お先に下山します☆彡

目指せ!エンディングノート(*^^)v

まろの北海道放浪記 Day99

2023-09-28 16:18:04 | 北海道放浪2023

美瑛ブルー!のPart2、「青い池」です。
観光客の受け入れキャパ的に、美瑛には2横綱があり。
丘の横綱「四季彩の丘」と、今回の森の横綱「青い池」です。

では動画をどうぞ。動画最初は美瑛川です。
↓青い池

青い池は何故青いか??

これが作れるなら、おらが村にも作っちゃおっかという方も居るはず。
しかしそれはいくつもの偶然が重なり作り出された奇跡の青なのです。
以下は能書きです。
理系のおいらにはこーゆーことが放っとけない性分。興味ない方はーー内はスルーしてください。

ーーーーー
青い池の青は、十勝山系の地下水に含まれるアルミニウム成分が作り出す色です。水自体が色を持っている訳でなく。水に含まれる物質(水酸化アルミニウム、Al(OH)3 )が太陽光の青色波長を多く散乱する性質を持つため青く見えるのです。

このアルミニウム成分が含まれる地下水は、白金温泉地区で美瑛川に合流する硫黄沢川水系に濃度が高く、美瑛川源流自体は低濃度です。硫黄沢川が活火山十勝岳に直結し鉱物由来の化合物が多いのに対し、美瑛川はトムラウシ山側に迂回しているためです。
そしてこの2つの川の合流点直近に前回動画に上げた白髭の滝があります。
白髭の滝では、硫黄沢川方面からのアルミニウム成分の地下水と共に、硫黄と石灰成分も運ばれ、まずアルミニウムの白い微粒子が美瑛川の清流と混合し青色を発生します。(正確にはアルミと水分子がコロイド状になり自然光に含まれる青色波長帯を多く散乱するため青く見える)
更にその微粒子の一部は川底に堆積し、川底には硫黄と石灰成分も堆積するため、それらの白色が更に青色を反射し、より青く見えるようになります。
原理的には、海の白浜でコバルトブルーが見れるのとほぼ同じです。(海は海水が青色を散乱し海底の白砂がそれを反射します)

先日十勝岳登山したのも、登山口までの硫黄沢川の水系見学も兼ねてました。
アルミ粉の痕跡が見えないかとw。森横に車を止めちょっと入ると干上がった水系が見えます。でも白い部分は沢山あったけど、硫黄石灰なのか判別つかず、熊さんも怖かったので撤退しました。
因みにGoogleマップで確認すると、白金温泉(硫黄沢川・美瑛川合流点)を境に下流が青くなっているのが分かります。
ーーーーー
能書きおわり。

ここで、前回動画をご覧になった方、白髭の滝と青い池では、色が違うことに気づいたでしょうか?
ハイコレ。
↓白髭の滝

↓青い池(2km下流)

白髭の滝はコバルトブルーなのに、2km下流の青い池はエメラルドグリーンに変色しちゃってます。同じ日に撮っています。
何故か?

これは、下流に行くに従い、アルミ微粒子の白色や硫黄、石灰の白色が攪拌され白濁するためです。
また、大雨などで増水、雨水が池内に多く流入した時や、堆積したアルミや硫黄等の成分が流出すると、青い池は青からただの沼の色に変身します。
これら主役の濃度変化と、水流の変化で、年間を通し様々な色風景が誕生する訳です。
白髭の滝ではコバルトブルーやバージンブルー、ここ青い池ではライトブルー、エメラルドグリーン、ターコイズブルー、等々。
青い池のブルーが白髭の滝に近づくのは、雨の無い水の落ち着く時期の極短期間のようです。

さて、ここまででも十分偶然なのですが、青い池の誕生には更に大きな偶然がありました。

1988年、十勝岳噴火の際、泥流を防ぐため、翌年美瑛川には複数の堰提が作られました。この堰により森側に水溜まりが発生し成長したのが青い池なのです。
堰提工事完了後もこの池の発現はしばらく気づかれず、1997年、地元写真家が森の中に青く光るこの池を発見することになります。
その後、立派に整備され、今や美瑛観光の目玉となりました。

美瑛の年間観光客数は200万人に迫ろうとしています。
その多くがここを訪れ、有料の大駐車場、ブルーグッズなどに消費されるお金を考えると、正に町の宝物ですね。

上記の通り、青い池は気象条件で毎日色が変化します。
午前、午後、日差しの角度でも変わります。
行かれる方は、前日まで雨がない晴れた日を狙いましょう。

あとSTVに受けた取材は、美瑛特集的な番組で放映予定とのこと。
道外から来た変なオッサンが、地元の青の含蓄を語るのに驚かれてました。
↓クルーの皆さん


ハッピー・ブルーハンティング♬

(^^)/

まろの北海道放浪記 Day98

2023-09-27 16:11:30 | 北海道放浪2023


美瑛町、ありがとう。
全域がテーマパークのようでありながら、力まず、人と豊かな自然が共存する大変綺麗な街でした。
朝霧の中から街が静かに現れ、広大な丘では夕日の中に輝くトラクターたち、地元民に紹介され実食して納得した一流の味覚どころの多さ。
本州の都市周辺のように見栄やギスギス感や緊張感が無く、喜びをストレートに味わえる異空間でした。

最後に本気動画を撮ってみようと選んだテーマは、The 美瑛ブルー!
観光名所の、白金「白髭の滝」と「青い池」+美瑛川を撮ってみました。

ここは、3ヵ月前一度撮影してますが天候が微妙で消化不良でした。
今回は長居して晴れる日を待ちました。
あと、青い池ではSTV(札幌テレビ)の取材を受けました。美瑛特集的な番組で放映予定とのこと。結構長くインタビューされておら息が切れただ。

まずは、「白髭の滝」動画をアップします。
↓白髭の滝
景勝スポットになっている美瑛川にかかる橋の上からの撮影です。
滝壺周辺をスローで狙い、動画最終部だけ標準速を入れました。
こんな単純な撮影でも結構苦労してます。前回同様、中華さまに取り囲まれ現場は無法地帯。大声や割込み体当たりが絶えず、被災を逃れた数カットを編集しました。

この「白髭の滝」の下流2kmに「青い池」があります。
ブルーの流れはそのまま美瑛川を下り、偶然が作り出した川横の池「青い池」にその分枝流が入ります。
こっちは明日アップしますね♬

