11月11日、かれこれ20年ぶり二度目の長崎市訪問で平和公園へ向かった。
前回は団体の一員として観光バスによる市内観光と雲仙普賢岳を回った。
今回は自家用車のため、ナビを頼りに平和公園駐車場にすんなりと行き付いた。
国道206号に面した斜面から公園に入るのが順路だとは思うが、
駐車場から地上に出ると平和祈念像のすぐ横だった。
多分、帰り行程で公園を歩いたようだが最後に目に入った平和の泉からアップしたい
シンメトリーの中心から平和祈念像を見ることが出来た。
平和の泉から祈念像への左手にこんな像があった
右側の説明文を書いておこう
この像はソヴィエト社会主義共和国
連邦から長崎市が計画している「世界
平和シンボルゾーン」建設の主旨に賛同
し寄贈された平和の像です。
母親が子供を抱いた姿で、愛とともに
平和を表現しています。 1985年6月
次に階段を下り原爆落下中心地へ
原爆資料館は圧倒的に外国人が多かった。
入り口付近では中国語、韓国語、英語、ドイツ語が聞き取れた
改めて平和を祈念して資料館から浦上天主堂へとウォーキング
坂道の多い長崎、ここへの登り坂も観光の一つかな
前回は団体の一員として観光バスによる市内観光と雲仙普賢岳を回った。
今回は自家用車のため、ナビを頼りに平和公園駐車場にすんなりと行き付いた。
国道206号に面した斜面から公園に入るのが順路だとは思うが、
駐車場から地上に出ると平和祈念像のすぐ横だった。
多分、帰り行程で公園を歩いたようだが最後に目に入った平和の泉からアップしたい
シンメトリーの中心から平和祈念像を見ることが出来た。
平和の泉から祈念像への左手にこんな像があった
右側の説明文を書いておこう
この像はソヴィエト社会主義共和国
連邦から長崎市が計画している「世界
平和シンボルゾーン」建設の主旨に賛同
し寄贈された平和の像です。
母親が子供を抱いた姿で、愛とともに
平和を表現しています。 1985年6月
次に階段を下り原爆落下中心地へ
原爆資料館は圧倒的に外国人が多かった。
入り口付近では中国語、韓国語、英語、ドイツ語が聞き取れた
改めて平和を祈念して資料館から浦上天主堂へとウォーキング
坂道の多い長崎、ここへの登り坂も観光の一つかな
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます