トップ写真はその石碑の1つです。
その場で半分は読めましたが、全文は読めませんでした。
海苔商団は海苔を扱う商人さんの集団とすぐに分かりましたが、御湯花講が分かりません。
すぐ近くにある博物館はお休みだし、ここから社殿に戻って神社関係者に尋ねるのも、この忙しい正月休み準備中に?と自問し、いつも通り自分で調べようと思いました。
将来的にはくずし字AIができて、人間が読まなくても自動解読できるようになる、と言われています。
私は学生時代に習った通りに解読に挑戦しました。
まずは、読みたい字とその前後を鉛筆で書き出します。
次に読める文字を書き込んでいきます。
読めない字は、くずし字辞典で調べて読めたら書き込みます。
文脈に違和感があったら、もう一度調べるところから再度チャレンジします。
それでも分からない文字は、もう一度鉛筆で書いて、字の形をよく見ながら再度調べます。
まだ分からない文字は、1日寝かします。
再度読めば、視点が変わって読めることもあるからです。
↑これは私がなんとか読めた文字です。
原文は縦書きですが、ブログは横書きなので読みづらいとは思いますが書き起こすと下記の通り。
「 宮司 □根
本宮は
やすらに
なりや
諏訪の神
海苔の
なりはひ
薄□かし□□」
薄はかなりあやふやです。
そもそも海苔商が「薄」という字を使うかな?と。
商売では縁起担ぎをするから、いくら板海苔が薄いとはいえ、高級海苔は厚いモノだし、海苔の色合いが薄いと売り物にならないから謎です。
文脈にもイマイチ合わないように感じます。
揮毫は宮司さんだと分かったので、ネットで歴代宮司さんのお名前は分かるだろうな、と思ったことが安直すぎて、これも分からず。
ネットでも全文紹介されたサイトもないですから分からないです。
海苔商団とか御湯花講もネットで簡単に分かるだろうなと思ったら、これも間違いでした。
どうにか分かったのは、江戸時代、諏訪地方の寒さに強い方々が農閑期に海苔商に従事していたそうです。
海苔の養殖は汽水域で生産するので、江戸の大森が浅草海苔の大産地です。
大森辺りから全国に売り歩いたのが、海苔商団と言うわけです。
ここでちょっと思い出したのが、川崎市の大師河原(現在の羽田空港からみて多摩川を挟んだ対岸)は海苔の産地だったと、小学生の時に習ったぞ、と。
多摩川の汽水域で、幕府から禁漁地区にされていたから漁業が発達せず、海苔養殖とあさり取りしかできなかったと。
あら、もしかしたら諏訪の海苔商団のみなさんが商売していたのかもしれません。
御湯花講は関連本は存在するようですが、川崎市の図書館にはないので海苔養殖の本は借りて読んでみたいです。
※年末年始は休館中。
やはりくずし字は難しいなぁ、日々の積み重ねで読めるようになるので、暫く遠ざかっていた私にはまだまだ修行が足りません。
この点では、勤務先の資料室は全国の文化施設資料がありましたので、休み時間に調べ物ができたのがとても楽しかったんだよな、と思うわけです。
残念だなぁ、今日の私には調べられないです。