美瑛での生情報の掘り出しは、駅近の焼き鳥屋「七福」に通いお世話になりました。
地元民が勧める優良店や食材、観光客には大人気だけどトホホな店、温泉や車中泊場所までいろんな裏情報を頂けた他、連日地元のお客さんと話し込みこの地域独特の人生模様を見ることができました。
マスターは兵庫城崎出身の元陸自、三重出身のママは多くの苦労を経験したもののとても元気、お二人とも腰の低い大変気さくな人柄でした。もちろん焼き鳥も十分美味しい。
地元の人気店です。旅族の皆さんも是非どうぞ。
↓焼き鳥七福

あ、あと、白金温泉では、白髭の滝の真上にある、3つ星ホテル・湯本白金温泉ホテルの日帰り風呂を2回利用しました。
ここの露天風呂がですねー、、、嬉し恥ずかし、滝を撮影する橋から見えちゃうんです。2回目はこれに気づいたからリピートした。滝の上の木陰から中華さまご一行に向かって仁王立ち、大和魂を見せてあげましたw

(^^)/

まろの北海道放浪記 Day97

2023-09-26 17:07:12 | 北海道放浪2023
十勝岳シバイてきた。
富良野・美瑛にいると、雨以外毎日こいつが見える。こねーのかオイ!と噴煙に笑われ無言の圧を受けていた。
天気良くなる日を待ち一週間、やっと晴れた。
一昨日の日曜日が快晴だったのだが、望岳台の大駐車場は前夜には満車。坂道路肩にも車があふれる。
3か月前星撮影で来た時は、路肩の車が急斜面で輪留めが効かなかったのか、道に飛び出し事故ってた。大人気の山なんだな。

登山者の多い日曜日は避け、月曜に登ることにした。
午後から曇るので午前中が勝負。数日前頂上はツララがはってたそうだ。
目標は、高齢者最短記録チャレンジ!(気合だけね)
ヤマップで見ると、望岳台からの標準往復時間6時間35分、距離10.4km、登坂1143m、体力度3。

おら、登山はど素人。ただ野生育ちという意味不明な自信だけ。
山グッズも持ってなく、先日友人に誘われた登山で初めてストックだけ買った。でも使ったことが無いw
今日の装備は、激安トレッキングシューズ(3800円)、ユニクロのチノパンとシャツ、アマゾンの3kg小物バッグ(1980円)、フィリピンでもらった帽子、ドンキの靴下、天然水500ml1本。。安いべ。あと無線機。

予想通り月曜は客少ない、駐車場は20台程だった。
朝8時過ぎ登山届記入し開始。ガチ族は5時台にスタートするので遅刻だな。
望岳台からしばらくカオスなジャリが続き無限ジグザグ、こりゃ走れねーよ。
ガレを上り中間地点の尾根まで1時間、やっと砂場となって猛チャージ。心拍150、老人限界で頭クラッ!っときたw
最後のガレ場は急斜面もあるけどこっちのほーが登りやすかった。無事登頂。
記録2時間5分。

あんぱん食って、若い娘めっけてシャッター依頼!
結構疲労顔。笑ったつもりが美女に緊張したのだ。

あれだよね。山ガールってほんと爽やかな方が多いよね。みんな持ち帰りたくなる。ネットで良く見るメンヘラ系やチャラチャラ系が非情に少ない(敵が増えるの覚悟w)。
360度見渡せ、縦走ルートが見える。来年は富良野岳>十勝岳>美瑛岳縦走やっちゃおっかな。

アマ無430MHzでCQ出したが誰も応答なし。
これ昭和新火口つったっけ?

ほんで、下りな。
おらガレの岩飛びが大好きなんだけど、ここはペンギンごっこに不向き。中途半端なガレとジャリで昇りより時間かかった。
結果、往復4時間40分。
標準より1時間55分早いのだが、なんか消化不良でした。下りがね・・。
水は丁度500mlで済みましたが、能書きによるともっとあった方が良いようです。

想定外は、靴下。
ドンキの5足680円物。やっぱ物が悪すぎた。
摩擦で擦り傷祭り。温泉で痛みをこらえゆっくり癒しました。やっぱ靴と靴下はちゃんとしたの買おっかな。
しかし引退後4年間なんの運動もしてねー。それにここ3カ月はキャンカーの周り動くだけだもんな。無事で良かったわ。
そんなんで十勝岳君、完了なり。体重1.5kg減。

美瑛の丘セブンスターの木から撮った夕日動画のっけときます。
↓美瑛夕日・セブンスターの木(パッチワークの路)

そろそろ美瑛を離れようと思ってます。次は層雲峡の紅葉を狙ってるのですが今年はどうも遅いらしく悩む。
あと前半戦に積丹をスルーしちゃって積丹ブルーを見てないのよね。
もっかい西に戻るかな、、途中、羊蹄山やアンヌプリあたりで山遊びしながら紅葉見れるかなあ。
苫小牧のみよちゃんにも再会したいし、、あーあーいつになったら函館行けるやら。

(^^)/

まろの北海道放浪記 Day90~Day96

2023-09-26 08:01:45 | 北海道放浪2023
富良野、美瑛にもー2週間いる。
美瑛が長い。
ブログほったらかしで、ジモピーと戯れたり、温泉巡ったり、美食探したり、STVに取材されたり、あれこれいろいろやってました。
昨日は十勝岳登山タイムアタックしてヘロヘロ、飲み屋へ行く足が動かず、やっとパソいじりとなりました。

美瑛はパノラマロードもパッチワークの路も山も街も、名所は全部ナビいらずで廻れる様になっちまったよ。

とりあえず、ネタ一杯溜まっちゃったんで前回以降を記事分けして順にアップします。
まずこれは富良野に居た時の残り。
↓ニングルテラス(新富良野プリンスホテル)
プリンス前のニングルテラス、ここカップル向けね。店舗になっている各工房で色々体験でき暇あれば何時間でも居れる。夜の撮影時は中華軍団に征服されてちょっと雰囲気台無しでした。

↓昼間覗いたら日本人メインでした




そしてここは40年程前、スキーで何度か来た場所。
ホテル裏のロープウェイ乗り場でゲレンデを見上げしみじみ。当時FISワールドカップ開催で盛り上がったコース、大回転コースをノンストップで降りるのが爽快でした。
↓ホテル内記念パネルより


