平家物語に登場する「祇王」。
その姿天女の如しと評され、時の権力者・平清盛の寵愛を受けるものの、清盛の仏御前への心移りにより都を追われた女性です。
17歳で清盛と出会い、その3年後捨てられた祇王。
自害を決心するも母「刀自」に諭され、母と妹「祇女」と共に出家し奥嵯峨の尼寺に入寺しました。
彼女が都を去る際に屋敷の障子に書き残した一首、、
萌え出づるも
枯るるも同じ 野辺の草
いづれか秋に あはで果つべき
白拍子のトップスターとして咲き、世間から愛されても、所詮いずれは散る身。。。清盛の不条理極まりない扱いに、自らの運命を詠んだ句です。
この悲恋の物語の詳細はネット各所で見れるので、興味ある方はそちらをどうぞ。清盛との間の情愛と、仏御前との間の慈愛の違いが刺さる物語です。
動画上げときます↓
今年の春この祇王寺を訪ねた際、こりゃ秋も見なければ!と決めていました。
山奥の小さな寺が織りなす情景、華麗に踊る木々と飾る紅葉の色合いは、消しきれない祇王の萌える心そのもののようにも見え、往生の地になおも女の生ありき、ここで命を繋いだ彼女、その臨場感に満たされるまろなのでありました。
平安時代、奥嵯峨は都の結界の外にあり人里離れた山の中。
魑魅魍魎が集まるこの地に寺といえども粗末な草庵、女性4人(刀自(母)、祇王、祇女(妹)、仏御前)が暮らしたとは、、母以外は17歳~21歳で入寺、しかも美女ぞろい、、どれほどの勇気だったのか。
おいらなら絶対ビビる。
祇王のとりなしにより清盛に出会えた仏御前、それが原因で起きた清盛の心移り。屋敷を追われた祇王、その傷心に輪をかけるように仏御前の気分取りの道具とされる祇王。その耐えがたき仕打ちと屈辱は、同じ白拍子である仏御前にも痛いほどわかる。苦しみを離れ安らぎを求める祇王は自害を決心する。その祇王を止めるには母による仏門への導きしかなかった。
念仏三昧を日々を送る祇王。ある夜、祇王のもとに尼姿となった17歳の仏御前が訪れる。都での噂で祇王の居場所を知った。屋敷に祇王が残した歌により、この世の栄華は儚いと悟り、清盛の寵愛を振り捨てて出家の道を選んだのだという。祇王は旧怨を捨てて仏御前を迎え入れた。四人はその後往生の素懐を遂げた。。と、長講堂の過去帳には記されているのだが、、入寺後の様子については数々の伝承があり、清盛の子を身もごっていた仏御前のお腹をわが子の様に気遣う祇王。しかし出産のため故郷加賀への帰郷途中に死産。更には何者かによって殺害されたとの説もある。
紅葉萌える祇王寺内草庵にある仏間には5人の像が置かれている。左から刀自、祇王、清盛、祇女、仏御膳。いずれも念仏を上げる姿、、誰の想いか清盛像は祇王像に密着するように置かれ、涅槃での二人の幸せを願うのである。
そしてここにも居た。動画にもあるように仏間の壁際に座し、長い時間静かにしみじみと像を拝すす白人女性。平家の歴史に通じているのだろう、その表情には悲恋を偲び深く彼女たちの想いを知ろうとする和の姿。
対する日本の天ぷら拝観者たち。
・・・大丈夫か?ニッポンジン!
祇王寺、大人に染みるとても良いお寺です。
みなさんも是非どうぞ(^^)/