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makoto's daily handmades

神奈川県小田原市・調べても分からないことに出会う

一昨日(11月6日)に町歩きをした小田原市ですが、分からないことに出会いまして、ネット上に情報が転がっていないか調べても分からなかったことが2つありました。

もしご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

関連本の情報でも結構です。

 

まずは立ち寄った板橋不動尊から。

境内のイチョウの木が2本あって、建物がほぼ見えません。

私が分からないのはこの板橋不動尊の端にあった石碑です。

暗くて分かりづらい上に、石にシミが浮かんでいて全然何の石碑か分かりません。

石碑の上部に「官軍」と書かれてることと、所々に「因州」とか「同」とあり、その下に名前らしい文字がありますが判読できませんでした。

凹凸はあるので、おそらく拓本(タンポと練り墨をつかうタイプ)を取れば分かるだろうとは思います。

想像するに、戊辰戦争での官軍の戦没者慰霊碑だと思われます。

戊辰戦争の激戦地の1つに箱根坂があります。

激突したのは箱根関所辺りだと思っていましたが、ネット上の情報では、箱根湯本~箱根板橋辺りの東海道沿いも戦場だったそうです。

この時、新政府軍には鳥取藩士が含まれていたので、「因州」とあるのはこの鳥取藩士の犠牲者ではないかと思います。

この辺りの戦地は、新政府軍、小田原藩の藩士隊、旗本の次男三男で組織された遊撃隊、の三つ巴状態での戦争でしたから戦況は複雑だったことでしょう。

私が知りたいのは、この「官軍」と書かれている石碑は誰がいつ頃建てたのかがよく分からず、その背景を知りたいと思ったのです。

小田原藩は親藩ですから、供養塔が建つにはそれなりの理由があるのかもしれないからです。

 

このお寺さんの香炉にはミツウロコの紋がありますから、後北条氏との繋がりを感じさせられます。

 

境内には忠魂碑がありました。

揮毫は山縣有朋です。

先ほど紹介した戊辰戦争の新政府軍には長州藩士が含ませています。

戊辰戦争の箱根の戦いには長州藩士も参戦していたので、山縣有朋が揮毫しているのにもなにか関係しているのだろうか?と感じずにはいられません。

 

さて、もう一つ。

この後、国道1号線を歩いていたところ「居神神社(いがみじんじゃ)」という神社に立ち寄りました。

※一昨日の散歩では海岸に行く前に立ち寄りました。

 

所々に古い石垣があって、かなり古い時代から存在するのだろう、と想定できる神社です。

 

北条氏綱の言葉「勝って兜の緒を締めよ」の石碑がありましたが、つい数年前に建立された石碑でした。

 

 

 

 

境内の彫り物にカラス天狗が登場していました。

この神社とカラス天狗の関係がよく分からないです。

カラス天狗と言えば、南足柄市の大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)の天狗や小天狗(別名カラス天狗)の方が有名なので、なぜここにカラス天狗が関係するのか、よく分かりません。

それと、この神社は小田原城総構えの内側に存在するのですが、祭神に三浦荒次郎義意が含まれます。

三浦氏は、北条早雲が滅亡させた氏族で、神奈川県東部(三浦半島)を拠点にしていた有力武士です。

なぜこの地で三浦氏を祀っているのかが分かりませんでした。

 

やはり図書館で調べるしかないかなぁ?と思いつつもネット検索してしまう私。

町歩きをすると思わぬ疑問に出会うので楽しみでもあり、疑問が深まるのです。
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