バブルが始まっていて、スキー部員70人にコンパニオン30人上げて大盤振る舞い。会社の厚生費でいろんな費用が賄えた良き時代でした。
パニオンの慶子ちゃん、翌日一緒に滑ったら、後日東京まで追尾され人生も滑っちゃうところでしたw

白金温泉にて。
(^^)/

まろの北海道放浪記 Day86~Day89

2023-09-20 06:18:35 | 北海道放浪2023
美瑛にいます。
富良野(南富良野、中富良野、上富良野)には一週間いました。
道の駅・南富良野以外は安心便利な車中泊場所が無く苦労、結局夜間は、日の出公園やプリンスホテルの駐車場(車中泊は禁止)メインで過ごしてました。
街中の公園や峠の展望台、ファーム富田の町営無料駐車場も使えますが、かなり不気味、トイレ夜間閉鎖もありパス。有料キャンプ場は気に入ったのが無くスルーでした。

2カ月ぶりに美瑛に入り、駅横の道の駅・美瑛丘のくらに入ったのですが、前回より駐車エリアが半減。20台程のキャパしかなくキャンカー難民多発、駅の無料駐車場や20km離れた白金ビルケに避難してました。
豪雨と洪水警報をじっと耐え、車中でアマプラ映画三昧。
明日からやっと晴れ予報。

↓上富良野・日の出公園展望台で早朝撮影
午前6時、朝霧の中飛び立った気球はゆっくり旭川方面に消えて行きました。

日が上がりフラワーガーデンに蝶が乱舞。その姿、妖精の如し!
動画も撮ったんであげときます。カメラ近くでゆらゆら飛ぶ蝶カワイイよ(^^)/
雰囲気出すために120fpsスローでヒーリング系に仕上げてみました。映像最後のみ30fpsの標準速です。

↓初秋の妖精たち(上富良野・日の出公園展望台)
富良野の主役・ラベンダーの時期が終わりどこもハゲ畑。皆さん嘆いてましたがそのパワーはメロンやワイン、B級グルメラッシュに変わるだけ。みんな旗がある所が大好き。金使いが対象に拠らず滞在時間に比例する、従順な優等生さまたちです。
この公園は2日居ましたが、他客はイギリス人の若いカップルだけでした。成田からワンボックスレンターカーで直接北海道入り、ずっと公園を点々としてしてるそうです。急ぐ様子も無く、タダでプライスレスな時間と空気をたっぷり味わっていました。

もう一つ、プリンスホテルのニングルテラスも動画撮りしたのですが、全域が中華ツアー大隊の支配下にあり、カオス空間化、その空気は森と言うより中華街w。編集はカット地獄、苦労してます。
別途アップ予定。


富良野では友人向けお土産発送ミッションもあり、メロン、プリン、ワイン、ジャガイモ、玉ねぎ、南瓜、どれにするか悩むも結局定番のメロンに。
直売所4カ所とマルシェを巡り調査&試食した結果、JA規格品も非規格品も味は同じ。あと観光コースのファーム富田はオール3割高で試食すらなし、感じわるぅ。直売所でゴネてたら生産者から直接買う方法も分かり勉強になりました。暇人の勝利(^^)

そんなわけで、今、道の駅・白金ビルケにいます。
昨日、雨の中、美瑛の丘各所をロケハン、夕日&星景ポイント調査完了。平日の白金温泉は客が少なく風呂貸し切り状態、ゆったり気持ち良いです。
今回放浪旅2回目の美瑛、穴場探してあっちこっち廻って見ます。
コンディション次第で十勝岳登山も視野なり。

(^^)/

まろの北海道放浪記 Day83~Day85

2023-09-14 14:51:18 | 北海道放浪2023
いやいや、まーよく降るばい。南富良野は今日も豪雨です。
この夏の北海道、こんな天候不順は過去なかったよーと地元民も嘆きます。
昨日ちょっとだけ日が差したので、前回予告通り「鉄道員(ぽっぽや)」のロケセット、動画版、ガチ撮影してきました。
映画をご覧になった方は、いろんな感動シーンが浮かんでくると思います。

↓乙松(高倉健)と死んだはずの雪子(広末涼子)

↓幌舞駅動画
来訪客の合間を縫って長時間撮影となりました。
現場でお会いした富良野ガイドのおじさん、南富良野町情報プラザの方、ロケセット維持にご尽力されている地元婦人会の皆様、大変お世話になりました。
この名作と南富良野の情調が少しでも残せればと思います。

映画は、内外で多くの賞を受賞し、高倉健さんの代表的遺作となりました。この動画は健さんへのレクイエムでもあります。
執務机の上に缶コーヒーがある理由は映画を見ると解ります。
後半を静かに盛り上げてみましたので、最後までご覧いただくと幸いです。

終盤に差し込んだ、来訪客が記す「鉄道ノート」の最新ページ。
どちらの方か2日前に記された一文と雪子だろう少女の絵がありました。
そこには映画の軸でありエッセンスとなった、時代の変化と変わらぬ人間愛、乙松が見た雪子の幻、、廃線の哀愁に絡め見事に表現されていました。
以下、拝借します。
ーーー
2023.9.11
「鉄道員」の時代設定はいつなのだろうか?
分割民営化で、管理職と組合員は決定的に分列してしまった、、、
「幻の駅」の舞台となったこの駅も、
あと一年で幻となる。
10年前列車の車窓から見たこの駅は本当にあったのだろうか、、。
ーーー

映画を見てない方は是非見てね。すれば、この動画も美味しさ倍増、撮った甲斐ありです。

(^^)/

まろの北海道放浪記 Day80~Day82

2023-09-12 17:49:55 | 北海道放浪2023

今、南富良野にいます。
十勝平野の士幌から日高山脈・石狩山地を越え、富良野盆地に入りました。
日高山脈を境に、道東と比較すると気温も高くなり、山の空気は静かです。
北海道の魅力の一つはこのバリエーションの豊かさですよね。
でも、今日は記録的大雨警報が出て身動き取れず。

