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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 第6回「悪い知らせ」 感想

※ネタバレをなるべくしないように書きますが、ネタバレを好まない方はこの先をお読みになりませんように。

 

今回は捲土重来(けんどちょうらい)の故事を思い出しました。

この言葉自体は唐の詩人が作ったモノですが、項羽と劉邦の時代の故事に由来します。

転じて負けてしまっても再起を図ってまた勝負することをいいます。

私はこの言葉を知ったのは高校の国語便覧だったかと思います。

石橋山の戦いで負けた頼朝みたいだな、と思ったンです。

ただし項羽は家柄が良かったからこそならず者集団の劉邦にはプライドで負けた…と言うべきかな?

頼朝が一貫してネガティブ思考ですが、ご一行様に励まされて励まされて、やっと前に進む感じがなんとも溜まりません。

担ぎ上げられる人とはもっとポジティブな人物と思っていましたが、意外とネガティブ思考の方がいいのかもしれない…と思ってしまいました。

 

それと抑えておきたいポイントは、当時の距離の単位が1里が500メートルくらいということ。

頼朝ご一行様が潜んでいたしとどの窟(いわや)から、箱根権現まで25里、三浦軍の船までも25里と出てきます。

しかし1里500メートルくらいなので12~13キロです。

これは神奈川県西部の地理を分かっていれば距離感が分かりますが、江戸時代の1里約4キロで計算すると分かりづらくなります。

今後もこの距離の単位は出てきそうなので、1里500メートルくらいと覚えておいた方が良さそうです。

そして一瞬の表示でしたが、当時の関東地方の地図が出ていました。

先日MIFさんに「鎌倉時代の関東地方って千葉とか茨城ってこんなに水溜まりばかりなの?」と言われました。

関東地方は江戸時代を経てやっと開拓された田舎の土地なので、現代の感覚で捉えてはだめなのです。

現在の千葉県は、離島ではありませんが、離島に違いくらい周囲は水浸し、と考えてもいいくらいです。

 

今回のみどころの1つは「源平盛衰記」にも登場する和田義盛のポンコツ具合でしょう。

血気盛んな坂東武者の代表と言うべきかもしれません。

なにしろ当時の坂東武者なんて、自分の名前は書けても読み書きがちょいとあやふやという人が殆ど。

直情的な生き方というか、それだけ中央集権国家の端の方では、貴族的な雅な考え方なんて浸透していないことでしょう。

都から見れば野蛮な東国での争いごとです。

 

さて、ポンコツ父ちゃんと思っていたけれど、嫡男を失ったことに肩を落とす家族思いのお父ちゃんの姿を見ました。

相変わらず気を抜けばすぐに頼朝を裏切ってしまうのか?という本音がダダ漏れていて、さすが坂東武者と感じました。

安房国で再起をかけて盛り上がる頼朝ご一行様の前には立ちはだかる人物がまだまだ出てきそうで、今後の放映が楽しみです。

 

ところで、主人公は北条義時でしたね。

今のところ義時が主人公らしくなく、頼朝ご一行様の1人に過ぎない様子がなんとも。

頼朝に振り回される義時、時にお父ちゃんにも振り回され、ご一党様を率いる様子は見られません。

頑張れ、義時!

 

☆20220214追記☆

安房国に到着して、三浦軍の衣笠城落城や北条親子が兄ちゃんの死を悟るシーンに違和感がありました。

多分夕方のシーンなのですが、私には「その方角から赤い太陽光が当たったら夜明けじゃあないか?」と思うのです。

人物の背景に見えているのは、伊豆半島や相模湾、三浦半島方面に思えるのですが…。

なんだか時間軸か地形が歪んでいる?って。

千葉県民、とくに旧安房国地区にお住まいの方々は違和感なかったのかしら?

☆追記おわり☆

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