学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

生きる力?

2005-08-01 | 教育
〔生きる力〕というのは,よくわからない言葉である。

我々は,力のあるなしに関わらず,生きているのである。
あるいは,生かされているのである。
そして,自らの与えられた場所で,
自らの乏しい力の限りを尽くして生きているのである。
力のある者は,ある者なりに,
力のない者は,ない者なりに,
生きているのである。

そして,どちらがよい生き方をすることができているかを,
軽々に判断することはできないのである。

よい生き方ができるかどうかをを決めているのは,
実は「力」と呼べるようなものではないのではないか。

確かに,学校は,確かな学力や豊かな心や健やかな体をもつ
人間を育てたいと願っている。

しかし,それ以上に,確かな学力を持ち得なかったり,
豊かな心や健やかな体を持ち得ない人がいたとしても,
そのような人にも,よりよく生きていってほしいという
願いや祈りをもって教育を続けているのが,本当の教師なのである。

力のあるなしに関わらず,よりよく生きていってほしい,
そのために必要なものは,
〔生きる力〕といわれているような内容のものではない。

古くから言われていて,最近あまり聞かなくなった
克己,博愛,清廉,忍耐,勇気,礼儀,度量,誠実,矜持,孝行,勤勉,
といった心のあり方,そういったものなのかもしれない。

「生きる」ということに対して,
単に「力」という言葉を結びつける言語感覚に,
鼻持ちならないエリート主義や選別主義,
あるいは,国家のための人材育成といった功利的な意味合いを
感じ取ってしまうのは私だけだろうか。


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