富良野に入り、悲しいニュースが入ってきました。
9/8から開催されていた北海道4市17町532㎞を巡るロードバイクのレース、ツール・ド・北海道第一ステージで、上富良野で死亡事故があり、第二、第三ステージを待たず大会中止となってしまいました。
現場で友人のチーム右京を応援しようと思ってたのですが、右京はコースレイアウトが危険すぎると出場を辞退していました。
彼はF1現役時代、サーキットで亡くなる多くの仲間を見て、いずれは自分と思い引退。この話をするとき彼はいつも悲しく身を削るような面持ちになります。その後富士山の訓練で仲間を死なせてしまい深く悩み、今は安全意識が非常に高く危険回避を第一優先にしています。
道の駅にロードバイカーが大勢いたので聞くと、上富良野R291の山岳カーブ下りで集団を追い越そうと対向車線に膨らんだ選手が車と正面衝突。東京から参加した中央大の学生でした。
運営が片側車線しか規制しなかったのは異例。主催側の業務上過失傷害が問われそうです。UCIポイントが取れる重要な大会、今後の大会運営見直しが必須です。
ご冥福をお祈りします。

さて、南富良野は小さな町、定番は「かなやま湖」と「映画・鉄道員(ぽっぽや)」ロケ地。他にも日本で初めてポテトチップの量産に成功した小池屋の工場などがあります。
かなやま湖はオートキャンプ場があり見学。大変綺麗な湖畔のキャンプ場で、この先2ヵ月は週末が全部予約で埋まってました。そして熊さんが大活躍、湖周辺あちこちに連日の熊出没情報の掲示がありました。一昨日は3頭目撃と"(-""-)"
もしや、これなら、初めて野生の生クマに会えるかと期待し、キャンプ場から離れ誰もいない湖畔に降りてみると、、居ました。
水際に人間が一頭w

聞くと、対岸に降りてくる熊さんを待ち撮影してるのだそうです。
って、あんたおいらが熊だったらどーすんのよ?。まーおらもアフォだが。
キャンプ場は平日に使ってみようと思います。

で、やっぱ良かったのは、ぽっぽやのロケセット。
舞台となった幌舞駅(実名は幾寅駅)にロケセットがそのまま残され、じっくり味わうことができました。
鉄ヲタにも映画ヲタにも大人気の場所のようですが、この路線、2016年の台風被害で運行が停止、来年2024年3月、廃線が決まっています。
駅舎の中を含めセットは経年で少しずつ形を変えています。地元婦人会などの尽力で何とか維持されてきましたが、廃線以降、この情景が残る保証はなく、見るなら今のうちかもしれません。
明日再訪してゆっくり動画撮影、記録映像として残そうと思います。
今日はまず写真で。

↓日本アカデミー賞を総なめ、健さんの代表的遺作となった
↓現在の幌舞駅ホーム。2016年の災害から運行停止中

↓映画のままの幌舞駅
↓映画で使われたキハ40
↓炭鉱夫たちが利用しただるま屋食堂もそのまま
↓妻・静江が急病の子供・雪子を病院へ。
夫・乙松は駅業務を優先し死に目に会えず。静江の最期も同じだった。
↓無念の乙松は笛で雪子を送る
↓こっちは別のケンさん。九州から来た炭堀、だるま屋で地元炭鉱夫ともめる。その後ケンさんは落盤事故で亡くなる。

↓ロケ休憩ショット(雪子の幼少シーン)
ロケ休憩ショット(雪子の高校生シーン)
↓おまけ、居酒屋兆次のパネルもあった


木造で残る駅舎は北海道でもここが最後のようで、実に味があります。
駅舎の中には映画で使われた沢山の品があり、これも明日動画撮りのつもり。

映画もそうでしたが、人を想う心、人情ってホント良いですよね。
キャンプ場見学の時、歩道にタバコ一箱が落ちてました。おらが放置して進むと、後ろから来たお嬢さんが、タバコ落とされましたよーって声掛けてくれました。あ、それ、私のじゃないですと答えると、彼女はキチンと受付に届けに行ってました。(普通ならキモくて触らないかゴミ箱行き)。おらが無視したせいでカッコ悪い思いをさせた形。遠目に見た表情にはなんであんたが拾わないの!が見えた。
戻る際、彼女とすれ違い、「ゴメンね私が拾うべきだったね、ありがとうね」と声掛けると、彼女は一気に笑顔になり、いーんです、と。。
短いやり取りでしたが、お互い素直な一言で救い救われる、鎧を解く簡単な勇気や思いやりが人を幸せにするコツなんでしょうね。
近くで見たら美人で2倍得でしたw

道の駅南富良野に居ると陸自車両がひっきりなしに立ち寄ります。
富良野には第4特科群・第2戦車連隊(野戦特化部隊)があって、最後の203mm砲戦車を運用している。今はミサイル戦の時代、今年度いっぱいで4特群は廃止となるはずで隊員捕まえてどこに編入されるのか聞くも内緒だったw。機密なのかな。
↓時代に合わせ配備の進む16式戦車(105mm砲)
映画シンゴジラでは多摩川丸子橋でじゃんじゃんぶっ放してましたがゴジラ様には蚊の役にも立たずw
お努めご苦労様。

ほんじゃ雨止むまで潜伏します。

(^^)/

まろの北海道放浪記 Day74~Day79

2023-09-09 18:22:13 | 北海道放浪2023
視界良好!西村彗星(C/2023 P1 )いてまうでーー!
昨日、北海道弟子屈町・900草原からのアンドロメダ。


今、士幌にいます。
当選した厚岸ウィスキーを受け取るため、足寄→阿寒→弟子屈→厚岸ルートで勝利の厚岸凱旋。競争率は13倍でした。
道の駅厚岸で世話になった案内嬢に当選報告。えらい喜んでくれました。本人は毎年応募してるのに全然当たらないのだそうだ。ネットの転売サイトでは順調に値上がりが始まっている。

厚岸まで戻ったのはもう一つ目的があった。
先月発見された西村彗星をシバクこと。道東エリアはここ数週間天候悪かったのだが、おらの帰還に合わせピーカンが来た!
この彗星、全国のマニアが狙ってるのだが天候悪くなかなかチャンスが無い。こりゃ北海道にいる暇人の任務だべ。

撮影地に選んだのは、弟子屈町の900草原展望台。
ほぼ地平線が見通せるため、早朝薄明前の彗星仰角(0度~10度)を狙うに絶好ポイント。
薄明が邪魔するので、撮影チャンスは1時間のみ。ミスは許されない。
本番前日入りしてロケハン。準備OK。

