006年12月10日 | 邦楽のルーツ
オフコースはその後も「Yes – No」、「時に愛は」「I LOVE YOU」「言葉に出来ない」「YES-YES-YES」などヒットを飛ばします。
しかし、サウンド的には段々シンプルになり、小田さんと鈴木さんのサウンドの違いがはっきりと別れていくような気がしました。
アルバムで言えば「We are」「over」(写真)「I LOVE YOU」までが私的オフコースでした。
本当にあくまでシンプルに無駄のない楽曲は小田さんの求めていたものだったのかなと思ったりもしました。

そして、ついに鈴木さんがオフコースを脱退します。

1982年6月10日間にわたる日本武道館でのコンサートが5人のオフコースの最後のステージとなりました。
このコンサートで小田さんが「言葉に出来ない」を涙で歌えなくなったシーンが印象的でした。

この後オフコースは活動を休止。
1984年に鈴木さん抜きの4人で活動を再開しますが、私はその音に以前のオフコースの魅力は半分ぐらいしか感じられませんでした。

そして1989年解散。

その後の小田さんの活躍は、1991年「東京ラブストーリー」の主題化「ラブ・ストーリーは突然に」の大ヒットをはじめ記憶に新しいところです。
昨年の12月には全国20ヶ所で50公演、この模様はテレビでも放映され年輪を重ねた小田さんがステージ観客席を駆け巡り汗だくになって歌う姿に好感が持てました。
また、鈴木さんは元赤い鳥、ハイファイセットの山本潤子さん、元ふきのとうの細坪さんと活動をともに。ここに細坪さんが出てくるところに私としては喜びと不思議な縁を感じます。
オフコースとふきのとうって全然接点がないと思っていましたから。。。

SONG IS LOVE Off Course

あの日楽屋で鈴木さんが書いてくれたサインはもうありませんが、このシンプルな響きの中にオフコースの魅力の全てがあると思います。

SONG IS LOVE:Off Course(前編)

2006年12月09日 | 邦楽のルーツ
さて大学2年目1979年のミュージックシーンからオフコースです。

私がオフコースに興味を持ったのは、例のアルバイトからですが、コンサートを一緒にやったメンバーの中の2人がオフコース好きでアルバム「THREE AND TWO」に入っている「思いのままに」の導入部などを一緒にハモッたりして楽しんでいました。
忘れていましたが、あのコンサートのラストではみんなでオフコースのアカペラ曲「いつもいつも」を合唱しました。小曲ですがこれが一番良かったかも。

また、卒業した先輩にもオフコースのファンがいて「愛の唄」や「老人のつぶやき」などを編曲してくれた方もいました。
2年目の定演ではアンコールに「愛の唄」をやり、我が団の売りであるセンスのよさ?を発揮できたのではないかと思います。

オフコースの結成は1970年。
その前年にヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し第2位。
このときの第1位があの「赤い鳥」で外に出場者はチューリップも!何とレベルの高い大会だったのか。
この大会で優勝して音楽にけじめをつけようとしていたところが2位に終わったことで、小田さんと鈴木さんはプロになることを決意。ポプコンで音楽を終われなくなってしまったのです。

その後、フォークデュオとして「眠れぬ夜」などのヒットを飛ばしますが、高校時代の私は小田さんの綺麗過ぎる声とメロディがいまいち馴染めませんでした。

ところが、5人のバンドになり発表した「愛を止めないで」は今までの曲と違いスケールの大きな曲だな~と思っていましたが、79年に発表された「Three and Two」(写真)は素晴らしい出来でした。もうフォークというよりはロックに近い感じでしたが、小田さんの声が非常にマッチしていてすんなりと受け入れることが出来ました。
思いのままに、恋を抱きしめよう、その時はじめて、歴史は夜つくられる、愛を止めないで、SAVE THE LOVE、汐風のなかで、愛あるところへ、生まれ来る子供たちのために・・・
すべての曲がよかった。

この1枚で私はすっかりオフコースの魅力にとりつかれてしまうのでした。
シングルではこの79年12月に「さよなら」が大ヒット。
今でも冬のスタンダードナンバーとして多くの人の心に残っています。

1979年はオフコースにとっても大きなターニングポイントとなった年だと思います。
後編へつづく