先月,長年使ってきた本を修理していただいたことを書きましたが,その修理の様子をブログ(古本と手製本ヨンネ (yon-ne.com) )で紹介していただいています.数学書は通読するというよりは,読み返すことが多く,読み返すたびに,何らかの新しい発見を見出すところに面白さがあり,さらに,時間が経っても数学的に正しいことは変わりがなく,そこにも特徴があるかと思います.
写真の右がその数学書です.大学1年時に数学2(線形代数)で指定された教科書です.担当の先生は松本誠教授で,この本の著者とは専門(微分幾何)も近く,友人同士だったという話でした.先生の講義は人柄と同じく,誠実で,教科書に書いてあっても自ら黒板に丁寧に書かれていくもので,受ける側もきれいにノートをとってしまうほどです.黒板の字もきれいで,自分が教員として黒板に書くときも,この先生の板書を心のどこかに意識していました.
受験生から大学生になった時点では数学者についてもあまり知らない中で,受験参考書では,「解法のテクニック」の著者である,矢野健太郎は知っていましたが,講義中に松本教授が矢野健太郎は教科書書きであり,大した業績はないと言っておられたのは,同じ微分幾何を専門にする数学者としての思いかと感じました.一方北海道大学の河口商次については,何度かその業績を話されて,受験生や一般に知られている数学者についての評判とは違った側面を聞くにつれて,少し数学の世界を垣間見た記憶があります.
当時,松本教授は微分幾何学の中でもフィンスラー幾何学で日本の指導的立場であられ,大学1回生の講義であっても,手を抜くこともなく,講義に望まれる姿は,今も忘れられません.
また,当時は1,2回生は教養部に属して3回生から各学部の専門学科に配属になるというシステムが大学では一般的でした.入試が学科別でおこなわれていましたが.私の工学部は17学科もあり,各学科で入試の最低点は異なり,最高の学科と最低の学科では900点満点で100点以上差があるのが現実で,第1志望の学科で不合格になっても,自分の点数から1割の点数を引いて,第2志望の学科の最低点より高い場合は,第2志望に合格ということも稀ではなく,普通にありました.
教養部ではクラス単位で行われるのは,語学(英語と第2外国語)と体育で,理系の工学部,理学部,医学部(当時は医学科のみ,医療技術短大が今の医学部の他学科)については特に1回生のときは,これに数学1(微分積分8単位,90分授業週2コマ)と数学2(線形代数4単位,週1コマ)もありました.理系のうち,農学部と薬学部は数学3と称して,内容が狭い数学の授業でした.今は,どうかは知りませんが.
また,特別に先生に頼んで,ゼミを行うこともできましたが,松本教授は自らゼミを開催されて,しかも,自分の専門外の情報理論の本を読んでいくというものでした.クラスの何人かは先生の講義に惹かれて,そのゼミもとっていました.
そんなこともあり,高校生の頃は数学者,矢野健太郎に憧れて,東工大の理学部(1類)を志望したりしていましたが,結局は名前とその可能性に憧れて京大の工学部数理工学科を志望し,受験することになりました.今のように,大学の説明会等もなく,情報がなく,ホームページもなく,赤本くらいしか大学の情報がなく,しかも入試は細かく,学科別になっていて,入学後,思っていたのとは違うという思いをした受験生も多かったのではないかと思います.しかし,今の受験生は,大学の学科等の情報も昔と比べて容易に手に入るようになったにも拘らず,合格可能性だけを頼りに,志望校や学部を決定するという傾向があり,何とも皮肉なものです.
そんな数学書から思い出を紐解く中で,書斎にあった,
を読み直してみました.昭和56年12月25日発行となっていますので,40年以上前ですね.意外と表紙のカラーが色褪せていません.この本を読むきっかけは,
を読んだからです.この本の著者の高瀬正仁の著書は岡潔の関連の書籍を始め以前から愛読者の一人になっています.数学者が書いているという安心感もあり,また取材も丁寧になされているのが垣間見れ,この本でも,索引が充実しているので,読み返すことが多くなる点ではありがたいです.矢野健太郎の本は,高木貞治以降の時代の主に微分幾何学を専門にする数学者で,実際に矢野健太郎が会った数学者について書かれていて,なかなか数学の啓蒙書では書かれていない,新しい数学者のことが書かれているのが珍しい.内容的にも非常に日常的な数学者を垣間見るようで,他の数学の啓蒙書にはない新鮮さが今も感じられます.ただ,私の頭に片隅には,松本教授の言葉があるので,すこし,矢野健太郎の言葉に嫌味を感じたりします.この本にも高木貞治のことは少し書かれていますが,高木貞治については
で,かなり,人物的に??と書かれているので,以来,少し見方を変えています.しかし,明治から大正・昭和にかけて,日本の数学を世界に知らしめた数学者としての評価は変わらないのでしょう.その意味では,高瀬正仁ではありませんが,岡潔はもっと評価されてもいいのではと思いますが.志村五郎の場合は高木貞治とある程度専門も近いので,言及されているのでは思いますが,岡潔に関しては志村五郎の言及がないのは,その専門が違うことも大きいのではないかと思うと共に,志村五郎の几帳面で,曖昧さを嫌う性格から,敢えて言及しなかったとも感じます.
矢野健太郎の本を読んでから,少し他の数学啓蒙書も読み返してみようと
を読み返しました.特に左の本は世界的に有名な数学史の本ですが,高木貞治くらいまでの時代の数学者で,それ以降の数学者に関しては矢野健太郎の本で微分幾何に限定した数学者を垣間見ることができますが,志村五郎の本でも,冷静な分析というか,かなり個人的な感情も含めて書かれていて,それぞれに読みごたえはあると思います.
それにしても,高校生の時に,大学の情報に関して我々の時代よりも今の高校生は身近に得ることはできますが,こと学問,数学に関しては,我々の時代より例えば数学を志す高校生にとって,格段に情報が得られるかというと,そうではないのではと感じます.受験そのものがテクニック化したというか,学問的なものより,受験のための勉強という意識が強くなりすぎてきていることがその根底にはあるように思います.
右の森毅の本は,当時の学生運動の頃を彷彿させる文体に私には思えます.森さんは,私が学生時代に友人と教官室で,質問をした記憶もありますが,当時でも,特異な数学者でした.ただし,数学者としての評価は高いとは聞いたことはなく,松本先生とは両極端な先生ともいえるかも.同じ文体は,
の倉田令二朗にも見られますが,森と倉田は同世代でもあり,共通点もあるので,そう感じられるのかもしれません.
ところで,森さんに質問したのですが,森さんはわからなくて,隣の席にいた笠原先生はきちんと答えてくれました.単なる数学の英語の日本語訳ですが.
その人となりをある程度知るに付けて,その人の書いた内容の受け取り方も微妙に違ってくるのは,どの分野でも同じように感じます,