暇だったので水道借りて洗車も完了。

深夜AM3時、外気温7℃!、戦闘開始。
外に1分いるだけで手がかじかむだよ。夏だぞ。昼間下界は30℃だったんだぞ。3月以来のFFヒーターをONにした。

彗星追尾は、ASIairとSharpCapProの両建てで実施。鏡筒はRedcat51。
SharpCapの彗星アライメントがしょっちゅーロストして四苦八苦。1月のZTF彗星の時は高高度で長時間追尾できたけど、西村君は短時間勝負、長時間スタックはあきらめた。(あと、おら事後コンポジットはやらない派)

ほんで撮れたのがこれっす。
9/8,早朝。まず西村彗星が地平線から現れるまで、アンドロメダとプレアデス星団でウォームアップ。
↓アンドロメダ大銀河(トップ画像と同じ)

↓プレアデス星団
淡い星間ガスがいーー感じです。

ほんで、本チャンの西村彗星。
↓西村彗星(SharpCap、Gain240、30s、10スタック)


↓右の色かぶりは直下の根室の光害

いやーー、テイルが長い!。焦点距離250mmに入りません。
拡大するとダストテイルとイオンテイルの分離が確認できます。
10日前、釧路湿原展望台で狙うも雲に祟られアウト。やっと西村君に会えました。

9/16には、今度は夕刻、日没直後、西の空の地平線上に見えるはずです。一気に2等級まで増光見込み。仰角5度前後で狙える場所を探します。

あと、900草原からの朝日と、阿寒温泉の近くで撮った雄阿寒岳の動画貼っときます。

↓弟子屈900草原・朝日
↓雄阿寒岳

阿寒エリアは鹿密度がすごいです。
夕べ峠を越える間、数えてみました。路肩からダイブしそうな鹿と横断鹿、計52頭に遭遇。その分だけ衝突予防のブレーキ踏みました。
他にも、キツネ、エゾリス、ネズミがちょこちょこ横断します。
あと、コウモリがフロントガラスで自決、ワイパーに引っ掛かって峠降りるまでにらめっこでした。
北海道の田舎道は皆さん法定速度を守りません。下道のエチケットスピードが80Kmh、それ以下はじゃんじゃん追い越しかけられます。
とにかく1台でも前に行こうという執念が半端ないです。病気です。
知床走ってた時、反対車線から追い越しかけて来た車が、まろ号の正面に突っ込んできて、おらの急ブレーキで正面衝突を回避。
一昨日は、まろ号の1台前を行った軽自動車が鹿に激突。女性だったので停車して声をかけると、大丈夫です、と慣れっこの様子でした。
みんな衝突覚悟で走ってるんだな。恐ろしや。
でも、おらも急ブレーキで車内のポタ電を既に3回ぶっ飛ばしてる((+_+))

これから天候を見て、帯広か富良野方面に向かおうと思います♬。

(^^)/


まろの北海道放浪記 Day68~Day73

2023-09-04 23:04:17 | 北海道放浪2023
うひょひょーーーい!
厚岸ウィスキー「白露」当選したぞーーい!
9/2までに当選者通知が来ると聞いてたので、アウトと思ってたら今日身内から連絡きた「当たっとるでー」(^^)/
競争率13倍に勝ったぞー。応募時、スタッフにかけた大人のおまじないが効いたなこりゃ。
山崎ばりに行けば、40年後〇千万円かw(本気じゃないよ)、てか、おいら生きてないw
8月末販売開始、速攻在庫切れ、今メルカリでは3万円前後ですね。


でだ、また厚岸に戻らんといかん(受取りは手渡し+当選通知+身分証明)。
9/2までに分かれば近くの釧路におったのだが、ハズレたなと思い、山を越え峠を越え、逆方向の足寄まで来てしまった。
超高速参勤交代で戻るわ。当選通知は自宅から厚岸のヤマト営業所に送ってもらう。

てなわけで、今足寄町にいます。
宗男ちゃん(鈴木宗男)と千春ちゃん(松山千春)の出た町です。
道の駅あしょろ銀河ホール21は、ほぼ千春博物館。外も中も千春だらけですw。
直ぐ近くに千春の生家があるんすが、興味ないのでスルー。

で、それまで釧路・阿寒にいたわけですが、まー晴れない、まーよく降る。
このへん道東南側は、太平洋高気圧の暖気が入り、千島海流の冷えた親潮が熱交換するため連日雨&霧なのです。
6日間粘り、根切れ寸前、やっと昨日、奇跡の晴れが来ました。

でもまたこの先もコレな↓

諦めて、道央に向かいました。
道南さきっちょの襟裳岬は捨てました。同じ気候なのでね。

釧路→阿寒→足寄。週末は富良野にいるつもり(だった)。
釧路、阿寒で晴れ間に撮った写真のっけときまーす。

↓啄木像(釧路港文館)
↓タッキーは堅物だった


↓資料館に啄木が送った年賀状があり。
宛先がなんとおらの埼玉ベースの近所だった。あんなど田舎に文化人いたのか。

↓防災訓練の終わった海保ちゃん(釧路港)

9/1が防災の日だったので、国の道具たちは全国的に訓練アピールします。
自衛隊、警察、消防、医療機関、自治体本部、あとJAXAや米軍までも、なんでも出てきます。おらたちの税金が入ってるところはポーズが重要なのです。
現役時あちこちのドリルを支援したのですが、同じ被災者でも組織によって呼び方が違ったりします。要救護者、傷病者、死亡者等々、其々のミッションと判定責任により異なります。海保や自衛隊では死亡者を発見しても要救護者。、、まろをめっけたら要駆除者。

阿寒は国道走ってると周りの湿地のいたるところにタンチョウ鶴さんがいます。撮り放題です。

釧路では、定番スポット幣舞橋(ぬさまいばし)の夕日は外せません。
これのために晴れ待ち6日粘ったのだw
天体アプリで日没角度を調べ、279度。昼間にロケハンしてポイント確保した。

↓幣舞橋上流側護岸より
↓幣舞橋上歩道より
↓鑑賞客、ピークで橋上に50人くらいいた
↓こんな感じで撮ってます(まろチャリが邪魔w)
おらの後ろに、ごっつい望遠レンズのプロ系おっちゃんいたんで話したら、フォトコンの優勝者だった。まろも応募して勝負しちゃおかな。

そして、夕日バカのまろ、いつものように動画貼っときます。
今回はサンセット・レインボーも出てますね。動画最後の方で良く見えてます。太陽の周囲に輪のように出る虹で、天候が崩れる前兆とされてます。(空中の水滴がプリズムとなって発生する分光現象)

