知行合一

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直訴

2013-10-31 18:48:00 | Weblog
天皇陛下に直訴といえば、わが郷土の誇り「田中正造」翁が有名です。
そして今年は、没後100年と言う節目、
今年の、園遊会で陛下にお手紙を渡した国会議員がいたそうです、直訴のつもりでしょうか?
原発問題で当選した、あの元タレント議員です。
田中正造翁は、清貧としても有名な方です。

まさに、議員の鏡です。
現在の政治腐敗を見たら、さぞや嘆き悲しむことでしょう?

いくら、行動を真似しても、身がきれいでなければ、人の心には訴えかけてきません、
おそらく、陛下のお心にも訴えかけられなかったでしょう?
ただの、パフォーマンスにしか見えてこないのは、普段の発言と行動が伴わないからでしょうか?

陽明学を勉強なされ。

田中正造とは、どんな人?

http://www.sekihin.net/tanaka.html
よりコピーしました。

1841年11月3日
下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市小中町)に生まれる
1857年
17歳で小中村六角家知行所の名主に公選される
1863年
大沢カツと結婚
この頃六角家の知行地では、これまでの慣例を無視した人事支配や、一方的な年貢の引き上げなどの横暴がまかり通っていた、正造は名主として先頭に立ち用人の更迭を要求するなど改革運動を始める
1868年
六角家改革事件により投獄される
1870年
江刺県花輪支庁(現在の秋田県鹿角市)の役人となった
1871年
上司の江刺県権大属 木村新八郎殺害の容疑者として逮捕され入獄する
1874年
嫌疑が晴れ釈放 小中村に戻る
1878年
栃木県第4大区3小区区会議員に選ばれる
1879年
自由民権思想の普及を目的にした栃木新聞(現在の下野新聞)を再刊させ編集長となる
1880年
栃木県会議員に当選、以後4回連続当選
1882年
4月、立憲改進党が結党されると、その年の12月に入党
1884年
栃木県令三島道庸の圧政に反対、加波山事件に関係したとして入獄する
1886年
栃木県会議長となる
1890年
第1回衆議院議員総選挙に当選する、以後6回連続当選
1891年
第2回衆議院議会にて初めて「足尾銅山鉱毒の儀につき質問書」を出す
1896年
渡良瀬川大洪水
鉱毒水が広がり被害民とともに足尾銅山鉱業停止運動を開始。議会で鉱毒事件について、繰り返し政府に質問する
1899年
議員歳費値上げ案反対演説をし、歳費を辞退
1900年
被害民第4回大挙押出し(請願)の途中、川俣事件起きる。正造は国会で事件に関する質問を行った。「院議を無視し被害民を毒殺しその請願者を撲殺する儀につき質問書」と有名な「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」である。演説の途中で当時所属していた憲政本党を離党した。この年、川俣事件公判の傍聴中、検事論告に憤慨してあくびをしたところ、態度が悪いとして官吏侮辱罪に問われ、裁判にかけられた
1901年
この年の10月、正造は議員を辞職し、12月10日に足尾鉱毒事件について明治天皇に直訴した。
1902年
川俣事件公判の際にあくびをした官吏侮辱罪で入獄
1903年
栃木県の谷中村が貯水池になる案が浮上
1904年
遊水地化反対運動に励み、実質的に谷中村に住むようになる
1905年
谷中村村民の第1回集団移住が始まる
1906年
新紀元社の例会、その他で谷中村事件を訴える
谷中村議会は藤岡町への合併案を否決、栃木県は、谷中村は藤岡町へ合併したと発表
谷中村は強制廃村となるが、正造はその後も谷中村に住み続けた
1907年
政府は土地収用法の適用を発表、谷中村残留民家強制破壊を受ける
1908年
政府は谷中村全域を河川地域に指定
1909 年
渡良瀬川改修工事計画が出される、正造は「被害破道に関する質問書」を書き、友人島田三郎議員らの名前で衆議院に出す
1910年
関東大洪水。正造は政府の治水政策を正すため関東各地の河川を実地に調べる
1911年
旧谷中村村民の北海道常呂郡への移住が開始された
1913年
7月古い支援者らへの挨拶まわりに出かける(運動資金援助を求める旅だったともされる)その途中の8月2日、足利郡吾妻村下羽田(現在の佐野市下羽田町)の支援者庭田源八宅を訪ねるが留守のため隣の清四郎宅を訪ね、そこで倒れる
9月4日に同所で客死した
田中正造73歳 下野新聞によれば、死因は胃ガン
財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死んだときは無一文だったという。死亡時の全財産は合切袋1つで、中身は日記3冊、河川調査の草稿と新約聖書、矢立と川海苔の壜、帝国憲法とマタイ伝、小石3個であった。

※六角家とは、旗本六角家のことで、知行地の名主を田中家がしていました。
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