こんな、涼しい話ないですよね?
日本政府は何考えているんだろうか?
「悪魔に魂売った」と理解してよいのだろうか?
福島が解決していないのに、責任の所在もあいまいのまま、再稼働ですか?
電力なんて、余っているのにですか?
集団的自衛権といい、民意を全く考慮しない。
この国は、一体どこに向かっているんだ?
ファシズムの台頭か?
こんな、涼しい話ないですよね?
日本政府は何考えているんだろうか?
「悪魔に魂売った」と理解してよいのだろうか?
福島が解決していないのに、責任の所在もあいまいのまま、再稼働ですか?
電力なんて、余っているのにですか?
集団的自衛権といい、民意を全く考慮しない。
この国は、一体どこに向かっているんだ?
ファシズムの台頭か?
さて、ここからが本題です。
二十歳位の時だと思います、まだ、あの汚いアパートに住んでいた時の出来事です。
クラブ活動とかで、色々あって精神的に疲れ果てていたのも事実ですが、、、。
そのアパートの私の部屋は、西側にしか窓がありません。
東側は、廊下でさらに部屋がありました。(東側に窓のある部屋もあるということです)
北側隣室には、お騒がせの望月が住んでいました。
南側は、空室。
家具など無い私の部屋では、洋服を廊下側の鴨居にハンガーにかけておいて、洗濯物やバスタオルなどは、窓側の鴨居に干しておきました。
ある夏の終わりの夕刻、帰宅しました。
部屋のカギを開けて入室すると、窓から斜めに入る、西日照らされて、洋服が見えます。
廊下側のハンガーに何やら私の服ではない衣類が掛かっていました。
それは、ピンクのスーツ。ツーピース、女性物です。
てっきり部屋を間違えたと思った私は、再度部屋の外に出て確認。
鍵だって同じだし、、、、。
もう一度部屋に入って現状確認。
やっぱり、ピンクのツーピースが掛かっています。
良く見ると、ハンガーに掛かっているのではなく、天井から下がっているロープで女性の体ごと吊るされているのです。
様は、首つり。
その場で、腰を抜かしてしまい、過呼吸で息が出来なくなり、
目が覚めました。
あまりにリアルな夢だったので、今でも覚えています。
そのアパートを引き払ったのは言うまでもありません。
アパートについてお話します。
築年数は不明ですが、当時でもかなりの年代物でした。
実は、一昨年息子が大岡山に住んでいましたので、そのアパートに行ってみたのですが、なんと、、、
まだ、あるんですよ。
まだ、住んでいるつわものがいるようで。
4畳半の畳の部屋と、床の間位の三角の板の間がありました。
三角の板の間は、建物が路地に面して曲がって立っているので畳が敷けない所。
トイレは汲み取りの共式。
台所も、共同の炊事場。
コンロは、部屋数分無いので誰も使っていないときは使い放題、ただしガス代は基本料金徴収されます。
部屋はすべて2階のみ。
1階奥は大家さんの家、街道沿いは貸店舗。
私が住んでいた時は、居酒屋兼、食堂。中学生の息子さんとお母さんがやっていました。
現在は、ちょっとおしゃれな、南国風のカフェ。サーフボードが似合いそうな。
隣の部屋は、沼津から来た専門学校生の望月とかいう騒がしい男が住んでいました。
一度も話したことがないのですが、何時も大家さんがあまりの迷惑さに苦情を言いに来るので名字覚えました。
「望月さん、ステレオの音小さくしてください」
「望月さん、今何時だと思っているんですか?」
週に1度は、大家さんが扉の前で怒鳴っていました。
ある真夏の夜、共同炊事場に行くと虫が飛んでいました。
ゴキブリです。
虫嫌いの私は、あわてて、部屋まで走って帰りました。
部屋に逃げ帰って、一息ついたのですが、何か髪の毛がむずむずします。
手で髪の毛を、払うとなんと、先ほどのゴキブリが髪の毛から落ちてきました。
パニックです。
新聞紙を丸めて、ゴキブリとの死闘が繰り広げられたのは言うまでもありません。
私の勝利だったですが、このアパートでは宿敵、ゴキブリと望月に頭を悩ます2年間でした。
入学すると、怖い先輩達が新入生の必修科目の教室の前で、手ぐすねを引いて待っています。
身長の高い学生や、ちょっとおしゃれな学生が狙われます。
私の学校では、全学応援団と、少林寺拳法部が狙っていました。
特に、全学応援団はひどいものでした。
彼らを避けるには、学校に来ないか、運動部に入部することが一番の近道でした。
文化部に入部した人間もお構いなしに、連行されてゆきます。
連行されないのは、浪人した人間ぐらいです、
なぜなら、勧誘に現れるのは2回生だからです。
上下関係のうるさい全学応援団は、年上にも礼儀を重んじていたようです。
まあ、応援団から逃げたいし、自動車好きな私は「自動車部」に入部しました。
5月の連休に、新入生歓迎ドライブ兼、合宿がありました。
私は、先輩のシャコタンサニーに同乗させてもらい、河口湖の汚い学生専用旅館兼、合宿所に。
夜中まで大宴会、ビールのラッパ飲みをさせられ、その夜数回吐きまくりました。
何回目の嘔吐だったでしょうか?
汲み取り式の便器に顔をうずめ、吐きまくっていたのですが、
便槽の中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのです。
寒気がして、一発で酔いがさめてゆくのがわかりました。
いくら先輩に話しても、本気にしてくれません。
この旅館に今夜宿泊しているのは、私たちのグループだけなんですから、子供なんて居るはずありません。
河口湖には良い思い出がありません。
涼しいお話のはずだったのですが、今回はお寒い話で失礼します。
18歳の時、大学に合格して上京。
田舎からは通学が厳しいので、アパートを借りることになりました。
学校は渋谷なのですが、探しまくりましたが渋谷近辺に貧乏学生が借りられる物件があるわけもなく、
世田谷区の隅っこで兄とアパート探し。
ここも、予算内で借りられる部屋は見つかりません。
不動屋さんに相談すると、隣の駅まで行けば家賃が安いと教えられました。
まあ、1駅で安くなるのだからと隣の駅前の不動産屋さんに。
物件、ありました。
そこで、駅に近く一番安い部屋を契約しました。
契約書の住所見て、びっくり。
神奈川県川崎市でした。
こうして、都内に住めず川崎市内で4年間暮らすことになりました。
毎日、暑い日が続きますね、
老体にはこたえる季節です。
以前に体験した涼しくなるようなお話を、思い出したら書き出したいと考えています。
10代、20代の感受性の強いときには色々と経験したり、体験もしましたが、最近では全くありません。
きっと、あっても、気がつかないのかも知れませんね。
う~ん、中々思い出せません。
では、後日。