↓幣舞橋上流側護岸より動画撮影

最後に、釧路エリアの車中泊情報をちょっと。
釧路は道の駅が街中に無く、15Km離れた白糠町「道の駅・恋問」か、20Km先の「道の駅・阿寒タンチョウの里」しかありません。
何故もっと中心地に作らないのだ?空き地はあるのに。キャンカーや周遊仲間はこのせいで釧路はワンストップで去って行きます。
とても良い街なのにホントもったない。
まろはこの2つの道の駅と市内を往復する毎日でした。市内にキャンプ場もあるのですが、設備が車中泊向けではなかったのでスルー。
あったまきたので、ド中心地にいくつか見つけ休憩利用しました。来年用にメモっときます。
  • 港文館(啄木資料館)裏の大駐車場(無料、トイレ有)
  • 幣舞橋(ぬさまいばし)上流側の広い護岸(無料、トイレ有)
  • 釧路フィッシャーマンズワーフMOOの駐車場(有料MAX1700円日、トイレ有)
トイレは公衆トイレなので最低限の機能ですが、夜釣り駐車客もまーまー居て孤立感はなし。ただ当然のこと車中泊用スペースではありません。

道の駅恋問にいたら、突然制服のカワイイJCが現れインタビューされた。
「あの、白糠町を盛り上げるために何かご意見ください♪」
どうも夏休みの研究活動らしい。
まろの回答:温泉、恋人鍵ジャラネット付見晴台、美味い焼き鳥屋と綺麗どころの居る飲み屋、、と答えたら、、もーいーですって陰から先生が登場した。白糠中学校の生徒さん、とっても礼儀正しい良い子でした。

あとネットで繋がってる地元民から、MOO行ったらサンドイッチ屋の店員が激美人だから突撃しろ!と言われ散々探したのだが捕獲できず。心残りとなった。
釧路は飲食店が大変充実している。こっちの探検は来年の宿題だ。

ほんなわけで、まろ、厚岸へUターンします。

(^^)/

花の散る場所(高尾太夫)その2

2023-09-02 02:26:24 | その他
釧路にいます。連日雨が続き放浪旅が足止め中。

花魁シリーズの高尾太夫(その2)を整理したのでアップします。
その1から4ヵ月過ぎてしまいました。
一気に高尾太夫の謎の核心に迫りましょう。

前回はこっち↓

時のいたずらか、彼女は人生の最期をたまたま遊女として迎えただけであり、三浦屋の養女として大切に育てられ、その死後は生家親族へ多くの形見が戻るなど、到底当時の遊女の扱いにあらず。
天心天女と言われた美貌と聖心性、その存在はもはや神の所作、人々への恵みであり、慈しみであったのかもしれません。
彼女の特異な運命を、遊郭の女として括るのはあまりにも残念。
彼女が残した痕跡を訪ね、皆から愛された一人の女性として、その内面に迫って行ければと思います。

まず前回の復習から。
前回は高尾を取り巻く多くの謎と、その関係者たちを紹介しました。

・隅田川吊るし切り伝説は妄説
・墓が3カ所あり真墓が不明
・墓毎に没日もそれぞれ異なる
・伊達綱宗の高尾は別人がいた

そして、今回。
各地に残る数々の記憶を訪ね、人間高尾の実像をあぶり出します。
下記の順で進めます。

・現在の吉原
・道哲の周辺
・西方寺の墓
・春慶院の墓
・永源寺の墓
・綱宗の高尾
・生誕地塩原
・そして総括、クライマックスへ

■現在の吉原

高尾が生きた時代(1641~1660年)、吉原には多くの妓楼があり、後の世にも続く名楼も既にいくつか存在していました。
その中でも歴史に残る多くの名妓を輩出したのが、稲本楼、角海老楼、三浦楼。
高尾はこの三浦楼の養女として吉原に入りました。
この3つの妓楼は江戸の頃(新吉原以降)から現在まで立地に変わりなく、若干の区画整理と建替えはあったものの老舗として生き残ってきました。
吉原今昔図を調べ、それぞれ廻って見ました。
まず、見返り柳のある吉原大門を入ります。

↓メインストリート(仲之町通り)


稲本楼の跡地にはその歴史を引く立派な本業店があり、隣にグループのホテルも建設中。
↓稲本楼の現在



角海老楼の跡地には大きなマンションが建設中です。
↓角海老楼の現在


そして、高尾が居た三浦楼なのですが、、
三浦楼の跡地だけは早くから改変が進み、今や名を残すものはありません(吉原今昔図によれば現在の交番の裏路地に存在した)。
吉原の生き字引、カストリ書房の店主や、長年続く大黒屋のお婆ちゃんに聞いても、三浦楼の痕跡だけは見つかりませんでした。

この界隈隅々歩く。やはり人が多いのは吉原神社。

ここも歴史無視のお花畑系種族やレイヤー族の浸食が始まっていました。
そして真昼間なのに街の随所に、東横キッズ風おっ立ち娘が客漁りしています。
変わりゆく吉原。大人から子供の遊び場へ・・。



吉原から日本堤を抜け小塚原まで歩く。
道哲道人が土手の道哲として、投込み寺に捨てられる遊女の躯や、小塚原刑場で死罪となる罪人達に念仏を上げた場所です。
このルートは今でも分厚い情調が感じられ、重い気に満ちています。
ゴールは首きり地蔵のある回向院(えこういん)。一帯は斬首刑、火炙り刑含む極刑場として江戸三大刑場の一つでした。



高尾の居た吉原は、そんな生と死が最短距離で背合わせする、死海の中の極楽だったのです。

■道哲の周辺

道哲は、元は仏僧ではなく、仏道に帰依する道人でした。
土手横に掘っ立て小屋程度の小さな庵を立て、土手を運ばれる遊女の屍や極刑となるる罪人、無縁仏に昼夜問わずひたすら念仏を上げていました。
江戸の風物となるほどのもので、その常念仏と木魚音は界隈どこでも聞こえたのだそうです。
後に道哲は西方寺の僧となり、三浦屋の別邸が近くにあったことから高尾との縁が生まれます。
西方寺は、1926年浅草聖天町から豊島区巣鴨へ移寺されましたが、同時に多くの墓も移され、そこには高尾の墓に寄りそうように道哲の座像があります。
移寺前も同様の風景だったそうで、仏僧と遊女のロマンス、その裏には何があったのでしょう。

■西方寺の墓

高尾の墓と称されるる3カ所(西方寺、春慶院、永源寺)のうち、まず、現在の西方寺を訪ねてみました。
↓表札

高尾墓を探してると、寺の宗徒の方が現れ、あ、高尾ですか、昨年から入場禁止にしました。撮影もできません。と。
何やら昨年NHKで特集された後から、にわか客が押し寄せるようになり問題となってる様子。
あれこれ嘆願し何とか墓前でお参りはできましたが、撮影は許されませんでした。もはや伝えを聞く間もないピリピリ感。
これから参拝する方は、事前に住職さんに筋を通すのが良いと思います。
規制前に撮影されたネット資料を引用します。(歴史を留める東京の風景webより)
屋根下にあるのが高尾の立像墓、隣に小さく道哲の座像があります。

■春慶院の墓

吉原大門から土手通りを渡った先にあります。古くからから寺の密集する場所。

墓の成りは高尾の墓の中では最もそれらしく威厳すら感じる美しさがあります。


綱宗の命により建てられたとされていますが、没日が西方寺の墓より約1年早く、その謎を解く歴史資料が皆無。
その1で紹介した通り、被災により戒名の完全な形が確認できず、本墓ではなく供養塔と見るのが妥当。

■永源寺の墓

永源寺は、高尾と相思相愛となった島田権三郎の菩提寺で埼玉県坂戸市にあります。

本堂の裏、島田一族の囲い墓の隣に孤立するように建立されてます。

↓島田一族の囲い墓



住職に聞くも高尾の遺物や縁を記すものが何もなく、高尾死後、権三郎が彼女を供養するために建てた墓標とするのが妥当。

■綱宗の高尾

仙台藩主・伊達綱宗の中には2人の高尾が居ました。
一人はリアル高尾太夫、もう一人は側室のお品で、仙台藩に名を残す高尾はお品です。
綱宗がどれだけリアル高尾に惚れていたとしても、仙台藩の名誉を考えれば、藩主の系譜に遊女が入ることは避けたかったでしょう。
お品の立場は、綱宗のリアル高尾への想いと藩の面目を両立させる、丁度よい存在だったのだと思います。
綱宗を取り巻く高尾は更に複雑な説があります。
  • 綱宗が身請けを迫ったのは日本橋の遊女でありこれを高尾と呼んだ
  • 側室筆頭の「お初」を高尾と称するも、お初は若くして他界
  • お初亡き後、侍女であった「お品」を側室に上げこれを高尾とした
もはや綱宗の中で高尾とは、美麗な女性に対するブランド名であったのでしょう。それを知るお品は、綱宗死後、尼となり77歳で亡くなるまで長年高尾として綱宗の供養を続けたわけです。

目黒正覚寺にあるお初像を訪ねました。
↓正覚寺


↓お初像
高尾の美貌とお初の献身を兼ね備え、神々しくも豊かで、綱宗の両者への想いが見えてなりませんでした。

こちらは麻布、仙台坂上。元仙台藩屋敷に隣接する氷川神社で、この中にも高尾稲荷があります。元は、屋敷内にあったものがここに移設されたよう。
綱宗の跡には必ず高尾の跡があり。入れ込みようが分かります。
↓麻布氷川神社

↓本殿横にある高尾稲荷


江戸に残る高尾の旧跡や記録は、彼女の死後創作されたものも多く、時の世情や庶民文化の中で幾つもの伝説を生みました。
墓にしても供養にしても、周辺の関係者を含め、整合しない空白域のパズルを探すより、すべてを受け入れ情調文化遺産として価値を置くべきなのかもしれません。

真実の彼女は何処にいるのか??

続いて、高尾の生まれた栃木県塩原へ向かいました。
ここで様々な旧跡、遺品に出会うことになります。
全てに生々しい臨場があり、人間高尾に一気に近づくことができました。
それではクライマックスへと向かいます。



■生誕地塩原

まず、高尾(幼名:アキ)が三浦屋の養女となる8歳まで、家計を助けるため湯治客向けに、山の幸や化石を拾い売っていた明賀屋本館を訪ねました。
明賀屋本館は、塩原温泉でも奥座敷的な山深い場所、塩の湯温泉郷にありました。
↓塩の湯から見える風景

↓入口の道脇には古い碑が立っていました
アキもこの碑に手を合わせる日があったのでしょうか。
5歳で元湯から塩釜に越したアキは8歳になるまで、小さな幼女がこの深い山中を行き来していたのです。
↓明賀屋本館へ
↓明賀屋本館。アキ8歳の時、湯治客に見初められた場所

↓塩の湯。アキの家はその下流の塩釜にあった
↓幼いアキは母が採取する山の幸の他、自分で拾い集める化石類も売っていました。
↓二千万年前、ここは海だったんですね
↓木の葉化石館に行くと化石発掘体験ができます。
アキになったつもりで岩石を割ると、落ち葉化石がこんなに出てきました。
高尾が紅葉を愛したのは、生活を支えてくれた塩原の美しい自然への深い想いからでした。
 
↓化石館に並ぶ木の葉化石(販売用:数百円~数千円)

■塩原から江戸へ

アキの母(はる)は、男運に恵まれず3度結婚しています。
最初の夫(角兵衛)に先立たれ、村人たちの勧めで旅人を婿養子に取りこれに同じ角兵衛を名乗らせ2人目の夫とします。アキはこの2人目の夫との間に生まれました。しかし、この角兵衛は村々を廻る薬の行商と共に消息を絶ち行方不明になってしまいます。男手が無くては暮らしが立ちません。再び近隣の計らいで上塩原部落より、はるより年の若い長助を3人目の夫として迎えます。
しかし長助は病身でした。
不運の続くはる、貧困が続き、家計は苦しむばかりでした。
春の季節になると、湯治客が増え、はるが夜も明けぬうちから川や山で採取してくる水菜や山椒を幼年のアキが売り歩きます。はるも売りますが、なんとアキの方が稼ぎが多く家計を助けました。

その頃、明賀屋に水戸からの最上級な湯治客があり、アキの天性の才美を見抜きます。そして、縁のある江戸吉原の三浦屋へ紹介することに。(その1では通説となっている三浦屋が湯治、三浦屋主人が直接見初めたとしましたが、吉原を長く不在にすることは考え難く、今回地元取材で得た水戸説が有力)
早飛脚が塩原と江戸三浦屋を往復します。
この時、アキの親を説得した立会人(明賀屋、妙雲寺和尚、和泉屋)と三浦屋との間に、アキは養女であり、三浦屋の娘として育てる。決して遊女にはしないとの約束が交わされます。
聡明で親思いのアキは、家を助ける一心、父の薬代にもなると、金7両(現在の約70万円)で実質身売りとなりました。
こうして、アキは水戸の客に連れられ江戸へ旅立ったのです。

↓別れの際、母はるがアキの苦からの救済を願い与えた襟かけ地蔵


↓妙雲寺
↓本堂左を入り墓地へ向かいます
↓著名人の墓を過ぎると奥にひっそりと高尾の墓標がありました。
この位置から奥は入れないよう参拝者規制があります。

↓高尾の有名な辞世の句が記してあります(望遠撮影)
「寒風に もろくもくつる 紅葉かな 」
塩原には、もう一つ、高尾塚があります。
↓高尾塚
塩釜地区にある明賀屋ホテル(現在閉館)前の駐車場にあります。
↓若干史実と異なる部分もあるようですが大筋OK
毎年12月、高尾の没日にここで供養が行われるとのことで、親族の末裔と関係者数十人が集まり祈りを捧げます。取材中、今度是非いらしてくださいとお招きを受けました。光栄なり、同席させて頂きます。

■ありし日の塩原

アキの育った空気を肌身で感じたく、情調豊かな塩原の今昔を訪ねてみました。
モノクロは塩原温泉ものしり館にあった資料です。許可を得て撮影。
↓芸者衆
↓芸者さんの羽織。高尾が愛した紅葉紋様です

↓川向こうの旅館は渡し船で
↓これ!やっぱり塩原娘はみんな美人!
過去からのいわれの通り、秀麗な山河は美人を生む!!ですね。
↓過去

↓現在
↓過去
↓現在
↓この場所は資料館の方と探すも特定できなかった


■高尾の遺品

高尾は7両で身売りされた身。しかしその身は養女。
遊女・高尾は、江戸大火で消失した三浦屋を再興するためにアキ自らが選んだ道でした。
大火では吉原遊女も大勢が焼け死に、どの妓楼も太夫格が失われた状況の中、16歳になったアキは、三浦屋のひっ迫を何とかしたく、遊女になりたいと申し出ます。
三浦屋主人は仰天します。
アキは芸百般、大事に育てた三浦屋の箱入り娘なのです。
主人が遊女の苦海や辛さを語るもアキは聞く耳持たず。そもそも養子縁組のとき断じて遊女にはせんと、親元と郷里の立会人3人で決めた約束と主張するも、アキは聞かぬばかりか飯も食わなくなってしまいます。
アキの覚悟は動かず、3人はワシら3人が責を負う、として三浦屋にアキの願いを聞き入れてもらうことになります。
アキの孝心は、幼少の頃から変わらず、身を投げて親に尽くすことでした。
その後は公知の通り、高尾太夫として一世を風靡します。
しかし、高尾の身は既に労咳の病に冒されていて、郭入りして年余ならず病床の人となり、三浦屋別邸にて病を養うも悲運の最期を迎えます。

三浦屋は礼を立て、高尾死後、多くの遺品を塩原のご遺族へ戻しました。
塩原を出て約10年、彼女が大切にした数々の品、その抜け殻に少女時代の面影は無くも、郷里の空気に触れることでアキが生き返るような生々しい息遣いを感じました。
連日高尾探しに通う私を見て、特別な配慮を頂き、今年撮影された彼女の遺品類の記録写真を見ることができました。
厳重非公開の念を押されているため、ここに掲載することはできませんが、過去にその一部がwebで紹介されています。
ここの女将さんは、高尾の生き字引、彼女の親や弟、親族のその後に至るまで、貴重な情報の語り部となっています。高尾塚の保存にも尽力されていて頭が下がります。
上記webからいくつか写真を拝借します。

↓高尾の位牌
高尾の墓論争の決め手として重要な手掛かりになるものです。
位牌には、西方寺とあり、その没日と出自も明確に刻まれています。
  • 萬治3年12月25日、浅草聖天腸町の西方寺にて葬った。
  • 戒名:転誉妙身信女 。
  • 新吉原、三浦屋四郎座衛門内の遊女で、高尾の事である。
  • 本国は下野国(現栃木県)塩原の渡辺忠左衛門の元に生まれる。
これからすれば、高尾の真の墓は、西方寺にある墓。とするのが妥当である。しかし、複数の公式資料では墓は春慶院にありとする。だが、どこを調べてもその根拠となる記録や遺物が全く無いのだ。
唯一考えられるのは、春慶院の墓が一番立派であり、それが本墓に相応しいという後付けの想いのみである。
ここでは、西方寺の墓こそが本墓としたい。

↓自筆の遺書

実に麗しい!
高尾の晩年は持病の肺病が悪化し次第に衰弱して行きます。
女性として最も輝ける時に死を悟る高尾。現世への様々な想いがあったでしょう。
ここには恋人へあてた言葉も淡々と書かれているそうです。
たとえ妓楼という狭い檻の中にあっても、豊かで美しく、乱れることもなく、、それがこの筆運びに滲み出ているように見えます。

若干19歳にしてこの愁いの書!比する言葉が見つかりません。

下部の説明には次のように記されています。
「その家に高尾の遺書一巻あり。書法妙麗であり、想うにあまりにうるわしく、まさしくそのとおりである・・・」

他にも高尾の遺品は複数残されていますが、これらは渡辺家子孫と縁ある福島県在住の方が代々大切に保管されてきたものです。現在の保有者の方はご高齢となり、後の伝承に不安があるとのことで、最近その全ての遺品が郷里の妙雲寺に移管されたとのことでした。

約400年の時を経て、アキは高尾の名で故郷に戻ったわけです。
彼女が愛していた塩原の紅葉、幼少期に見たその色あいの中で、高尾は再びアキに戻り、静かに心を休め、いつまでもいろは紅葉と共に輝くことでしょう。

高尾、その短すぎる生涯に消えた光と哀愁、決して忘れてはなりません。
ここまでお読みいただいた方、、高尾の吊るし切り伝説なんて絶対信じちゃだめですよ。罰が当たります。

アキちゃん、お帰りなさい。
晩秋は、君が化石を集めた塩原の山川より、同じ紅葉を見上げ、毎年君に会いに行く!(^^)/

ミッション完了!

第5回 花の散る場所(高尾太夫)その2・・・今回

(^^)y-.。o○